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第2章 第6話魂喰らいの宴と反撃の狼煙

重厚な黒檀の扉が閉ざされ、俺たちは完全に罠の中に囚われた。

マジックミラーの向こう側、オークション会場のステージでは、三人の閣僚が魂のない人形のように佇んでいる。そして、そのステージを取り囲む仮面の客たちが、一斉にこちらを向いた。その仮面の奥で、爛々と輝く赤い瞳。それは、ルクスリアの力によって欲望を増幅され、理性を失った獣の目だった。

「さあ、宴を始めましょうか。あなたという極上の魂を、我が主(ルクスリア様)に捧げるための……ささやかな前菜の宴を」

書斎の中央に立つ支配人の女が、芝居がかった仕草で両腕を広げる。彼女の言葉が合図だった。

マジックミラーが、音もなく消失した。

書斎とオークション会場を隔てていた壁がなくなり、二つの空間が一つになる。仮面の群衆が、じりじりと、しかし確実に、俺たちを取り囲むように距離を詰めてきた。

彼らの口は笑っている。だが、その瞳は笑っていない。魂から発せられる、剥き出しの悪意と欲望の奔流が、精神的な津波となって俺たちに襲いかかった。

「……うっ……!」

イヴが、苦痛に顔を歪めて膝をついた。彼女のクリーンすぎるゴーストにとって、この凝縮された悪意は、魂に直接流し込まれる毒水のようなものだ。

「イヴ!」

俺は咄嗟に彼女の肩を抱き、自らの『調停』の力で精神的な盾を展開する。だが、多勢に無勢。四方八方から叩きつけられる欲望の波に、俺のささやかな抵抗はすぐにでも押し流されそうだった。

「お兄ちゃん!」

グラが、俺の前に立ちはだかる。その小さな背中は、しかし、どんな装甲よりも頼もしく見えた。彼女の瞳には、恐怖の色はない。ただ、自らの『餌場』を荒らす者たちへの、冷たい怒りだけが燃えていた。

「……こいつら、みんな……お兄ちゃんを狙ってる」

低い、唸るような声。

「……ゆるさない。お兄ちゃんは、わたしのものなのに」

その瞬間、俺は理解した。グラの嫉妬は、もはや俺とイヴの関係だけには留まらない。俺に向けられる、全ての欲望と悪意が、彼女の逆鱗に触れるのだ。

「食べていいですか?お兄ちゃん」

グラが、俺を振り返って尋ねた。その問いは、子供のような無邪気さと、捕食者の冷酷さを同時に含んでいた。

俺は、覚悟を決めて言った。

「ああ、好きにしろ!こいつらの腐った魂ごと、喰らい尽くしてやれ!」

「――いただきます!」

その言葉は、もはやか細い少女のものではなかった。

世界の理そのものを喰らう、根源的な捕食者の咆哮。

グラの身体から、黒い影のようなオーラが爆発的に放たれた。それは、渋谷を飲み込んだ灰色のノイズとは違う。より凝縮され、明確な意志を持った、魂を喰らうための顎。

仮面の群衆から放たれていた悪意の津波が、逆流を始めた。彼らの魂から、嫉妬、憎悪、侮蔑、渇望といった負の感情が、黒い光の帯となって引きずり出されていく。その濁ったエネルギーは、渦を巻いてグラの小さな口へと吸い込まれると、瞬時に彼女の力へと変換され、その身に纏う黒いオーラをさらに濃く、禍々しく輝かせる。

「ああ……」「う……」「何が……」

魂の根幹を喰われた人々は、次々と仮面を落とし、その場に崩れ落ちていく。その瞳からは欲望の赤い光が消え、ただ、自分が今まで何をしていたのか理解できないといった、深い混乱の色だけが浮かんでいた。

「まあ、素晴らしい。なんと野蛮で、愛らしい食べっぷりでしょう。まるで、お腹を空かせた獣のようですわね」

支配人は、その光景をうっとりと眺めている。彼女だけが、グラの魂喰らいの影響を受けずに、平然と立っていた。

「けれど、無駄な足掻きですわ。この宮殿は欲望そのもので出来ているのですもの。尽きることのない美酒を、あなた一人の小さな胃袋で、全て飲み干せるとお思いで?」

その言葉を証明するように、倒れた者たちの後ろから、次々と新たな仮面の客たちが現れる。彼らは、このシルク・パレスという装置によって、無限に供給される欲望の兵隊だった。

「イヴ、聞こえるか!?」

俺は、イヴの肩を揺さぶりながら叫んだ。

「支配人を操ってる糸を探せ!大元を断ち切らなきゃ、きりがない!」

「……はいっ!」

イヴは、俺の盾に守られながら、再び目を閉じて精神を集中させる。彼女の意識が、この欲望の嵐の中から、支配人を操る一本の繋がり――『傀儡のマリオネット・ワイヤー』を探し出すために、情報の海へと深く、深く潜っていく。

その間にも、グラは一人、奮闘を続けていた。彼女は、もはやただの少女ではない。戦場を舞う、黒いドレスの死神だ。敵の精神エネルギーを喰らい、それを自らの力へと変え、さらに強力な捕食域を展開する。だが、その顔には、僅かながら焦りの色が浮かんでいた。敵の数が、多すぎる。

「……お兄ちゃん……まだ……?」

その声が、微かに震えた。

その瞬間だった。

「――見つけました」

イヴが、目を見開いた。その瞳は、廊下の奥、支配人が立っているさらに向こう側、何もない空間の一点を、確かに捉えていた。

「……あそこです。目には見えないけれど、彼女を操る糸が、空間を歪めて、この建物の外……もっと遠いどこかへと繋がっています……!」

それを聞いた支配人の顔から、初めて余裕の笑みが消えた。

「……私の『糸』が、視えるですって……?」

彼女は、信じられないといった表情でイヴを睨みつけた。

「……そこまでよ。その舌、これ以上回らないようにして差し上げましょうか、お嬢さん」

支配人の身体から、これまでとは比較にならない、凝縮された精神的な刃が放たれる。狙いは、糸の存在に気づいたイヴただ一人。

「させないっ!」

俺は、イヴを庇うように前に飛び出した。舌のスティグマが灼熱を発し、俺の魂がグラの能力を限界まで引き出す。

だが、支配人の一撃は、あまりにも鋭く、重かった。俺の張った盾が、ガラスのように砕け散る。

「ぐっ……あああああっ!」

脳を直接、万力の力で締め上げられるような激痛。視界が真っ赤に染まり、意識が遠のいていく。

「お兄ちゃんっ!」

グラの悲鳴が、遠くで聞こえた。

――もう、ダメか。

俺がそう思った、その時。

ふわり、と。

優しい光が、俺の身体を包み込んだ。

それは、イヴから放たれていた。彼女は、胸の前で組んだ手から、穏やかで、温かい光を溢れさせていた。それは攻撃的な力ではない。傷ついた魂を癒し、安定させる、純粋な『調停』の光。

イヴの光が、俺の砕かれた精神の盾を修復し、支配人の一撃を和らげていく。

「……あなた……まさか、その力は……」

支配人が、驚愕に目を見開いている。

その一瞬の隙を、グラは見逃さなかった。

「――お兄ちゃんを傷つける奴は、みんな、喰ってやるっ!」

彼女の嫉妬と怒りが、ついに臨界点を超えた。

グラの姿が、陽炎のように揺らめく。その背中に、黒い獣の幻影が重なった。そして、彼女の頭上には、黒いエネルギーが渦を巻いて形成された、まるで空腹を訴える口のような形の光輪が、不気味な光を放ち始めた。

――反転形態:飢餓のスターベーション・ビースト

その覚醒は、まだ不完全だった。だが、放たれる捕食の力は、これまでとは比較にならない。

グラが放った魂喰らいの顎は、もはや周囲の雑魚には目もくれず、ただ一点、支配人の魂だけを狙って突き進んだ。

「――っ!?」

支配人は、咄嗟に精神的な障壁を張るが、覚醒しかけたグラの力の前に、それは紙のように食い破られた。

「きゃあああああっ!」

魂の一部を喰いちぎられ、支配人は美しい顔を苦痛に歪めて後方へと吹き飛んだ。彼女を操っていた『傀儡の糸』が、その接続を維持できずに、激しい火花を散して千切れる。

糸の支配から解放された女は、気を失って床に崩れ落ちた。

静寂が、戻った。

仮面の客たちは、糸の支配が消えたことで完全に動きを止め、その場に立ち尽くしている。

俺は、イヴの癒しの光の中で、なんとか意識を保っていた。そして、不完全ながらも覚醒の片鱗を見せたグラは、消耗しきって、俺の足元にふらりと倒れ込んだ。

俺は、二人を抱きかえるようにして、その場に膝をついた。

「……やったのか……?」

だが、勝利を確信するほどの安堵はなかった。

支配人は倒した。だが、大元であるルクスリアは、まだこの世界のどこかで、笑っている。

俺は、気を失った支配人が落とした、一枚のカードキーを拾い上げた。

そこには、こう刻まれていた。

『Penthouse - Owner』

俺たちの戦いは、まだ終わっていない。

この絹の迷宮の、最深部へと、俺たちは進まなければならな

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