鳴らされなかった警鐘(抜粋)
真鍮と木材の混ざった響きが、広いホールを満たした。
演奏旅行先の都市、石造りの歴史ある劇場の天井に、最後の音が消えていく。
指揮台に立つ青年が静かに腕を下ろすと、オーケストラの面々が息を整え、音を閉じた。
大喝采。
観客席が揺れるような拍手。
ブラヴォーの叫びが幾重にも重なり、花束がいくつも舞台へ投げ込まれる。
その中央に、ヴァイオリンのソリストとして立っていたあの女性が、静かに頭を下げる。
その後ろで、彼――青年の指揮者も一礼した。
舞台裏に戻ったあとも、団員たちの笑顔は尽きなかった。
乾杯の音が上がり、夜の食堂では少し贅沢なワインがグラスに満たされた。
けれど、その帰路。
次の都市へと向かうために、列車へと乗り込んだ時――彼らは、最初の兆しを目にしていた。
首都方面から到着した別の長距離列車のホーム。
そこには、制服姿の若い兵士たちが黙々と列をなし、列車に乗り込んでいく姿があった。
詰め込まれる背嚢。見送りに来た母親たちの目。
響くのは軍の号令と、鉄のぶつかり合う音。
オーケストラの誰もが、それを横目で見ながらも、なにも言わなかった。
ある者は指揮棒のケースを握りしめ、ある者は楽譜を抱きながら、ただ次の演奏地のことを話していた。
まるでそれが、自分たちとは無関係の出来事であるかのように。
列車が動き出し、駅が後ろへと遠ざかる。
彼女は窓の外に目をやった。
兵士たちの整列する姿。その向こうに、もう誰もいないホームの光景。
彼女は何も言わなかった。
ただ指先で、ヴァイオリンのケースを軽く叩いていた。
数ヶ月後。
別の都市、別の劇場。
その日の舞台に立ったオーケストラは、わずかにその人数を減らしていた。
誰かが欠けたわけではない。
欠けた、という言葉さえ避けるように、代奏者が入っていた。
演奏が終わると、また盛大な拍手が鳴った。
けれど、その拍手の中に混じって、かすかに違和感があった。
観客席には、何人もの軍服姿の男たちがいた。
どこかよそよそしく、それでいて何かを測るような目で舞台を見ている者たち。
ロビーの掲示板には、「愛国演奏会開催のお知らせ」と書かれた貼り紙。
壁には戦争公債の広告が増えていた。
ある日。
大きな通りを、ヴァイオリンの女性が楽器ケースを肩にかけて歩いていた。
午後の陽差しが道を照らし、人々が一斉に足を止めていた。
歩道には人垣。
前が見えず立ち止まると、やがて勇壮な音が聞こえてきた。
軍楽隊の演奏する行進曲――華やかで、規律に満ちた響き。
その行進の中に、彼女は一瞬だけ、知った顔を見つけた気がした。
トロンボーン奏者。第二ヴァイオリンの女性。
彼らは軍服をまとい、まっすぐに前を見て行進していた。
彼女はただ立ち尽くした。
行進の音が去っていくと、人垣は動き出し、街は再び喧騒に戻った。
彼女は肩にかかったケースを少し持ち直し、歩き出す。
どこへ向かうでもないままに。