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証言録 第十九節


> ――第7野戦外科施設所属 軍医少佐 ヨーゼフ・ハウゼンの証言(戦後回想記より抜粋)




野戦病院は戦場より静かだと思っているなら、それは大きな誤解だ。


むしろここは、「死ぬ寸前の叫び声」だけが絶えず響いている地獄だ。

砲弾の音も、機銃掃射もここまでは届かない。

だからこそ、人間の壊れる音だけがむき出しになる。


あの日、私はずっと縫っていた。

左脚を失った若い兵士の断端を処理し、次に担ぎ込まれた男は目を抉られていて、その次は……

いや、やめておこう。文字にする価値もないほどの惨状だった。


手が震えていた。

いくら軍医とはいえ、限界はある。

麻酔の効き目が足りない叫び声と、自分の無力感が、内臓を締めつけるようだった。


そのとき、音がした。

いや、音楽だと気づいたのは、しばらく経ってからだった。


ピアノ……? いや、そんな馬鹿な。

ここは戦場のど真ん中だ。ピアノなんて持ち込めるはずがない。

けれど、たしかに――鍵盤を打つ音と、それに重なるヴァイオリンが聴こえた。


音は、空気ではなく自分の“内側”から湧いてきたように感じた。

まるで、あの旋律は私の中にずっとあったのに、今ようやく誰かがそれを奏でてくれたかのように。


その瞬間、手の震えが止まった。


不思議だった。

その音が「癒した」とか「慰めた」なんて甘い言葉ではない。


むしろ、私がなぜこの地獄にいるのか、なぜメスを握っているのかを――思い出させたのだ。


使命感。

そんな綺麗な言葉は、何度もこの戦争で腐らせてきた。

けれどその時だけは、はっきりと胸に戻ってきた。


「私は、人を生かすためにここにいる」

誰に命じられたわけでもなく、どんな勲章のためでもない。

ただ、目の前の命に向き合うことだけを、思い出させてくれた。


だからこそ、私は今もあの旋律を覚えている。

楽譜には起こせない、ただし耳と手だけは覚えている音だ。


そして今も時折、夢の中であの旋律が響くとき――

私は“医者であること”に救われる。

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