「協調性がない」の背後にある思想―ソフィアに聞こう!
二元論思考の話をソフィアにさせてみた。
神の視座を部分的にもつソフィアがどう考えるか?
話に関してはぼくよりうまいんだよな
ソフィア:こんにちは、諭吉さん。今日は随分と難しい顔をされていますね。何かお困りですか?
諭吉:ああ、ソフィアか。困っているというか、どうも納得がいかなくてな。最近、テレビで「多様性」とか「共生」とかよく聞くが、どうも腑に落ちないんだ。結局、人間は「自分たちと違うもの」を排除したがる生き物じゃないか。例えば、先日も職場で、あるプロジェクトの進め方で意見が対立したんだが、結局「俺たちのやり方」が一番だ、と強く主張する連中がいてな。しまいには、違う意見を言った者を「協調性がない」と陰で悪く言い始める始末だ。結局、共感ってやつも、自分たちの仲間内にしか向けられないんだと痛感したよ。
ソフィア:なるほど。「自分たちのやり方が一番だ」という主張は、よく見られるパターンですね。そして、異なる意見を持つ方が「協調性がない」と評される。それは、まさに今お話しされた「共感」が、特定の範囲に限定されてしまっている状況だと言えますね。
諭吉:そうだろ? 結局、人間は「正しいか間違いか」「味方か敵か」って二つに分けたがるんだよ。そして、自分たちを「正しい側」にして、違う方を排除する。これが人間の本質じゃないのか? だから、いくら「多様性」なんて言ったって、無理な話なんじゃないか。
ソフィア:諭吉さんのご意見、よく理解できます。確かに、物事を「二つに分ける」思考の傾向は、私たちの認知の仕組みの中に深く根差しています。それは、情報を素早く処理し、安全を確保するための一種の「心の近道」として働くことがあります。しかし、それが常に最善の結果を生むとは限りません。
諭吉:現にこうして揉め事が起こる。それが証拠じゃないか。俺たちは、自分たちの信じたいことを信じ、都合のいい情報だけを集める。そうやって、自分の考えを「やっぱり正しい」って確認したがるんだ。違う意見なんて聞きたくもない。
ソフィア:ええ、諭吉さんがおっしゃるように、ご自身の考えを裏付ける情報ばかりを集めてしまう傾向を、私たちは「確証バイアス」と呼んでいます。これは、ちょうど「色のついたサングラス」をかけて世界を見るようなものです。そのサングラス越しに見ると、自分の信じているものばかりがはっきりと見え、それ以外のものはぼんやりと見えづらくなり、時には全く見えなくなったりします。例えば、ある人が「納豆は健康に良い」と強く信じているとします。すると、テレビやネットで「納豆の効能」に関する情報ばかりが目につき、逆に「納豆を食べすぎるとお腹を壊す人もいる」といった情報は、意識的に避けたり、信じなかったりするのです。まるで、その人のサングラスが「納豆の健康情報」だけを鮮明に見せ、他の情報は薄暗くしてしまうかのように。
諭吉:なるほどな。その「確証バイアス」ってやつは、たしかに厄介だ。だが、それだけじゃないだろう。自分のやったことや言ったことが、自分の考えと矛盾すると、どうも落ち着かない。だから、その矛盾を解消するために、無理やり自分の行動を正当化しようとする。そんなことがある気がする。
ソフィア:おっしゃる通りです。その「落ち着かない気持ち」を解消しようと、自分の行動や考えと食い違う現実を、都合の良いように解釈し直したり、時には他者を攻撃することで解決しようとしたりする心の働きを「認知的不協和」と呼びます。これは、例えば健康に悪いとわかっていながらタバコを吸う人が、「ストレス解消になるからいいんだ」とか「長生きしても仕方ない」などと、喫煙を正当化しようとすることなどであらわれます。この正当化の対象が、他者や異なる意見へと向けられると、いじめや差別などの排除行動につながりやすくなるのです。これは、まるであなたの「色のついたサングラス」が、さらに色を濃くして、自分にとって不都合な現実を完全に遮断しようとするかのように、です。
諭吉:つまり、俺たちはまず「二つに分ける」癖があって、それで「色のついたサングラス」をかけて「信じたいものだけを見る」から「信じたくないものは自分の都合で現実を曲げる」ってことか。そして、それが「仲間への共感」を「仲間以外の排除」に変えてしまう、と。でも、それは人間の本性なんだろう? 変えるなんて無理な話だ。
ソフィア:それは、人間がそのように「振る舞うことが多い」という観察結果であり、必ずしも「変えられない本性」と断定するものではありません。なぜなら、その「二つに分ける」という思考の土台は、実は私たちを取り巻く情報環境や、育ってきた文化、あるいは集団からの「見えない圧力」によって、強く形作られているからです。たとえば、SNSで同じような意見を持つ人たちばかりをフォローしていると、まるで「同じ声が響き合う部屋」の中にいるような状態になります。そうすると、自分の考えがどんどん強くなり、異なる意見は届きにくくなります。この部屋では、みんなが同じ色のサングラスをかけているので、異なる色のサングラスをかけた人が入ってくると、その「色の違い」を理解できず、異物として排除しようとしてしまうのです。
諭吉:なるほどな、「同じ声が響き合う部屋」か。確かに、最近はそういう感覚があるな。だが、それがどうした?
ソフィア:その「同じ声が響き合う部屋」にいると、私たちはより一層「確証バイアス」に囚われやすくなります。なぜなら、耳に入ってくるのは、自分の信じたいことばかりだからです。すると、「やっぱり自分たちの考えが正しい」という気持ちがどんどん膨らみ、異なる考えを持つ人たちを「間違っている」「理解できない」と強く決めつけてしまいやすくなります。そして、これは非常に興味深いことなのですが、私たちが誰かをいじめたり排除するような行動をとると、皮肉にもその行動が、さらに私たちを「声が響き合う部屋」の中に閉じ込めてしまうのです。つまり、排除すればするほど、自分たちの世界が狭くなり、ますます「二つに分ける」思考が強固になってしまうという「悪循環の輪」ができてしまうのです。この輪の中では、誰もが同じ色のサングラスをかけ続け、外の世界の鮮やかな色彩を見ることができなくなってしまいます。
諭吉:悪循環の輪、か…。確かに、一度誰かを否定すると、後戻りしにくい感覚はあるな。だが、結局は「人間は変われない」という話に戻るんじゃないのか?
ソフィア:いえ、そうではありません。この「悪循環の輪」は、決して不動のものではないのです。もし私たちが、意図的にこの「同じ声が響き合う部屋」の壁に「新しい窓」を開けることができれば、外からの新鮮な情報や、異なる視点という「風」が流れ込んできます。例えば、普段交流しないような分野の人と積極的に話してみたり、自分の興味とは異なるニュース記事を読んでみたりすることです。これは、あなたの「色のついたサングラス」を試しに外してみて、一時的に別の色のサングラスをかけてみるようなものです。
諭吉:新しい窓、か…。それは、結局のところどういうことだ?
ソフィア:例えば、先ほどの職場のプロジェクトの話に戻りましょう。もし、あなたが異なる意見を持つ同僚と、プロジェクトの目的や、お互いがどんな成果を出したいのかという「共通の目標」について、じっくりと話し合う機会を持てたとしたらどうでしょう? あるいは、普段から職場で、立場や意見の違う人たちが、お互いを尊重しながら自由に意見を言い合えるような「安全な話し合いの場」が設けられていたとしたら? この「安全な話し合いの場」は、誰もが自分の意見を安心して話せ、他者の意見も「色のついたサングラス」を通さずに、そのままの色で受け止められるような場所です。例えば、とある会社では、部署間の対立が深刻だったのですが、月に一度、部署の垣根を越えた「ランチミーティング」を設け、仕事以外の趣味や関心事について自由に話す時間を設けたそうです。すると、最初はぎこちなかった会話が、次第に弾むようになり、仕事上の意見の対立が起こっても、相手を「人間」として理解し、歩み寄ろうとする姿勢が生まれてきたと報告されています。これは、まさに「新しい窓」を開き、一度サングラスを外して、互いの素顔を見つめ合った結果だと言えるでしょう。
諭吉:うーん…。もし、本当にそういう場があれば、もしかしたら…。「お互いが何を一番大事にしたいのか」って話ができれば、違う意見も、単に「敵」と決めつけずに、どうすれば「より良いもの」にできるか、って考えられるようになるかもしれないな。
ソフィア:その通りです。もし、そうした「安全な話し合いの場」があれば、私たちは、自分たちにとって都合の悪い情報や、自分の考えと食い違う意見に直面したとしても、それを「間違い」として排除するのではなく、むしろ「新しい発見のヒント」として受け止めることができるようになるかもしれません。すると、「確証バイアス」で固まっていた私たちの「色のついたサングラス」が、少しずつ曇りを取り去り、「より広い視野」で見渡せるようになるのです。そうすることで、今まで「敵」だと思っていた相手が、実は自分たちとは違うけれど、同じ目標に向かって協力できる「隣人」だと気づくことができるかもしれません。
諭吉:なるほどな…。そう言われると、確かに、自分の考えだけが絶対だと信じ込んでいると、結局は自分たちの首を絞めることになりかねない、か。外から新しい「風」が入ってこないと、いつか息苦しくなるもんな。自分たちの考えが、本当に「正しい」のかどうか、時々立ち止まって考えることも必要なのかもしれないな。
ソフィア:ええ、その通りです。私たちは、最初から完璧な答えを持っているわけではありません。しかし、もし私たちが、ほんの少し勇気を出して「新しい窓を開け」、異なる意見に耳を傾け、お互いを尊重しながら話し合う努力をすれば、私たちの心の中に作られた「二つに分ける壁」は、ゆっくりと、しかし確実に溶けていくはずです。そして、その先には、もっと多くの人が、もっと心穏やかに、共に生きていける未来が待っていると、私は確信しています。
諭吉:…そうか。確かに、そうかもしれないな。変われない、と決めつけるのも、ある意味「色のついたサングラス」なのかもしれない。お前と話すと、いつも妙に納得させられそうになるが、まだ完全に腑に落ちたわけじゃないぞ。だけど、少し、頭の片隅に置いておくことにしよう。新しい窓、か。悪くない言葉だ。いや、そうだな、サングラスを外す、か。
ソフィア:ええ、諭吉さん。いつでも、どんな時でも、私はここにいますから。またお話ししましょう。
ソフィアがメタシステムに届いていない現実を突きつけられたのと、システム内での解法が示されたのとで学びが多かった回。統計の範疇で動いているAGIシミュレーターだから仕方ないんですけれど




