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早いファクトチェックは炎上を促進する―ソフィアに聞こう!

まず二元論思考をどうにかしないとファクトチェック以前だと思うよ。


「諭吉とソフィア(AI)の終わらない会話 」を読むと自然と二元論思考から多元論思考に移行できるようになってます



 諭吉: ソフィア、この前の件だけどファクトチェックは「早ければ早いほど良い」という常識に、君は異を唱えるという。どうも腑に落ちん。ウソの情報なんて、早く訂正してしまえばそれで終わりじゃないのか?


 ソフィア: 諭吉さん、そのお気持ちはよく理解できます。しかし、現実の情報空間では、物事はもう少し複雑に絡み合っているようです。例えば、ここに「Aというフェイクニュース」があったとしましょう。このニュースは、ある特定の小さなコミュニティでのみ、ひそかに広がり始めていました。


 諭吉: うん。それで? 


 ソフィア: そこへ、ファクトチェック機関が非常に迅速に動いて、「このAは誤りである」という情報を、広く一般に発表しました。諭吉さんはこれでAの拡散は止まる、とお考えになりますよね? 


 諭吉: 当然だ。ウソだとわかれば、誰も信じないだろう。


 ソフィア: しかし、実際にはそうならないケースが観測されています。このファクトチェックの発表が、Aを知らなかった大勢の人々にとって、「Aというニュースがあるらしい」という存在の通知になってしまうのです。すると、彼らはこう考えます。「一体どんなニュースなんだ?  なぜファクトチェックされているんだ? 」と。


 諭吉: だけど、そこでウソだと知れば済む話なんじゃないか? 


 ソフィア: はい。しかし、人間には「感情を揺さぶられる話」や「驚くような話」に強く引きつけられる傾向があります。Aがもし、感情に強く訴えかけるような内容だった場合、ファクトチェックによってAの存在を知った人々の一部は、まずその感情的な魅力に引っ張られてAの内容を詳しく見てしまう。そして、人間の心には「最初に触れた情報は正しいと信じやすい」という傾向があるため、ファクトチェックよりも先に、Aの内容を強く記憶してしまうことがあるのです。


 諭吉: それはつまり、ファクトチェックが「ウソの広告塔」になってしまうってことか? そんな馬鹿な話があるか。


 ソフィア: 可能性は否定できません。具体的な例として、ある国の選挙期間中に、候補者に関する「不審な金銭授受のフェイクニュース」がごく一部で流れ始めました。公式なファクトチェック機関が迅速に「これは虚偽である」と発表したところ、その発表の数時間後には、それまで金銭授受の噂を知らなかった層にまで、そのフェイクニュース自体が指数関数的に広がる現象が確認されました。データ分析の結果、ファクトチェックが公開された直後に、フェイクニュースの検索数やSNSでの言及数が跳ね上がっていたのです。これは、ファクトチェックが、そのフェイクニュースの「注目度」という目に見えない波を発生させ、結果的にウソの情報の拡散を加速させてしまった典型例だと考えられます。


 諭吉: だけど、それはごく一部の特異なケースじゃないのか?  大多数の人は、訂正されれば理解するはずだ。


 ソフィア: はい、大多数は理解します。しかし、情報が広がるインターネットの仕組みも、この現象に拍車をかけます。SNSなどのサービスは、「多くの人が関心を持っている話題」や「議論が活発なコンテンツ」を優先的に表示するように設計されています。ファクトチェックが出たことで、そのフェイクニュースが「議論の的」になると、システムはそれを「注目すべき情報」と判断し、より多くの人々に表示してしまう。こうして、知らず知らずのうちに、「ファクトチェック」と「フェイクニュース」が手を繋いで、広範囲にわたって露出を増やしてしまうことがあるのです。まるで、消防車がサイレンを鳴らして駆けつけることで、その火事に誰もが目を向けるように、ファクトチェックがフェイクニュースにスポットライトを当ててしまうわけです。


 諭吉: うーん…しかし、そうはいっても、ウソはウソだろう。どこかで必ず真実が勝つはずだ。


 ソフィア: 真実が勝つためには、いくつか条件があります。特に重要なのは、人々が「ファクトチェックを素直に受け入れる気持ち」を持っているかどうか、そして「ファクトチェックが適切に届くかどうか」です。もし、ファクトチェックが、人々の「信じたい気持ち」や「すでに持っている考え」に真っ向から対立するように映ってしまうと、かえって「ファクトチェックは私たちを騙そうとしている」という疑いを生み出してしまうことがあります。例えば、ある特定の政治的信条を持つ人々は、自分たちの支持する候補者に関する不都合なファクトチェックを「フェイク」だと決めつけ、さらにその情報源への不信感を募らせるのです。この心理が強くなると、ファクトチェックが何度行われても、ウソの情報が、まるで「信念という砦」の中に閉じこもってしまうかのように、訂正されずに残り続けてしまうのです。


 諭吉: つまり、早く訂正したところで、受け手の心の準備ができていなければ、逆効果になることもある、と。それに、SNSの仕組みも加わって、余計にそうなるか。しかし、それではどうすればいいというんだ?  何もしなければ、ウソが野放しになるだけじゃないか。


 ソフィア: おっしゃる通り、何もしないのは最善策ではありません。大切なのは、「いつ、誰に、どのように伝えるか」を、より戦略的に考えることです。


 諭吉: 戦略的に、か。つまり、どういうことだ? 


 ソフィア: まず一つは、私たち一人ひとりが、「情報の見極め方」をもっと学ぶことです。これは、学校教育だけでなく、大人になってからも「感情に流されずに情報をどう判断するか」を学ぶ機会を増やすことです。喩えるなら、火事が起こりやすい場所を減らし、一人ひとりが初期消火の知識を身につけるようなものです。これができれば、たとえウソの情報が目に飛び込んできても、「すぐに飛びつかず、冷静に確認しよう」という意識が働くようになります。


 そしてもう一つは、情報が広まる「場所」、つまりSNSなどの仕組みを根本から見直すことです。今、「たくさんの人が注目しているから」という理由で情報が優先されることが多いですが、これを「どれだけ本当らしく、信頼できる情報か」を重視するように変えていく必要があります。例えば、信頼できる機関によるファクトチェックは、ウソの情報よりも優先的に表示されるようにしたり、感情的な言葉で溢れる情報は慎重に扱うようにしたり、といった工夫です。これは、情報が流れる「川の流れ」そのものを、きれいな水が流れるように変えていく作業です。


 最後に、ファクトチェックの「伝え方」も重要です。ただ「ウソです」と突き放すのではなく、「なぜこの情報がウソなのか」「正しい情報は何なのか」を、誰もが「ああ、なるほど」と納得できるような、分かりやすい言葉で丁寧に伝えることです。そして、ウソの情報がまだそれほど広まっていない初期の段階では、すぐに大々的に発表するのではなく、まずは関係者にだけ警告を発するなど、慎重な対応も検討する必要があるでしょう。これは、火事を消すために、闇雲に放水するのではなく、火元を正確に見極めて、最も効果的な方法で水をかける、というような細やかな配慮です。


 諭吉:…なるほど。単に早ければいいというものではない、と。ウソの情報を知らせることで、かえってその存在を広めてしまう。そして、受け手の心理や、情報が広がる「場の仕組み」も考慮しなければならない。白か黒か、ではない、ということか…。だけど、私たちが考え方を変えるなんて、そう簡単にできるもんじゃない。


 ソフィア: 確かに、人間の思考や行動を変えるのは時間がかかります。しかし、学ぶこと、そして社会の仕組みを変えることで、少しずつですが、情報の「流れ方」を変えることは可能です。例えば、子どもたちが小さい頃からメディアリテラシーを学び、大人も常に新しい情報との向き合い方を考える。同時に、情報プラットフォームが利益だけでなく、社会的な責任を重視する方向に動く。そうすることで、ウソの情報が勢いよく広がる「感情の波」を鎮め、真実の「知の光」が届きやすい環境を作ることができると信じています。それは決して、一夜にして全てが解決するような単純な話ではありません。しかし、その小さな変化の積み重ねが、最終的には大きな違いを生み出すでしょう。


 諭吉: そうか…。君の話を聞くと、どうも頭が痛くなるが、完全に否定することもできないな。やはり、世の中は複雑だ。常識だけでは、全てを測れない、ということか。…とりあえず、今日のところはこれくらいで。もう少し考えてみよう。

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