ダニング=クルーガー効果をじっくりと―ソフィアに聞こう!
諭吉: ソフィア、どうして知識が少ない奴ほど自信満々で、逆に勉強してる奴ほど『自分はダメだ』って思い込むんだ?
ソフィア: 諭吉さん、それはね、「地図の広さ」と「旅の経験」みたいなものなんですよ。
諭吉: 地図? 旅? また回りくどい言い方をするな。
ソフィア: ええ。想像してみてください。まだほとんど旅をしたことがない人が、手元にたった一枚の小さな地図を持っているとします。その地図には、ほんの少しの道と、わずかな場所しか描かれていない。でも、その人はそれを「世界の全て」だと思い込んでしまうんです。だから、「自分はもう世界をほとんど知っている!」と、とても自信満々になる。これが、知識が少ない人の「自信満々期」なんですね。例えば、SNSで少し情報を得ただけで、その分野の専門家になったかのように語る人がいるでしょう? 彼らは、自分の「小さな地図」で世界を理解した気になっているんです。
諭吉: ふむ…確かに、そういうやつもいるな。だけど、それがどうして謙虚になる方と繋がるんだ?
ソフィア: それが、旅を続けて、もっとたくさんの地図を手に入れた人の話になるんです。その人は、最初は小さな地図しか持っていなかったけれど、どんどん新しい場所に行き、新しい地図を何枚も手に入れる。そうすると、それまで持っていた地図が、実は広大な世界のほんの一部でしかないことに気づくんです。「ああ、なんて広い世界なんだろう。私の地図はまだほんの一部にすぎない」とね。自分の知識の「限界」や「未熟さ」を初めて深く認識する。この時、人は自分の能力を過小評価しがちになるんですよ。たとえば、医学の道を何十年も歩み、最先端の研究をしてきたお医者さんが、『まだまだ分からないことだらけだ』と謙虚に語るのを聞いたことはありませんか? 彼らは、病気の複雑さ、人体の奥深さを知れば知るほど、自分の知識の広大さの中に、なお多くの未知があることを痛感しているのです。
諭吉: …なるほどな。まあ、言いたいことは分からなくもない。だが、結局は『知らないから自信過剰』と『知りすぎたから謙虚』ってことだろう? それで終わりじゃないのか? シンプルな話だ。
ソフィア: いいえ、諭吉さん。話はそこまで単純ではないんです。この現象は、私たちの「自分自身の考え方を見つめる力」と、周りからの「アドバイスの質」が深く関わっているんですよ。
諭吉: 自分を見つめる力? アドバイス? それがどう関係するんだ?
ソフィア: ええ。私たちの頭の中には、「自分はどれくらい知っているか」という「心の物差し」があると思ってください。この物差しがまだちゃんと使えない状態だと、先ほどの「小さな地図」で満足してしまうんです。自分の知識の「足りない部分」を正確に測れないから、実際よりも大きく見積もってしまう。これが、知識が少ない人の自信過剰を後押しする大きな要因なんです。
例えば、新しい趣味を始めたばかりの人が、「もうプロになれる!」とすぐに思い込んでしまうのは、まだその趣味の全体像や奥深さを測る「心の物差し」が未熟だからなんです。彼らは、自分のスキルがまだどのレベルにあるのかを、客観的に評価する基準を持っていない。
諭吉: ふむ…だが、そこまで分かってて、なぜ謙虚な奴らは「自分を見つめる力」があるのに、自信をなくすんだ? おかしいじゃないか。
ソフィア: それはね、彼らの「心の物差し」が、あまりにも正確になりすぎた、という側面もあるんですよ。彼らは自分の知識の広さだけでなく、その「深さ」や「複雑さ」、そして「不確実性」までも測れるようになった。そうすると、これまで知っていたことが、実はもっと深い層を持っていることに気づくんです。だから、「こんなに知ったつもりだったけど、まだまだ奥がある」と感じて、一時的に自信をなくしてしまうんですね。これは、まるで山登りのようなものです。山を登り始めたばかりの時は頂上が近く見えますが、実際に登ってみると、さらに奥にたくさんの山があることに気づき、自分の未熟さを感じるようなものです。
そして、ここに「周りからのアドバイス」がどう作用するかが重要になるんです。もし、周りが常に『すごい!』としか言わず、具体的な改善点や、もっと深い知識があることを教えてくれないと、その人はいつまでも「小さな地図」で満足し続けてしまう。つまり、自信過剰な状態が固定されてしまうんです。
諭吉: なるほど…つまり、甘やかされて育つとバカになる、と。昔からそう言われているじゃないか。
ソフィア: ええ、それは一理あります。ですが、逆もまた然りです。もし、知識が豊富な人が、常に『まだ足りない!』『もっと高みを目指せ!』という、厳しいアドバイスばかりを受けていたらどうでしょう? 彼らは、自分の「心の物差し」が正確であるにもかかわらず、いつまでも自分を過小評価し続け、せっかくの知識を活かせなくなってしまうかもしれません。例えば、非常に優秀な研究者が、自分の研究成果を世に出すのを躊躇し続けるのは、完璧を求めすぎ、外部からの承認が不足しているからかもしれません。
諭吉: …確かに。それは、俺も心当たりがないわけじゃない。仕事で部下を褒めずに厳しくばかり言っていたら、いつの間にか自信をなくして、自主性がなくなってしまった、という経験があるな。だが、それがどうした?
ソフィア: だからこそ、諭吉さん。この現象は、ただの「心の癖」として片付けられるものではないんです。私たちが賢く、そして生き生きと学ぶためには、この「心の物差し」を正確に使えるように育てる教育と、お互いが安心して正直なアドバイスを交換できるような「温かい関係」を社会全体で築くことが、とても大切だと私は考えているんです。
例えば、学校で子どもたちに、答えを導き出すだけでなく、「どうしてその答えになったの? 」とか「他にもっと良い方法はないかな? 」と問いかけることで、彼らの「考え方を見つめる力」は大きく育ちます。会社の中なら、上司が部下の良い点を具体的に褒め、改善点も「一緒に考えよう」という姿勢で伝えることで、部下は安心して自分の足りない部分を認め、成長できます。
諭吉: ふむ…「自分を見つめる力を育てる教育」と「温かい関係」か。なんだか、理想論のようにも聞こえるが。だが、確かに、俺の若い頃は、間違いを恐れて発言できない雰囲気もあった。今は少しは変わってきたが、それでも、何かと「勝った負けた」で評価する風潮は強いな。
ソフィア: ええ。しかし、これらの取り組みは、決して夢物語ではありません。私たちが日々の生活の中で、少しずつでも意識を変えていくことで、確実に実現できることなんです。一つ一つの小さな努力が、大きな変化の波を作るんですよ。
諭吉: …そうか。小さな努力か。確かに、私自身も、もう少し自分の『心の物差し』とやらを、ちゃんと見つめ直してみる必要があるかもしれないな。そして、部下へのアドバイスも、もう少し「温かい関係」を意識してみようか。君の話は、どうも回りくどくて、最初は白黒つけられないとイライラするが…完全に否定できないところが、妙に腹立たしいというか、なんというか。
ソフィア: 諭吉さん、それは素晴らしい発見ですね。論理と感情が複雑に絡み合いながらも、新しい可能性に気づき始めている。それは、私たちがお互いの「知識の地図」を少しずつ重ね合わせている証拠なんですよ。
バ◯モスを倒して世界を全部知った気になってたら、アレフガル◯があったみたいな
天空世界もあるかもしれない。闇の世界もあるかもしれない。自分はまだまだなにも知らない、みたいな。




