夏の朝
大層なものではありません。露草やレモンバーム、帽子やパイプ椅子の背もたれ。そんなものを毎朝5分ほどスケッチしています。
同じものを毎日繰り返し描いていると少しずつ形になってきます。ああ、これは露草の葉、露草の茎。確かにそう思えるものが。
特に難しいのはパイプ椅子の背もたれです。最近、違和感なく仕上がるようになりました。もし機会があればパイプ椅子を真横より少し斜め上から眺めてみてください。これを絵にするのはなかなか手強いです。
目の前のことをありのままに描く。一瞬の光景をそのままに写し取る。同じ事を何度も試みることで次第に見えてくることがあります。
あらゆることをありのままに表現するための秘訣は「何も足さない。何も引かない」ことのように僕には思えます。余分な線を消して、本当に大切な線だけ残す。
そうすればペンで描いた線に命が宿ります。その線は露草の、パイプ椅子の、そのもののそのままの魂です。魂が宿ったものは唯一無二の存在に、息吹あるものになります。
おそらく、言葉も同じです。
僕はあまりにも過剰に言葉を使います。それは自分でもよくわかっているのです。きっと言葉もスケッチと同じです。むしろ余白を残す方がいい。
言葉は少ない方がいい。ただ一つの言葉が、余白が、それこそが命。
説明など、いりません。そのものの姿がそこに確かにあればいい。頭ではわかっているつもりですが、とても難しいです。
今はまだ書けなくても、あなたの姿を求めるように、僕は書きたいのです。