自治区編42 自由と束縛
海を見下ろす丘の上に立って、カルパとサマンドラは風に吹かれていた。
「議員、『自由』の反対は何ですか?」
サマンドラが唐突に問う。
カルパは面食らうが記憶の片隅から回答を引っ張り出す。
「確か『束縛』だったと思うが。いきなりなんだね?」
「いえ……なんとなく気になって。そうですか、束縛ですか」
束縛とは何かに縛られて自由に動けない状態のことを指すはず。この場合の縛られるというのは物理的にでも、精神的にでも同じような意味合いを持つのだろうか。
「お金持ちって縛られてますよね」
「そうかね?」
「そうですよ。彼らは自分たちが積み上げたものに囚われています。失うことに怯え、より多くを積み上げないと不安になる。それって縛られてるって言いません?」
「そうかもしれんが……何の話だね?」
「メリクレオスの話ですよ。アルカロンド一の大商人。それって果たして幸せなんですかね。お金はあっても自由じゃなかったんじゃないかなってそう思ったんですよ」
「あのファルネーゼこそが彼が真に望む姿だったと?」
「そう考えたほうがしっくりくるかなって。彼が本当に欲しかったのは、自由――ただそれだけだったんじゃないでしょうか」
「いまとなってはわからんが……そうなると、少なくとも我々は彼が手にできなかったものをひとつだけ持っていることになるな」
カルパはあたりを見渡す。完膚なきまでに失われた自治区。そのかつての住人たち。ここには富も財産も何もない。ただひとつ持っているのは自由だけ。
「それってマグマレン初代代表と一緒ですよね」
「その通りだ。彼はその身ひとつでこの地に来たと言われている。そのときの彼には財産と呼べるものは何ひとつなかった」
「じゃあ大丈夫ですね。昔のひとにできたことがいまの私たちにできないはずはないですから」
「おいおい、過去の偉人と自分たちを並べるとは、ずいぶんと大きく出たな」
「違いますよ。あたしたちは『知ってる』ってことです。それができるってことを。それって過去の偉人さんに比べてこの上なく有利だって思いません?」
「なるほど確かにそうだ」
サマンドラはいつも正しい。
今日だけで幾度そう思ったかわからないが、きっとこの先も幾度となくそう思わされるのだろう。それがカルパには不愉快ではなかった。むしろ楽しみですらある。そして他者にそう思わせることのできるものが、人々を導くべきであるとも思う。
「君が次の代表になるというのはどうだ?」
「お断りですね。あたしは主役はまっぴらだって言ったでしょう」
それに、とサマンドラは笑う。
「なんだかんだで、脇役が一番美味しいんですよ。議員はもっとそのことを学ぶべきですね」
「心しよう」
ふたりはお互いを見つめ合って笑った。
今後の問題は山積みではあるが、少なくとも『自由』はあるし、なんだったら『希望』だってある。なんだ、案外いろんなものがあるじゃないか。探していくうちにもっと色々と見つかることだろう。ならば何も心配はいらない。
客観的に見れば悲惨な状況に違いないだろうが、サマンドラは笑いが止まらなかった。あたしたちはいまはほとんど何も持っていない。でもそれでいい。何もないということは、なんでもできるということ。身軽であるということは自由であるということなのだ。
「議員、人生って楽しいですね」
「ああ、ワシもそう思う。こんな状況で不謹慎かもしれんが」
「自分の気持ちに嘘をつくほうがよくないですよ。それは『自由』じゃありません」
「まったくその通りだ。君は本当に天才かもしれんな」
「あたしは徹頭徹尾、凡人です。でも、凡人だからこそできることもあるんですよ」
「そうだな、天才だけで世界が回るわけではない」
「そういうことです。道を作るのは【魔女】やアレクセイみたいな一握りの天才かもしれません。でも、その道を歩いていくのは、あたしたちみたいなたくさんの凡人なんですよ。あたしたちは群れをなして、があがあ、と歩いていくんです。まるで鳥の群れが散歩するみたいに」
それは遅々とした歩みであるかもしれない。でも、だからこそいいのだ。急ぎすぎては誰かを置いていくことになってしまう。ゆっくりでも、誰も見捨てないほうが人間らしいではないか。欲をかいて他者を出し抜いたり、蹴落としたり、なんてことを考えるからひとはいろんなものに『束縛』されていくのだ。
「あたしたちは群れのなかで生きていくんです。小さなことでもみんなで共有して、泣いたり笑ったりしながら、協力し合って、人生を楽しく生きていく――そういうのが、本当の『自由』だってあたしは思うんです」
その言の葉は風に乗って海へと流れていく。見渡す限りの大海原は、無限の光を反射して、サマンドラの言葉を肯定しているようであった。




