自治区編41 伝承魔法
「やはり魂というのは面白いわね。幻想の鳥であるファルネーゼを生み出すなんて」
「期待した結果とは違いましたが……」
ザンザはノーラが失望しているのではないかと思ったが、彼女は意外にも上機嫌であった。
「そうね。地獄の門は開かなかった。メリクレオスほどの悪人であればもしやとも思ったのだけど、それは確かに私にとっては残念な結果。でもだからといって地獄の門が存在しないことの証明にはならない。ただ今回は姿を現さなかっただけ」
「そして天上の門が存在しないことの証明にもならないということですね」
「そうね。仮に地獄の門が開いたとしてもそれは天上の門が存在する証明にはならず、その蓋然性を補強するだけのこと。だから私は失望はしていない。それよりも収穫だったのは伝承の力を再確認できたこと」
「ノーラ様は伝承がお好きですものね」
ザンザたち三人の配下の名前も古い伝承から取ったものである。
三獄の伝承――ひとは死後、魂のみの存在となり、三獄の試練を課されるという。幽獄では様々な変化が魂を幻惑し、霊獄では愛するものの霊が愛情によって魂の歩みを止めさせる。そして冥獄では完全なる闇が魂の輝きを失わせるのだ。これら三つの獄を抜けた先には天上の門が待つという。
「あくまでも私の目的は天上の門――地獄なんてわざわざ探すほどのものでもない。もしあるとするならば、私が死んだのちは必ずそこに行けるでしょうからね」
「なんということを……ノーラ様が地獄などに墜ちるはずは」
「私はこれまで数えきれないほどの命を奪ってきた。そしてこれからも奪おうとしている。他ならぬ伝承の力を使って」
「ノーラ様が二百年の時をかけてこのアルカロンドに施した≪伝承魔法≫……その成果が表れようとしているのですね」
伝承を魔法に応用する――それはザンザなどからしてみれば神にも匹敵するような発想と感じるのだが、そう言われたノーラはわずかに不安そうな表情を見せた。
「表れるはず……そうでなくては……」
ノーラの母であるミクリーンを≪魔女の鏡≫から解き放つことはできない。そのことを考えると、この世に何も恐れるもののいないはずのノーラであっても不安で胸が張り裂けそうになるのであった。
「ノーラ様……」
ザンザの瞳から涙が零れ落ちる。なんとおいたわしいことか……ノーラ様は八百年の時を母の呪いを解くためだけに生きてこられたのだ。その無窮の孤独をせめて分かち合うことができれば――叶わぬ願いと知ってはいても、そう願わずにはいられなかった。
いつの間にかイルマとアビスもノーラの前に控えていた。
アビス、ザンザ、イルマ……それは三獄に咲く花の名。
それゆえノーラは彼女たちのことを≪三華≫と呼んだ。
≪三華≫の筆頭であるアビスが声を震わせながら誓う。
「我ら永遠に生きることは叶いませぬが、この命のある限りノーラ様にお仕え致します」
三者はみな同じ想いであった。ノーラが戦えと命じるならば神にでも立ち向かおう。死ねと命じられれば喜んで死のう。それが彼女たちの生の意味。彼女たちの母であるノーラにすべてを捧げること。それだけが彼女たちの生きがいであった。
ノーラは彼女たちを見つめて目を細める。
「あなたたちはよく育ってくれた。いまのあなたたちならあのミリアムにも引けを取らないでしょう。惜しむらくはあなたたちがその腕を振るう相手がいないこと――」
いまの【魔女】は小粒にすぎる。
ここ二百年の間、ノーラが唯一その力を認めたのは≪未来視の魔女≫ミリアムのみ。
だが彼女も結局はその命を奪われた――自らの力が原因で。
「大きすぎる力は時に悲劇を生む。私はそれをあなたたちに強く戒めてきた。決して力だけがすべてではない。くれぐれもそれを忘れないで」
「肝に銘じます」
三人は頭を下げる。かつて彼女たちはミリアムと戦ったことがある。まだ若く未熟だった彼女たちをミリアムは文字通り子供扱いした。あれは恐るべき【魔女】であった。ノーラを除けば確かに【魔女】の頂点と呼ぶに相応しい実力を備えていた。だがそのミリアムですらも運命には勝てなかった。自らの力で自らを滅ぼしたのだ。それは大いなる教訓となって彼女たちの心に刻まれていた。
「さて、自治区での舞台は終演した。結果はまずまずといったところ。それなりに華やかで収穫もあった」
「次なる舞台は帝国ですね。バルミュートめは戦争欲を掻き立てられておりましょう」
「でもまずは主演女優を探さなくてはいけない。まだ名前も顔も知らないけれど――」
予感は確かにある。
ノーラが二百年前にアルカロンドにまいた魔法という名の種。
その花が開こうとしている。
その花の名は【聖女】――【魔女】と対をなす存在。
彼女こそがこの『アルカロンド』という舞台の主演女優。
すべての鍵を握るもの。
だがその存在はいまだ誰にも知られてはいなかった。




