自治区編29 第一魔女との死闘その3
「まるで鏡を見てるみたいだな」
後から現れたボルカが口笛を吹く。
「だが実力のほどはどうかな」
後から現れたボルカが拳を突きだす。
先に現れたボルカが拳を合わせる。
爆音が轟き、空気が割れた。凄まじい衝撃と共に暴風が吹き荒れる。
「く……があっ――」
先に現れたボルカが力負けした。拳が跳ねのけられる。
開いた身体に後から現れたボルカが連撃を叩きこむ。
「正体を見せやがれ、この偽物野郎が!」
先に現れたボルカの身体から煙が立ち上る。
アルカによって糊塗されていた偽りの姿が崩れていく。
煙が晴れたあとに現れたのは細面の女性。
藍色の長い髪に細く鋭い瞳。右目の下には赤い蛇の舌のような刻印がある。
「変化の魔法――」
ミリザは呻く。なぜ気づかなかったのか。
「ミリアムの娘!」
ボルカはミリザを呼ぶ。
ミリザが覚えているかぎり、彼女が名前で呼んでくれたことは一度もない。
ボルカにとってミリザはいつまで経ってもミリアムの娘でしかないのだ。
「なんだそのザマは! そんなザマでよく【第一魔女】になろうなどと言えたもんだな!」
「なんですって――」
ミリザは立ち上がる。
怒りのためか、あるいは他の何かのためか、痛みはもう感じない。
「おまえは誑かされてたんだよ。この悪魔にな」
「悪魔とは酷い言われようだな……まあ、あながち間違いではないが」
女がペロリと舌を出す。
蛇のように赤く、細い舌だ。右目の刻印と同じような。
「ミリザ・デストール。改めて名乗ろう。私はイルマ。おまえたちが【白い魔女】と呼ぶノーラ様の忠実なる配下、その三人のうちのひとり――幽獄のイルマという」
「幽獄?」
「ノーラ様がお好きな伝承からつけてくださった名前だ」
「幽獄とは死者の魂がその真価を問われる場所のひとつだ。そこでは様々な変化が魂を幻惑し、その輝きを失わせる。闇に墜ちた魂は永遠にその獄に囚われる。だがイルマという花を頼りに進めば、変化に惑わされることなく次の獄に辿り着ける」
「博識ではないか、【第一魔女】よ」
「知識が力になることもある。あたしは力には貪欲なんでね。強くなれるならなんだってするさ」
「察するに、獄は全部で三つあって、それを全部超えれば【白い魔女】のもとへ辿り着くということかしら」
ミリザが口を挟む。
「現実世界においてはそうとも言えるな。不可能なことではあるが」
イルマの指が動くと、地面から突如として大蛇が現れた。
それも三匹である。とぐろを巻き、舌を出して威嚇してくる。
「丸呑みにされるがいい――アルカ・ヒドラ」
大蛇がミリザに襲い掛かる。
「アルカ・ミゼル!」
ミリザは氷柱を大蛇に向けて放つ。だが、氷柱は大蛇をすり抜けた。
「幻影――」
しかしミリザの肩から血が噴き出す。大蛇の牙の攻撃によるものであった。
現実の大蛇に幻影の大蛇を織り交ぜているのか――いや、違う。
見えている大蛇はすべて幻影。現実の大蛇は透明なのだ。
「変化と幻惑の魔法か。王国では教わらない魔法だ。それも【白い魔女】に教えてもらったのか」
ボルカが問う。
「ノーラ様はあらゆる魔法を修めておられる」
「スパーダとそこの坊主が転がってるが、実際はそこまで重傷じゃないはずだ。幻惑の魔法の効果だな」
「思い込むことは直接その身に作用する。骨が折れたと思えば折れるし、内臓が潰れたと思えば潰れる。そして、『このものには敵わない』とひとたび思えば、もはや敗北しか道はない」
「よく教えてくれるじゃないか」
「魔法はノーラ様に教えていただいた我らの誇り。隠すようなことではない」
「『魔法は現実を改変する力』――おまえたちが闇の魔法を扱えるのも【白い魔女】の影響ということか」
「そういうことだ。さて、おしゃべりはここまでにしよう。演者にあまり情報を与えすぎてはかえって演技の邪魔となる」
「演者だと?」
「誰もが自由意志で自らを演じること――それこそがこの『アルカロンド』という舞台の眼目であるのだからな」
イルマから闇の魔力が解き放たれる。空間に無数の闇の穴が広がる。
そのなかから闇の大蛇が姿を現す。その数は全部で八匹。
「古き伝承のひとつ、『倭の国の物語』に出てくるヤマタノオロチという怪異だ。貴様らの相手にはちょうどよかろう」
イルマがオロチの頭のひとつを撫でる。
「生きていればまた会うこともあろう。さらばだ」
イルマはそう言って姿を消した。闇の魔法による空間転移であった。
ミリザは幻惑を振り切り、透明の大蛇にとどめを刺す。
「こっちがやっと片付いたと思ったら、今度は何よ」
「愉しくなってきたな、ミリアムの娘」
「何を言ってるの?」
「【魔女】は敵を求めるものだ! 強大な敵! それこそがあたしの求めていたものなんだよ!」
ボルカが笑う。その目が輝く。魔力が弾け、火花を上げる。
その様は、まるで玩具を見つけた子供のようであった。




