自治区編26 国境砦を抜けて
国境に着いたサマンドラたちが見たのは、すでに自治区の軍に占拠されたグリンガム国境砦であった。
関門は大破し、自治区の兵士たちが哨戒行動を取っている。
王国軍の兵士は見当たらない。
すでに殺されてしまったか、捕虜にされてしまったのであろう。
「遅かったか……」
カルパが嘆く。
「すでにやつらは行動を起こしてしまった」
「なんてこったいですね。突破しますか」
「なんだって?」
「だって後ろには敵しかいないわけですから、必然的に進むのは前しかないでしょう」
「やれやれ、生まれ育った自治区が敵になってしまうとはな」
「敵味方なんてのは一時的な分類にすぎないんですよ。今日の味方は明日の敵――逆も然りです」
まあちょっと待っててください、と言ってサマンドラが先行する。
「影の魔女の名において命ずる――潜め」
サマンドラの姿が影に溶けた。影はするすると地面を這い、見張りの兵士の背後に忍び寄った。
そして影からサマンドラがすっと立ち上がり、素早く手を兵士の首に回す。
コキッという音がして兵士の首がねじれる。
兵士はそのままサマンドラと一緒に影に溶けて、カルパのもとへと戻ってきた。
その手際の良さにカルパは感嘆の声を上げる。
「まるで暗殺者だな」
「好きでやってるわけじゃないんですよ。誤解しないでください」
サマンドラはもう一度同じように影に潜み、兵士を倒して戻ってきた。
「これで変装しましょう。兵士のフリをして砦を抜けるんです」
「なんだか昔を思い出すな」
「武器を持って豹変しないでくださいよ。こっちは穏便に事を運びたいんですから」
「わかった。なるべく気をつけよう」
サマンドラとカルパは軍帽を深くかぶり、堂々と関門を通過した。
途中で兵士に話しかけられそうになったが、先手を取って敬礼することで相手も敬礼を返し、その隙に離脱した。
砦の内部も何事もなく通過し、めでたく砦を抜けようとしたところで最後の試練が待っていた。
「待て、おまえたちどこへ行こうというのだ」
現れたのはグリンガム国境砦の守備を任された部隊長のガイモンであった。二人の兵士を後ろに従えている。ガイモンは日焼けした褐色の肌が特徴の鷹揚な男で、部下からの信頼も厚く、いずれはもっと出世するだろうと目されていた。この戦争は彼の将来にとって大きな好機であったが、それは彼の同僚にとっても同様であった。彼の同僚たちが先鋒を務めることを希望したために、彼は同僚たちにその栄誉を譲り、自らはこの砦に残ったのであった。
「は! 偵察であります! 先ほど何か動くものを見まして、念のために確認しておこうと思った次第であります!」
サマンドラは敬礼しながら大嘘をつく。
ガイモンはサマンドラの顔を見て不思議そうに眉を寄せる。
「貴様……女か? うちの部隊に女兵士がいたか……?」
「本日配属されたばかりであります! 急遽人員が足りなくなったとのことです!」
嘘の上塗りを続ける。なんだか話しているうちに本当のような気がしてくるから嘘というのは不思議なものである。相手を騙すためにはまず自らが自身の嘘を真実と思い込まねばならないのだ。幸いにしてサマンドラにはその素質があるようであった。
「ふむ、そうだったか。そういえばそんなこともあったか」
何か思い当たるフシがあるのか、ガイモンは納得したように頷く。
サマンドラがホッとしたのも束の間、今度はカルパの方に視線を向け、
「ところで相方のほうはずいぶんと歳を食っておるな」
と首をひねる。
「まだ敵が潜んでおるかもしれん。偵察に行くのであれば腕利きの兵を代わりにつけよう」
ガイモンが余計な気を回した瞬間であった。カルパが突然声を張り上げる。
「何をおっしゃいます!」
老人が雷のような声を発したためにガイモンは驚き、思わず二歩ほど後ろに下がった。カルパは追撃するように言葉を重ねる。
「老兵だからと甘く見ないでいただきたい! 私は先々代のサンダルフォン代表のころより兵役を務めております! まだまだ若い者には負けませぬぞ!」
「む……そ、そうか……」
さすがにカルパは歴戦の政治家であった。若いころより演説によって多くの民衆の心を動かしてきたのだ。その言葉は重く鋭く相手の心に突き刺さる。ガイモンも例外ではなかった。
「うむ……その意気やよし。我が部隊にかような古強者がいたことを嬉しく思うぞ。名は何というのだ」
「パルカと申します」
「パルカか……うむ、どこかで聞いたような気もするな。よし、パルカよ。改めてそなたに頼もう。相方と二人で偵察に行ってくるのだ。何かあればすぐに報せるのだぞ」
「は!」
サマンドラとカルパは敬礼してその場を立ち去った。
砦を離れたところでサマンドラがふう、と息を吐く。
「なんとか誤魔化せましたね……議員が急に怒鳴るもんだから焦りましたよ。それにパルカって何ですか、名前逆さまにしただけじゃないですか。バレたらどうしようって寿命が縮むところでしたよ」
「ワシにはもはや縮むほどの寿命もないからな」
カルパがニヤリと笑う。
「バレたときはそのときだ。そう思ったら勝手に言葉が出てきたのさ」
「議員、なんか若返ってません?」
「そう見えるか。なら悪いことばかりではないな」
実際のところ自分はあとどのくらい生きられるのであろうか、とカルパは自問する。そう長いことはあるまい。だが、それでも、その間にやらねばならないことがある。それは自治区の未来を繋ぐことだ。愚かな陰謀のために自治区の灯を消させはしない。それだけは何があってもやり遂げねばならぬ。それが第一議員としての自身の使命であるのだから。




