自治区編9 アレクセイの過去
訪問者を見てミリザはおや、と思った。
サマンドラ・ケルシー。
魔導学院の同級生である。
魔動士として自治区で働いていると聞いていたが、いつの間にか第一議員の秘書になっていたとは。
「やっほーミリザおひさー」
「久しぶりね、サマンドラ。元気そうで何より」
「まあ元気だけが取り柄だから……っと、積もる話はあとあと。うちの先生があなたたちを招待したいって言ってる。もちろん一緒に来てくれるわよね?」
サマンドラの声は自然だったが、その瞳に何かただならぬものをミリザは感じた。
「もちろん行くわ。アレクセイもいいわね?」
「む、私はまだやることがある。第一議員だかなんだか知らんが……」
「いいから来なさい」
有無を言わさずミリザはアレクセイを連れ出す。
オーレンとスパーダもそのあとを追う。
施設の外に出たミリザたちはサマンドラの車に乗り込んだ。
「逃げるわよ」
サマンドラは全速力で車を走らせる。
急発進にオーレンとアレクセイがのけぞる。
「な、なんだこれは。どうなってる」
「自治区のお偉いさんたちはあんたを捕まえるつもり! ついでにミリザたちは始末される!」
「なんだって?」
サマンドラは代表の部屋で行われた密談の内容をミリザたちに話した。彼女はカルパの命令で代表の動向を探っていたのである。代表がどっちに転ぶかはカルパもわからなかった。表立って王国と事を構えるなど正気の沙汰ではない。だが彼は結局その道を選んだ。そんなに野心のある人間ではないはずなのに。
「馬鹿どもが……なぜ争うのだ。技術などいくらでもくれてやるというのに」
「あなたがそうでも他はそうはいかない。大きな力を独占しようと考えるのは自然なこと」
「こんな状況でもたいして驚いてくれないのね。あなたの驚く顔が見たかったのに」
「これでも驚いてるほうよ。でも予想はしてたから」
「それでどうするんだ?」
「とにかく自治区を離れて国境を目指す。それから――」
魔動通信が鳴り響いた。カルパからの連絡である。
「はいこちらサマンドラ。アレクセイは無事です」
「それはよかった」
響いたのはカルパの声ではなかった。
サマンドラの表情が固まる。ブレーキを踏み、車が停車する。
「そのままこちらまでお連れしてもらいたい。カルパ議員の命が惜しければね」
「メンフィス――」
「サマンドラ君だったね。君は優秀な秘書らしいな。ならば自分がやるべきこともわかるはずだ」
「ふざけないで!」
「おっと大声は止めてくれたまえ。カルパ議員にナイフを突きつけている部下が驚いて手元が狂ってしまうかもしれん」
「ぐ……」
まさかメンフィスたちがこんなに早くカルパ議員にまで手を出すとは。すべてはもっと以前から計画されていたことなのだろうか。あまりにも手回しが良すぎる。
「メンフィスといったか。私がアレクセイだ」
「おお、アレクセイどの。申し訳ありませんね。我々が丁重にお迎えに上がるはずだったのですが、手違いがあったようで」
「どこに行けばいい」
メンフィスは場所を指定した。そこに来ればカルパ議員と身柄を交換するという。
わかった、とアレクセイが告げると魔動通信は切れた。
「ということだ。そこへ向かってもらおう」
アレクセイがサマンドラに告げる。
サマンドラはどうするべきか判断しかねていた。カルパ議員を救わなくてはならないが、だからといってメンフィスの言う通りにアレクセイを渡すのは正しい行いとは言えないはずだった。
「なぜ逃げないの?」
ミリザが不思議そうに問う。
「いまならあなたは逃げられる。王国に帰ればまた研究もできるし、大勢の役に立つことができる」
「だがその代わりに目の前の人間を見捨てることになる」
かつてアレクセイを救った【魔女】は言った――私は目の前の人間を見捨てられないだけよ、と。
カピルナ村の奥地、≪禁足地≫と呼ばれる場所に愚かにも入り込んだ若きアレクセイとフェルディンは、『好奇心猫を殺す』という言葉の意味をその身をもって知るところであった。太古の昔からその地に存在したという巨大で奇怪な植物の怪物に囚われ、短い生の終わりを覚悟した。
だが閃光が怪物を貫いた。現れたのは【第一魔女】ミリアム・デストール。あんな辺境の地になぜ彼女がいたのだろう。どうやって自分たちの危機を知ったのであろう。不思議であった。なぜ、と問いかけるアレクセイに、ミリアムは先の言葉を告げたのだ。そしてその後にこうも言った。
「あなたたちは、私よりも遥かに多くの人々を救うことができる。私はそれを知っている」
それが実際にどのような意図をもって告げられた言葉なのかはわからなかった。ただの気まぐれであり、大した意味などなかったのかもしれない。だが、アレクセイはその言葉を信じた。それは確定した未来における真実である。そうでなければならない。そうでなければ、彼女が嘘をついたことになるのだから。彼女を嘘つきにしないためには、自分がそれを真実にするしかないのだ。
アレクセイのその後の人生は彼女の言葉を真実にするためにあった。
フェルディンも恐らくはそうであっただろう。
いまだ道半ばではある。だがそれなりの成果は上げた。ありがたくも。それもこれもミリアムのおかげである。彼女が命を救ってくれたから。未来を創る言葉をくれたから。そのことを忘れたことはない。
目の前の人間を見捨てられないだけ……か。だが未来が視えるという彼女の視界には常人よりも遥かに多くのものが映っていたことだろう。彼女が自分の言を守ることはきっと並大抵の苦労ではなかったはずだ。それに比べれば、こんなことはまったくもって大したことではない。
「行ってくれ」
アレクセイは告げる。
「でも……」
「いいのよ、サマンドラ。行って」
「ミリザ……」
「カルパ議員は必ず取り返す。そして私たちの任務は何だった、オーレン?」
「アレクセイを守ること」
「その任務も当然やり遂げる。たとえマグマレン自治区全体を敵に回してもね」
ミリザは決然と告げる。その姿を見てサマンドラは思う。
そうだ、これが【魔女】――かつて私が目指し、憧れた存在。
【魔女】は何物にも屈しない。何物も【魔女】の道を阻むことはできない。
ならば何をためらう必要があるだろう。
「行きましょう」
サマンドラはミリザを見つめる。ミリザの瞳の奥に燃える光は以前とまったく変わっていない。誰よりも力強く、誰よりも気高く、それは燃え盛る。この光があれば何も恐れることはない。
自治区のやつらに【魔女】の力を見せつけてやるのだ。




