オーレンの章4 魔動列車その2
高速で走る魔動列車の上部によじのぼり、前の車両を目指していく。
かなり揺れるし、何より風で吹き飛ばされそうである。
「どこまで進むんだ?」
「前方の食堂車を目指す。そこなら乗車券がなくても入れるからな」
「キルギスは酒と煙草が何よりの好物。いまごろはそこで≪橙火の煌≫を愛でながら飲んだくれているに違いない」
ジャックルビーたちの目論見通り、キルギスは食堂車にいた。
取り巻き連中と一緒に酒を飲んでおり、もうすでにかなりできあがっているようだった。胡乱な目つきである。自身の人生に思いがけず訪れた幸運に酔っているかのようでもあった。
キルギスは食堂車に入って来たオーレンの姿を認めると、
「おお、なんだ坊主。おまえも乗ってたのか」
と声をかけてきた。
「ええ……運よく乗れたんです」
この程度なら嘘にはなるまい。
手段はどうあれ、乗れたことは事実なのだから。
「そうかそうか、そりゃよかった」
満足そうに頷くキルギスの前にジャックルビーがすっと姿を現した。彼の仕草には不思議な華があり、見るものの目を奪う。キルギスも例外ではなかった。ジャックルビーはキルギスと目が合うと、にこやかに一礼した。
「お初にお目にかかります、キルギスどの。私はジャックルビーと申します。王都で仕立て職人をしております」
「ほう、王都で! それは大したものだ」
根が田舎者のキルギスは王都という言葉に弱い。取り巻き連中を大量に伴っているのは王都に上る不安と緊張からであることをジャックルビーは正確に見抜いていた。
「キルギスどのの名は王都にまで轟いております。なんでも、不屈の精神でもってモービット鉱山を蘇らせた、近年まれにみる傑物であるとのこと……その噂を聞いて私も是非お会いしたいと思っておりました」
「そうかそうか、王都でもな! さすが王都は情報が早い!」
キルギスはおだてられてすっかり上機嫌である。
初対面のジャックルビーをあっさりと信用してしまったようであった。
「ジャックルビーどの、よろしければこちらへどうぞ。お近づきのしるしに一献差し上げよう」
「恐れ入ります」
ジャックルビーが優雅な仕草でキルギスの向かいの席に座る。
「では、我らの出会いを祝して」
ふたりはグラスを持ち上げて乾杯した。
その際、キルギスの上着の内側に淡い橙色の光が見えた。
どうやらそこに≪橙火の煌≫をしまっているようだった。
ジャックルビーもそれを抜かりなく確認したのか、切れ長の瞳がギラリと輝いた。
オーレンはいつでも飛び出せるよう身構えていたが、案に反してジャックルビーはいつまで経っても魔石を奪おうとする様子を見せなかった。どこからそんなに言葉が出てくるのか、際限なくぺらぺらとしゃべり続けるだけである。
その話題は多岐に渡り、王都での最新の流行から始まり、自治区の発展状況や選挙結果、北部砦での蛮族の討伐状況、貿易都市パルサフリードにできた新しいホテルで出される珍味を使った料理、秘境にある絶景やそこで見られる動植物のことなど、汲めども尽きぬ話題の数々を臨場感たっぷりの語り口で話すものだから、オーレンですらも話に引き込まれそうになってしまう。
キルギスなどは身を乗り出して感心しきりである。
「いやはや、ジャックルビーどのはまことに博識であるな。王都でもいろいろと教えていただきたいものだ」
キルギスはすっかりジャックルビーを信用してしまったようだ。
やはりこの男の話術は並外れている。相手の心に苦もなく侵入し、いつの間にか掌中に収めてしまう。その手練手管は芸術的ですらある。
「ところで、ジャックルビーどのは煙草はやられるかな?」
キルギスが尋ねる。
「ええ、煙草は大好物でございます」
ジャックルビーは人好きのする笑顔を浮かべ、懐から煙草の箱を取り出した。
「こちらは王都でいま流行している銘柄です。どうです、できれば外でやりませんか。風を受けながら吸うのは気持ちのよいものですよ」
「ほう、それはよい趣向ですな」
キルギスが立ち上がる。
オーレンはここだ、と感じた。ジャックルビーはキルギスと外の展望デッキに出たところで≪橙火の煌≫を奪うつもりなのだ――そうはさせない。
オーレンはふたりの前に立ちはだかる。
「ん……どうした坊主?」
キルギスがオーレンに問いかけた瞬間であった。
食堂車の後ろの扉が開き、
「侵入者だ!」
と叫ぶ声が聞こえた。
見れば貨物車で気絶させた衛兵であった。
仲間を伴っている。彼らに助けられたのであろう。
ジャックルビーたちを指さして、
「あいつらだ!」
と声を張り上げている。
「ななな、なんだなんだ?」
動揺するキルギスの懐から、ジャックルビーは音もなく≪橙火の煌≫を盗み取った。鮮やかな手並みである。注意して見ていたはずのオーレンも衛兵に一瞬意識を取られて対応することができなかった。そのまま奪わせてはならないとジャックルビーに襲い掛かるが、なんとジャックルビーは自身が盗み取った≪橙火の煌≫をオーレンに投げてよこした。オーレンの手に≪橙火の煌≫がすっぽりと収まる。
「逃げるぞ、オーレン!」
ジャックルビーが叫ぶ。
「え? いや、ちょっと――」
「あの少年も仲間だ! 捕まえろ!」
衛兵が怒鳴る。貨物車で姿を見られていたのだ。
それでは確かに仲間だと思われても仕方がない。
このままでは捕まってしまう。
オーレンは慌ててジャックルビーたちの後を追った。
食堂車の前方のドアを抜け、展望デッキへとたどりつく。
「飛ぶぞ!」
ジャックルビーに腕をつかまれ、一緒に魔動列車から飛び降りる。
そのまま草むらをゴロゴロと転がり、目が回りそうになりながらも立ち上がると、衛兵たちも列車から飛び降りてこちらに向かってくるのが見えた。
「よくやった、オーレン。これは返してもらうぞ」
ジャックルビーはオーレンの手から素早く≪橙火の煌≫を抜き取ると、
「また機会があればどこかで会おう――さらばだ!」
と告げて仲間たちと一緒に風のように去っていった。
完全にしてやられた。
だが呆然としている暇はなかった。
衛兵たちがオーレン目掛けて迫ってきている。
怪盗団の一味だと思われているのだ。
オーレンは走り出した。
いずれ嫌疑は晴らさなくてはならないが――いまは逃げるしかなかった。
オーレンは闇雲に走り、森へと逃げ込んだ。衛兵たちの追跡を交わすために。
わき目もふらず走り続け、そして森の奥深くへと入っていった。
その森の名はコンラッド大森林。
王都イシュバーンの南東部に広がる大自然の迷路であった。