運命の竜編49 運命の竜その3
「ラプラス……なぜあんなものが存在するのかしら」
ミクリーンは運命の竜――ラプラス――を見つめて呟いた。
ノーラがミクリーンと肩を並べる。
その瞳もまたラプラスの忌まわしい姿を捉えている。
「それは誰にもわかりません。ですが仮説はあります。私は八百年の人生で数多くの伝承に触れてきました。そのなかには≪失われた世界≫に関する伝承もありました」
「失われた世界?」
「私たちが暮らしているこの世界の遥か以前に存在したとされる世界のことです。そこではいまとはまったく異なった文明が栄えていたそうです」
「まるでおとぎ話のようね」
「そう……まさに母様のおっしゃる通り、世界とはおとぎ話のようなもの。運命という筋書きの物語が書かれた一冊の本のようなものと言えるかもしれません。ラプラスは世界を物語によって支配しているのです」
「物語による支配……」
「ラプラスはその筋書きが乱されることを嫌います。ラプラスが求めているのは永遠の安定。そこに未知のものがあってはならない。すべては既知でなければならない。であれば、物語は自然繰り返されることになります。この世界は同じ物語を繰り返し、それによって永遠に循環しているのです」
「それがあなたのたどり着いた答えなのね」
「あくまで仮説ですが、仮にこれが正しいとすれば、世界は幾度も創造と滅亡の過程を経たことになります」
創造の後に破壊があり、破壊の後に創造がある。すべては繰り返される。それが人の歴史であり、神の歴史。世界が生まれ変わるたびに、新たな神と新たな人類が創造される。
「ですが、それは言ってみれば破滅の物語に他なりません」
「終わりが約束されているのであれば、そういうことになる」
「この世界においては破滅こそが主題なのです。音楽のロンド形式のように、破滅という主題が繰り返し現れる。それこそがラプラスの望んだ世界の形なのでしょう」
「ラプラスは何のためにそんなことをするの?」
「結末の決まった物語の中に私たちを捕らえておくためか……あるいは、世界の破滅によって何かを得ているのかもしれませんね。ラプラスが存在するためのエネルギーのようなものを」
「いずれにせよ許されることではないわ。ラプラスは私たちの未来を奪っている」
「ええ、ですからこのあたりで私たちの運命をラプラスから解放してあげましょう」
ノーラは眼前の光景を見つめる。
この状況はラプラスの筋書きにはなかったもののはず。
ならば希望はある。
「まずは第一の首です。≪紡ぐもの≫――クロト。運命の糸を紡ぎ出すあの竜を、彼女たちがどう料理するのか見物させてもらいましょう」
運命の竜は輝く息を吐いた。無数の糸のような魔力の奔流。それは尽きることなく紡がれる運命の糸そのもの。触れなば落ちんその糸は、破滅の運命という明確な意図をもって【魔女】たちに迫った。だが彼女たちはそれを交わしていく。運命の切っ先が彼女たちを捕らえることはない。オーレンの手にするアイギスが破滅の運命を弾き飛ばした。
「見事なものだな、その盾は運命すらも防ぐのか」
イルマが感嘆の声をもらす。
ミリザと同様に、この少年も以前とはまるで別人のようだ。
互いを高め合い、成長してきたのだろう。
「刮目に値するな。それでこそ、我らと共に戦う資格があるというもの」
「私たちは資格で戦うわけじゃないわ。必要だから戦うのよ」
ミリザが言う。
それは純然たる自らの意志。意志を行使することに資格は必要ない。
「それもそうか。我らにはこの竜を滅さねばならない理由がある」
世界などどうなろうと知ったことではないが……ミリザにとっては母の仇であり、≪三華≫にとっては母への脅威である。それは彼女たちが命を懸けるには充分すぎる理由であった。
「しかし巨体だな。攻撃が通るものか――どれ」
ザンザが光と闇の球を放った。楕円を描きそれは竜に迫った。ふたつの球が衝突し、大爆発を引き起こした。それは竜の表皮を削り取ったが、深刻な損傷は与えられていないようだった。
「なるほど、これは骨が折れそうだ」
「だが時がそれほど残されているわけではない」
「なら三人がかりで魔力をぶつけて頂戴。狙うのはあの竜の口の中よ」
「おまえはどうするのだ」
「私たちは隙を作る。オーレン、突っ込むわよ」
言うが早いか、ミリザとオーレンは竜に向かって飛翔した。ふたりを繋ぐ魔力の絆が流星のように輝く。竜が彼らを視認する。定められた運命に逆らう愚かな男女に、竜は怒りの咆哮を放った。すべてを消滅させるような光線が竜の口から放たれる。それは正確にミリザとオーレンのふたりを捉えた。ふたりは光に呑まれる。
その隙を突いてアビスたちは破壊の三重奏を放った。
開け放たれた竜の口に魔力が注ぎ込まれる。その衝撃は竜の内部を散々に食い破った。竜の口から白い煙が上がり、瞳の力が弱まった。
「やったか……だがミリザたちは――」
ミリザとオーレンの姿はそこにはなかった。光線に呑み込まれ、消し飛んでしまったのであろうか。だがアビスたちの背後から収束された氷の魔力が一直線に竜の首を捉えた。首は氷漬けとなり、瞳から光が消えた。
アビスたちの背後にはミリザとオーレンの姿があった。
ミリザの放ったアルカ・ミリアスタが竜の首を凍らせたのだ。
「交わしていたのか。だがどうやって」
回避する間などなかったはずだ。
竜の攻撃は完全にふたりを捉えたように見えた。
「≪禁呪≫による空間転移よ。短距離なら目印なしでも制御できる」
≪禁呪≫は時間と空間を支配する魔法。だが思い通りに操れるような便利なものではない。長距離間を移動するためには何かしら強力な目印が必要になる。かつてソフィアのもとを訪れるのに、大聖堂の≪神の瞳≫を必要としたように。
それでもごく短距離であれば、瞬時の移動が可能なのであった。
ミリザは平静を装っていたが、息が荒くなっていることをオーレンは感じ取っていた。そしてそれはアビスたちも同様であった。やはり≪禁呪≫は肉体と精神への負担が大きいようだ。連発できるようなものではあるまい。
「ミリザ……大丈夫か」
オーレンがミリザの身を案じる。
だがミリザは決然と告げた。
「休んでいる暇はない。次の首が形を取る」
歪曲した空間が晴れ、右の首が姿を現した。
その瞳は蒼く澄んだ光を放っていた。
「第二の首……≪測るもの≫――ラケシスだな」
運命の糸の長さを測るとされるラケシス。すべてを見通すかのようなその冷徹な瞳は、見つめる【魔女】たちの背筋を凍らせるような静かな脅威を湛えていた。




