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十三魔女と偽りの聖女  作者: 松茸
第四部 運命の竜編
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運命の竜編47 運命の竜その1

「母さん……」


 ミリザの瞳はうるんでいた。もう何年も流していないはずの涙が彼女の瞳からこぼれ落ちそうだった。夢にまで見た母の姿が目の前にあるのだ。記憶とまったく変わらない姿。美しく、気高く、凛々しいその姿は、ミリザにとって永遠の憧れ。彼女の理想とする【魔女】はいつだって母ミリアムであった。


 話したいことは無限にあった。あるはずだった。だが言葉が出てこなかった。ミリザはそのことがもどかしく、悲痛な瞳を母に向けた。するとミリアムが口を開いた。


「控えよ、我は運命の女神ミリアムであるぞ」


 そう告げてお茶目に笑った。ミリザは呆気あっけにとられた。そして思い出した。そうだ、母はこういうひとだった。いつも冗談を言って私と父を笑わせていた。


「しばらく見ないうちに女神様になっていたのね」


 ミリアムはふふ、と静かに笑った。


「そのつもりだったんだけど……そこまでラプラスは甘くはなかった。私にできたのは、ほんの少しの道筋をつけることだけ。それは厳密には運命とも呼べないか細い道だった。でもあなたはちゃんとその道を通ってここまでやってきた。私はあなたを誇りに思う。さすがは私の娘。私の期待通りに――いいえ、期待以上に、あなたは成長した」


 ミリザは涙を流した。その言葉をどれだけ夢見ただろう。本当はいつも不安だった。私は母の期待に応えられているのだろうか。偉大な母の名をはずかしめてはいないだろうか。それは永遠に答えの出ない問いのはずだった。


「まだ泣くのは早いわ。あなたにはこれからやらなければならないことがある」

「何をすればいいの」

「私を殺して」


 ミリザの瞳が固まった。


「ラプラスを滅するということはそういうこと。あなたはその覚悟を持たなければならない」

「母さんを……私が……」


「私はもう死んでいる。ここに存在しているのは私の魂。ひとは死んでも魂は残る。魂は還流かんりゅうし、また新たな命に生まれ変わる。それがこの世界のことわり。ラプラスはそれを守り続けるために、運命を定義し、ひとの可能性を狭めている」


「わからないわ。どういうことなの」

「ラプラスこそが真に世界の敵ということよ。これは閉じた永遠を循環させるための装置なの」

「閉じた永遠……」


「この世界は同じ物語を繰り返しているの。細部での違いはあれど、おおむね同じ物語を。それは破滅の物語。ラプラスによって定められた、不可避の運命。私はそれを知ってしまった。ラプラスに取り込まれ、運命の一部となることで」


 ミリザはミリアムの瞳を覗き込んだ。美しく、神秘的な瞳であった。すべてを見通す未来視の瞳。かつて彼女はその瞳に映るものすべてを救うことを自らの使命としていた。いま彼女の瞳は何が映っているのだろう。


「未来は変えられる。私はそう信じてきた。いまもその想いは変わっていない」

「母さん」

「私は運命をねじ伏せる。あなたも知っているでしょう。【魔女】は何物にも屈しない。たとえ相手が運命であろうとも。肉体は滅しても、この魂がある限り、私は【魔女】としての責務を全うする」


 ミリザは頷いた。それが母の願い。ならば私はそれを叶えるだけ。

 ミリアムは微笑む。


「あなたには母親らしいことを何もしてあげられなかった。それが心残り」


「そんなことはない」


 ミリザは言う。


「私は母さんにすべてを教わった。【魔女】としての生き様を。力を持つ者が何を為すべきなのか」


 それは普通の親子関係ではないのかもしれない。でもそれでいい。私たちは【魔女】なのだから。それこそが私たちの誇りであり、果たすべき責任なのだから。


「私の娘ミリザ。あなたに託すわ。この世界の命運を。人類を運命のくびきから解放して」


 ミリザは力強く頷く。


「そろそろ時間ね……これ以上ラプラスを抑えてはいられない。もう行きなさい、ミリザ。赤毛の少年があなたを待っている。彼の手のぬくもりをたどりなさい。大丈夫、あなたたちならきっとできる。私はそれを知っている」


「母さん」


「私の大切な娘ミリザ。いつまでもあなたを愛しているわ。たとえ私の存在がこの世界のどこからも消え失せたとしても。それを忘れないで」


 ミリアムは光の粒となり、空間に溶けた。光が瞬き、世界が白く染まる。ミリザはそのなかで、淡い蒼の輝きを放っていた。赤い光の糸が見える。炎のように力強く、それはミリザを導く。オーレンの手のぬくもりを感じる。ミリザは戻ってきた。オーレンの笑顔がそこにあった。


「母さんには会えたのか」


 ミリザは頷いた。私は託された。未来を。それは運命の存在しない世界。そのためには、ここでラプラスを滅ぼさなくてはならない。


 ラプラスが大きくうごめいた。それは胎動たいどうのようであった。ラプラスのなかで、何かが激しく暴れ回っている。それは恐らくミリアムの魂の力であった。やがてラプラスは重力に引きずられるように、静かに落下を始めた。その先にはイシュバーンの巨体が横たわっている。ラプラスを構成する暗黒物質の霧が死に絶えたイシュバーンの肉体に沁み込んでいく。


「そういうことね……母さん」


 ミリアムはラプラスに肉体を与えようとしているのだ。原初の巨竜イシュバーンの巨体をしろとして、受肉させる。高次に存在するはずのラプラスをこの世界に引きずり出す。実体さえあれば、それを滅ぼすことが可能になる。


 暗渠あんきょと化していたイシュバーンの瞳に赤い光が灯る。漆黒の闇が全身に満ちていく。この世でもっとも強大な獣であったはずのイシュバーンにさらなる力が宿る。運命を司るラプラスの力がイシュバーンを変化させていく。運命の審判が下されようとしている。イシュバーンの左右の首元から何かが生えてくる。その禍々しい姿にミクリーンは見覚えがあった。


「アジリオン……」


 終末をもたらすとされる三つ首の黒竜アジリオン。かつて神々の闘争において悪神マリルより生み出された終末の獣。この世界の人々が地獄と呼ぶ外宇宙に封印されているはずの竜が、遥かな次元を超えてイシュバーンと融合を果たした。


「古き伝承では、運命の女神は三姉妹であると伝えられています」


 ノーラがミクリーンに告げる。


「運命の糸をつむぐ者。その長さを測る者。そしてそれを断ち切る者。三つ首はそれを表しているのかもしれませんね」

「あなたはなぜそんなに冷静でいられるの」


 ミクリーンの身体は震えていた。

 眼前の巨竜の圧力は、かつての邪神群を遥かに上回っている。

 だがノーラは静かに微笑む。


「【魔女】の力を信じているからですよ。他ならぬ母様から始まった【魔女】の系譜。それは何よりも強く揺るぎない力。たとえ相手が≪運命の竜≫であろうと、彼女たちは負けません」


 かつてない獣がアルカロンドに降臨した。


 その名は運命の竜。


 六つの瞳が運命に逆らおうとする【魔女】たちに向けられる。

 そこには破壊と断罪の意志が宿っている。


「念願の敵にようやく会えたな」


 オーレンが言う。ミリザは氷のような瞳を運命の竜に向ける。


「正直に言うと、私は運命なんてものに興味はない。私があなたを滅ぼすのは、あなたが母の仇だから。ただそれだけよ」


 ミリザの腕がしなやかに振られる。

 どこまでも清冽せいれつな魔力が手にする≪氷の女王≫を蒼く輝かせた。




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