運命の竜編28 繋がる空
ソフィアは王宮前で原初の巨竜イシュバーンの石像を見上げていた。
「はえーおっきい……」
「本物は多分もっと大きいわよ」
ミリザが声をかける。
「そーなんだ……」
ミリザはかつてオーレンが同じようにイシュバーンの石像を見上げていたことを思い出す。あのときは竜なんてただの言い伝えにすぎない、と言ったが、実際に二体の竜が王都に現れた以上は認識を改めなくてはいけないだろう。
「現実に存在する竜をどうやって撃ち滅ぼすか――」
そのことを考える必要がある。あの、と遠慮がちにソフィアが口を開く。
「それってあたしもやらないといけないのかな……?」
「強制はしないけど、協力してくれると助かる。アリアは共通の敵でしょ」
「あたしは帝国に帰らないと……」
「それは難しいわね。あなたを送ってあげたいけど、≪竜の壁≫からあなたが出てくるところを帝国の人間に見られたら大騒ぎになる。下手したらそのまま戦争に突入してしまうかもしれない。危険すぎるわ」
「なんか転移魔法みたいなのがあるって聞いたことがあるんだけど」
「闇の魔法による空間転移はノーラにしかできないそうよ。でも彼女はいま魔力を失っている」
「あたしのせいで……」
ソフィアはうつむいてしまう。
あのとき、ノーラはソフィアごとアリアを消し去ることができた。だが彼女はそれをしなかった。それはなぜだろう。ソフィアが彼女の目的を達成するために必要な駒だから? それだけではないようにミリザには思えた。
「別に気に病む必要はない。あなたを【聖女】にしたのはノーラ。その意味で言えば、あなたには彼女を憎む権利だってある。望んでもいない力と責任を負わされて、あなたはそのことをどう思ってるの?」
「どうって……そんなの、わかんないよ」
【聖女】はノーラが伝承魔法によって創り出した存在。帝国に伝わる【聖女】の伝承もすべて創作――そんな話はソフィアの理解を遥かに超えていた。いきなりそんなことを言われてもすぐには信じられないし、実感だってない。だが、もしそれが本当だとするならば――
「どちらかというと、あたしはそのことに感謝してる。だって、この力がなかったらみんなを助けられなかった」
アッシュや団長、エリス、ラケルナさん、モンスーンさん、ヴォルナークさん、アルパシオさん、ローズマリーさん、コーラル、タルタロスさん、カルドラにシルドラ……みんなあたしの大切な仲間だ。彼らを護れたのは【聖女】の力があってこそ。だから、ノーラさんを恨んではいない。複雑な気持ちはあるけど……
「あなたはお人好しね。私だったら――」
どうするだろう。考えたが、結局はソフィアと同じ結論に行きつきそうだった。それが現実なのであれば受け入れるしかない。受け入れた上で自分にできることをする。それ以外に何ができるだろう?
「力には責任が伴う。【魔女】の力は世界平和のためのもの。それは【聖女】も同じだと思うわ」
「あたしにできることなら何でもする」
ソフィアは言った。だが何をすればいいかわからなかった。彼女の使命は戦争を止めることにあると思っていた。だがいまは帝国から遠く離れた場所にいる。それも帝国の人間が敵地とみなす王国の中心に。
ソフィアは王都を散策し、その繁栄を肌で感じた。人々はみな笑顔だった。活き活きとしていた。争う必要なんてどこにもないと思った。この国ではソフィアは誰からも【聖女】だと指摘されることのない空気のような存在だった。だからこそ、王国の自由な空気感がわかった。
ここには平和がある。誰もが求めてやまないもの。それはすでに存在しているのだ――王国にも、帝国にも。この平和を壊してはいけない。ソフィアはそう思い、空を見上げた。空に国境はない。それはどこまでも繋がってる。その下に暮らす人々の心だって、きっと繋がることができるはず。
突き抜けるような蒼穹がソフィアの花色の瞳に映っていた。
☆
「何かお話があるとか」
テレサは眼前の人物にそう話しかけた。相手はアビスであった。
艶のある黒髪に、額の赤い刻印。ノーラ配下の≪三華≫の筆頭である彼女がテレサの居室を訪ねてきた。テレサの護衛を務めるスクリードに、テレサに伝えたいことがあると申し出て通されたのだった。
「おまえたちの仲間、【第七魔女】フーマ・コルニクスを殺したのは私だ」
何の躊躇もなく、アビスは告げた。帝国の奥地エレジニアでソフィアの暗殺を目論んだフーマを手にかけた。そのことを話しておくべきだろうと思ったのだ。
「そうですか」
テレサは特に興味もなさそうに応えた。
「それがどうかしましたか?」
「罰しようとは思わないのか」
「【魔女】は戦いに生き、戦いに死すものです。フーマが戦いのなかで逝けたのであれば、それはむしろ幸いなことでしょう。彼女は六芒星に次ぐ実力の持ち主……彼女が敗れるのであれば、あなたがたの誰かだろうと思ってはいました」
テレサがアビスを見つめる瞳に恨みの色はなかった。
王国の【十三魔女】は奇妙な生き物である。それは全体でひとつの生き物のように振舞う。アルカロンドの平和を守る――そのただひとつの目的のために、それは動く。その過程で誰かが斃れることもある。だがそれはやむを得ない犠牲。必然の結果。彼女たちは命を賭して使命を遂行する。命を失うことは彼女たちにとって使命をまっとうした証なのだ。
【魔女】の命は軽く、それゆえに重い。その矛盾を両者は理解していた。
アビスは、ふ、と静かに笑った。
「アリアの相手は任せるがいい。今度こそ、私がやつを冥獄に送ってやろう」
冥獄とは完全なる闇が支配する死後の世界。アビスとは冥獄に咲く漆黒の花の名であり、彼女はノーラから与えられたその名を何よりも大切にしていた。ノーラの闇の継承者であるという自負が彼女にはあった。
テレサは頷いた。彼女はアビスの底知れぬ魔力を感じた。それはいまなお拡大を続けている。まるで闇がどこまでも広がっていくかのように。漆黒の意志がその力を支えている。彼女の刃はアリアにも届きうるかもしれない。それだけの予感を感じさせる何かがあった。
ノーラの娘……か。
子は成長するのだ、とテレサは思った。子はいつか親を超える。それこそが最大の親孝行。その想像に、テレサは自然とミリザの美しく気高い横顔を連想した。




