神聖帝国編24 屍術師オスロ
ガラム塩湖を目指していたカフカと野盗たちであったが、古戦場を通りかかったとき、黒い影が夜の闇に揺れていることに気づいた。今宵は満月であり、月の光がその影を照らしていた。影は男であり、病的なほどに青白い顔をしていた。男は野盗たちを見て、にい、と笑った。目の周囲が笑うように歪められたが、その眼球には何の感情も見て取れなかった。
「やあ、これは活きのいいお客さんだ」
男はそう言った。夜の古戦場にその言葉が響いた。
「なんだおめえ」
野盗のひとりが男に近寄った。これから塩湖の守り人たちを皆殺しにするのだ。そのことを誰にも知られてはならない。ここで偶然出会ったこの男も当然始末しなくてはならなかった。
野盗は腰の山刀に手をかけた。だが、それを構えることはできなかった。男の側で不意に立ち上がった骸骨が、錆びた槍で野盗の喉を貫いたからであった。
「助かるよ……ここにはこの通り、骸骨しかなくてね。新鮮な死体が欲しかったんだ……」
男の周囲に骸骨の群れが立ち上がる。その光景を見て野盗たちは悲鳴を上げる。生きている人間なら相手が誰であろうと恐れることはないが、死者だというなら話は別である。根源的な恐怖が彼らのなかから湧き上がる。彼らは泡を食ったように逃げだした。だがすでに彼らは古戦場のど真ん中にいたのだ。周囲から次々と骸骨たちが起き上がり、錆びた槍を振り回し始めた。
「な、何が起こっておる」
カフカは目を細めて、前方を睨んだ。最後方を進んでいたためにまだ何の被害も受けてはいなかったが、先頭集団が骸骨の群れに襲われているのを見て気色を失った。
「が、骸骨が!」
タランナップも叫ぶ。見れば、あちこちで骸骨の群れが立ち上がっている。彼らはすっかり包囲されていた。逃げ惑うものたちはみな背中を刺されて倒れていく。このままでは総崩れである。カフカがそう思ったとき、グシャという音と共に、孤影団の団長フォックスが団員たちに檄を飛ばした。
「慌てるな、馬鹿野郎ども! ただの骨だろうが! こんなもんはこの通りだ!」
フォックスの足元にはひしゃげた骨が崩れ落ちていた。大剣でもって叩き潰したのであった。それを見て野盗たちは気づく。
「そ、そうだ。お頭の言う通りだぜ! こいつらなんかただのスカスカの骨じゃねえか!」
おお、と彼らは自身を鼓舞して骸骨たちに立ち向かっていく。手あたりしだいに武器を振り回すと、それに当たった骸骨は脆くも崩れていく。
「見てみやがれ! やれるぞ!」
反撃に転じた野盗たちを見て黒い影の男は笑う。
「おやおや、本当に活きがいい……ならこれはどうかな?」
男が指を動かすと、今度は骸骨に刺されて地面に転がっていた野盗たちの死体がむくりと起き上がった。それらは操り人形のような奇妙な動きで、かつての仲間たちに近づいていく。その眼球に光はなく、命はすでに失われているはずであった。
「お、おめえ、やめろ……」
野盗たちはかつての仲間の死体の振り回す剣に切り裂かれ、新たな死体となった。そして新たな死体は再び起き上がり、次の標的を狙うのであった。
「君たちがいくらいようとそんなのは問題じゃないんだ。こっちの手駒が増えていくだけなんだからね……ひひひ、今日は大漁だなあ。新鮮な死体がたくさん手に入った……ひひ……ひひひ……」
地獄絵図のような光景を見ながら男は笑った。それはひどく乾いた笑いであった。およそ感情の欠落した、虚ろな穴をただ風が通り抜けるだけのような笑いだった。
そのとき、爆音が轟いた。カフカが爆薬を投げつけたのである。その爆発は骸骨も、かつての彼らの仲間の死体も粉々に吹き飛ばした。爆風が吹き荒れ、恐怖のために我を失っていた野盗たちは正気を取り戻した。
「恐れるな! 我らにはこの爆薬があるではないか! この力があれば骸骨ごときがなんだというのだ! 骨が動く? 死体が動く? だからなんだ! 我らの前に立ちふさがるものはすべて敵である! 敵はすべて皆殺しにせよ!」
カフカの演説によって野盗たちは力を取り戻す。彼らは懐から爆薬を取り出し、火をつける。そして死者の群れに向かって投げつける。古戦場の至るところで爆音が鳴り響き、死者の群れは爆風と共に散っていった。
「爆弾……爆弾ね。つまらないものを持ってる。なら、こんなのはどうだ」
男が複雑に指を動かす。すると、今度は骸骨の破片がひとつの場所に集まり始めた。それらは急速に巨大化し、形を成していく。出来上がったのは巨大な骸骨の兵士。伝説上の巨人ほどの大きさもある巨大な化物であった。野盗たちが巨人に向かって爆弾を投げるがびくともしない。
「嘘だろ……爆弾が……まったく効かねえ!」
「うわああああ!」
野盗たちが骸骨の巨人に踏み潰されていく。
「新鮮な死体だけど……しょうがないな。数はそれなりに集まったし……あとはぺちゃんこになっちゃえ」
骸骨の巨人が足を上げる。その下には逃げ惑う野盗たち。しかし巨人の巨体に影が差した。何か巨大なものが巨人に覆い被さろうとしていた。ぐしゃり。破滅的な音を立てて巨人がひしゃげる。巨人は巨大な岩塊に圧し潰された。
「な……」
その岩塊の名は聖剣チャターン。適合者の気力の限りに巨大化する切れ味などまったくない岩塊のごとき大剣である。それは巨人よりもさらに巨大化して骸骨のかたまりを圧し潰したのであった。
「もう始まっちゃってるみたいですけど、これじゃ途中から参加したあたしたちが主役みたいになりません? 大丈夫ですかね?」
「何を妙な心配してるんだよ」
「あのような化物は叩き潰すにかぎる」
「だが、あれを操っておるものがおるようだぞ」
「骸骨に襲われていたのは例の野盗たちでしょうか……となると、団長たちはどうしたのでしょう」
「さあ、どっかで道草食ってるんじゃないですか?」
「相変わらず役に立たないなあ、あの団長」
ソフィアたちが古戦場に辿り着いたのであった。状況はよくわからないが、モンスーンはとりあえず骸骨の巨人を聖剣チャターンで叩き潰した。悪しきものに対する挨拶代わりであった。
「何の合図もなく急にやるんだもんなあ」
「さすがモンスーンさん、男は度胸ってやつですね」
「まずは動くことだ。呑気に見ていたら手遅れになることも多いからな」
「野盗も巻き添えでぺちゃんこになってるみたいですが」
「それは仕方あるまい。どうせ討伐するのだから一石二鳥というものだ」
「さて……骸骨の親玉はどれだ? あの黒い男か、それとも髭の小男か」
「黒い男のほうみたいですね。なんか怪しい雰囲気出してますよ」
「なるほどあやつだな」
モンスーンは聖剣チャターンを黒い男のほうに向ける。いまはもう通常の大きさに戻っているが、それでも大きなことに変わりはない。向けられたほうの圧力は相当だろう。
「貴様が骸骨騒ぎの原因か? 何者だ?」
「ふん……ひとに名を尋ねるときはまずは自分が名乗るものだろう?」
黒い男はつまらなそうにモンスーンに目を向ける。
感情のない、虚ろな瞳である。何を考えているのかもわからない。
「それもそうだな。我が名はモンスーン。≪十二使徒≫がひとり、鉄血の騎士モンスーン・オールブラッドである」
「オールブラッドだって? しかも≪十二使徒≫ときたか。これは面白い」
男の瞳に初めて感情らしきものが揺れる。
「僕の名はオスロだ。屍術師のオスロ・オルデンシア。オールブラッド家には恨みがある。復讐なんてくだらないけど、機会があるのに逃すべきではないとも思うな。こういうのも神の御導きって言うのかい」
「神の御名を穢すことは許しません」
エリスが鋭く告げる。
「おや、あんたはひょっとして聖司祭のエリスさんか。となると君たちは聖堂騎士団のご一行というわけだな。なるほど、クソの役にも立たない神様の栄光を振りかざして好き勝手やってる連中ってわけだ」
「なんということを……取り消しなさい!」
「やなこった。死んだって取り消さないよ」
「なら口がきけないようにしてやるだけだ」
「あんたらにそれができるかな。オモチャの剣で粋がってるみたいだけど、本物の力を見せてあげるよ」
そう言うと、オスロは懐から虹色に光る玉を取り出した。そして何かを念じると、その玉が極彩色にきらめき、その光がひとりの少女の姿になった。それを遠目で見ていたカフカに激震が走った。
「あれは……まさか……」
忘れようにも忘れられないあの姿。
縁のない丸眼鏡に金髪を三つ編みにした少女。
現れたのは【第十一魔女】モニカ・エレメントであった。




