ミリザの章5 アルビノの少女
コンラッド大森林。
それは王都イシュバーンの南東部に位置する広大な森林の総称であり、その深奥部においては人界と断絶した独自の生態系が存在していたと伝えられている。
古来より森はアルカの恵みに溢れ、≪狼人≫や≪豚人≫、≪鳥人≫など種々の獣たちが知恵をもつに至ったのもアルカの恵みによるものと考えられていた。
これらの魔物たちは森を出て周辺の村に害をなせば無論討伐の対象となったが、そうでない限りは人間たちのほうから彼らに干渉することはなかった。彼らのほうでもわざわざ恵み豊かな森を出ていく必要もなく、両者はそれぞれの分を守って平穏に暮らしていた。
☆
リンド村からコンラッドの森の共同墓地へと続く道は移設の際にある程度整備はされていたが、その後はまったく管理されていないこともあり、獰猛に成長を続ける草木に浸食されてその幅員を大きく減じていた。
「まるで獣道だな」
スパーダがぼやく。
「あの村のやつらは墓のことなんざすっかり忘れちまってたようだ」
「そうですね。自分たちの視界から消して、森の奥へと追いやって……ミリザさん?」
ミリザがずっと黙っていることに気づいたユーリが心配そうな目を向けてくる。
「やはり何か感じるか」
スパーダが問う。
「森に足を踏み入れたときから感覚がおかしい。アルカの流れも乱れている」
「≪ケイオス≫が出なきゃいいが……おい、ユーリ、気を抜くなよ。【盾】として、死んでもミリザを守れ」
「ははは、はい!」
しばらく歩くと開けた場所に出た。共同墓地である。
空が開けていて、森に太陽の光が差し込んでいる。
その光の柱のなかに溶け込むような白い影が見えた。
影は少女であった。
白いドレスを着た少女――右手には杖を持っており、その先端には黒い石が月桂樹の葉の意匠で縁取られていた。
「遅かったのね、ミリザ・デストール」
少女は言った。
少女の肌は病的なまでに白く、ドレスの裾まで伸びた髪も、睫毛さえも雪をかぶせたような純白である。おそらくアルビノであるのだろう。ただ瞳だけが血のように赤い。
「私のことを知ってるのね」
目の前の少女は少女の形はしているが、これまでに出会ったどんな魔獣よりも強大な魔力を放っていた。対峙する空間が歪むほどの威圧感があり、向かい合っているだけで精神と肉体が削り取られていくようであった。
「識ってるわよ。あなたも、あなたのお母さんもね。惜しい人を亡くしたわね。彼女には生きて私の研究を手伝ってほしかったのだけれど」
「研究……?」
「そう、私はね、あらゆることを識りたいの。世界はなぜ創られたのか、神は存在するのか、人の魂はどこへ行くのか――あなたも興味あるでしょう?」
「否定はしないわ」
「ここへ来たのも、それを確かめるためね。リンド村の人々の魂がどうなっているのか……」
「あなたがそれを教えてくれるの?」
「いいわよ、でもその前に――」
少女は右手の杖を静かに掲げた。
「闇の魔女の名において命ずる。捕えよ」
一瞬の出来事であった。
ユーリは足元に突如として出現した黒い穴から伸びた触手に囚われ、スパーダは攻撃を回避して少女の喉元にナイフの刃を突き立てようとしていた。
「なかなかいい【剣】を持っている。でも【盾】はいささか頼りないわね」
気づけばスパーダもまた、彼の背後の空間に空いた黒い穴から伸び出た触手に腕を絡めとられている。
「動いてもいいのよ、動けるものなら」
「くっ……」
「彼らを離しなさい」
ミリザは自身の杖≪氷の女王≫を少女に突きつける。
ミリザの足元から冷気がほとばしり、周囲の草が瞬く間に凍りつく。
「あなたの力量も拝見したいところだけど……やめておくわ。私は争うのは好きじゃないの」
「仕掛けておいて言う台詞?」
「試しただけよ、あなたたちが実験に相応しいか。まあ半分合格といったところね」
そう告げると、少女は空間に自身が入るほどの黒々とした穴を作り出し、自らそのなかへと入っていった。
「答えは目の前にあるわ。行って確認なさい」
穴は閉じて少女の姿も気配も完全に消え去った。
ユーリとスパーダを捕らえていた触手も姿を消していた。
「……ったく、なんなんだあいつは」
「ああ、助かったああ! 怖かったあああ!」
「怖かったじゃねえ! 死んでもミリザを守れって言っただろうが!」
「ああ、すいませんすいません! でも気づいたときにはもう動けなくて、どうしようもなかったんですよおお!」
「いいのよ、ユーリ。落ち着いて」
ミリザはユーリをなだめた。ユーリの力不足はわかっていたことだ。
それに、どうせあの少女相手ではどんな【盾】だろうとまるで通用しなかっただろう。遥か規格外の魔力に加え、失われたはずの闇の魔法までも行使するとは――
「いまは調査を続けましょう。この墓地に何があるか」
ミリザは墓地の奥に目を向けた。この先に何かしら異様な気配を感じる。
それが今回の死者騒ぎの原因であることは、もはや間違いないようであった。