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短編

平凡令嬢はモラハラ婚約者から逃れるために婚約破棄代行サービスを利用します

作者: 雨野 雫


「シャーロット・バージェス侯爵令嬢! 俺はお前との婚約を破棄する! お前にはほとほと愛想が尽きた!」


 それは、貴族学校での卒業パーティーでのこと。


 ホールに大勢の令息令嬢が集まる中で、この国の第二王子ブライアン・メイウッドの声が高らかに響き渡った。銀髪に碧眼をもつ彼は、その大層整った顔を激しく歪め、自らの婚約者をきつく睨みつけている。

 

 そして彼の隣には、大人しそうな見た目の可愛らしい少女の姿が。コレット・ブラウン男爵令嬢だ。

 小柄な彼女は、ほっそりしているが出るところは出ているという体型で、透き通るように白い肌とアイスブルーの髪が儚げな印象を与えている。


 皆からの視線に晒された彼女は、少し怯えた様子でブライアンに声をかけた。


「ブライアン殿下……ほ、本当によろしいのですか……?」

「ああ、構わない。シャーロットより君のほうがよほど王子妃に相応しい」


 そう言うブライアンは、彼女のことを愛おしそうに見つめた。美男美女の二人が並んでいると、何ともお似合いに見える。


 婚約破棄を突きつけられたシャーロットは、感情が表に出ないよう気をつけながら言葉を発した。


「ブライアン殿下。婚約破棄の件、しかと受け入れます。今までありがとうございました」


 その返答に、ブライアンは満足そうに鼻を鳴らす。


「お前の罪の数々は、コレットに免じて許してやる。せいぜい彼女に感謝するんだな。最後までお前を庇おうとしていたんだぞ」


 罪の数々とは、シャーロットがコレットをしきりに虐めていた件についてだろう。もちろん冤罪だ。というより、ただのブライアンの勘違いだ。


 コレットはシャーロットに冤罪を着せようと――してくる様子は全くなく、必死にブライアンに真実を訴えようとする。


「ですから殿下、あれは全て殿下の誤解ですと何度も……」

「お前は本当に優しいな、コレット」


 しかし、ブライアンは全くと言っていいほど聞く耳を持たない。コレットに完全に惚れ込んでいるからだ。

 彼はシャーロットとコレットが揉めている現場に出くわすたび、事情もろくに聞かずシャーロットが悪者だと決めつけていた。もちろん、他の生徒たちは全てブライアンの誤解だということを理解している。


 恋に溺れ周りが見えなくなったブライアンに、この場にいる者はみな冷ややかな目を向けているが、当の本人は気づいてすらいない。


「さあ、行こう、コレット。二人でパーティーの続きをしよう」


 ブライアンはそう言うと、コレットを連れてさっさと会場を後にした。


 その場に残されたのは、公衆の面前で見事に婚約破棄されたシャーロットと、それを取り囲む生徒たち。


 元婚約者とその想い人が去り緊張の糸が切れたシャーロットは、ブライアンの前で必死に隠していた感情をようやく吐き出した。


「うっ、ううっ……」 

 

 思わず涙が溢れ出し、その場にしゃがみ込む。するとすかさず、友人の令嬢数人がこちらに近寄ってきて、背中をさすってくれた。


「シャーロット様……」


 その場にいる令嬢も令息も、シャーロットに向ける視線はとても温かなものだった。そして、みなが穏やかな笑みを浮かべ、口を揃えてこう言った。


「「「シャーロット嬢、婚約破棄おめでとう〜!!!」」」


 その言葉と共に、会場には割れんばかりの拍手が沸き起こる。みながシャーロットの婚約破棄を祝い、中には喜びや安堵のあまり涙を浮かべている者もいた。


「あ、ありがとう……みんなぁ……!」


 そう。シャーロットの涙は決して怒りや悲しみから出たものではない。()()()()たまらずに泣いたのだ。


 シャーロットは、あのブライアン第二王子と婚約破棄できたのがそれはもう嬉しくて嬉しくて、しばらくの間ボロボロと大粒の涙を流し続けた。



***



 事の発端は三ヶ月前。


 シャーロットは過呼吸で倒れた。ブライアンに酷く叱責されたからだ。


 ブライアンは非常に優秀で、自分より出来の悪いシャーロットのことを事あるごとに責める癖があった。それも執拗に。いわゆるモラハラだ。


 シャーロットは全てが平々凡々だった。容姿も、学力も、ダンスの腕前さえ、全てが平均的。平均以上なのは、この身長くらいだ。

 もちろんブライアンに釣り合うようにと、血の滲むような努力はした。だが、結果はついてこなかった。いくら努力しようと、才能という壁を越えることはできなかったのだ。


 しかし、彼は努力不足だとシャーロットを責めた。


『これくらいのこと、どうしてお前はできないんだ』

『お前は王子妃になる自覚があるのか?』

『本当にお前は俺がいないと何にもできないダメな奴だな』


 そんなことを言われるのは日常茶飯事だった。


 そして過呼吸で倒れた日以降、シャーロットはとうとう彼の前で震えが止まらなくなってしまった。また怒られると思うと、怖くてろくに発言もできない。ビクビク怯えていると、それはそれで鬱陶しいと非難される。


 シャーロットは、このままでは自分が完全に壊れてしまうという強い危機感を抱いた。


 ブライアンとの婚約はシャーロットが生まれる前から決まっていた。理由は単純。二人の父親が親友同士で、もし息子と娘が生まれたら結婚させようと口約束をしていたからだ。だから、出来損ないのシャーロットが第二王子の婚約者なんていうおかしなことになっている。


 幼い頃からブライアンに馬鹿にされ続けてきたシャーロットは、言わずもがな彼のことが苦手だった。だから、両親には何度もこの婚約を解消したいと訴えてきた。相手にとっても利益のあるものではないから、と。しかし――。


『貴族の結婚とはそういうものだ。好き嫌いで婚約を解消できるものではない』

『あなたがもっと努力すれば、ブライアン王子もきっとあなたを見直すわ。だからもっともっと頑張りなさい』

 

 そう言われ、シャーロットの訴えを真面目に聞いてはくれなかった。



 でも、もう限界だ。



 一刻も早く彼から離れなければ、自分の心が完全に壊れてしまう。だが、ただの伯爵家の令嬢が王族との婚約を破棄できるはずもなく。

 

 学校のみんなもブライアンのモラハラ具合はよく知っていたので、シャーロットのことを心配してくれていた。しかし、相手は王族だ。言わずもがな、彼らにはどうすることもできなかった。



 過呼吸で倒れてから数日後、シャーロットは藁にも縋る思いでとある店へと赴いていた。


 そこは、王都の入り組んだ路地裏にある、小さな文具店。最近、若い令息令嬢の間でまことしやかに噂されている店だ。

 なにしろ、ある品を店主に注文すると、婚約破棄を代行してくれるという。


 店の前にたどり着くと、そこには「銀の(はさみ)」と書かれた看板があった。半信半疑で訪れたので、店が実在したことに少し驚く。だが、店があるということは、あの噂も本当である可能性が高い。


 扉の前に立ったところで、シャーロットは自分の手が震えていることに気づいた。緊張で体中すっかり冷たくなっており、心臓はうるさく音を立てている。


 本当に、婚約破棄の代行など依頼しても良いのだろうか。


 両親にたくさん迷惑がかかる?

 ――でも、彼らは助けるどころか、こちらの言葉をまともに聞いてすらくれなかった。


 王族を裏切ったと罰を受ける?

 ――でも、このままの関係を続けていては、どうせ心の死が待つのみだ。そんなの、生きているとは言えない。


(ここで動かなければ、何も変わらない……!)


 シャーロットはそう覚悟を決めて店の中に入った。


「「いらっしゃいませ、お客様」」


 出迎えてくれたのは、まだ幼い少年と少女だった。見た目が瓜二つなので、双子の兄妹だろうか。


(なんて可愛らしい子たちなのかしら……)


 随分と整った顔立ちの二人だ。まるでお人形のようで、シャーロットは思わず見惚れてしまった。


 二人とも美しいプラチナブランドの髪に、大きくてまん丸とした金色の瞳を持っている。少年の方は短いサラサラの髪で、少女の方は腰まで伸びるウェーブがかった髪。それ以外は、本当にそっくりだ。


「ただいま店主を呼んで参りますので、少々お待ち下さい」


 少年は丁寧な口調でそう言うと、店の奥へと入っていった。


 店主を待つ間、シャーロットは店内に置かれた品々を見て回った。


(これはクリストフ社の最高級万年筆……! それにこっちは隣国ディットマン社のカードケース……!? 骨董品(アンティーク)も置いてあるし……なんて素晴らしいお店なのかしら!)


 店が扱っている品は、どれもこれも一級品ばかりだ。貴族がこぞって通いそうな店なのに閑古鳥が鳴いているのは、王都とはいえこんな奥まった場所にあるからだろう。


 すると、程なくして店の奥から少年が戻ってきた。


「お待たせいたしました、お客様」


 少年に続き、フロックコートを身にまとった長い銀髪の人物が現れた。服装から一瞬男性かと思ったが、胸の膨らみから恐らく女性だろうと認識を改める。


(なんてきれいな人……)


 その女性はスラリとした長身で、見事に男性物の服を着こなしている。切れ長の淡いブルーアイにスッと伸びた鼻筋を持ち、眉はキリリとしていて中性的な顔立ちだ。

 顔のパーツ一つひとつが整っていて、それが全て完璧な調和で配置されている、といった印象だった。まるで美術館に飾られている彫刻のように美しい。こんなに綺麗な人、今までに見たことがないくらいだ。


 皮肉にもブライアンと同じ銀髪碧眼だったが、彼女の銀髪の方が何倍も艷やかで、彼女の碧眼の方が何倍も透き通っていた。


 すると、彼女はこちらを見て穏やかに微笑む。


「これはこれは、随分と可愛らしいお嬢様がいらっしゃったことだ。お初にお目にかかります。わたくしはこの店の店主、エレノアと申します」


 見た目は十代後半から二十代前半くらいに見えるが、随分と年若い店主だ。


 少し低めのよく通る声は、とても聞き心地の良いものだった。そして、その立ち居振る舞いは貴族よりも貴族らしく、その威厳や風格はまるで女王を連想させる何かがあった。ただの商人とは到底思えない。


「お客様?」


 店主エレノアに見惚れていたシャーロットは、彼女に不思議そうな顔でそう尋ねられ慌てて返事をする。


「は、はいっ! 私はバージェス侯爵家長女、シャーロットと申しますっ!」


 エレノアよりも圧倒的に下手な挨拶をしてしまったことに内心赤面していると、彼女は優しく微笑んでくれた。


「シャーロット様。本日はどのような品をお探しでしょうか?」


 そう聞かれ、シャーロットは思わずゴクリと生唾を飲んだ。


 きっと()()()()()を言えば、もう引き返すことはできない。でも、ここまで来て引き返すつもりもなかった。


 シャーロットは震える声で、店主にある物を要求する。


「は、(はさみ)は……売っていますか……?」


 噂で聞いたのは、『店主に鋏を要求すると、応接室に通される』というものだった。そして、先ほど店内を見回した時、文具店でありながら確かに(はさみ)だけが置いていなかったのだ。その時点でシャーロットは、きっとこの噂は本当なんだろうと確信していた。

 

 エレノアの返答を緊張した面持ちで身構えていると、彼女はにこりと笑ってこう言った。


「ええ、もちろん。とっておきのものがございますので、奥の応接室にどうぞ」


(本当に通された……!)


 シャーロットはこの噂を教えてくれた友人の令嬢に、心の中で深く感謝する。もう自分があの男から開放されるには、この店に頼るしかないのだ。


「マリアは店番を頼む」

「はい、お姉様」


 マリアと呼ばれた少女が可愛らしく微笑む。


「ミカエルはお客様にお茶を」

「はい、姉さま」


 ミカエルと呼ばれた少年がにこやかに返事をする。


 どうやらこの三人は家族のようだ。姉と双子の兄妹で随分と顔立ちが違うので、赤の他人かと思っていた。

 三人とも極めて美形だが、姉は美しいという形容詞がピッタリである一方、双子の兄妹は可愛らしいという言葉の方が似合っている。


 そんなことを考えながら奥の応接室に通されると、シャーロットは目を見張った。


(ソファはウォルター社の最高ランク本革のものね! あのテーブルは本チークの一枚板?! それにあちらの棚に飾られているのはパーカー社の年代物の花瓶だわ……! この部屋だけで一体いくらかかっているのかしら!)


 なかなかお目にかかれない高級品の数々に、シャーロットは目を輝かせた。忙しなく目を動かしていると、エレノアがくすりと笑ってソファに促してくれる。


「シャーロット様。どうぞおかけください」

「は、はい」


 そうしてソファに腰掛けると、シャーロットはその触り心地の良さに思わずうっとりした。さすがは最高ランクの本革だ。


 しかし、やはりこの店は普通ではないようだ。

 この応接室だけで、豪邸一軒が余裕で建つくらいのお金がかけられている。それに、貴族であっても集めるのが難しいような品々ばかりだ。


 そんなことを考えていると、少年ミカエルが紅茶を持ってきてくれた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 シャーロットはそこでまたもや目を見開く。


(この茶器……! 戦争でそのほとんどが消失したと言われているフラメル社のものじゃない!! この世で数点しか残っていないというのに、こんなところでお目にかかれるとは……)


 応接室の品々もたしかに素晴らしいが、この茶器は値がつけられるような物ではない。それこそ、美術館に展示されるレベルのものだ。


「こ、こんな高価な茶器、私が手にとってもよろしいのですか……?」

「ええ、もちろんです」


 エレノアにそう言われ、割らないよう気をつけながら恐る恐るカップを持ち上げ口に運ぶと、爽やかな香りが鼻を抜けていった。


「美味しい……! これ、あなたが?」


 思わずミカエルに尋ねると、彼はにこりと可愛らしく笑う。


「はい。お口に合いましたでしょうか?」

「ええ、とても」


 入れ方が特別上手いのだろう。茶葉の良さが最大限に引き出されている。うちのメイドが入れる紅茶よりよほど美味しいから驚きだ。


 店主のエレノアといい、双子の兄妹といい、一体この一家は何者なのか。


 そんな疑問が頭に浮かんだところで、エレノアが本題に入った。


「さて、シャーロット様のご依頼内容をお伺いしても?」

「は、はい……」


 シャーロットは全ての事情をエレノアに話した。


 誰かにこんなに洗いざらい打ち明けるのは初めてでなんだか気恥ずかしい気もしたが、彼女は終始真剣な表情でこちらの話を聞いてくれた。両親はまともに取り合ってすらくれなかったので、話を聞いてもらえただけでなんとも心が救われた気がする。


 そして、思わず弱音も出てしまう。無関係な第三者へのほうが、不思議とこういう話を気兼ねなくできるものだ。


「私はその……平々凡々な人間です。容姿も勉学も全てが平均的で。ですから、殿下が苛つかれるのも当然で、全ては私が悪いのですが……これ以上彼のおそばにいるのはつらくて……」


 その言葉を聞いたエレノアは、力強い視線をシャーロットに向けてくる。


「そんなことは決してございません、シャーロット様。どうかご自分を卑下なさらないでください」

「え……?」


 まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思わず、シャーロットは驚いて目を見開いた。


「あなたは素晴らしい審美眼を持っていらっしゃる。それは間違いなく、他者より勝っているあなたの才能です」

「審美眼……?」


 何のことを言われているのかわからず、シャーロットは首を傾げる。


 これまで、シャーロットの境遇に同情してくれた人はたくさんいたが、この平凡な自分を褒めてくれた人は初めてだった。この美しき店主は、一体何を見て素晴らしいと言ってくれたのだろう。


 すると、その疑問に答えるように、エレノアは優しく微笑みながら言葉を続ける。


「この部屋に入った時、あなたは調度品を見て目を輝かせていらっしゃいました。そして茶器をお出しした時も。普通のご令嬢は、こんなマニアックなものご存知ありませんよ」


 ああ、そんなことか、とシャーロットは少し肩を落とす。

 バージェス侯爵家は代々調度品の貿易を行っている。幼い頃から家業を手伝ってきたおかげで、少しばかり目が肥えているだけだ。


「我が家が調度品の貿易業を行っていて、それで他の方より多少詳しいだけです。確かに珍しい物や美しい品を見るのは好きですが、他の方より優れていると言われるほどのものでは……」


 シャーロットが俯きがちにそう言うと、エレノアはすかさず言葉をかけてくる。


「いえ、それだけであなたほどの目を養うことはできません」


 彼女の力強い声の響きに、シャーロットは思わず顔を上げる。


「そちらの茶器は、フラメルのシリーズの中でも生産量が限られていて、存在自体があまり知られていないものです。見た目もシンプルなので、よくダルセー社のものと間違えられるんですよ。この茶器の価値を見抜き恐る恐る手に取った方は、お客様の中ではあなたが初めてです」

「そ、そうなんですか……?」


 父に連れられたくさんの国を回り、数々の美術品や骨董品に触れてきたシャーロットにとって、茶器のブランドを見極めるなど造作もないことだった。それが特別な能力だなんて、考えたこともなかったのだ。


「それはあなたの類まれなる才能です。だからどうか、自信を持ってください」


 エレノアの言葉は力強く、本当に才能があると思わせてくれるものだった。シャーロットはたとえ嘘でも褒められたことが嬉しくて嬉しくて、思わず涙ぐみながら笑顔を浮かべる。


「ありがとう、ございます……!」


 しかし、エレノアの観察眼も素晴らしいものだ。たった数分でここまでの情報を掴むとは、本当に一体何者なのだろう。


 シャーロットがエレノアを見遣ると、彼女は優しく微笑みながら依頼の確認をしてきた。


「それでは、シャーロット様のご依頼内容は、三ヶ月後の卒業パーティーまでにブライアン殿下との婚約破棄を成立させる、ということでよろしいですね?」


 学校を卒業すれば、ブライアンと正式に結婚することが決まっている。それまでにこの婚約をなんとかしなければならないのだが、シャーロットは依頼しておきながら改めて不安な気持ちに駆られた。


「はい。よろしくお願いします。ですが、たった三ヶ月で何とかなるでしょうか……」

「全く問題ございませんよ。むしろ三ヶ月も与えてくださって、ありがとうございます」


 不安げなシャーロットに、エレノアは優しく微笑んでそう言った。その言葉がただこちらを安心させるためのものでないことは、シャーロットにもよくわかった。彼女は本当に三ヶ月でやってのけるつもりだ。


「計画を進めるに当たって、いくつかご質問をさせてください。殿下の女性の好みなどはご存知ありませんか?」


 一体なぜそんなことを聞かれるのかよくわからなかったが、シャーロットは婚約破棄のためならと真面目に考えた。


 そして、シャーロットの背が高いことに対して、ブライアンから何かに付けて嫌味を言われたのを思い出す。彼はさほど背が高くないので、二人が横に並ぶと少しバランスが悪いのだ。


「小柄な方がお好みだと思います」

「なるほど。他には?」


 あとは、もう少し痩せたらどうだと言われたこともある。ただし、胸の膨らみはそのままで。


「……ほっそりしていて、でも出るところは出ている女性がお好きかと」


 すると、その言葉を聞いた少年ミカエルが、無垢な瞳でこう言った。


「その王子様は、随分とムッツリな方なんですね」

「ブフッ」


 純粋そうなミカエルがとんでもない発言をしたのがあまりにも可笑しくて、シャーロットは思わず吹き出してしまった。そんな事、学校ではまず誰も言えない。


「こら、ミカエル。不敬だぞ」


 そう注意するエレノアも、必死に笑いを堪えている。


「僕が敬意を払うのは、この世で姉さまだけですので」


 注意された本人は、スンと澄ました顔でそう返した。すると、エレノアがひとつ咳払いをしてから話を戻す。


「失礼。話が逸れましたね。では他にもいくつかお尋ねします」


 それからシャーロットは聞かれた質問に淡々と答えていった。質問の内容はブライアンの性格や女性の好み、趣味や特技といった、何に役立つかよくわからないものばかりだった。


 質問が一通り終わった後、シャーロットは流石に少し不安になり思わずエレノアに尋ねた。


「どうやって三ヶ月で婚約破棄まで持っていくのですか……?」

「学校に潜入し、殿下を籠絡させてみせましょう」

「潜入!?」


 シャーロットの通う貴族学校は、教師にしろ生徒にしろ厳正なる審査を通った者しか足を踏み入れることができない。王族も通う学校なので当然と言えば当然なのだが、そんな場所に一体どうやって潜入するというのだろうか。


 すると、こちらの疑問を察したように、エレノアがニコリと口を開く。


「各方面に、少々伝手がございまして」

「ブラウン男爵家ですか?」


 そう尋ねたのはミカエルだ。


 ブラウン男爵家の名は聞いたことはあるが、そんなに権力のある家ではなかったはずだ。学校に潜入できるほどの力を持っているとは到底思えない。


 すると、エレノアがニヤリと不敵な笑みを浮かべてミカエルに答えた。


「そうだ。あの夫妻には大きな貸しがある。娘の名前くらい、()()()貸してくれるだろう。それに、あそこの娘は引きこもりだからちょうどいい」


(絶対に脅すつもりだ……)


 そう思ったが、触らぬ神に祟りなし、だ。シャーロットは沈黙を選択することにした。


 今の発言からすると、エレノアはブラウン男爵家の娘として潜入するつもりらしい。名前だけ借りたところで潜入などできないだろうと思ったが、その方法は聞かないでおいた。きっと知らないほうが身のためだ。


 この一家からはただならぬ雰囲気を感じていたが、もしかしたら裏社会の人間なのかもしれない。

 そんな恐ろしい考えが脳裏によぎった時、エレノアがミカエルに指示を出した。


「ミカエルはいつも通り、マリアと共に殿下に関する情報を可能な限り集めてくれ。私は潜入のための準備をする」

「はい。姉さま」


(情報収集……!? こんな小さい子が!?)


 双子の兄妹はせいぜい九歳か十歳くらいにしか見えなかった。そんな子達が情報収集など果たしてできるのだろうか。しかも、よりにもよって王族の。

 だが、『いつも通り』と言っていたので、恐らく手慣れているのだろう。本当に底が知れない一家だ。


 シャーロットが呆気にとられていると、エレノアが真剣な表情で話し始める。


「シャーロット様。わたくしはコレット・ブラウン男爵令嬢として学校に潜入し、ブライアン殿下を籠絡します。その際、シャーロット様がブライアン殿下に嫌われるよう動きますが、あなたに実害が出ることは絶対にいたしませんので、その点はご安心ください」


 本当にそんなことができればありがたい限りなのだが、シャーロットは不安でいっぱいだ。


「王族相手だと、万が一バレた時にまずいのでは……? 最悪、極刑なんてことも……」


 恐る恐る尋ねると、エレノアは穏やかに微笑む。

 

「ご安心を。そんなヘマは絶対にいたしませんので」


 その言葉は力強く、絶対に大丈夫と思わせてくれる何かがあった。この人たちは、自分の人生を賭けるに値する。そう思わせてくれる心強さがあった。


「ありがとうございます。よろしくお願いします。あの、代金なのですが……」


 シャーロットはそこでまたもや不安になる。騙す相手は王族。代金もかなりの額になるのではないだろうか。


 シャーロットも侯爵家の娘とはいえ、自由にできるお金はそれほど多くない。これまでに貯めてきたお小遣いや装飾品を売ったお金を足し合わせても、果たして払いきれるかわからない。


「これが、私が今ご用意できる最大限の額です」


 緊張した面持ちで小切手を差し出すと、エレノアは優しく微笑む。

 

「わたくし共は、成功報酬を基本としております。念の為、一部前金はいただきますが、万が一失敗した場合は返金いたしますので」


 そう言って彼女は、なんと小切手のゼロを二つほど二重線で消したのだ。


「え……?」

「前金はこれだけで結構です。報酬は前金の十倍の額でいかがでしょうか」

「そ、それだけでよろしいのですか……?!」


 シャーロットは思わず声を上げた。

 仕事に対して報酬が少なすぎる。これでは彼女たちは完全に赤字だ。


 驚いて目を見開くシャーロットに、エレノアは微笑みかけた。


「わたくし共は、金儲けのためにこうしたことをしているわけではないのですよ」



***



 依頼をした日から一週間ほどが経った頃。目に見えた変化が訪れた。


「ブラウン男爵令嬢を知っているか?」


 学校の食堂で共に昼食を取っていたブライアンから、唐突にそう聞かれたのだ。


「い、いいえ」


 動揺が顔に出ないよう慎重にそう答えると、彼は目を輝かせながらこう言った。


「彼女は素晴らしい女性でな。これまで病気がちでほとんど学校に来られなかったそうなんだが、ようやく病状が落ち着いたらしい。とても聡明な方で、今までの勉学の遅れを取り戻そうと頻繁に図書室に通っているという努力家でもある。君も見習うといい」


 ブライアンは基本、人を褒めない。自身のプライドもあるのだろうが、それ以上に本人が優秀なのだ。そんな彼に、それもたった一週間足らずでここまで言わしめるとは、やはりエレノアは只者ではない。それ以前に、たった数日でこの学校に潜入できること自体が凄すぎる。


 次の日。シャーロットは実物のコレット・ブラウン男爵令嬢を見てまたもや驚かされた。

 エレノアは女性の中では長身な部類だったが、彼女が扮するコレットはかなりの小柄だったのだ。身長を高く見せるならまだしも、どうやって低くしたのだろう。


 それに、顔立ちも全く異なる。エレノアは美人顔だったが、コレットは可愛らしくなんとも庇護欲を掻き立てるような顔立ちをしていた。おまけに、ブライアン好みの「ほっそりしているが出るところは出ている」という体型だ。透き通るように白い肌とアイスブルーの髪が、儚げな印象を与えている。


 シャーロットの隣にいたブライアンは、見事にコレットに見惚れていた。本当に、面白いくらいに。



 その後、コレット・ブラウン男爵令嬢の名は、瞬く間に校内に広がった。第二王子であるブライアンと頻繁に一緒にいるからだ。


 もちろん、この学校にコレット・ブラウンという名の生徒は本来存在しない。そのため、教師も生徒も初めは一体誰なんだと首を傾げた。そんな生徒、本当にいたか? と。


 いくら病弱で学校に来ていなかったからと言って、教師陣が知らないのはおかしい。そんな怪しげな人物があろうことか第二王子と親しくなっているのはもっとまずい。そう思った校長が王城関係者とともに徹底的に彼女のことを調べ上げたのだが、結局何もおかしな点は見つからなかった。

 ブラウン男爵家にコレットという娘は確かに存在し、学校の在籍記録にも確かにコレットの名前があったのだ。


「彼女が一年生の頃からずっと僕が担任だったんですから、間違いありませんよ。病気で学校に来れなかっただけなのに忘れるなんて、皆さん酷いですね」


 とある教師が職員室でそう発言すると、誰もが『いや、そんな人物いなかっただろう』などとは口が裂けても言えなくなった。本当に忘れられていたならコレットがあまりにも可哀想だし、生徒の存在を忘れるなど誇り高き貴族学校の教師として失格だからだ。

 人から酷いと責められると人間不思議なもので、身に覚えが無くともなんとなく悪いことをした気分になるものだ。




 後日。ブライアンがコレットと頻繁に一緒にいるようになって、しばらく経った頃。


 シャーロットは廊下を一人で歩いていたところ、コレットに扮するエレノアに出くわした。依頼したあの日以来エレノアからの接触はなかったので、少しドキリとする。


「あと十秒後に殿下が来ます。そしたら、『殿下と随分仲がよろしいのね』と仰ってください」


 エレノアに耳元でそうささやかれ、シャーロットは思わず身構えた。上手く演技できるか心配だが、あれこれ考えている時間はない。他に人影がないのが幸いだ。


 すると、本当に十秒後きっかりにブライアンが姿を現した。


「でっ、殿下と随分仲がよろしいのね」


 少し声が裏返ってしまったが、及第点だろう。コレットの背後からブライアンが近づくなか、彼女はこちらに向けて頭を下げてくる。


「申し訳ございません、シャーロット様。しかし、誤解されるようなことは何も」


 エレノア本来の少し低めの声とは全く違う、小鳥のさえずりのような可愛らしい声だった。声も変幻自在なのかと驚いたが、ここで表情を崩すわけにはいかず、心の中だけに留める。


「何を揉めている」


 険しい顔のブライアンがシャーロットを睨みつけてきた。久しぶりの彼からの叱責に、また体が震えだしそうになる。すると、すかさずコレットが弁明した。


「違います、殿下。シャーロット様とはただお話をしていただけで」

「そんな雰囲気には見えなかったが」


 ブライアンはそう言うと、まるでコレットを守るようにずいっと彼女の前に出た。


「シャーロット。コレットは病状が落ち着き、ようやく学校に通えるようになったんだ。そんな彼女に俺は学校や勉強のことを教えているだけだ。それなのに、俺が少し彼女と一緒にいるくらいで嫉妬するとは、心が狭すぎやしないか」


(何言ってるんだろう、この人)


 今までの自分なら怯えて震えだすところだが、シャーロットは意外にもそんなことを思ってしまった。

 この人は、他の生徒たちがなんと噂しているのか知らないのだろうか。


『殿下はよりにもよって卒業間近のこのタイミングで他の女に懸想した阿呆』


 ブライアンは隠しているのかもしれないが、周りから見ればコレットに惚れ込んでいるのがバレバレだ。それなのに「学校や勉強のことを教えているだけ」だなんて言い訳、可笑しくて仕方がない。


 そして、皆はこうも噂している。


『対してコレット嬢は好きでもない相手に言い寄られて可哀想。でも断れる立場じゃないのがもっと可哀想』


 コレットが頻繁にブライアンと一緒にいるのは、彼女が付きまとっているからではない。ブライアンに付きまとわれているからだ。ブライアンといるときの彼女はいつも困り顔なのだが、当の本人はそれに気づいていない。周りから見ればこれも明らかなのだが。


 それもこれも全てコレット――いや、エレノアの演技の上に成り立っているのだから、いやはや恐ろしい。ブライアンは、もはや彼女の手のひらの上だ。


「行こう。コレット」


 ブライアンが優しくコレットに微笑みかけると、彼女はやはり困り顔で彼の後を付いていく。そうして二人の背中を見送りながら、シャーロットはこう思う。


(私は一体あの人の何を恐れていたのかしら……)


 一人で勘違いしているブライアンを見ていると、今まで恐ろしくて仕方なかったこの人物が、なんだか随分と間抜けに思えてくるのだ。この一件で、シャーロットの心は随分と軽くなったのだった。



 それ以降、ブライアンと一緒にいる時間が極端に減っていった。彼のことが苦手なシャーロットにとっては、それだけで依頼した価値があるというものだ。


 この学校では基本的に婚約者同士で昼食を取るのだが、コレットにご執心のブライアンは毎日のように彼女と食事を取っている。シャーロットは始めこそ一人で食べていたが、見かねた友人たちが自分の婚約者を連れて一緒に過ごしてくれるようになった。


「全く、殿下は何を考えておられるのやら……。まあ、シャーロット嬢が殿下と距離を置けたのは喜ばしいことですが」

「このまま婚約破棄の流れになったら良いですわね。ですがその場合、コレット様がお可哀想ですけれど……」

「随分と愛されておいでなのですから、きっと酷い扱いにはなりませんわよ。それよりも、このところシャーロット様の笑顔が増えて、わたくしはとても嬉しいですわ」


 友人たちは、シャーロットがようやくブライアンと離れられたことに大層喜んでいた。ブライアンのモラハラは学校内に知れ渡っているので、昔から皆がシャーロットのことを心配してくれていたのだ。皆を騙しているようで少し申し訳ない気もするが、今は彼らの優しさを素直に受け取ることにする。


 ブライアンと離れ友人たちと過ごす日々は、間違いなく今までで一番楽しく心穏やかな時間だった。


 そしてそんな中、シャーロットは友人の紹介でひとりの令息と出会い、意気投合した。美術品の貿易業に強いラスウェル侯爵家の令息だ。

 美術品や骨董品に目がないシャーロットは、昼食のたびに彼とその手の話題で盛り上がった。どうやら彼はまだ婚約者が決まっていないらしく、優しくて顔も整っているのに勿体ないと周りの友人たちが(はや)し立てていた。


 その後もエレノアが暗躍し続け、次第にシャーロットの罪――というより、ブライアンの勘違いが増えていった。どうやらブライアンだけが「シャーロットが嫉妬のあまりコレットを虐めている」と勘違いしているらしい。

 このまま自分が悪役に仕立て上げられでもしたらどうしようと不安に思うこともあったが、エレノアが『実害が出ることは絶対にしない』と言っていたので、シャーロットはその言葉を信じた。




 そしてとうとう、決定的な事件が起きた。


 シャーロットが教材を抱え、階段を登っていた時のことだ。

 踊り場でコレットとすれ違いざまに、こちらにしか聞こえない声でこう言われたのだ。


「今から階段を転げ落ちますが、ご心配なきよう」

「へっ?」


 シャーロットが振り返ったときには、既にコレットは宙を舞っているところだった。彼女はそのまま階段をゴロゴロと転がり落ちていく。そして、一瞬の静寂の後、周囲にいた生徒たちが一斉に悲鳴を上げた。


「きゃあー!!」

「コレット嬢、大丈夫ですか?!」

「先生を呼んできて!」


 生徒たちが口々に叫ぶ中、倒れていたコレットがむくりと起き上がる。


「だ、大丈夫です。怪我はありませんので」


 盛大に階段から落ちたのにそれは嘘だろうと皆驚いた顔をしていたが、シャーロットにだけはそれが嘘でないことがわかっていた。シャーロットの位置からしか見えなかったが、彼女は見事な受け身を取っていたのだ。


 すると、ブライアンが顔を青くしながらコレットの方に駆け寄ってくる。どうやら騒ぎを聞きつけてきたらしい。


「コレット!! 大丈夫か?!」

「はい、殿下。怪我はしておりませんので、ご心配なさらないでください」


 力なく笑うコレットを見て、ブライアンは悲痛な表情を浮かべる。

 そして彼は、踊り場にいるシャーロットを見上げながら怒りをぶちまけた。


「シャーロット!! お前、よくもコレットを突き飛ばしたな!! 殺すつもりか?!」


 その言葉に、周りの生徒たちは慌ててシャーロットを擁護する。


「違いますよ、殿下! コレット嬢が勝手につまずかれただけで……!」

「そうです、殿下! わたくしも見ていましたわ!!」

「そもそもシャーロット様は両手に荷物を抱えているのに、どうやって突き飛ばすと言うんですの?!」


 しかし、いくら生徒たちが説明しても、ブライアンは一向に耳を貸さなかった。コレットも自分が勝手に落ちただけだと懸命に訴えていたが、彼は「シャーロットを悪者にしないよう庇うなんて、コレットはなんと優しく慈悲深いんだ」と都合よく解釈していた。



 この一件で、ブライアンは完全にシャーロットを見放し、一段とコレットに入れ込むようになった。

 一方で、教師や生徒たちには「ブライアンは恋に溺れ正しい判断ができなくなった」という印象を植え付けた。


 エレノアは、本当にブライアンを――いや、学校中の人間を騙し、籠絡してみせたのだ。



***



 そして、話は冒頭に戻る。


 シャーロットは見事に婚約破棄され、ブライアンから無事解放された。

 

 エレノアや双子の兄妹たちには感謝してもしきれない。三ヶ月前のあの日、勇気を出して店を訪れて本当に良かったと心から思う。


 ホールでしゃがみ込み嬉し涙を流していたシャーロットは、ひとしきり泣いた後、ようやく泣き止んで立ち上がった。


 これまでのシャーロットの苦労をよくよく理解していた生徒たちは、今回の婚約破棄を心から喜んでくれていた。


 一方で、ブライアンに勝手に惚れられ巻き込まれたコレットには、みな同情の念を抱いていた。しかし、シャーロットと比べて随分と愛されているので、ひどい扱いを受けることはないだろうというのが共通認識だった。

 このまま結婚を迫られたらエレノアはどうするんだろうとシャーロットも心配になったが、彼女のことだからきっと策があるのだろう。代金を支払いに行くときにでも聞いてみよう。


 そんなことを考えていると、こちらに近づく一人の男子生徒の姿があった。友人の紹介で意気投合したラスウェル侯爵令息だ。


「シャーロット嬢。もし、もしよければなんだけど……」


 彼は照れながらシャーロットにそう話しかけると、徐に跪いてこちらの手を取った。


「僕と結婚してくれないかな」

「ええっ!?」


 まさかの展開に、シャーロットだけでなく周りの生徒たちも驚きの声を上げている。


「君と美術品の話をするのがとても楽しくて、いつの間にか君に惚れていたんだ。どうかな……?」


 彼の申し出は、願ってもないほどありがたい話だった。

 こちらに全く非がないとはいえ、シャーロットは王族から婚約破棄された身だ。その上、これといった良いところも持ち合わせていない。今からの婚約者探しは相当難航するだろうから、最悪一生独身でもいいとすら思っていたのだ。


 だが、この優しくて顔立ちも整っている青年が、何を好き好んで自分なんかに求婚するのか、シャーロットにはこれっぽっちも理解できなかった。


「こんな、平々凡々の私でよろしいのですか……?」


 シャーロットが半ば呆気にとられながら尋ねると、彼はその言葉をすぐさま否定した。

 

「平凡だなんてとんでもない! 君の審美眼は素晴らしいものだよ」


(審美眼……エレノア様にも言われたことだわ……)


 二人からそう言われると、流石に自分にも才能があるのではと思えてきた。王子妃としては役に立たないであろう自分の能力が、花開く場所があるかもしれない。そう思うと、その手を取らない理由はなかった。


「私でよければぜひ! よろしくお願いいたします!」

「ありがとう、絶対に幸せにするよ! 一緒に沢山の美術品を見に行こう!!」


 ラスウェル侯爵家は美術品の貿易業を行っている。それに携われたら、どんなに幸せだろう。シャーロットは彼と一緒になる未来を想像し、期待に胸を躍らせた。


「おめでとうございます! シャーロット様!!」

「なんてめでたい日なんだ! さあ、パーティーを楽しもう!!」


 大勢の生徒たちから祝福されたシャーロットは、満ち足りた気持ちで卒業パーティーを過ごしたのだった。



***



 後日、シャーロットは代金を支払いに、再び例の店へと赴いていた。


「この度は、本当にありがとうございました」


 応接室で店主エレノアに深々と礼をすると、彼女は優しく微笑んだ。


「いえ。我々は依頼された仕事をこなしたまでです」


 店主としての姿を見るのは依頼した日以来だったが、やはり彼女はとてつもなく美人だ。中性的なその顔は、女のシャーロットでも見惚れて頬を赤くしてしまうほど。声も少し低めでかっこいい。


 そんな彼女が、可愛らしいコレットと同一人物だとは未だに信じられない。学校中を騙した彼女の変装能力は、相当すごいものだったのだと改めて感心した。


 そしてシャーロットは、一枚の小切手を差し出す。


「こちら、指定された代金なのですが……本当にこんな額でよろしいのですか……?」


 エレノアたちの仕事は完璧すぎた。それに対してやはりこの額は少なすぎる。ゼロを二つ足してもいいくらいだ。それを今すぐ払えるのかと言われれば難しいのだが。


「ええ。シャーロット様がお持ちの資産は、前途有望なあなた自身のためにお使いください」


 そう言えば彼女は、『金儲けのためにこうしたことをしているのではない』と言っていた。だとすれば、一体何のために婚約破棄の代行など請け負っているのだろう。金持ちの道楽だろうか。


 シャーロットがそんなことを考えていると、エレノアがニコリと笑って唐突にこう言ってきた。


「ラスウェル侯爵家の御子息と、どうかお幸せに」

「ごっ、ご存知だったのですね」


 シャーロットが恥ずかしさに顔を赤くしていると、彼女はその様子を見てまた微笑んでいた。


 そして、不意に真剣な表情になると、彼女はスラリと伸びる人差し指を自らの唇の前に立てた。その仕草も何とも色っぽい。

 

「シャーロット様。お分かりかと思いますが、どうか今回の件は誰にも他言なさいませんよう。たとえ愛しき人であってもです。あなたに危険が及びますので」

「はい。それはもちろんです」


 もし王家にバレたらただでは済まない。シャーロットはこの件を誰にも明かさず墓場まで持っていくつもりだった。しかし、ひとつ気がかりな点がある。


「エレノア様は、これからどうなさるのですか? まさか、このまま本当に殿下とご結婚を……?」


 シャーロットが心配そうに尋ねると、彼女は思いっきり苦笑を漏らした。


「まさか。ちゃんと策は考えてありますので、ご心配なく」


 その答えに安堵する。彼女のことだから、本当に上手くやってのけるのだろう。一体どうやって事を収めるのかはわからないが、そのうち噂で流れてくるはずだ。


「この度は、当店をご利用いただき誠にありがとうございました」

「「ありがとうございました」」


 シャーロットはエレノアと双子の兄妹に見送られ、店を後にしたのだった。



***



 ブライアンが結婚したという知らせを聞いたのは、卒業後程なくしてのことだった。もちろん、コレットではなく別のご令嬢とだ。

 その令嬢は公爵家の一人娘で、ブライアンに負けず劣らず優秀な才女らしい。そのため、ブライアンと彼女は良きパートナーとして共に切磋琢磨しているという。実はその令嬢も昨年に婚約破棄していたという噂を聞いたのは、もう少し後になってからのことだった。


 その後、シャーロットは無事ラスウェル侯爵令息と結婚した。そして、家督を継いだ彼を手伝いながら、シャーロットはその審美眼でメキメキと頭角を現していったのだ。

 これは後から知った話なのだが、父親がシャーロットを調度品の買付に連れ回していたのは、娘の目利きが確かなものだったかららしい。



 そんなある日、シャーロットは夫と共に王都で買い物をしていた。そしてふと思い立ち、例の店へ立ち寄ってみることにした。あの店には素晴らしい品々が並べられているので、きっと夫も喜ぶと思ったのだ。


 しかし、そこには既に店の看板は無く、ただの空き店舗になっていた。隣の店の店主に話を聞いたところ、つい最近、とびきり美しい男装の麗人と、とびきり可愛らしい双子の兄妹がこの国を後にしたのだという。





 とある国の、とある街。

 入り組んだ路地裏にある、小さな文具店。

 近頃、若い令息令嬢の間でまことしやかに噂されている店だ。


 なにしろ、ある品を店主に注文すると、婚約破棄を代行してくれるという。


 そこに、今日も一人のお客がやってくる。そしてその店には、フロックコートを身にまとった美しき女店主と、可愛らしい双子の兄妹の姿が。


「いらっしゃいませ、お客様。本日はどのような品をお探しでしょうか?」




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