守護霊派遣会社
せっかく書いたのだから何か応募してみようと思ったのがきっかけです。
「佐上亮太、事故死」
上には澄み渡る青い空。下にはふかふかな白い雲。
「お前は成仏する為に必要である<自分>をもっていない」
男とも女ともつかない声がどこからともなく降り注ぐ。
「よって、《守護霊派遣会社》で勤めを果たすことを命じる」
俺は馬鹿みたいに口を開けて、突っ立っていることしか出来なかった。唯一出来ることといえば、どうしてこうなったのか記憶をたどることくらいだった。
10分前。
「はあ…」
俺の大きなため息の原因は、右手に持つ進路希望調査の紙にある。高3としての最初の登校日、最高学年になった喜びに浸る間もなく大学や受験についてウンザリするほど聞かされたのだ。
今、歩いているこの通学路もこの4月から3年目の付き合いになる。本来なら今頃は進路も夢もあらかた決まっており、目標に向かって前進するのみ──のはずだったのだが……何を隠そう佐上亮太こと俺、夢も意思も何ももっていないのである。
昔から「自由」という言葉が苦手で、何か指示がないと動くことができない自分も、とうとう高校3年生になってしまった。高校受験は周りの友人に合わせた為なんとかなったが、将来につながる大学はそうもいかない。しかしなりたいものもなければ叶えたい夢もないのが、今の俺の現状なのだ。
「……だめだ、思い出したらへこんできた。」
2度目のため息が漏れたとき、ドンッと凄まじい音が鳴る。それと同時に体に衝撃が走り、音の出処は自分だと遅れて知る。大型トラックに突っ込まれたのかというほどの大きな衝撃だったが、どうやら本当に突っ込まれたらしい。
指1本も動かせない激痛と、血で霞む視界が死を告げていた。
(痛みを感じない……本当に死ぬのか、俺は。)
急激に襲ってきた眠気に抗う間もなく、記憶が途絶えた。
そして次に目を覚ました時には、文字通り雲の上だったというわけだ。
「本当にあの世って存在したんだな」という純粋な感動と、「流石に夢だろう」という半信半疑の面持ちで目の前に立ちはだかった立派なビルを見上げる。ちなみに、ここの地面はふかふかな白い雲ではなく、固いコンクリートだ。しかし生きていた頃の世界──所謂下界では無いことはわかる。
「というわけで、今日からここが君の職場で、寝床です。ヨロシクね、亮太くん」
そう言って俺の肩を叩いたのは、俺の教育係だという天使先輩。判決が下されても雲の上でずっと呆けている俺を引っ張ってきた張本人だ。名前の通り背中に生えている立派な白い翼を除けば、アイドルのような服を着ているただの女子中学生にしか見えない。本人曰く俺よりずっと歳上らしいが……。
ビルに入ると中は意外に洋風で、テレビでよく見るような職場の風景ではなかった。パソコンも無いし、コピー機もない。会社というよりはホテルという言葉がピッタリだろう。エントランスを抜けて長い廊下を進んだ先にある角部屋が俺の部屋らしい。
「ちょうど前の人が成仏したのよ。運がいいわね、角部屋貰えるなんて」
天使先輩は肩まであるツインテールを揺らしてこちらを振り返る。しかし俺は間抜けな顔で周りを見渡していたところで、反応に遅れてしまった。
「……ちょっと、何か言いなさいよ。私ばっかり喋ってるじゃない」
「え?あ、いや……まだ、頭の整理がつかなくて」
天使という名前とは違い、どこか猫を彷彿とさせるつり上がった目で睨まれ、思わず肩が跳ねてしまう。呆れてため息を零しながらも、天使先輩はドアノブを捻って部屋を開けてくれた。
部屋の中はシンプルで、ベッドと小さいキッチン、備え付けの何も入っていない本棚があるだけだった。
「……アンタ、本当に何もないのね?そりゃここに飛ばされるわ」
本棚を見た天使先輩の表情が曇り、呟いた。突然の言葉にまたもや反応できず、天使先輩を見つめた俺は目線で説明を要求する。
「……あのね、この本棚は持ち主がどれだけ<自分>を持っているかを測る定規なの。貴方の心と同機していると思っていいわ。<自分>を持つほど、本が勝手に増えていく……」
つまり、何も入っていないということは<自分>を持っていないということか。
「そういえば、雲の上で俺は<自分>をもっていないから成仏出来ないって言われたな……」
「そう。<自分>を持つ霊だけが成仏して、その先の転生へ進めるの。<自分>をもたない生き物は死にやすいからね」
未だにあの世のシステムが理解できない俺は、新たに出てきた言葉に首を傾げる。<自分>をもっていないことと、この《守護霊派遣会社》で働くことになんの関係があるのか。
俺の疑問を察したのか、天使先輩はベッドに腰掛けて話し始めた。
「成仏するための条件は<自分>をもつこと。そして自分を持たない霊は、この《守護霊派遣会社》で成仏ポイントを貯めるのよ。成仏ポイントが貯まれば、<自分>をもってなくても成仏できる」
「成仏ポイント?」
天使先輩は頷く。
「人間を守護する内に貯まるポイントのこと。私たち守護霊はそれが仕事だからね」
今度は俺が頷いた。成程。話を聞くに、どうやら守護する人間は候補の中から自分で選ぶようだ。また、守護対象の難易度が高いほど貰える成仏ポイントは高くなるらしい。俺にとって<自分>をもつことより成仏ポイントを貯める方が格段楽に思えた。
「守護する期間は3ヶ月。その間は何があっても絶対に守護対象を護り通さなければならないの」
猫目を伏せる先輩に、思わず続きを催促する。
「……もし失敗して、守護対象を死なせてしまったら?」
「…永久追放よ」
背中に嫌な汗が伝った。守護対象を死なせてしまえば、この会社から追放され、成仏出来ることなく永遠にあの世を彷徨う。挙句の果てには地獄に落ちることもあるらしい。そういう出来事が実際にあったのか、悲しそうに顔を伏せ天使先輩は説明した。
部屋に満ちた重い空気を破ろうと、俺は先程から抱いていた疑問を口にした。
「じゃあ、俺が死んだってことは、俺を護っていた守護霊は失敗したってことですか?」
「いいえ?死んだのはアンタには守護霊がついてなかったからよ?」
てっきり自分も守護霊に護られていたと思っていた俺は、ぱちくりとまばたきを繰り返す。
「守護霊にも限りがあるの。世界中の人間を護ることなんて出来るわけないじゃない」
天使先輩は呆れたように肩をすくめる。どうやら守護対象には条件があるらしい。説明するついでにと、部屋を出て食堂らしき広間に移動した。
「ここに守護対象の候補が書いてあるから、自分で選ぶのよ」
壁に貼られたいくつかの紙を指さして説明が再開された。紙には名前、年齢、容姿、そして守護する難易度が書かれている。
「基本的に守護される人間は死にやすい運命にあるの。ほら、よく死にかけるのに助かる人っているでしょう?アレは守護霊がついているからよ」
逆にいえば、俺のような偶然起きた交通事故で死ぬ人間は対象外だったということだ。
「たまに、前世で善行を積みすぎて守護霊がつく人もいるけれど……これは本当に稀ね。例外だと思っていいわ。それより、せっかくだから亮太くんの最初の守護対象を選んじゃいましょう」
そういうと天使先輩は数枚の紙をはがして近くの椅子に座った。俺もならって隣の椅子に腰かける。
「デビューはやっぱり簡単で楽な仕事がいいわね。何か希望とかある?」
「希望?……いえ、特には……先輩に選んでもらいたいです」
小さな声と首を横に振る俺に、天使先輩は盛大にため息をついた。
「そんなんじゃ、成仏できるのはまだまだ先ね。……でもまぁ、最初は私が選んであげてもいいわ」
ぴらりと渡された紙は難易度の低い守護対象。
「いつ行く?夜なら私もあいてるから、案内できるけど。」
正直どちらでも良かったが、天使先輩は夜からの方が良さそうだったため夜に行きたい旨を伝えた。
空が真っ暗に染まった頃、天使先輩を先頭に階段を下るようにして下界に降りた。
「じゃ、ここから先は亮太くん1人よ。3ヶ月間がんばってね」
また何かあればいつでも会社に帰ってきていいから。と言い残して天使先輩は来た道を戻る。
当たり前だが、周りに見覚えのある景色はない。心細い気持ちを振り切るように首を振って今回の守護対象を探し始めた。
しかし見える範囲にはいないようで、あらかじめもらっていた地図を片手にふわふわと地面から5センチほど浮いて移動を始める。道行く人々には俺が見えないらしい。物もすり抜けてしまうため人間にぶつかることもない。天使先輩から話は聞いていたが、どこの学校かも分からない制服を着た男子高校生が若干浮いていても、誰もこちらを見ない。ちなみになぜ制服なのかというと、死んだときに着ていた服が《守護霊派遣会社》での社員服になるからだそうだ。
「また家の鍵落としちゃった……本当私って不運…はああ、まだ夜は冷えるのにぃ~!」
月明かりと蛍光灯に照らされた公園のブランコに座る女の子が嘆くように叫んだ。どうしたのだろうと気になって近づいた俺は、あっ!と声をあげる。
「今回の守護対象の……そうそう、あかりさんだ」
ブレザーの内ポケットからあかりさんの情報が書かれた紙を取り出して容姿を確認する。
あかりさんはこの春から高校生になった15歳。肩までの髪は外にはね、常に下がっている眉はどこか小動物を感じさせた。
「どうしよう、まだお母さん帰ってこないよ…」
どうやらあかりさんは家の鍵をどこかに落としてしまったらしい。途方に暮れるあかりさんの下がり気味な眉が更に下がる。
いくら日本の治安が良いとはいえ、暗い夜にセーラー服を着た女子高生が1人でいるのは危険だ。天使先輩のアドバイスどおり、あかりさんの近くに立って(正確には5センチ浮いているが)辺りを警戒する。
すると脅威は上からやってきた。
ぺちょりとあかりさんの頭の上に落ちてきたのは鳥の糞。思わず俺も自分の頭を抑えて顔を顰めた。対するあかりさんは死んだ魚のような目つきになり、慣れた動作でポケットティッシュを取って頭を丁寧に拭く。…もしかして、本当に鳥の糞を落とされることに慣れているのかもしれない。
「まさか、死にやすい人間はものすごい不運人間ってことなのか?」
俺は守護霊に護られる条件を思い出してあかりを気の毒に思った。こんな不運な人生を生きるくらいなら、守護霊がついていない方が何倍もいいだろう。
それはそうと、先ほどからあかりさんが探しているであろう鍵がブランコの下に落ちているのだが、本人は気付きそうにない。俺は少し考えて、鍵をあかりさんのポケットに忍ばせることにした。過去に“夜道を歩いていた守護対象が襲われた”事例がある。と天使先輩に聞かされていたからだ。
実体がなく、物をつかめない守護霊には人間を護るための力が与えられる。
念じるだけで物を動かす能力、いわゆるポルターガイストだ。教えられた通り、鍵を指さして動けと念じる。鍵は音もなく空中を移動してあかりさんのポケットの中に入った。
「……ふう。良かった、バレなかった」
会社には、守護霊がついていることを人間に知られてはいけないというルールがある。なぜかは分からないが、曰くあの世は複雑らしい。天使先輩が言いにくそうにしていたので深くは追求しなかった。
「あれ!?鍵がある!さっき探した時はなかったのに」
あかりさんがポケットにある鍵に気付いたようだ。相変わらず眉は下がっているが、声は嬉しそうに弾んでいる。
勢いよく立ち上がって家まで走り出したあかりさんを追いかけながら肌寒さを感じないことに、自分はもう人間じゃない事実を突きつけられた気がした。
「ただいまーーー!おかえりーーー、私!」
元気よく一軒家のドアを開けるあかりさんとは反対に、俺はげっそりとドアをすり抜けた。
俺は不運少女をなめていたんだ。まさか、まさか5分の帰り道の間に早速死にかけるだなんて。
「また今日も轢かれかけちゃった。でも怪我しなかったから、不運なのか幸運なのかわかんないなぁ」
手を洗いながら呟くあかりさんに、届かないと分かっていても思わず言い返してしまう。
「無傷なのは俺が助けたからだよ、俺がいなければどうなっていたか……」
公園を出てすぐ居眠り運転の車が突っ込んできた時はポルターガイストでハンドルをきって窮地を逃れた。不自然に車が避けることになってしまったが、幸いにも暗くて周りに人がいなかったため、守護霊の存在は知られていないだろう。
初日からこの調子では先が思いやられる。長い長い3ヶ月の幕明けに、大きなため息をついた。
それから1週間、1ヶ月、2ヶ月と何事もなく過ぎ去った。いや、正確には毎日何かしらあったのだが、もはや日常と化している。
1日に3回は鳥に糞を落とされ、楽しみにしているイベントごとは全て雨。直感で解いたテストは全問不正解、エトセトラエトセトラ……。初日のような事故も何度かあったが、そのたびにポルターガイストを駆使してなんとか護った。
俺としては本当に難易度が低い仕事なのかと疑いたくなる。一瞬でも離れたらあかりさんを護れないような気がして、一度も会社に戻っていない。とんだブラック企業だ。
そして今日は待ちに待った守護最終日。あともう少しで天使先輩が迎えに来るだろう。
「久しぶり、亮太くん。ちゃんと守護し終えたみたいね」
噂をすればなんとやら、あかりさんの部屋の壁をすり抜けて天使先輩が姿を現した。
「一度も会社に帰ってこなかったけれど、順調だったのかしら?」
意外そうな顔をする天使先輩に苦笑する。
「天使先輩に言われた通り、傍を離れないで護っていたんです」
守護対象を怪我させなかったし、周りの人間にも守護霊の存在を気づかれていない自信がある俺は少しだけ得意げに報告した。
しかし、天使先輩の表情は晴れなかった。猫目を俺に向け、じっと見つめる。
突然の重い空気の中、天使先輩は口を開いた。
「君の意思はないの?」
「えっ?」
「私に言われた通りにするだけじゃ<自分>をもつ道のりは険しいわよ」
痛い所をつかれた俺は口を噤んだ。
「まぁ、とりあえず3ヶ月間お疲れ様。会社に戻りましょう」
俯いて黙る俺を元気づけるためか、明るく取り直した天使先輩の後をついて帰る。
夜空に光る夏の大三角形がやけにまぶしく見えた。
《守護霊派遣会社》に帰ってきて1週間、一向に増える気配のない自室の本棚の中身を思って肩を落とす昼下がり。何もない部屋にこもっているのは苦痛で、何ともなしに社内を散歩していた。
大体、<自分>をもつなんてアバウトな課題と連動する本棚なんて本当に存在するのだろうか。来た当初は困惑のあまり思いもつかなかったが、嘘かもしれないのだ。以前、天使先輩に言われた「道のりは険しい」という言葉もあいまってむしゃくしゃする。
「何かお困り?」
「天使先輩!?いやっ、ちょっと…」
背後からかけられた聞き覚えのある声にビクッと肩を跳ねさせる。慌てて振り返ると、首を傾げる天使先輩の姿。不満を声に出していたわけじゃないし、堂々としていればいいのだが、ちょうど頭の中で不満を垂れ流していたため声が裏返ってしまった。
猫目から向けられる怪訝な視線に耐えきれず、罪人のような気分になりながら口を開く。
「<自分>をもつことで本当に本棚の中身が増えるのか、気になって」
「増えるわよ」
即答された。
「といっても、君はまだ納得してないみたいね」
寄せられた俺の眉間を指差して天使先輩は苦笑する。
頷いていいものか戸惑っていると、目の前いっぱいに純白が広がった。天使先輩が大きな翼で俺を包み込んだのだ。俺の頬には、ふわふわとやわらかい感触が当たっている。そして、わずかにだが温かみを感じた。まさしく、本物の天使の翼だ。
「どう?これでもあの本棚が偽物だなんて思う?」
俺はゆるゆると首を横に振った。雲の上に立つことができて、あの世に成仏するための会社があって、本物の天使の翼まであるのだ。多少おかしな本棚があったところで何もおかしくない。
「でも、一番は自分で経験してみることね。ついでだし、次の守護対象を選んじゃいましょうか」
クスリと笑って天使先輩は翼を畳み、守護対象の候補の紙が貼られた食堂へと移動した。
昼下がりということもあって食堂には社員らしい人がちらほらいて、中には天使先輩と同じように大小様々な翼をもった社員も見えた。
「2回目だから、守護対象は自分で選ぶのよ。アドバイスはしてあげるけど」
前回と同じ椅子に腰かけて天使先輩が釘を刺すように言う。自分で何かを決めることが死ぬ前から出来ない俺にその釘は大きい。
とりあえず、守護対象を死なせてしまっては本末転倒なので難易度は低いものにしよう。それ以外はどれを選んでも変わりない。適当に選ぼうとした矢先、天使先輩が見透かしたように言う。
「ちゃんと考えて選ぶ方が成仏ポイント上がるわよ~」
成仏ポイントがどの程度貯まっているのか知らない俺は、別に少しの差なんて気にしないというか、どっちでもいいのだが……。きっとちゃんと考えろということだろう。
「じゃあ、女性だと着替えの時とか気まずいので男性にします」
あかりさんの時は、お風呂やトイレを覗くわけにもいかないので扉前に待機していたのだ。
容姿と名前が確実に男だとわかる紙を剥がして天使先輩に渡す。
「OK、現世への行き方は覚えてるわね?」
俺が頷いたのを見て、先輩は満足そうに微笑んだ。
「よし。3ヶ月間がんばって。気軽に帰ってきなさいよ」
「うっそだろ……」
現世に降り、守護対象の家へ入った俺の第一声は絶望に塗れていた。
俺から見ても分かる安いアパートの一室、酒の缶やコンビニ弁当のゴミで埋め尽くされた床の真ん中に段ボール箱が転がっている。その上にいる男の足は空中に浮いており、表情は苦しそうに歪められていた。極めつけとばかりに、首には白いロープが巻き付いている。
俺は慌てて床にあったカッターナイフをポルターガイストで操り、天井に繋がれたロープを切った。
派手な音を立てて落ちた男は喉を押さえて激しくせき込んだ。疲れなんて感じないはずの俺も、焦りのあまり肩で息をして胸を抑える。
「守護開始早々、失敗したかと思った……!」
なんてタイミングが悪いのだろう。しかし、間に合ってよかった。
ホッと胸を撫でおろす俺とは別に、男は切れたロープを見て呟く。
「また、死ねなかった……」
あまりに暗い声で発せられた言葉に俺は眼を剥く。「また」ということは、これが初めての自殺未遂じゃないのか!?
さめざめと泣きだした男を見て、改めて今回の守護対象を確認する。
名を正弘というこの男は25歳の社会人3年目だが、全体から滲む不幸オーラのせいでもっと老けて見える。濃いクマと青白い頬、光のない瞳も関係しているだろう。
ぼさぼさの短髪にしわだらけのスーツは、ぎりぎり清潔感があるものの、身なりまで手を回す余裕のないことがよくわかる。
よく見ると大量の錠剤がこぼれていたり、何枚も遺書があったりと部屋のあちこちに自殺未遂を匂わすものがあった。
俺は今回の守護内容を理解した。
「正弘さんの自殺を、3ヶ月間阻止しろってことか」
前回とは違い、突然不幸が降ってくることもないためまだ簡単かもしれない。
なんて軽く考えた俺を、俺はすぐに殴りたくなった。
端的に言うと、正弘さんの守護は、精神への負荷がかなり大きかった。
毎日とまではいかないが、1週間に2,3回あらゆる方法で死のうとする守護対象を出来るだけ自然に護るのは骨が折れた。
しかし、それよりも辛いのは毎日正弘さんの様子を見なければいけないことだ。
夜は眠剤や酒を飲んでいるのにも関わらず、夜中の2時まで眠れず布団の中で泣く。
朝、設定された目覚ましより一時間も前から目が覚める正弘さんは、既に死にそうな顔をしながらトイレで吐く。人の嗚咽や泣き声は聞いていて気持ちのいいものではない。もう少しで守護期間を終える頃になっても、慣れる事はなかった。
会社までの道のりは特に注意が必要だ。駅のホームなんて最悪中の最悪。段々と線路へひかれていく正弘さんの鞄をポルターガイストで力を加えて動きにくくするほかにやりようがないからだ。
会社の屋上へ行く時は飛び降りられそうになった時以来、鍵を閉めている。アパートの部屋は1階にあるため、飛び降りる心配はない。
本当は部屋の中にある錠剤やロープ等の自殺に関わる物を捨てたいところだが、守護霊の存在に気付かれてはいけないので出来ずにいた。
「早く死んで楽になりたい」
これは正弘さんの口癖だった。何故こんなに精神が病んでしまったのか、原因は彼の勤める会社にあった。
正弘さんはデザイン会社で下っ端デザイナーとして働いている。偉いデザイナーに気に入られたのは良かった。しかし上司はそれが気に入らなかったらしく、果てしない量の面倒な作業や仕事を渡してくる。手当もでない残業をしても、当然期限内に終わるわけもなく、上司にいびられる日々。周りの同僚は火の粉がかからぬよう見て見ぬふりを決めていた。
正弘さんには同情するが、はっきり言ってこれ以上そばにいるのは気が滅入る。
今日、正弘さんが寝静まったら一度会社へ帰ろう。
上司に怒鳴られている正弘さんを横目に、そう決めた。
「……で、一旦休みにきたのね。珍しいと思ったのよ」
カップラーメンをすすりながら、天使先輩は相槌をうつ。
深夜、早速会社に戻ってきた俺はまず食堂へ向かった。ふと何か食べたくなったのだ。
基本、死んだ時点で身体が栄養を必要としないため、食べることに意味は無くなるのだが<自分>をもつことに食事が重要だということで食堂が設置されている。
確かに、たまに食べたくなるから人間の欲求はそう簡単に無くならないんだなあと実感する。
もう空腹感は感じないけれど、夜食といえばカップラーメンだろう。そう考えたのは俺だけではなかったらしく、ちょうど天使先輩も夜食を食べに来ていたようだ。
2人してラーメンをすすり、罪の味を楽しむ。
「俺、死にたいような人と出会ったことなくて。一緒にいるとしんどいというか、俺が気を病みそうになるというか」
輝くラーメンの艶を視線でなぞりながら、ポツリと零した。おそらく、しんどい理由の中に流されてばかりいる正弘さんを見て自分と重ねてしまうからというのもあるだろう。
「じゃあ割り切ればいいんじゃない?」
咀嚼しながら天使先輩が言った。つり上がった目をこちらに向けて、何故そうしないのかと問うている。
「で、でも…」
「仕事なんだから、無理に分かり合おうとしなくていいのよ。人間合う合わないはあるもの」
そう言われれば、そうなのだろう。胸に上手く言い表せないモヤがかかっているが、天使先輩の言う通り、割り切れば楽だ。
でも本当に、俺はそれでいいのか?
そんな疑問が脳裏をよぎる。
自分の気持ちを確かめようとしたが、掴む前に逃げてしまった。
「まぁ、大事なのは自分の心だからね。どうしたいのか、よく考えなさいよ」
天使先輩は箸をおいて、手を合わせた。
もう寝るらしい。食器を片付けながら「死んだら食べてすぐ寝ても太らないから楽だわ」とご機嫌だ。
自室に戻る天使先輩を見送った後、窓から見える曙色の空に気がつく。
しまった、もうすぐ正弘さんが起きる時間だ。あわてて残りのラーメンをすすり現世へ下りる。
いつの間にか、鈴虫が鳴いていた。
「おい!なんだこのデザインは?!やり直しだ、やり直し!俺の時間を割いたんだから、罰を受ける準備は出来てるよな!?」
午後6時、怒号がオフィスに響き渡る。床にばらまかれたのは、上司の仕事である書類。こうして上司はいつも楽をするのだ。そして、どれだけ書き直しても正弘さんのデザインに許可が下りることはない。少なくとも、俺が守護を初めてからはなかった。
今にもオフィスの窓から飛び降りないかと不安になるが、正弘さんは黙って散らばった書類を拾い始めた。
その様子をつまらなそうに見ていた上司は、ふと口を開く。
「お前、その書類やってたらデザインの納期間に合わないだろ?やめとくか、今回」
弾かれたように顔を上げた正弘さんの反応に、上司はにんまりと口端を歪める。
「大事なコンテだったのになぁ。残念だな!出世の機会を失っちまって。代わりは俺が探すから気にせず書類に打ち込……」
「いえ!」
心底楽しそうに話す上司の言葉を遮ったのは、なんと正弘さんだった。こんな大きな声を出せたのかと、俺は驚く。
そう思ったのは上司や同僚も同じだったらしく、オフィスにいる全員の視線が正弘さんを刺す。沈黙の中、俯きながら正弘さんは口を開いた。
「……書類も、デザインもやるので、大丈夫、です」
我に返ったのか、上司に聞こえるか聞こえないかくらいの声量でそう伝えると、会釈して自分のスペースへ戻っていった。
早速仕事に取り掛かる正弘さんの後ろに浮いて、パソコンの画面を覗き込む。
俺と同じで流されてばかりの正弘さんがなぜ、自分の意思を通したのか。その答えが、パソコンの中にあった。
仕事関係のアプリが並ぶ中、『夢』と書かれたアプリが開く。
素人目にもセンスが良いと思う鮮やかなデザインの中心には、『まさひろ、こじんでざいなあになる』と拙く書かれた画用紙と、クレヨンを持った男の子が写る写真。この男の子は正弘さんだろうか、どこか面影がある。
幼いころの自分をじっと見つめる正弘さんの横顔に、俺は理解した。
似ていると思っていたんだ。
でも、全然違う。
正弘さんは立派な夢をもっていて、死にたくなってもなりたい自分になるために努力を惜しまない。
ちゃんと、<自分>をもっている。俺とは、似ても似つかない。
今日は正弘さんの守護期間最後の日、その1日前だ。
午前2時。正弘さんが寝静まったことを確認した俺は、窓をすり抜けてある場所を目指した。
月光がいわし雲の間から照らす空の下を進む。事前に正弘さんが勤める会社で確認していた住所を思い出して、交差点を曲がったその先に目的地とする上司の家がある。
立派な玄関をすり抜けて中に入る。目指すは寝室。階段を上り、片っ端から扉をすり抜けて確認していく。3つ目の部屋が寝室だったようだ。上司は奥さんらしき女性とベッドに並んで寝ていた。
脳に過るのは天使先輩の声。
『守護霊としての力は、あくまでも人間を護るためのもの。他人に危害を加えたり、恐怖を与えるなんて言語道断。気を付けて使ってね』
わかってる。でも、この上司をなんとかしなくては正弘さんはずっと辛いままだ。辛い状態の正弘さんを守護するのは、辛い。俺の後に配属される社員もきっと辛いと思う。
『仕事なんだから、無理に分かり合おうとしなくていいのよ』
天使先輩は正しい。きっと、そのほうが楽だ。
でも、でも……
また、流されてしまうのか?
ここで行動できなければ、生きていた頃と何も変わらない。
一番辛い正弘さんが、自分の意思を通したんだ。
食堂では言い表せなかったモヤを掴むように手を伸ばす。
まずは大きな音を立てて、奥さんもろとも叩き起こさねばならない。
ポルターガイストには物を動かすほかに、大きな破裂音が出せる。いわゆるラップ音というものだ。守護するにあたって使うことはほとんどないが、今回はうってつけだった。
バンッ!バチッ!ドンドン!
何かが破裂したような音、電流のような音、扉を叩く音。
異変を感じて目を覚ました奥さんは、眉を顰めながら傍らに転がる夫を揺さぶった。眠りを妨げられ、不機嫌そうに身を起こした姿を確認した俺は、次にテレビの電源を入れる。暗闇の中、ラップ音とともについたテレビに夫婦は小さく悲鳴を上げた。
ここからが本番だ。あかりさんの時に培われたポルターガイスト力を駆使し、周りにある小物類を縦横無尽に振り回す。
明らかに人間の仕業ではないことを悟った二人の表情は恐怖にゆがみ、叫ぶにも声が出ないといった感じである。
部屋の電気を電池の切れかかった蛍光灯のように点滅させ、極めつけに固定電話をけたたましい音量で鳴らす。
上司は冷や汗をたらしながら、おそるおそる受話器をとった。受話器の向こうには、ラップ音とポルターガイストを組み合わせて作った、通称呪いの声。
「……ザザ…呪ッテやル……こノ……クソ上司…」
なかなかいい出来ではないだろうか。それに、これは家で正弘さんが零していた言葉だ。嘘は言っていない。
呪いの声を聞いた上司の顔が、みるみる血の気を失っていく。この様子を見るに、何のことだか理解してくれたようだ。
上司が反省してくれることを願って、雨の降りだした帰路を辿った。
「亮太くん。何か言う事は?」
待ち受けていたのは、猫目をさらに吊り上げさせた天使先輩。
怒りからかツインテールも荒れているように見える。
大きな翼をぶわっと広げて、羽根の毛も逆立っている。
「え…と」
何かしら罰を受けるとは思っていたが、まさか帰ってすぐとは思わなかった。
今日は上司が休みだったので、比較的穏やかな守護最終日を迎えられたと思う。まだまだ心配の残る正弘さんに別れを告げて会社に戻ると、天使先輩が仁王立ちして俺を待ち構えていた。
感情のままに行動したつけだ。もしかして永久追放だろうか?でも、正弘さんを死なせた訳ではないのだから、失敗ではないだろう。
心の準備が出来ていなかった俺は、動揺して言葉に詰まる。
「守護霊としての力を、人間を脅かすために使ったわね」
俺は頷いて、迷いながらも口を開く。
「……悪い事なのは分かってます。俺は割り切ることができなかった。なんでこんなことをしたのか、俺にもよくわかってません。でも、俺は俺のやり方で、正弘さん……守護対象を護りました」
まだまっすぐ目を見て言う事は出来ない。でもしっかりと、自分自身の意思を伝える。
天使先輩は何も言わない。沈黙の中、広げた翼を畳む音だけが聞こえる。次に口を開いたのは、天使先輩だった。
「……罰として、3ヶ月の守護禁止と成仏ポイントの初期化」
予想していたより、ショックはなかった。
成仏ポイントがなくなってしまったのは痛いし、3ヶ月間は成仏ポイントを貯められないことも困る。でも、じゃあやったことを後悔しているかと問われれば、一切の迷いなく否と答える。
何も悪くないのに暗い表情をする天使先輩の横を通って、自室への廊下を進んだ。
窓の外では、満月が輝いていた。
冬の朝。
俺はベッドに腰かけて本を読んでいた。
正弘さんの守護のあと、本棚に数冊増えていたのだ。嬉しさのあまり、夜通し本を読んでいたのは秘密である。
ちなみに内容はいろんなジャンルの小説だった。
この数冊の小説を皮切りに、日ごとに本棚の中身が増えるようになった。謹慎の日々が退屈じゃなかったのはそのおかげもあるだろう。
生前は好きではなかった読書も、今となっては立派な趣味になりつつある。
扉をノックする音に本から顔を上げ、扉を開けると天使先輩が立っていた。
どうやら守護禁止の期間を終えたらしい。3ヶ月前の件からなんとなく気まずさを感じてしまう俺は、要件が終わったことを確認すると扉を閉めようとしたが、天使先輩の大きな翼によって阻止される。
「……本棚の中身、増えたのね」
さりげなく俺の部屋に入りながら、ほとんどスペースの埋まった本棚を見て天使先輩が口を開く。
「亮太くんが懲らしめた人間、会社を辞めたみたいよ」
ハッと天使先輩の横顔を見た。
「一方で、君が守護した正弘さんはいくらか回復して、もう自殺行為をしなくなったわ」
「本当ですか!?」
思わず天使先輩の両手を掴んで詰め寄ってしまう。本当に嬉しい。嬉しい!
「……ふふ。ええ、デザイナーとして着々と力をつけていってるみたい」
俺のはしゃぎように釣られたのか、天使先輩は頬を緩めた。しかし、咳払いをひとつしてきりりと表情を引き締める。
「……でも、ダメなものはダメ。結果、今回は守護対象が救われたと感じているけれど、毎回そうだとは限らない。……割り切れなくて、救いたいのなら、ルールの中でやりなさい」
天使先輩の言葉が、上手く言い表せなかったモヤを晴らす。
俺は、正弘さんを救いたかったのか。
いや、そんな大それたことではないだろう。ただ、見て見ぬふりをして、また流される自分が嫌だっただけだ。
「何はともあれ、本が増えたのはいい事よ。おめでとう」
一番下以外、本でうまった本棚を見て、天使先輩は握ったままの手を握り返してくる。
「……一番下だけずっと増えないんですけど、まだまだ<自分>が足りてないってことですか?」
一番下は、ここ1ヶ月ピタリと増えていない。手を放して一番下の本棚を指さし、眉を下げる。
「あー……そこはね、結構、難しいと思う」
天使先輩は言いづらそうに視線をさまよわせ、眉を下げた。
「本棚の一番下は、夢をもつことで埋まるの」
夢を、もつこと。
「夢は、<自分>をもつことに直接つながるからね。<自分>をもつのに欠かせない」
成程。俺には無理そうだ。
早々に諦めた俺は、成仏ポイントを稼ぎに行こうと食堂に向かった。
教育係として、天使先輩もついてくる。
寒さを感じない体と言えど、冬には肉まんが食べたくなる。天使先輩とともに肉まんを持っていつもの席につく前に、貼られた守護対象候補の紙を数枚剥がした。
今回は難易度を上げて難易度中を受けようと思う。
「あら、難易度あげるの?」
机に広げた紙を覗いた天使先輩が、肉まんをほおばりながら聞く。
「はい。中くらいなら出来る気がして。それに、難易度が低いより成仏ポイント高いし」
「へえ、ちゃんと考えてるのね?6ヶ月前とは別人……」
男子、三日会わざれば刮目して見よとはこのことか、なんて呟く天使先輩に、なんだか気恥ずかしくなって頭の後ろをかく。
性別は今回も男、あとの希望はないので目を瞑って適当に選んだ。
「じゃあ、このまま行ってきますね」
大口で肉まんを口に押し込んで、天使先輩に紙を渡す。
久しぶりの守護にやる気がみなぎり、胸が躍った。
落ち葉の絨毯で遊んでいるのは胸元に名札を付けた小さな子供たち。
ここは保育園。寒空の中、元気に駆け回る園児の中に今回の守護対象がいる。
「ゆうきくん!あそぼー」
ゆうきと呼ばれたのは短い前髪とぷくぷくほっぺがチャームポイントの男の子。
ゆうき君は子どもらしく純粋な笑顔で呼ばれた方へ駆け寄る。
彼が今回の守護対象だ。6歳になったばかりの年長さんで、見た感じ普通の元気な男の子という印象を受ける。
朝から観察しているが、今のところ何も変化がなく、むしろ平和すぎるくらいで今までの守護対象との違いに困惑する。
本当に難易度が高くなっているのだろうかと、心配になるほどだ。
しかし、異変は家に帰ってから起こった。
父親は亡くなっているらしく、母親が仕事の合間にゆうき君を迎えに来た。母親が仕事に戻り、ゆうき君が家に一人になったとき、事件が起きたのだ。
きっかけは、ゆうき君がずっとこちらを睨んでいる事に気がついたことだった。俺はあきらかに何もない所に浮いていたし、ゆうき君は俺の顔を凝視していた。
おそるおそる近づこうとすると、ゆうき君が突如怒鳴った。
「くるな!くそしゅごれい!」
ゆうき君は、確実に視えている。
基本、幽霊の見える人間でも守護霊はそうそう見る事が出来ない。視れる人間はもれなく霊感が高い。初めて見る“視える”人間に俺は驚いて目を見開いた。
それに、見えているのならば話が早い。死にそうな場面を回避することがたやすくなるので俺は嬉しくて笑みを浮かべる。
「ねえ。俺、佐上亮太。君はゆうき君だよね。3ヶ月間、俺が君を護るから、よろしく」
ゆうき君の目線に合わせる為しゃがんで挨拶をするが、返ってきたのは舌打ちだった。
「あ、あれ?おーい、ゆうき君?聞こえてるよね」
声は聞こえてないのかと首をかしげると、盛大なため息をつかれた。
「はなしかけんなっての。ていうか、ちかよるなよ!」
どうやら無視をされていたようだ。
「困ったな……保育園ではずっと俺の事無視してたのか」
ゆうき君は黙って飛行機が映ったテレビ番組を見ている。黙るということは肯定だ。
反応欲しさにテレビを中途半端にすり抜けてみたが、ゆうき君は見事な無視を決め込んでいた。
ここから、長きにわたる戦いが始まった。
一週間、二週間、1ヶ月、2ヶ月、何も死にかけるような事故も起きず、ただ平和にゆうき君と俺の攻防が続くだけだった。
ゆうき君と仲良くなろうと、あらゆる手段を使って興味を引く。しかし、ゆうき君のスルースキルは凄まじく、平和なのに難易度が中なのは、こうやって他の守護霊も追い返された結果ではないかと思わせるほどだ。
もうすぐ18歳になる男がする事ではないということは分かっている。傍から見ればなんともおかしな景色だろう。今までの俺なら、絶対にしていない。保育園児に近寄るなと言われれば、何も考えずその通りにしていただろう。
でも俺は知っている。俺の心のままに動いていいことを。もちろんルールの範囲内で。
ルールと言えば、人間に守護霊の存在がバレてはいけないというルールがあったが、ゆうき君は元から視える人ということでセーフ、もしくは例外ということだろう。
年甲斐もなく、保育園児に存在をアピールし始めて約2ヶ月目のこと。
とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、ゆうき君は家の階段を下りる途中で勢いよくこちらを振り返り、大きく口を開け───落ちた。
一瞬の出来事だった。
振り返った時に足を踏み外したのだ。あかりさんの時に培われた反射神経とめいっぱいの力で、近くにあったクッションをありったけ落下先に移動させる。
間一髪、移動させたのと同時にゆうき君がクッションの山に着地した。
ポカンと口を開けたままのゆうき君が震え始める。遅れて恐怖を感じたのか。
怪我はないか確認するために近寄っても、もう何も言われなかった。
クッションがうまい具合に重なっていて、どこにも怪我は見られない。本人もどこも痛くないと言っているし、一件落着だろう。
俺は今になって心臓がうるさく鳴りだした。やはり死にかける場面なんていくら見ても慣れる事はない。
「あ……あ、あり、……」
初めて、ちゃんと目線が合う。
「あり、がとっ…う、ひっ……ぐす、それと……ムシして、ごめんな、さい」
切り替えられるところが子どもの素直さだ。目に涙を溜めて、嗚咽交じりにゆうき君が謝る。
俺は苦笑して、ゆうき君が泣き止むまで傍にいた。
「そういえば、守護霊が嫌いなのは何か理由があるの?」
ゆうき君が落ち着き、2人一緒にクッションを片づけている最中、ふと疑問だったことを聞いてみる。
前みたいに無視せずこちらを向いたゆうき君の表情は、曇っていた。
言いたくないなら言わなくていいよと付け足したが、ゆうき君は首を振る。
「……けっこう、まえ。ゆうきが5さいの時、パパがしゅごれいのせいでしんだ」
俺は絶句した。守護霊のせいで?失敗したという事だろうか?それとも、ゆうき君の言い方から察するに殺されたのかも──。
脳内で様々な憶測が飛び交う中、俺はゆうき君の言葉を待つ。
「あのしゅごれいは……ゆうきのしゅごれいだったのに!ゆうきをまもったのは、パパで、そのせいで、パパは……パパは…!」
きっと、これまで胸の内を吐き出せる相手がいなかったのだろう。
約1年前、ゆうき君を担当していた守護霊は真面目に守護しなかったそうだ。だから車が突っ込んできたときに対応できず、結局ゆうき君を護ったのは父親だった。
この子はずっと、一人で抱えてきたのか。周りに打ち明けることもできず、やってくる守護霊にこれ以上大切な人の命を奪われないよう牽制して……。
ゆうき君の悲しみは、幼い体にあまりに大きすぎる。
飛行機が描かれたクッションを抱きしめて肩を震わせるゆうき君の傍に行き、背中を撫でた。
触れる事は出来ない。でも、泣いているゆうき君を見て俺がそうしたいと思ったのだ。
「辛かったね」
そっと声をかけると、涙をこぼしながらもゆうき君は首をゆるく振った。
「つらくはない。ゆうきはしゅごれいがゆるせないだけ。それに、ひこうきでそらをいっしょにとぶって、パパとやくそくしたから」
衝撃を受けた。こんな幼い子でさえ、『夢』を持っているのか。
やがて泣きつかれて寝てしまったゆうき君に、ポルターガイストで引き寄せたブランケットをかける。
静まり返った家の中は、感じないはずの寒さを思い出させた。
「先輩。起きてますか?」
夜11時、ゆうき君が寝たのを確認した俺は、話を聞きに会社へ戻ってきた。
『天使』と表札のかかる扉をノックすると、ツインテールをおろした天使先輩が出てきた。
「どうしたの?悩み事?」
寝る直前だったのか、パジャマのような白いワンピースに身を包んだ天使先輩は猫目をこする。
「すみません、こんな時間に。どうしても聞きたい事があって……」
片羽で誘導されるがまま部屋の中に入ると、女の子らしく装飾された家具やアンティークで埋め尽くされていた。
「あれ?」
視線の先にあるのはぎっしりとつまった本棚。『夢』を持たなければ埋まらない一番下の本棚も隙間なく本が詰まっている。
「先輩、もう成仏できるんじゃないですか?」
見たところ、天使先輩はお礼のように<自分>を持っていないわけでもない。
天使先輩はツインテールを結いながらそれに答えた。
「できないんじゃない、しないの」
「え?」
本棚の前に立ち一冊手に取って、続ける。
「私の夢、現世では実現出来ないのよ。それに、案外この会社でやりがいを感じているから。敢えて残ってるのよ」
俺は衝撃を受けた。そういう道があるのだと思いつきもしなかった。
「私の話はいいわ。それより話って何?」
手に持った本を本棚に戻し、ベッドに腰かけて本題に入る。
「今、俺が守護している人間についてなんですけれど」
「あぁ、去年事故があった男の子のこと?」
思い当たる節があるらしい。俺は頷く。
「あの子には手を焼いているのよ。どんな守護霊を派遣してもことごとく追い返されてしまうからね」
やはりそうなのか。それでは俺が仲良くなっても、俺のあとの守護霊が追い返されてしまうだろう。
しかし、俺がしたいのはそんな話ではない。
「……あの子、あんなに小さいのにもう夢を持っていたんです」
そう。俺は劣等感を感じてしまったのだ。あんなに小さな子に。
「俺は死んでからも<自分>がないって言われて、未だに夢が見つからない」
なんてみっともないのだろう。普通だったら、もうとっくに成仏しているはずだ。
「やっぱり、俺はできそこないで、こんなことしたって意味は…」
「亮太くん!!」
天使先輩が叫んだのと同時に両頬に痛みが走った。
「出来損ないが、トクベツなの?」
「え……?」
いつの間にか頬を伝っていた涙を、天使先輩が指の腹で拭う。
「比べることは、最も意味のない行為よ」
静かに、でもはっきりと天使先輩は続ける。
「それにね、私は心配していないのよ?貴方に救われたって人を知っているもの」
正弘さんのことだろうか。うぬぼれでなければ嬉しい。
「君が君らしい選択をして、夢を見つける事を願っているわ」
ストンと、天使先輩の全ての言葉が胸に落ちてきた。
自分がどうしたいのか見えた気がした。
そして、月日が流れ、ゆうき君とのお別れが来た。わあわあと泣きながら行かないでくれと言うゆうき君には思わず俺の涙腺も緩んだけれど、「夢があるんだ」と言ったらハッとして引き止めるのをやめてくれた。本当に賢い子だと思う。己の夢を見つけるきっかけとなったゆうき君には、感謝してもしきれない。
帰ると同時に、俺の部屋にある本棚の一番下が分厚い本たちで埋め尽くされた。
「お疲れさま、亮太くん」
会社に初めて来たときと同じように、天使先輩が俺の肩を叩いた。
足元にはあの時と同じふわふわの白い雲。死んだばかりの頃は自分がどうなるのか分からず不安でいっぱいだったっけ。
でも今度は違う。青く澄んだ空の下、晴れた気分でめいっぱい空気を吸う。
「君の夢を教えてくれるかしら?」
まさしく天使のように微笑む先輩に、背中に生えた小さな翼を揺らして向き合った。
「はい、天使先輩」
もう弱々しくない、芯の通った声が空に響く。
「護るだけじゃなくて、俺のやり方で人を救うような」
もう体温の無い体がポカポカと暖かくなる心地がする。これは緊張なんかじゃない。これからの人生に期待しているんだ。
「かっこいい守護霊になりたいです」
俗っぽすぎると笑われるだろうか。
それでも良い。
今はただ、新しい自分に胸を張りたかった。
上には澄み渡る青い空。下にはふかふかな白い雲。
「お前は成仏する為に必要である<自分>をもっていない」
男とも女ともつかない声がどこからともなく降り注ぐ。
「よって、《守護霊派遣会社》で勤めを果たすことを命じる」
ショックからか、すぐに動くことの出来ない女の子を見て懐かしい気持ちになった。
さあ、こうしちゃいられない。新しい後輩を立派な守護霊として育てるのが先輩の仕事なのだ。
最初に比べると大きくなった翼をはためかせて、死んだばかりである新入りに声をかける。捨てられた犬のように震える後輩を安心させるため、俺こと佐上亮太はとびきりの笑顔で出迎えた。
「ようこそ!《守護霊派遣会社》へ!」
読んでいただきありがとうございます。
約1年前に学校の課題で書いた短編小説に少し手直しを加えました。初投稿ながら上手く着地させることが出来たので安心しました。省略された守護期間の間にあった事件なども書く予定だったのですが叶わなかったことが唯一の心残りです。大雑把ながらも亮太の成長を感じてもらえれば幸いです。