切り捨て
二日が過ぎた。
オルレイン領の端に、魔絶戦争の戦火に巻き込まれて滅びた村の跡地があった。
戦いの熾烈さと残酷さを物語る寂れた雰囲気に包まれ、かつて人が住んでいたという証は廃屋と化した建築物くらいしかない。
魔絶戦争が終わった後も都市部と比べて人の往来が少ない場所の建て直しは後回しにされるか、放置される。こういった村や集落の跡地はエルナ王国の至る場所に残されていた。
そんな村の廃屋に囲まれた、かつては広場であっただろう場所にエリオは立っていた。隣では〈拘束〉の魔法で身体を拘束されたアルフィナが膝をついている。
「…………遅えな」
エリオの苛立ちは小刻みな足踏みとなって表に出ていた。
「……そろそろ膝が痛くなってきましたわ」
そう言うアルフィナの表情には若干の疲れが見えるものの、それよりも緊張感の方が色濃く浮かんでいた。
「ちゃんと脅迫状は送ったはずなんだが……」
エリオたちが待っているのはレイノス・オルレイン――アルフィナの父親である。滅んだ村の跡地にいるのは、身代金と人質の交換場所をここに指定したからだ。
日時と場所を記した脅迫状は二日前に送っている。しかし、約束の時刻を過ぎてもレイノスは一向に現れない。
「…………まさか、お父様は……わたくしを……」
アルフィナの表情が曇っていく。
――見捨てるつもりではないか。
続く言葉はこうだろう。エリオもその最悪の結末を予感せざるを得なかった。
暗い雰囲気が二人を包んでいく。
諦めて帰るべきか。まだ粘るべきか。
帰るとすればどう切り出せばいいのだろうか。
そんなことをエリオが考え始めた――その時だった。
「――――っ!」
エリオは防御魔法〈球形砦壁〉を発動させる。
透明な球状の壁が術者を包むように展開し――背後から飛んできた矢を弾いた。
「ひぇ!?」
弾かれた矢が目の前に転がり、驚きの声をあげたのはアルフィナだった。
「……ようやく来たか」
足音が近づいてくる。
一つではない。いくつもの音が重なりすぎて、もはや何人分なのか分からないほどだった。
「背後からの攻撃に反応するとは、さすがは元“英雄”といったところですか」
現れたのは屈強な肉体を持つ男たち。そして、彼らに御輿のように担がれた椅子にまん丸と太った男が座っている。
「お父様……!」
アルフィナの声に嬉々としたものが宿る。
そう。この太った男こそがレイノス・オルレイン。アルフィナの父親であり、オルレイン領の領主である。
「待ってたぜ領主サマよ。いきなり不意打ちとは、なかなか刺激的なご挨拶じゃねえか」
「堕ちた英雄ごときに礼節は不要でしょう。それにしても金目当てに誘拐など企てるとは、“大罪人”としての格も落ちたものですな。ほっほっほ」
レイノスは懐から扇を取り出し、自らを扇ぐ。その高所から見下すような態度にエリオは舌打ちをした。
「あんた、人質を取られてるってのにずいぶん肝っ玉が据わってんな。自分の娘がどうなってもいいってのか?」
エリオは腕に淡い光を宿し、アルフィナに突きつける。
もちろん演技だ。腕を光らせているのも、ただ魔法を撃つふりをしているにすぎない。
それでも充分に効力はあるはずだ。この父親が、本当に娘のことを想っているならば。
しかし――
「……はて、娘?一体何のことやら分かりませんな」
返ってきたのはあまりにも――あまりにも無慈悲な言葉だった。
「お……父……様…………?」
掠れた声をアルフィナは絞り出す。
あまりの衝撃的な言葉に理解が追い付かないのだろう。それはエリオも同じだった。
だが、レイノスがアルフィナを見る眼が道端の小石に向けられるそれと同様であることに気づき、ようやくエリオは悟る。
――この男は自分の娘に対して、本当に何の愛情も持ち合わせてはいないのだと。
「私がこんな寂れた場所までわざわざ来たのは他でもない。あなたに会うためですよ、エリオ・ルーングレイス。その首にかかっている莫大な懸賞金を貰い受けるためにね」
「……あぁそうかい。そいつは身に余る光栄だ。吐き気を催すほどな。金さえ貰えれば、自分の娘なんざどうでもいいってか」
「当然でしょう!」
即答だった。
あまりの非人道的な発言にエリオの奥歯を噛み締める力が強まる。
「その小娘は、私の娘というだけで私の財を食い潰していく!血の繋がりがあるというだけで、いずれは私の財も地位も手に入れる権利を有している!私はそれが許せない!私のものは死ぬまで……いや、死んでも私のものです!私のために消費され、私のために循環し、私のもとに還元されるべきなのです!その権利を誰にも渡してなるものですか!」
――あぁ、そういうことか。
この男が娘を蔑ろにする理由。それが分かってしまった。
領主であるレイノスが死んだ場合、その財や地位を継ぐ権利を有しているのは実の娘であるアルフィナである。
この男はそれを許したくないのだ。
己の財や地位は全て己だけのものであると、例え死んだ後であっても誰にも渡したくはないと、欲望のままに吠え立てるこの男にとって――
――娘すら、己のものを狙ってくる賊と同じなのだ。
「……親として……いや人として終わってるぜ、お前は」
「ほっほっほ、あなたほどではないですよ“大罪人”。ですが、喜びなさい。あなたの首には私の財産に加わる価値があるのですから」
「……気に入らねえ。気に入らねえな。そんなに地獄が見たけりゃ、今すぐ叩き落としてやるよ」
「おっと、戦う相手は私ではありませんよ」
その言葉を待っていたかのようにレイノスが率いている男たちの中から、一際身体の大きな男が前に出る。
「今日連れてきたのは私が所有する私兵の中でも、選りすぐりの精鋭たち。彼がその部隊長であるザンドです。彼らを相手にどこまで戦い抜けるのか、見物させていただきましょう。……ザンド、後は頼みましたよ」
「任せておきな、ボス」
ザンドと呼ばれた大男が手で合図をすると、他の兵たちが一斉に前に出てレイノスの壁となるような陣形を取る。
(十人。いや……)
エリオは正面にいる兵の数を頭の中で大まかに数え、止める。気配があらゆる方向から漂ってきていることに気づいたからだ。
広場を囲う廃屋の中、上、隙間――あらゆるところに兵が潜んでいる。正面にいる者たちとは違い、その手には弓や魔法の触媒となる杖が握られていた。
(全部で百人程度か……?)
レイノスが現れる前から潜んでいたのだろう。最初の矢による不意打ちも、この中の誰かが放ったに違いない。
ほとんど気配を感じさせなかったことから、全員が場数を踏んだ手練れと考えられる。
「悪いがその首を貰うぜ“大罪人”!野郎共、戦闘準備だ!」
ザンドの号令に呼応し、兵たちは一斉に武器を抜いて戦闘態勢を取る。
どの方向から攻撃が飛んできてもおかしくはない。
数でも地形でも圧倒的にエリオの不利。
囲まれて逃げ道もない、絶体絶命の状況である。
「……舐められたもんだ。この程度で俺を倒せると思ってんなら、自惚れも甚だしいってことを教えてやる」
だが、そんな状況でもエリオは慌てるどころか、鷹揚に腕を広げて見せた。
読んでいただき、誠にありがとうございます
この作品を読んで少しでも気に入っていただけましたら、ブックマーク登録と下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にして評価して頂けましたら嬉しいです