領主の娘
「…………」
「…………」
「………………は……?」
二人の人間がいるとは思えないような長い沈黙の時間を経て、エリオが出せた言葉はそれだけだった。
「ですから、わたくしを誘拐してほしいのですわ!」
「いやいやいや、意味わかんねぇよ!話がぶっ飛び過ぎだろ!」
「あ……そ、そうですわね!わたくしとしたことが、まずは自己紹介とお礼から始めるべきでしたわ!」
「そういう事言ってんじゃねえよ!」
エリオのツッコミをよそに立ち上がった少女はスカートの裾を持ち上げて右足を内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げる。
カーテシーというお辞儀の一種だ。広げられたスカートはボロボロだが、その振る舞いは高貴な令嬢を感じさせた。
「わたくしはアルフィナ・オルレイン。先ほどは危ないところを助けていただき、感謝致しますわ」
「……オルレイン?オルレインって……まさかお前、すぐ南にあるオルレイン領の領主の関係者か?」
「はい。領主――レイノス・オルレインはわたくしの父になりますわ」
意外な事実だが、それならば先ほどの振る舞いや服装がどこか高貴さを醸し出しているのも納得できる。
「はぁ……領主サマの娘ね。そんな奴がどうしてこんなところで魔物に襲われてたんだ?護衛とか付いてるもんじゃないのか?」
「それは……」
少女――アルフィナは目線を横に逸らし、しばらくしてから再び口を開く。
「……家出したんですの」
唇を噛みしめ、アルフィナは更にこう続ける。
「いえ、仮に家出でなくとも、お父様はわたくしに護衛など遣わしませんわ。あの人は……自分の事しか考えないような人ですもの」
「噂は聞いてるぜ。毎日女遊びにパーティ三昧。領民の声に耳を傾けることもなく、領主の立場を利用して好き放題らしいな」
「……その通りですわ。しかも、多額の税金でいくつもの傭兵団を私兵として雇い、力を誇示することで領民から反抗の意思を削いでいますの。母はそんな父に愛想をつかし、わたくしが物心付く前に出ていったと聞いてますわ」
「ふぅん。で、お前もそんな問題だらけな親父から逃げ出したってわけか」
面倒な家庭の事情に巻き込まれたものだ。
呆れるエリオに、アルフィナはぐいっと詰め寄った。
「ち、違いますわ!あっ、いえ、そうと言えばそうなのですけれど!わたくしは……わたくしはただ……お父様に愛されているのかどうか、確かめたいだけなんですの!」
そう言い放ち、アルフィナはすぐに顔を離す。頬が若干紅潮しているのは、踏み込みを強くしすぎて思いのほか近くまで寄ってしまったからだろうか。
アルフィナはすぐに元の顔に戻ると、静かに眼を伏せた。
「……お父様はわたくしの事など眼中にないのですわ。生まれてから今の今まで、わたくしは一度も笑顔を向けてもらったこともありませんの。頭を撫でてもらったことも、抱き締めてもらったことも……一緒に食事したことさえ一度も……。お父様の中にあるのはいつだって自分自身と、お金と権力の事だけ……」
「…………」
「ですからわたくしは、お父様にわたくしの事も見てもらいたくて……!家を飛び出せば探しに来てくれるかもと、そう思って……!」
「だからってお前、こんな場所まで来るなんて命知らずもいいとこだぞ。この森がなんて呼ばれてるか知ってんのか?」
アルフィナは首を振る。
「“人食いの森”だ。さっきの魔界狼みたいな魔物がそこらじゅうに徘徊してやがる。お前みたいな非力なお嬢様が足を踏み入れて、まだ生きてること自体が奇跡なんだよ」
「そ、そうでしたのね。わたくし、何も知りませんでしたわ。屋敷から遠くに行った方がお父様も心配してくれると思って……」
エリオはため息をつく。
それで死んでしまっては何の意味もないだろうに。
「大体、そこまでして見てもらいたいもんかね。別にいいじゃねえか。そんなろくでもない親父に愛されたって仕方ねえだろ。むしろお前の方から縁を切っちまえよ」
肩をすくめるエリオ。しかし――
「――よくありませんわっ!!」
アルフィナの怒鳴り声が響き、エリオは驚きに眼を開く。
見ると少女の揺れる黄金の瞳に、瞬き一つでこぼれ落ちそうな涙の粒が溜まっていた。
「どれだけろくでなしでも、どれだけ酷い人でも……わたくしにとってはたった一人の父親ですの!血の繋がった家族ですのよ!?愛されたいと思って何がおかしいんですの!?」
睨む瞳では留めきれず、頬を伝う光の雫。
しばらくしてアルフィナは涙を手で拭い、深く呼吸をしてから頭を下げた。
「……ごめんなさい。こんなこと言えた立場ではありませんわね」
「いや、その……俺も悪かった。すまん」
果たしてアルフィナが父親からどのような扱いを受けてきたのか、エリオには想像することしかできない。それに対して彼女がどのような想いを抱いてきたのかも。
真に理解もしていないのに軽率な発言をしてしまった自分を、エリオは心の底から恥じた。
「お前がどういう気持ちでここにいるのかはよく分かった。だけどな、こんな森の奥深くまで来ちまったお前を見つけるなんて無理な話だろ。お前の親父がどう動こうがな」
「そう、そうなのですわ。魔物から逃げているうちに出口も分からなくなってしまいましたし……このままではわたくし、遭難してしまいますわ」
この森で遭難した者の末路は決まっている。魔物の餌だ。
「……仕方ねえ。このまま放っておくのも寝覚めが悪いし、俺が外まで送って――」
「――ですのでエリオさん、わたくしを誘拐してくださいまし」
「だからなんでそうなるっ!?」
エリオは思わず全力でつっこんでしまう。
探しに来てもらいたいのなら安全な場所で待てばいい。わざわざ“大罪人”に誘拐されるなど、命が惜しくないと言われても仕方がない。
逆に言えば、そこまでしなければ父親に見向きもされないということなのだろうか。
「娘が誘拐されたとなれば、さすがのお父様も放ってはおけないはず!人質の受け渡し場所を森の外にすれば、わたくしは外に出られてお父様の愛も感じられて一石二鳥ですわ!」
「馬鹿かお前!?第一、そんなことして俺にメリットあんのかよ!?」
「身代金ならたんまりふっかけてもらって結構ですわ!どうせパーティ代や夜遊び代に消えてしまうんですもの!自業自得ですことよ!」
正直に言って身代金は魅力的ではあるが、エリオにはエリオなりのプライドというものがある。“英雄”であり“大罪人”とまで言われ恐れられる存在が誘拐で身代金を稼いでいては、どうも箔がない。しかもその真実は狂言誘拐だ。あまりにせこすぎる。
「お願い致しますわ!あなたを“大罪人”と見込んで、どうか……!」
「なんだよその頼み方は……」
――しかし、アルフィナは本気だ。
方向性はどうであれ、その瞳に確かな強い意思を感じる。でなければこんなとんでもないことを言うはずもないだろう。
記憶を消す手段はある。森の中で起こった出来事の記憶を全て消して外に放り出してしまえばいい。
だが、彼女の中の強い意思そのものを消さない限りは同じ事を繰り返すだろう。また森に入ってくるような事があれば間違いなく魔物の餌食だ。
だからといってあまりに記憶を消しすぎては廃人にしてしまう。それはそれで気分が悪い。
(断っても追いかけてきそうだな。帰るよう説得するのも面倒そうだし……)
エリオは思考しながらアルフィナを見る。
黄金の輝きを持つ瞳がまっすぐ、力強くこちらを向いていた。
(……にしても、いつ以来だろうな……。人からこんな風に助けを求められるのは)
求められた内容は酷いものではある。
だが、しかし――
「――分かった。その茶番に乗ってやるよ」
そこまで頼ってきた少女の気持ちを無下にすることは、エリオにはできなかった。
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