暴食の粘液③
分裂した二体の暴食の粘液が飛びかかってくる。
ゼリーのようなその身体は兵器だ。取り込まれれば最後、体内の酸によってものの数秒で消化されてしまう。それは宵闇の王であるルインであっても例外ではない。
だが、そんなことは問題ではない。
いかに強力な酸を持っていようが、消し飛ばしてしまえば関係ない。
ルインは剣の形を取っていた力を、今度は己の腕に纏う。巨人の腕のごとき巨大な手甲に爪がついた形状を作り、横に薙ぎ払った。
今度は切断ではなく、二体の暴食の粘液の身体が抉りとられ、地面に落下した。
ここで二体の暴食の粘液はそれぞれ違う様子を見せる。
身体の大半を抉られた片方は萎んで消滅したのに対し、もう片方は再生して元の大きさまで膨らんでいた。
「おっ、母体!いきなりアタリじゃん!」
暴食の粘液の母体はその身から分裂体を作り、欠けた部分を再生して再び分裂する。それを繰り返して無限に分裂体を生産するのだが、それはつまり再生能力を持つ個体が母体であるという証だ。
そして、母体を母体たらしめているのは体内に存在する核である。
「今頃はあっちのほうに分裂体がいってるのかな。そのままいい感じに囮になっててよ、エリオ」
この場にいない者に語りかけるルインに、暴食の粘液は口のような穴を空けて体内の酸を吐き出す。
あらゆるものを溶かす強力な消化液だが、当たらなければ意味がない。それが地面を焦がす頃には、ルインは既に跳躍していた。
ルインは空中で手甲の形を解除し、槍に変化させる。翼を羽ばたかせて姿勢を保ち、槍を持つ手を振りかぶる。
「この辺か……なっ!」
投擲された槍は斜め上から一直線に暴食の粘液に襲いかかり――貫通する。
軌道上にあるもの全てを穿った真紅の刃は、その先端に手のひらほどの大きさの白い玉を貫いたまま地面に突き刺さった。
心臓のように脈動し、白玉のように震えるこの玉こそが暴食の粘液の核である。
しかし、それで終わりではない。核自体は貫かれてもなお機能を失わず脈動を続け、抜け殻となった身体もまだ動いている。
ルインは槍の近くに降り、引き抜く。自由になった核はボールのように跳ねながら身体へと戻ろうとする。
その後ろをゆっくりと追いながらルインは槍を大槌の形に変化させた。
その小さな体躯に似合わない大きな槌を片手で振り上げながら、ルインは深紅の瞳で獲物を見下ろす。
暴食の粘液にも恐怖を感じる心があるのか、それとも生きようとする生物としての本能がそうさせているのか、核が跳ねる速度が速まった。しかし、それでもルインが歩く速度には遠く及ばない。
そうして必死に生にしがみこうとする哀れな魔物は、洞窟全体を震わせる衝撃と共に潰れた。
「ぎゃんっ!」
――同時に後ろのほうからアルフィナの短い悲鳴が聞こえた。
「……おお、危ない危ない。ここが洞窟だって忘れてた。まぁ、このくらいじゃ崩れないよね?」
パラパラと天井から破片が落ちてきたが、崩れてくる様子はない。ルインは安堵の息を吐きながら大槌の形をした己の武器を消す。
潰れた核にも蒸発するように消えていく抜け殻にも一瞥すらせずにルインが移動した先には、しりもちをついているアルフィナがいた。どうやら先の一撃が起こした揺れに足を取られたようだ。
「大丈夫?」
ルインは手を伸ばす。
――分かっている。きっとこの手が取られることはないだろう。
魔族は人間にとって魔絶戦争で命を脅かされた敵であり化け物。たった五年でその認識が覆るはずもない。
強大な力に戦慄いて逃げるか、恐怖に涙しながら的外れな命乞いをするか――あるいは魔族であることに怒りを見せて罵ってくるか。
(さて、どんな反応するのかな?変に立ち向かってこられるのが一番面倒だけど……そうなったらもう仕方ないよね)
表面上は微笑みつつ、いつでも冷酷な判断を下せるようにしていた。
しかし、そんな考えとは裏腹に――人ならざる者の手に、人の手の温もりを重ねられる。
「えぇ、ありがとう。大丈夫、少し足がもつれてしまっただけですわ」
ルインの手を引いて立ち上がったアルフィナは、少しだけ口元を歪ませながら反対の手でお尻を押さえる。
「……結局、あなたに全て任せてしまってごめんなさい。でも、あんな魔物も一捻りなんて流石ですわ!」
「…………」
呆気に取られるとはこういうことだろうか。
ぽかんと開いた口から言葉が出てこない。
「それに比べてわたくしときたら……はぁ、昨日今日で何度あなたがたに助けられていることか……。自分の力不足を痛感いたしますわ」
違う。思っていたのと違う。この反応は予想外だ。
「……あの、ルインさん?そろそろ手を離していただいても……?」
「あ、ご、ごめん……!」
ルインは振り払うように手を離す。完全に無意識だったのだが、ずっと手を握り返していたようだ。
「ボーッとしてどうしたんですの?どこか具合でも……?」
「違うよ。そういうんじゃなくて……えーっと……キミはボクが怖くないの?」
「どうして怖がる必要があるんですの?」
心底不思議そうにアルフィナは首を傾げる。
「これまであなたも何度もわたくしを助けてくれたではありませんの。そんな恩人を、今更恐れる理由などありませんわ」
「……キミ、ボクが何者なのか知ってる?」
「四魔将ルナシェイアでしょう?確かに驚きました。目玉が飛び出るくらい驚きましたわ。でも、それがどうしたっていうんですの?」
腰に手を当て、堂々とアルフィナは続ける。
「恩を感じたら感謝する。自分が悪いと感じたら謝罪する。当たり前のことですわ。そこに魔族も人間も関係ありません。それとも、あなたはこれからわたくしをどうこうするおつもりですの?」
「そんなつもりは……ないけど……」
「それなら、尚更あなたに偏見を抱く理由がありませんわ」
ないはずがないだろう。
ルインは魔族の最高幹部として、多くの人間を手にかけてきた。
怖れられるのも恨み言を言われるのも慣れている。
だが、どうでもいい連中に何を言われようと気にする必要があるだろうか。そんなもの、弱いのが悪いと一蹴するだけだ。
魔族だろうと人間だろうと弱者の命など興味はない。
故に、自分の行いを悪いと思ったこともない。
だから――
「フ、フフフフ……」
――そんな純粋な目で見られるのがあまりにおかしくて、思わず笑ってしまう。
「アッハハハハハハハッ!」
「え……えっ!?ルインさん!?何をそんなに笑って……あ、もしかしてちゃんとルナシェイアさんと呼んだほうがよかったんですの!?」
訳が分からず的外れなことを言うアルフィナ。その天然さが更にルインを愉快にさせる。
「キミ、変わってるね!人間のくせに、魔族にそんなこと言うなんてさ!あー面白い!アハハハハッ!」
今までこの娘のことなど大した興味もなかった。
助けたり手伝ったりしたのも全てアルフィナのためではなく、エリオにそう言われたから。
だから実の父親に殺されようが仕入れ屋に売り飛ばされようが暴食の粘液に喰われようが、どうでもいいことだった。
何故エリオがそこまでこの娘を助けようとするのか。
この娘の何が気に入ったのか。
――なるほど。
その理由が今、なんとなく分かった気がした。
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