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戦傷の傭兵(4560字)

 俺は一介の傭兵だ。色んな戦地を遍歴し、今はここザラガ国に滞在している。相手は3年前の軍事クーデターで正統政府の座についた国軍だ。紛争は長引き、長引かせているのが海外から入国してくる俺たち傭兵集団、というわけだ。この半月はこう着状態を維持している。


「マルコさん、お目覚めですか?」

「ああエリーゼ、ついさっき起きたところだ。早速で悪いが、足が痛い。痛み止めをくれ。あと解熱剤も」

「はい、今すぐに」

 俺――マルコは病院にいた。戦場での記憶は爆発の衝撃とともに中断され、気がつけばここのベッドの上だ。そして俺は職を失っていた。なぜなら足がない。

 両足を爆発で吹き飛ばされたらしいのだ。

 俺は出血がひどくて、搬入された当時は危篤状態にあったという。それをこの世に引き戻してくれたのが、彼女、医者のエリーゼだった。

 金髪のショートカットに白皙(はくせき)の肌で、白い衣装はなるほど医療に携わるものの威厳をかもし出している。笑顔が何より素敵で、ときおり俺を見る目は優しく慈愛に満ちていた。俺は彼女が天使に見えた。

 彼女の懸命な手術と治療、それから顔も知らない誰かの献血のおかげで、俺はどうにか峠を越えた。それからはこの寒いザラガ国の気候に震えながら、病院で怪我の治りを待っている。

 治りを待つ? まあ確かに、膝上で失われた両足はまだ完治していない。だが完治させたところで、俺は一人では歩くことさえできなくなったのだ。今まで自由に歩き、走り、駆け回っていたのに、それが一切不可能となった。これ以上の悲しみがあるだろうか?

 これなら殺してくれたほうがマシだった。戦場で爆死。結構結構、しがない旅ガラスの傭兵にはふさわしい最期だ。だがそうはならなかった。

 俺は、生き残ってしまったのだ。

 遠い天井はアーチを描き、教会に似せて作られたこの病院の無駄な広さを感じさせる。足の痛みは増すばかりだ。体は節々の神経がうずき、どこもかしこも熱っぽい。

 隣のベッドの中年が俺に声をかけてくる。

「あんたもこの先大変だな。まあ、俺みたいに片目の視力を失うのも大概だけどよ」

 彼もまた俺と同じ傭兵だった。俺の気持ちが分かるのだろう。

「お互い死に損なっちまったな」

「ああ、つまらねえことにな」

 そこへ医者のエリーゼが駆けてきた。透明の袋に入った錠剤と、吸い口を持っている。

「お待たせしました、マルコさん。はい、痛み止めと解熱剤」

 彼女はそれをいったん脇に置き、俺の背中とベッドの間に手を滑り込ませた。

「上体を起こしてください。痛かったらすぐに言ってくださいね」

 俺はかすり傷で済んだ両腕を駆使して、半身を持ち上げる。両足に激痛が走ったが、何とか悲鳴をこらえた。やれやれ、これではこの先が思いやられる。

「はい、ありがとうございます」

 エリーゼはけぶるような微笑を浮かべた。それをひと目見ただけで、苦痛もどこか和らぐ気がする。

 彼女は袋を破って薬を取り出し、俺に吸い口で飲ませてくれた。効果はてき面で、両足の痛みが引っ込んでいく。エリーゼは俺を再びベッドに寝かせた。

「体温を測りますね」

 彼女は親切だ。医者である以上、それは当然だろう。患者を無駄に怒らせてもしょうがないからだ。だが何というか……

 エリーゼは、俺にほれてないか?

 そう錯覚するぐらい、彼女の献身的な姿勢は俺に対してだけ向けられていた。隣の中年も大事に扱われているが、何というか、職業なので仕方なくそうしていますと言いたげだ。他の入院患者もそうである。

 あるとき退院が決まった軽傷の傭兵が、俺に声をかけてきたことがあった。

「あんたはエリーゼを口説けるぜ、間違いなくな。彼女はあんたがお気に入りみたいだ。俺の前でもマルコさんが、マルコさんが……ってそればっかりだ。うらやましいぜ」

 そんなことを冗談めかし、言うだけ言って去っていった。俺は体温計を取って眺めるエリーゼをまじまじと見つめた。こんな美人で聡明な医者が、どうして俺なんかを好きになるってんだ? まだ出会って2週間ばかりなのに……

「体温は37.8度……。解熱剤が効いてきたらもう1度は下がるでしょうね。マルコさん、体が楽になっても無茶しないように。約束ですよ」

「ああ、分かってるよ」

「それじゃ、私はこれで。他の患者さんを見回りに行ってきますね」

 頬をほんのり赤く染めて、エリーゼは歩き去ろうとする。その背中が遠ざかろうとする。俺はそのとき、そのとき――

 何だかいい知れぬ衝動に揺さぶられ、彼女の後頭部めがけて叫んでいた。

「ちょっと待ってくれ!」

 女医の足が止まった。こちらに振り返る。白衣がふわりと追随した。

「はい?」

 少しためらう内容だったが、俺はどうにか彼女に告げる。

「今日は天気がいい。車椅子が空いてたらでいいから、後で俺と一緒に病院の外へ出てみないか?」

 エリーゼは耳まで真っ赤になって、口元を押さえた。ある意味デートともいうべき誘いである。これはさすがに断られるかな――俺はそう考えることで、彼女の口からこぼれるであろう拒否の言葉に身構えた。

 だが……

「はい、喜んで!」

 エリーゼはその場で歓喜を爆発させた。俺にツカツカと近寄り、手を握ってくる。温かく滑らかな五指が、俺に喜びを伝えてきた。

「嬉しい……。マルコさんから誘っていただけるなんて……! 私、生まれてきてよかった……!」

 おいおい、そこまで喜ぶか。だが欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するエリーゼに、俺も何だか心が温かくなるのだった。


 俺がエリーゼを誘ったのはほかでもなく、傭兵時代は彼女など作っているゆとりがなかったからだ。このザラガ国の傭兵たちは別として、海外組は――つまり俺は――窮屈な部屋で雑魚寝するばかりで、女の温もりとともに夜を過ごすことなどありはしなかった。

 エリーゼとそうなりたい、と思う。これは純粋な欲望だ。だがそれ以上に、俺は彼女のパーソナルな部分を知りたかった。恋はお互いの距離を測りながら進めていくものだ。彼女は俺にベタぼれらしいし、俺もエリーゼを憎からず思っている。だが、まだどちらとも表面的なことしか知りえていない。

 まずは第一関門、二人きりで自然かつ楽しい会話ができるかどうか。ここを今日の勝負どころととらえて、俺は彼女を誘ったのだ。

「お待たせしました!」

 ベッドとベッドの間を窮屈そうに進みながら、エリーゼが車椅子を押しながら現れた。よかった、どうやら一台空いていたらしい。

「改めて聞くのもなんだけど、医者の君が席を外してもいいのか?」

 エリーゼはどんと胸を叩いた。にっこり笑う。

「さっきウェッジさんとホランドさんに、私の分も一時的に引き受けてくださるようお願いしました。マルコさんが外の空気を吸うのも回復の一助になるだろう、とおっしゃって……」

「そうか。それなら……。車椅子に乗るから手伝ってくれ」

「はい!」


 病院の外は冬景色だった。連なる枯れ木に生育の悪そうな芝生。遠くに横たわる寒々とした門扉(もんぴ)。青空がなければ外に出たいなんて二度と思わないだろう。

 それでも、いつも中にいた病院を外から見上げられるのは、なかなかのぜいたくだった。

「少し歩きながら話しましょうか」

 エリーゼは車椅子の俺に毛布をかけると、背後からゆっくりと押し進める。蒼穹(そうきゅう)のグラデーションが美しい。風は柔らかで、少し肌寒さを感じる程度の気温だった。

「マルコさん。足が治ったらどうしますか? やっぱり祖国に帰りますか?」

 少し寂しげな声。彼女は俺を特別な存在だと認識している。そう悟った。

「俺は一人では歩けなくなったし、傭兵稼業もここまでだろう。帰国するつもりさ。でも、その後何の仕事をやればいいのか、とんと見当がつかないんだ」

 本心である。エリーゼが車椅子ではなく、俺の両肩に手を置いた。ちょっと嬉しいが、どうした?

「ここにとどまればいいじゃないですか」

 つぶやくように言った台詞には、たとえようもない感情が込められていた。

「マルコさんは世界各国で傭兵をしてきたんですよね? なら、その体験談を本の形にして出版すればいいんです。きっと読みたい人が殺到して、印税で暮らせるようになりますよ。何も祖国に帰らなくても……」

 空が晴れているのに、うなじに雨が降ってきた。いや違う、これはエリーゼの涙だ。彼女は泣いていた。すすり泣きという奴である。

「マルコさん、好きです。愛してます。帰国するなんて言わないでください。私の家で一緒に暮らしましょうよ……」

 俺は仰天した。今日の外出は浅い手探りで終わると思っていたのに、急に決定的な言葉をもらってしまった。そんなに俺のことが好きだったなんて、意外というか、驚きというか。

 どうしよう? 軽はずみな返答はできない。ここはいったん間合いを離して……

「マルコさん、好きなんです。病院に搬送されてきたあなたを見たときから、ずっと、ずっと……! 一目惚れ、というのが本当にあるなんて、私、思いもしませんでした……」

 駄目だ、彼女はずばずば切り込んでくる。男冥利に尽きるが、こんな簡単に関係性を進めてしまってよいものだろうか?

 いや、いいのか。両足を吹き飛ばされて独立歩行もできない俺に、彼女は手を差し伸べている。今これを掴まなかったら、きっと生涯に渡って後悔するだろう。そんな気がした。

 だから俺は、肩に置かれたエリーゼの手を握った。

「エリーゼ。ありがとう。こんな俺を好きになってくれて……。俺も、俺も好きだ。エリーゼ、愛している」

「ああ……!」

 エリーゼが号泣し出した。嬉し泣きも極まって、俺のうなじに雨が降ってくる。

「本当ですね? 本当に、私のことが好きなんですね? 愛してくださるんですね?」

「もちろんさ。病院を出たら一緒に暮らそう。それで特に喧嘩や問題が起きなければ、結婚も視野に入れようじゃないか」

「ありがとうございます……! 私、私……」

 女医は俺の肩から手を離し、回り込んで真正面に来た。その場にひざまずく。歓喜が美しい顔で跳ね回っていた。

「じゃあ、私が秘密にしていたことを話してもいいですか? ちょっと勇気がなくて、打ち明けられなかったことなんですが」

 秘密? はて、何だろう。実は男だったりして、とか? それとも年齢のさばを読んでいたとか?

「実は私、マルコさんに一目惚れして、どうにかして手元に置いておきたくてしょうがなくなったんです。そこで、手術の際、マルコさんの両足を切断させていただきました」

……は? 今、何と?

 エリーゼはうっとりと自己陶酔に浸っている。こちらの驚愕など目にも入らないようだった。

「マルコさんを私の手元に置くために、カルテを改ざんさせていただきました。両足が爆発の影響で腐っているから切り落とそう、という流れを作ったんです。ウェッジさんとホランドさんが多忙で処置室にいなかったおかげで、すんなりことは運びました。ありがとうございます、マルコさん。私、とっても嬉しいです!」

 俺は言葉を吐くどころか呼吸さえ苦しくなった。俺の足を切ったのは、目の前にいるエリーゼ……

「俺は爆発で両足を失ったと思っていたんだけど……」

「いいえ。両足は怪我こそしていましたが、別に切断する必要はありませんでした。私の愛の深さを理解してくださるマルコさんなら、これも受け入れてくださいますよね?」

 エリーゼはくすくす笑う。俺は顔の血の気が引いていくのを感じた。

 今は彼女が、死神のように見えた……

(完)

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