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ファイアーボール・ソーサリー(9559字)

 西暦2029年。人々はのちに『神の恩寵(おんちょう)』と呼ばれるようになる、天からの光を浴びた。それに触れた者は――陳腐な固有名詞だが――『魔法』という力を使えるようになった。

 だが、『神の恩寵』は同時に『悪魔の恩寵』とでもいうべき『魔人』を産み出すようになる。魔法使いたちの力以外を一切寄せ付けない魔人は、どこから現れるのか、異形の姿を見せては次々と人々を襲った。彼らもまた魔法を使えるのが難題だった。

 これを解決するため、日本政府は魔法使いだけが入学でき、魔人撃退の力を学ぶ高校――『国立魔術高等学校』を設立する。将来の自衛隊入隊の代わりに学費が免除されるこの学舎(まなびや)には、腕自慢の魔法使いたちが次々と入学した。

 そして、魔術高校設立から2年目の冬。一人前の魔法使いになるべく、厳しい受験に臨むものたちが校舎に集まった……


「いけねえ、遅刻だっ!」

 龍騎(りゅうき)はパンをくわえながら、鮮烈な日光に輝く街道をひた走っていた。ボサボサで寝癖だらけの赤髪を揺らし、全速力でカーブを曲がる。白いパーカーにデニムという「自宅仕様」な格好のまま、その手に握られているのは受験票の紙切れだ。

 そう、彼は――我妻龍騎(あづま・りゅうき)は、若干15歳の魔法使いであり、国立魔術高校の受験会場に向かう途中だった。

 寝過ごすつもりはなかった。ただ、目覚まし時計のスイッチを切ったとき、「あともう少し、ほんのちょっとだけ」眠ろうとして、うっかり30分も寝てしまっただけなのだ。

 試験開始時刻まであと10分。最高速度の疾走で何とか間に合うか。龍騎は腕時計と計算しながら、パンを噛み千切った。急角度の曲がりへ最適なラインで突入する。

 と、そのときだった。

「きゃあっ!」

「痛てぇっ!」

 前方を歩いていた小さな背中にぶつかる。相手は前へ、自分は後ろへと弾かれた。龍騎は尻餅をつき、食べかけのパンを地面に落とす。

「ああっ、俺のパンが……!」

 ばっちり砂のついた朝食は、飯に目のない龍騎でもさすがに口に入れたいとは思えなかった。残念無念。

「ちょっとあんた、どこ見て走ってんのよ!」

 甲高い怒声が耳に痛い。見上げれば、早くも立ち直った相手――美少女が、どこかの学校の制服らしい衣装に、コートを羽織って仁王立ちしていた。茶色い三つ編みが初々(ういうい)しい。

「ぶつかった美人よりパンの方を先に心配するなんて論外ね。恥を知りなさい、恥を」

 龍騎は困惑して頭をかきながら立ち上がった。まあ、確かに言われてみればその通りだ。自分で自分を「美人」と公言してはばからない娘の態度には、何だか抵抗を感じるが……

「悪い悪い、悪かったよ。でも、とろとろ歩いているあんたもあんた……」

「何か言った?」

「何でもないです」

 少女の視線が龍騎の手元に落ちた。それを辿ると、しわくちゃになった受験票に行き着く。あっ、そうだ、こんなことしてる場合じゃなかった。

「俺、国立魔術高校の受験生なんだ。とにかくぶつかってすまなかった。じゃ、これで!」

 脇を通りすぎようとして、パーカーのフードを引っ張られる。不意打ちで首を締められて、龍騎はから足を踏んだ。

「何すんだよ!」

「あんたも受験生なのね。……てことは魔法使いでもあるわけね」

 女の子は見直したように龍騎に視線を送ってきた。コートのポケットから紙片を取り出す。龍騎はまばたきした。

「あんたも魔高の受験生か!」

 そう、彼女が出したのは国立魔術高校の受験票だったのだ。名前は……高槻響(たかつき・ひびき)。龍騎と同じ中学3年というわけだ。

 龍騎も受験票を見せた。響がのぞき込み、別段面白くもなさそうにうなずく。

「あんたは龍騎っていうのね。そういえば急いでたみたいだけど、どうしたの?」

 おっと、自己紹介してる暇はない。龍騎は慌てて紙を引っ込めた。

「あんたも受験生なら急ぎなよ。もうあと少しで時間だぜ」

「は? 何の?」

「試験だよ試験! 入学試験までもう5分とないぜ」

「嘘っ!」

 響はうろたえて自分の腕時計を凝視した。その表情が安堵に包まれる。からかうように言った。

「馬鹿ね、試験までまだ1時間と5分もあるじゃない」

「へ……?」

「試験は9時からじゃなくて10時からよ。何を馬鹿みたいな間違いしてるのよ」

 龍騎は自分の受験票を伸ばして眺めた。確かに午前10時からとある。アホらしい。どうやら自分は試験開始時刻を1時間も勘違いしていたようだった。

「た、助かった~」

 へたり込む龍騎の姿に、響は大笑いした。


 時刻は9時10分。龍騎と響は連れ立って、試験会場となる魔術高校の正門をくぐった。吐く息が白く濁って消えていく中、早くも先着した魔法使いたちが、自分の術を余念なく練習していた。

『神の恩寵』を受けたものたちの魔法は、一個人に一種類だけだ。一人で複数のそれを使えるものは未だ世界に存在しない。だから魔術の試し撃ちといっても、同じことを繰り返すだけである。

「どうだ俺様の『霧の魔法』は! 目の前が見えまい」

 周囲に自慢しているごう慢な受験生がいた。

「僕の『空気の刃の魔法』なら、木の枝だって真っ二つさ!」

 鼻高々な受験生もいた。

「ぼくはね、次々に鉄を生み出す魔法なんだね、凄いんだね」

 壁に向かって修練する受験生さえもいた。

 通常の筆記試験と、試験官の前で披露する実技試験が、魔術高校入試の二大看板だった。普通の勉強は今さらやっても付け焼き刃にしかならないが、魔法の鍛練は本番に即影響する。無駄な緊張で実技を落とす生徒は、去年結構いたそうだ。

「ねえ龍騎、あんたの魔法を見せてくれない? 私も見せるからさ」

 魔法を試し撃ちしておこうと、龍騎と響は中庭に空きスペースを見つけて鞄を下ろした。響のリクエストに、龍騎は答える。

「まずは響さんが見せてくれよ」

「私から? 別にいいけど……。驚かないでね」

 響は足元に平手を向けた。彼女の髪の毛が逆立ち、コートがひるがえる。魔法使いが力を発揮するときのお馴染みの光景だった。

「いでよ、我がしもべ!」

 次の瞬間、地面の上に熊のぬいぐるみが出現した。全高25センチほどの、茶色い可愛らしいおもちゃだ。え、響の魔法ってこれだけ?

「この熊があんたの魔法なのかい?」

 龍騎は拍子抜けして失笑した。失礼だとは思ったが、どうにも笑いをこらえきれない。

 しかし響は余裕しゃくしゃくだ。熊に命じた。

「龍騎と軽く遊んであげて」

 熊は敬礼すると、龍騎のふくらはぎを思いっきり蹴り込んだ。重爆! いきなりの激痛に龍騎は膝から崩れ落ちる。

「痛えっ!」

 ちょうどいい高さになった龍騎の頬っぺたを、ぬいぐるみは今度は張り手した。乾いた音が鳴り、これまた痛い。

「いてっ、痛えっ!」

 なるほど、あなどった自分が馬鹿だった。響の魔法は強力なしもべを生み出すものだったのだ――見た目は可愛くても、中身は恐ろしいしもべを。

「どう? 笑ってらんないでしょ」

「こ、降参するよ。もう引っ込めてくれ」

 勝ち誇った表情の響に哀願して、ようやくぬいぐるみに退場してもらう。立ち上がり、砂を払った。

「ああ、驚いた……」

「どう? なかなかのものでしょ。……さ、今度は龍騎の番よ。やってみせて」

 響は催促(さいそく)した。龍騎は好奇と興味の視線を痛く感じたが、観念して手の平を上に向ける。

「火球!」

 龍騎の掌の真上に火の玉が浮かび上がった。怪談に出てくるような青い炎。響がまじまじと見つめる。少しつまらなさそうにしていた。

「へーっ、これがあんたの魔法ね。ふーん」

「何だよ、馬鹿にするなよな。これでも苦心して作り上げたんだぜ」

 龍騎は門の方を向くと、ピッチャーよろしく振りかぶった。そして思い切り火球をぶん投げる。それは狙いあやまたず、門の横の壁に命中して砕け散った。新たに校内に入ってきた別の受験生がぎょっとする。

「コントロールはいいわね」

「俺、これでも野球部だったんだ」

「なるほど」

 そのときだった。

 龍騎と響に大音じょうが叩きつけられたのは。

「おんしら! 情けないのう!」

 何かと思って発生源を見れば、190センチはあるであろう大男が、こちらに向かって腕を組んでいる。その格好は大昔の番長風で、裸の上半身に白いさらしを巻き、学ランをマントのように羽織っていた。寒くないのだろうか?

 岩石の塊のような顔の中で、ぶっとい黒眉毛が跳ねたり下がったりと忙しい。彼はずかずかと歩み寄ってきた。びっくりすることに、彼の取り巻きらしき学ランの男たちが、兵隊よろしく後をついてくる。受験に子分を連れてきてどうする、と龍騎は頭が痛くなった。

「何よあんた」

 響が腰に手を当てて厳しく瞳を光らせる。大男は立ち止まった。

「わしは大門寺大五郎だいもんじ・だいごろう! さっきからおんしらの魔法を見させてもらったが、全く笑わせてもらったわい! そのレベルで魔人と戦えると思っておるのか? ちゃんちゃらおかしいわ!」

 龍騎はカチンとくる。何だこいつは、やぶから棒に。思わず口をついて反論していた。

「俺の死んだじいちゃんが、生前に俺の魔法を誉めてくれてたんだ。それを馬鹿にするなよな」

「ほうほう、おじいちゃんがねえ! なら、もしそいつがわしの魔法を目の当たりにしたら、あまりのレベルの違いに激賞間違いなしじゃな!」

 大五郎は豪快に笑った。子分たちも追従(ついしょう)する。他の受験生たちが大声につられて、にわかに集まってきていた。見せ物と化していることに、龍騎は耳が熱くなる。

「うるせえな。だったらそのレベルの違う魔法とやらを見せてもらおうか。やってみろよ、大男」

「では一つ、披露してやろうかな!」

 大五郎は片手を天にかざした。髪の毛が反り返り、その手の平の上に何かが出現する。響が感嘆した。

「これは……!」

「そう! 氷じゃい!」

 現れたのは氷のつららだった。大人2人ぶんはある、物凄いでかさだ。厚みも申し分ない。

「ふん!」

 番長男は腕を振り下ろし、氷柱を地面に叩きつけた。アスファルトが割れ、深々と半分近く刺さり込む。あっという間に氷の大樹が出来上がった。

「す、凄い……!」

 龍騎も響も声を失って青ざめる。確かに言うだけのことはあって、大五郎の魔法は桁違いだ。彼は高らかに哄笑すると、龍騎にあごをしゃくった。

「ほれ、お前の魔法が本当にわしのそれに太刀打ちできるかどうか、やってみんしゃい! 火球をぶつけてこの氷を溶かしてみせろ! どうした、出来んのか?」

 呆気にとられていた龍騎は、その挑発に気を取り直した。くそっ、ふざけやがって。

「おお、やってやるさ! 火球!」

 龍騎は火の玉を振りかぶった。目の前の氷柱めがけて炎をぶん投げる。うなりを上げたそれは、氷のど真ん中に命中した。

 だが……

「ちっ、ちくしょう!」

 氷は溶けたりしなかった。しびれるような冷気を漂わせ、依然健在である。火球の方はといえば、ふつかると同時に粉々に砕け散ってしまった。

 周囲から爆笑が起きる。大五郎とその取り巻きだけでなく、見物していた他の受験生たちからも笑いが起きていた。ひどいさらし者だ。

 悔しい。じいちゃんが誉めてくれた魔法が、こんな馬鹿みたいな奴のそれに負けるなんて。将来は人間たちを守るんだって、今日まで頑張って修行してきたのに……

 気づけば膝を折って地面を殴り付けていた。ちくしょう、ちくしょう……!

 しぼれば優越感の水がしたたり落ちそうな、大五郎の声が響く。

「さあ受験だ受験! 皆の衆、そろそろ時間だぞ! まずは筆記試験からじゃ! 校舎に入るとしようか!」

 大五郎と受験生たちが去っていく。龍騎は歯軋りしてなかなか立ち上がれなかった。響の手が肩に置かれる。

「龍騎、落ち込まないでよ。私は龍騎の魔法、全然凄いと思ってるからさ」

「いいよ。うっさい」

 慰められるのが辛くて、龍騎は立ち上がった。腕時計は9時50分を指している。もう行くしかない。

「じゃあな。お互い頑張ろうな、試験」

「龍騎……」

 龍騎は響を置いてけぼりに、校内へと入っていった。


「ふう、終わったー」

 龍騎は出てもいない汗をぬぐった。筆記試験は国語、英語、世界史の三科目だった。取り敢えずテストの出来は良かった。答え合わせは帰ってからするとして、ひとまず安心だ。

 大五郎はどうしてるだろうか? あの巨体で中学3年というのも凄いが、おつむの方は見かけ通りなのだろうか? 響はうまくやれたかな?

 何だか色々と考えてしまう。この後の実技試験に多大な不安を抱えているからだろう。ああ、また大五郎と顔を会わせなきゃならないのか。他の、俺を笑っていた生徒たちとも。龍騎はへこんでいた。

 荷物をしまって、立ち上がろうとしたときだった。

 大音響と共に凄まじい揺れが起きたのは。

「じ、地震か?」

 他の受験生たちがおののきの声を上げて、机の下に潜り込む。いや、地震じゃない。これは……

 爆発音がとどろいた。違う。これは何かの攻撃だ。この校舎が、爆撃機か何かで襲撃されているんだ。でも、何で?

 龍騎の頭に閃くものがあった。地震でも爆撃機でもない。こいつは……

 こいつは、『魔人』の襲来じゃないのか?

 龍騎は試験会場の教室を飛び出していた。音源の方向へ走りながら、頭に浮かんだのはじいちゃんの笑顔だった。

 じいちゃんは魔人に殺された。龍騎が中学1年のとき、彼の誕生日プレゼントを買いに、じいちゃんは街へ出かけた。その帰り道、魔人に遭遇して、その他の人々と共に刺し殺されたのだ。

 その魔人は、英雄的な評価の高い魔法使いが倒してくれた。でもちっとも嬉しくなんかなかった。じいちゃんの笑顔は、もう帰らないのだから……。あのとき龍騎は泣きに泣いた。誕生日なんてもう来なくていい、そうとさえ思った。

 その次に考えたのは、ありきたりな復讐だった。魔人から人々を守る。そのために生きていこう。龍騎はそう誓ったのだ。魔法使いは周囲におらず、ほぼ個人で練習しなければならなかったが、それを苦としたことはなかった……


 白い粉塵が舞い上がっている。さっきまで昇降口だったところはがれきの山と化していた。龍騎が駆けつけて見てみれば、武装した高校教師たちが一人の男と対峙している。その背後を囲むのは勇気ある生徒たちと、大五郎に響だった。

「大五郎! どうなってるんだ?」

「魔人じゃ、魔人! おんしみたいなヨワヨワな魔法使いは引っ込んでおれ!」

 番長男は振り向きもせず龍騎をあしらった。一方響は近づいてきて耳打ちしてくる。

「龍騎! あの、龍騎さ、さっきのことだけど……」

「さっきのことならどうでもいい。俺は気にしてない」

「いや、そうじゃなくてさ……」

 男が――魔人がくつくつと笑った。てっきり異形の姿形かと思いきや、緑のスーツにオレンジのネクタイと、派手だが人間らしい身なりをしている。龍騎はもっとよく見てみた。

 やはり男は異様だった。両目は半ば飛び出し、左右が明後日の方向を向いている。紅色の舌がだらりと垂れ下がり、耳は鬼のようにつり上がっていた。痩せて骨が浮き、両手の爪は尋常ではない長さで鋭く尖っている。そして右手首から(むち)のような縄のようなものが伸びて地面にとぐろを巻いていた。

 おぞましい。恐ろしい。龍騎は足がすくんでただただ立ち尽くした。

 教師陣が鎧姿も勇ましげに魔法を使う。龍騎のそれより何倍も強力そうな火炎放射を、その手の平から放出した。

「オレにそんなものが効くものか」

 魔人は首を傾けてケタケタ笑うと、全身炎に包まれた。

――いや、そうじゃない。

 魔人の周りに球状の壁が出来ており、教師の魔法を弾き返している!

「くっ、駄目だ、届かん!」

 教師が悔しげに叫んだ。そうか、魔人の魔法は、相手の魔法を弾く「力場」なのか。となると、肉弾戦しか対処法はないとなる。

「これでも食らえ!」

 別の教官がマシンガンを乱射した。並みの人間なら蜂の巣になって絶命しているところだろう。だが魔人はスーツをずたずたにされても平気な顔をしていた。まるで何も大したことは起こっていないと言いたげである。

「オレの本気を見せてやるよ」

 魔人はそうつぶやくと、素早く鞭を振り回した。たちまち教師陣は吹き飛ばされ、また校舎は破壊された。コンクリートの残骸が落下してきて、大五郎たちは慌ててよける。

「おのれ、わしが相手じゃ! わしの氷柱を食らえぃっ!」

 大五郎がさっき見せた魔法を再現した。今度は本気も本気、ロケット並みのでかさの氷塊を瞬時に作り上げた。みこしをかつぐような投法で魔人に投てきする。

 だが――

「無理だよ、オレのバリアは破れん」

 あの大五郎の魔法が、やはり魔人の直前で粉砕された。投げた人間が敗者の、投げられた魔人が勝者の表情を形作る。

「くっ……馬鹿な!」

 血まみれの教官たちがぼろぼろながらも立ち上がった。咳き込みながら大五郎たちに呼びかける。

「に、逃げなさい! この魔人は特Aクラスだ! 君たちの手には負えん!」

「し、しかし先生方も勝つ方法がないでしょう!」

「いいから逃げなさい!」

 龍騎は絶望感に囚われた。教師の火炎放射や大五郎の氷柱が通じないなら、俺の火球なんか何の役にも立たないだろう。唇を噛み締めて、ただ魔人をにらみつける。何とかしないと、何とか……!

 そこで響が龍騎の袖を引いた。

「龍騎、多分間違いないと思う。あいつにあんたの火球を投げつけて!」

「えっ? でも、バリアで弾かれる……」

「いいから早く! 先生たちが殺されちゃう!」

 響の切迫した調子に、龍騎は反射的にうなずいた。

「わ、分かった!」

 彼女は何かを知っている。だがそれを教えてもらう暇はなかった。

「火球!」

 龍騎の手の平に火の玉が宿る。魔人がそれに気づいて、馬鹿にしたように笑った。

「おやおや、お子様の火遊びか。オレに効くとでも思ってるのかい?」

「うるせえっ!」

 龍騎は渾身の力を込めて、火球を魔人へと投げつけた。野球部現役時代にならしたストレートだ。それは今までの魔人と人間の攻防に加わった、わずかなともし火にしか見えなかった。

 だが。

「ぐわあっ!」

 信じられないことが起きた。何と魔人の力場が、「それごと燃え上がった」のだ。相手は激しい炎に包まれて吹き飛び、校舎の外へと転げ出た。周囲から驚きの声が上がる。だが一番驚いていたのは、食らった魔人でも戦っていた人間たちでもない、他ならぬ龍騎本人だった。

「な、何でだ? 何が起こったんだ?」

 指を鳴らして喜ぶ響が、龍騎に説明する。

「さっきあんた、大五郎の氷柱に火球をぶつけて弾かれたでしょ。で、気落ちしてさっさと試験会場に向かって……。その姿を見送った私は、不意に気がついたの。『氷柱が燃えてる』って」

「氷柱が燃えた?」

「つまり」

 響は片目をつぶって人差し指を立てた。

「龍騎、あんたの魔法は、『他人の術に上乗せされる』のよ。大五郎の魔術の氷塊は、あんたの火球を受けて――時間差はあったけど――燃え上がり、炎を吹き上げて消えちゃった。そして今の魔人のバリア。あんたの魔法は力場ごと燃え上がって、魔人を倒したってわけ。氷柱だけだと半信半疑だったけど、今ので確証が持てたわ」

……信じられない。龍騎は自分の手の平を眺めた。俺の魔法にそんな力があったなんて。今まで他人の魔法に自分の魔法を被せた経験がなかったために、そのことに気づけなかったのだ。

 魔人を倒せた。この俺が! 静かに、だが力強い自信がみなぎってきた。

「よっしゃあああ!」

 龍騎は両手を広げ、天を仰いだ。じいちゃん、見ててくれたかな? やったよ、俺。みんなを救ったよ!

「何がよっしゃあ、だ」

 歓喜の渦は起こらなかった。何と魔人が立ち上がっているではないか。そんな、倒せたんじゃなかったのか? 再び緊張感が辺りにみなぎった。

「魔法に魔法を上乗せする、か。なるほど、確かにそいつばかりは読めなかった。だがオレに二度同じ手は通じんぞ」

 痩せぎすの魔人は焼け焦げたボロをまとって、再び前進してきた。龍騎は手につばを吐き、火球を作り出す。

「懲りねえ魔人だな! もういっちょお見舞いしてやる!」

 龍騎は炎の玉をぶん投げた。だが……

「何っ?」

 魔人はバリアの魔法ではなく、手にした鞭で火球をはたき落としたのだ。龍騎は迫りつつある魔人に恐怖し、二度三度と火の玉を投てきする。しかし、それも相手の鞭の前に砕け散った。

「くそ……っ!」

 魔人が薄ら笑いを浮かべてにじり寄ってくる。舌なめずりをした。

「鞭の射程範囲に入ったぞ。死ね、クソガキ!」

「ちくしょおおおっ!」

 龍騎は魔法の使いすぎで疲労困ぱいのまま、更にもう一球投げる。だがこれも鞭で跳ね返された。

「終わりのようだな。くたばれっ!」

 そのときだった。

 ボロボロだった教師陣が、最後の力を振り絞って火炎放射や光の矢を。大五郎が氷の槍を。響が熊のぬいぐるみを。それぞれ、ありったけの力で魔人に叩きつけたのだ。

「く、くそっ!」

 魔人は慌ててバリアを張った。張らざるを得なかった。魔法が目に見えて遮断される。

 響が必死に叫んだ。

「今よっ、龍騎! 火球を!」

 呆然としていた龍騎が我に返る。手の平に炎の球体を発現させた。

「おうっ! 食らいやがれ、魔人!」

「し、しまった……!」

 もうこれ以上魔法が使えなくなってもいい。それぐらいの覚悟と残りの体力で作り上げた火の玉を、龍騎は魔人めがけて投げつけた。

 それは狙いあやまたず、相手の胸元に吸い込まれるように飛翔する。

「ぎゃあああっ!」

 魔人が炎に包まれて絶叫した。その体の輪郭が崩れ、摩滅し、滅んでいく。大爆発の後には、その姿は気配すら残さず消滅していた。

 粉塵が舞い、がれきからぱらぱらと粒がこぼれ落ちる。一瞬の静寂は、噴火するような大歓声でかき消された。

「やったあ!」

「た、倒したぞ、特Aクラスの魔人を……!」

「助かったぁ……!」

 龍騎は中腰で息を切らし、額からボタボタと汗を垂らした。全身全霊の魔法の後は、心地よい疲労が待っていた。

「や、やっつけた……。じいちゃん、やったよ……」

 大五郎がその背を叩く。はにかむような口調だった。

「酷いことを言って悪かったのう。おんしのおかげじゃ。ありがとうな」

 響が肩を叩いてくる。涙ぐんだ声でささやいた。

「これで実技試験は受かったも同然ね。私の発見に感謝しなさいよ」

 龍騎は身を起こすと彼女らに微笑んだ。

「こっちこそ、ありがとう」

 守れた。人間を守れた。そのことが、何より嬉しかった。


 響の予想通り、龍騎は国立魔術高校に合格した。大五郎と響の2人も試験をパスしていた。これから長いようで短い3年間が始まる。

 と、その前に。

「俺、完全に荷物持ちになってない?」

「だってそのつもりで来たんでしょ? つべこべ言わずにさっさと歩きなさいよ」

 春休み、龍騎は響のショッピングに付き合わされていた。彼女は家族と一緒に卒業記念の旅行に出かけるらしく、そのための衣装を探しているのだという。それで龍騎は「試験日の朝にぶつかった借りを返す」ためにお呼ばれしたのだった。

「はあ、辛いな……」

 紙袋にはぎっしりとワンピースやらノースリーブやらスカートやらが詰まっている。それが三つも四つもあるのだ。正直、魔人との戦いぐらいに疲れている龍騎だった。

「ところでさ」

 ショッピングセンターのベンチで腰を下ろし、ひとまず休憩となったところで、響が尋ねてきた。少し深刻そうな、でも面白がっているような、そんな表情。

「何だよ」

「龍騎ってさ、彼女いるの?」

 ずいぶん唐突な質問である。龍騎はくたくたになった足を伸ばしていた。

「いないよ。それがどしたの?」

「いや、こうしても怒られないかな、ってさ」

 次の瞬間、龍騎の頬にやわらかいものが触れた。響の唇だった。

 え? 唇?

「ちょ、ちょっと……」

 離れて澄まし顔の響を、耳を熱くして凝視する龍騎。何だ? 何がどうなった?

 響はくすりと笑って立ち上がった。

「さあ、買い物買い物ー! 行くわよ龍騎! ぼさっとしてない!」

「え、あ、うん……」

 先を行く響の背中を慌てて追いかける龍騎。荷物が少し軽くなったように感じた。

 今日も行楽地は人でにぎわっている。その平和の中を、2人は進んでいくのだった……


(完)

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