ファイアーボール・ソーサリー(9559字)
西暦2029年。人々はのちに『神の恩寵』と呼ばれるようになる、天からの光を浴びた。それに触れた者は――陳腐な固有名詞だが――『魔法』という力を使えるようになった。
だが、『神の恩寵』は同時に『悪魔の恩寵』とでもいうべき『魔人』を産み出すようになる。魔法使いたちの力以外を一切寄せ付けない魔人は、どこから現れるのか、異形の姿を見せては次々と人々を襲った。彼らもまた魔法を使えるのが難題だった。
これを解決するため、日本政府は魔法使いだけが入学でき、魔人撃退の力を学ぶ高校――『国立魔術高等学校』を設立する。将来の自衛隊入隊の代わりに学費が免除されるこの学舎には、腕自慢の魔法使いたちが次々と入学した。
そして、魔術高校設立から2年目の冬。一人前の魔法使いになるべく、厳しい受験に臨むものたちが校舎に集まった……
「いけねえ、遅刻だっ!」
龍騎はパンをくわえながら、鮮烈な日光に輝く街道をひた走っていた。ボサボサで寝癖だらけの赤髪を揺らし、全速力でカーブを曲がる。白いパーカーにデニムという「自宅仕様」な格好のまま、その手に握られているのは受験票の紙切れだ。
そう、彼は――我妻龍騎は、若干15歳の魔法使いであり、国立魔術高校の受験会場に向かう途中だった。
寝過ごすつもりはなかった。ただ、目覚まし時計のスイッチを切ったとき、「あともう少し、ほんのちょっとだけ」眠ろうとして、うっかり30分も寝てしまっただけなのだ。
試験開始時刻まであと10分。最高速度の疾走で何とか間に合うか。龍騎は腕時計と計算しながら、パンを噛み千切った。急角度の曲がりへ最適なラインで突入する。
と、そのときだった。
「きゃあっ!」
「痛てぇっ!」
前方を歩いていた小さな背中にぶつかる。相手は前へ、自分は後ろへと弾かれた。龍騎は尻餅をつき、食べかけのパンを地面に落とす。
「ああっ、俺のパンが……!」
ばっちり砂のついた朝食は、飯に目のない龍騎でもさすがに口に入れたいとは思えなかった。残念無念。
「ちょっとあんた、どこ見て走ってんのよ!」
甲高い怒声が耳に痛い。見上げれば、早くも立ち直った相手――美少女が、どこかの学校の制服らしい衣装に、コートを羽織って仁王立ちしていた。茶色い三つ編みが初々しい。
「ぶつかった美人よりパンの方を先に心配するなんて論外ね。恥を知りなさい、恥を」
龍騎は困惑して頭をかきながら立ち上がった。まあ、確かに言われてみればその通りだ。自分で自分を「美人」と公言してはばからない娘の態度には、何だか抵抗を感じるが……
「悪い悪い、悪かったよ。でも、とろとろ歩いているあんたもあんた……」
「何か言った?」
「何でもないです」
少女の視線が龍騎の手元に落ちた。それを辿ると、しわくちゃになった受験票に行き着く。あっ、そうだ、こんなことしてる場合じゃなかった。
「俺、国立魔術高校の受験生なんだ。とにかくぶつかってすまなかった。じゃ、これで!」
脇を通りすぎようとして、パーカーのフードを引っ張られる。不意打ちで首を締められて、龍騎はから足を踏んだ。
「何すんだよ!」
「あんたも受験生なのね。……てことは魔法使いでもあるわけね」
女の子は見直したように龍騎に視線を送ってきた。コートのポケットから紙片を取り出す。龍騎はまばたきした。
「あんたも魔高の受験生か!」
そう、彼女が出したのは国立魔術高校の受験票だったのだ。名前は……高槻響。龍騎と同じ中学3年というわけだ。
龍騎も受験票を見せた。響がのぞき込み、別段面白くもなさそうにうなずく。
「あんたは龍騎っていうのね。そういえば急いでたみたいだけど、どうしたの?」
おっと、自己紹介してる暇はない。龍騎は慌てて紙を引っ込めた。
「あんたも受験生なら急ぎなよ。もうあと少しで時間だぜ」
「は? 何の?」
「試験だよ試験! 入学試験までもう5分とないぜ」
「嘘っ!」
響はうろたえて自分の腕時計を凝視した。その表情が安堵に包まれる。からかうように言った。
「馬鹿ね、試験までまだ1時間と5分もあるじゃない」
「へ……?」
「試験は9時からじゃなくて10時からよ。何を馬鹿みたいな間違いしてるのよ」
龍騎は自分の受験票を伸ばして眺めた。確かに午前10時からとある。アホらしい。どうやら自分は試験開始時刻を1時間も勘違いしていたようだった。
「た、助かった~」
へたり込む龍騎の姿に、響は大笑いした。
時刻は9時10分。龍騎と響は連れ立って、試験会場となる魔術高校の正門をくぐった。吐く息が白く濁って消えていく中、早くも先着した魔法使いたちが、自分の術を余念なく練習していた。
『神の恩寵』を受けたものたちの魔法は、一個人に一種類だけだ。一人で複数のそれを使えるものは未だ世界に存在しない。だから魔術の試し撃ちといっても、同じことを繰り返すだけである。
「どうだ俺様の『霧の魔法』は! 目の前が見えまい」
周囲に自慢しているごう慢な受験生がいた。
「僕の『空気の刃の魔法』なら、木の枝だって真っ二つさ!」
鼻高々な受験生もいた。
「ぼくはね、次々に鉄を生み出す魔法なんだね、凄いんだね」
壁に向かって修練する受験生さえもいた。
通常の筆記試験と、試験官の前で披露する実技試験が、魔術高校入試の二大看板だった。普通の勉強は今さらやっても付け焼き刃にしかならないが、魔法の鍛練は本番に即影響する。無駄な緊張で実技を落とす生徒は、去年結構いたそうだ。
「ねえ龍騎、あんたの魔法を見せてくれない? 私も見せるからさ」
魔法を試し撃ちしておこうと、龍騎と響は中庭に空きスペースを見つけて鞄を下ろした。響のリクエストに、龍騎は答える。
「まずは響さんが見せてくれよ」
「私から? 別にいいけど……。驚かないでね」
響は足元に平手を向けた。彼女の髪の毛が逆立ち、コートがひるがえる。魔法使いが力を発揮するときのお馴染みの光景だった。
「いでよ、我がしもべ!」
次の瞬間、地面の上に熊のぬいぐるみが出現した。全高25センチほどの、茶色い可愛らしいおもちゃだ。え、響の魔法ってこれだけ?
「この熊があんたの魔法なのかい?」
龍騎は拍子抜けして失笑した。失礼だとは思ったが、どうにも笑いをこらえきれない。
しかし響は余裕しゃくしゃくだ。熊に命じた。
「龍騎と軽く遊んであげて」
熊は敬礼すると、龍騎のふくらはぎを思いっきり蹴り込んだ。重爆! いきなりの激痛に龍騎は膝から崩れ落ちる。
「痛えっ!」
ちょうどいい高さになった龍騎の頬っぺたを、ぬいぐるみは今度は張り手した。乾いた音が鳴り、これまた痛い。
「いてっ、痛えっ!」
なるほど、あなどった自分が馬鹿だった。響の魔法は強力なしもべを生み出すものだったのだ――見た目は可愛くても、中身は恐ろしいしもべを。
「どう? 笑ってらんないでしょ」
「こ、降参するよ。もう引っ込めてくれ」
勝ち誇った表情の響に哀願して、ようやくぬいぐるみに退場してもらう。立ち上がり、砂を払った。
「ああ、驚いた……」
「どう? なかなかのものでしょ。……さ、今度は龍騎の番よ。やってみせて」
響は催促した。龍騎は好奇と興味の視線を痛く感じたが、観念して手の平を上に向ける。
「火球!」
龍騎の掌の真上に火の玉が浮かび上がった。怪談に出てくるような青い炎。響がまじまじと見つめる。少しつまらなさそうにしていた。
「へーっ、これがあんたの魔法ね。ふーん」
「何だよ、馬鹿にするなよな。これでも苦心して作り上げたんだぜ」
龍騎は門の方を向くと、ピッチャーよろしく振りかぶった。そして思い切り火球をぶん投げる。それは狙いあやまたず、門の横の壁に命中して砕け散った。新たに校内に入ってきた別の受験生がぎょっとする。
「コントロールはいいわね」
「俺、これでも野球部だったんだ」
「なるほど」
そのときだった。
龍騎と響に大音じょうが叩きつけられたのは。
「おんしら! 情けないのう!」
何かと思って発生源を見れば、190センチはあるであろう大男が、こちらに向かって腕を組んでいる。その格好は大昔の番長風で、裸の上半身に白いさらしを巻き、学ランをマントのように羽織っていた。寒くないのだろうか?
岩石の塊のような顔の中で、ぶっとい黒眉毛が跳ねたり下がったりと忙しい。彼はずかずかと歩み寄ってきた。びっくりすることに、彼の取り巻きらしき学ランの男たちが、兵隊よろしく後をついてくる。受験に子分を連れてきてどうする、と龍騎は頭が痛くなった。
「何よあんた」
響が腰に手を当てて厳しく瞳を光らせる。大男は立ち止まった。
「わしは大門寺大五郎! さっきからおんしらの魔法を見させてもらったが、全く笑わせてもらったわい! そのレベルで魔人と戦えると思っておるのか? ちゃんちゃらおかしいわ!」
龍騎はカチンとくる。何だこいつは、やぶから棒に。思わず口をついて反論していた。
「俺の死んだじいちゃんが、生前に俺の魔法を誉めてくれてたんだ。それを馬鹿にするなよな」
「ほうほう、おじいちゃんがねえ! なら、もしそいつがわしの魔法を目の当たりにしたら、あまりのレベルの違いに激賞間違いなしじゃな!」
大五郎は豪快に笑った。子分たちも追従する。他の受験生たちが大声につられて、にわかに集まってきていた。見せ物と化していることに、龍騎は耳が熱くなる。
「うるせえな。だったらそのレベルの違う魔法とやらを見せてもらおうか。やってみろよ、大男」
「では一つ、披露してやろうかな!」
大五郎は片手を天にかざした。髪の毛が反り返り、その手の平の上に何かが出現する。響が感嘆した。
「これは……!」
「そう! 氷じゃい!」
現れたのは氷のつららだった。大人2人ぶんはある、物凄いでかさだ。厚みも申し分ない。
「ふん!」
番長男は腕を振り下ろし、氷柱を地面に叩きつけた。アスファルトが割れ、深々と半分近く刺さり込む。あっという間に氷の大樹が出来上がった。
「す、凄い……!」
龍騎も響も声を失って青ざめる。確かに言うだけのことはあって、大五郎の魔法は桁違いだ。彼は高らかに哄笑すると、龍騎にあごをしゃくった。
「ほれ、お前の魔法が本当にわしのそれに太刀打ちできるかどうか、やってみんしゃい! 火球をぶつけてこの氷を溶かしてみせろ! どうした、出来んのか?」
呆気にとられていた龍騎は、その挑発に気を取り直した。くそっ、ふざけやがって。
「おお、やってやるさ! 火球!」
龍騎は火の玉を振りかぶった。目の前の氷柱めがけて炎をぶん投げる。うなりを上げたそれは、氷のど真ん中に命中した。
だが……
「ちっ、ちくしょう!」
氷は溶けたりしなかった。しびれるような冷気を漂わせ、依然健在である。火球の方はといえば、ふつかると同時に粉々に砕け散ってしまった。
周囲から爆笑が起きる。大五郎とその取り巻きだけでなく、見物していた他の受験生たちからも笑いが起きていた。ひどいさらし者だ。
悔しい。じいちゃんが誉めてくれた魔法が、こんな馬鹿みたいな奴のそれに負けるなんて。将来は人間たちを守るんだって、今日まで頑張って修行してきたのに……
気づけば膝を折って地面を殴り付けていた。ちくしょう、ちくしょう……!
しぼれば優越感の水がしたたり落ちそうな、大五郎の声が響く。
「さあ受験だ受験! 皆の衆、そろそろ時間だぞ! まずは筆記試験からじゃ! 校舎に入るとしようか!」
大五郎と受験生たちが去っていく。龍騎は歯軋りしてなかなか立ち上がれなかった。響の手が肩に置かれる。
「龍騎、落ち込まないでよ。私は龍騎の魔法、全然凄いと思ってるからさ」
「いいよ。うっさい」
慰められるのが辛くて、龍騎は立ち上がった。腕時計は9時50分を指している。もう行くしかない。
「じゃあな。お互い頑張ろうな、試験」
「龍騎……」
龍騎は響を置いてけぼりに、校内へと入っていった。
「ふう、終わったー」
龍騎は出てもいない汗をぬぐった。筆記試験は国語、英語、世界史の三科目だった。取り敢えずテストの出来は良かった。答え合わせは帰ってからするとして、ひとまず安心だ。
大五郎はどうしてるだろうか? あの巨体で中学3年というのも凄いが、おつむの方は見かけ通りなのだろうか? 響はうまくやれたかな?
何だか色々と考えてしまう。この後の実技試験に多大な不安を抱えているからだろう。ああ、また大五郎と顔を会わせなきゃならないのか。他の、俺を笑っていた生徒たちとも。龍騎はへこんでいた。
荷物をしまって、立ち上がろうとしたときだった。
大音響と共に凄まじい揺れが起きたのは。
「じ、地震か?」
他の受験生たちがおののきの声を上げて、机の下に潜り込む。いや、地震じゃない。これは……
爆発音がとどろいた。違う。これは何かの攻撃だ。この校舎が、爆撃機か何かで襲撃されているんだ。でも、何で?
龍騎の頭に閃くものがあった。地震でも爆撃機でもない。こいつは……
こいつは、『魔人』の襲来じゃないのか?
龍騎は試験会場の教室を飛び出していた。音源の方向へ走りながら、頭に浮かんだのはじいちゃんの笑顔だった。
じいちゃんは魔人に殺された。龍騎が中学1年のとき、彼の誕生日プレゼントを買いに、じいちゃんは街へ出かけた。その帰り道、魔人に遭遇して、その他の人々と共に刺し殺されたのだ。
その魔人は、英雄的な評価の高い魔法使いが倒してくれた。でもちっとも嬉しくなんかなかった。じいちゃんの笑顔は、もう帰らないのだから……。あのとき龍騎は泣きに泣いた。誕生日なんてもう来なくていい、そうとさえ思った。
その次に考えたのは、ありきたりな復讐だった。魔人から人々を守る。そのために生きていこう。龍騎はそう誓ったのだ。魔法使いは周囲におらず、ほぼ個人で練習しなければならなかったが、それを苦としたことはなかった……
白い粉塵が舞い上がっている。さっきまで昇降口だったところはがれきの山と化していた。龍騎が駆けつけて見てみれば、武装した高校教師たちが一人の男と対峙している。その背後を囲むのは勇気ある生徒たちと、大五郎に響だった。
「大五郎! どうなってるんだ?」
「魔人じゃ、魔人! おんしみたいなヨワヨワな魔法使いは引っ込んでおれ!」
番長男は振り向きもせず龍騎をあしらった。一方響は近づいてきて耳打ちしてくる。
「龍騎! あの、龍騎さ、さっきのことだけど……」
「さっきのことならどうでもいい。俺は気にしてない」
「いや、そうじゃなくてさ……」
男が――魔人がくつくつと笑った。てっきり異形の姿形かと思いきや、緑のスーツにオレンジのネクタイと、派手だが人間らしい身なりをしている。龍騎はもっとよく見てみた。
やはり男は異様だった。両目は半ば飛び出し、左右が明後日の方向を向いている。紅色の舌がだらりと垂れ下がり、耳は鬼のようにつり上がっていた。痩せて骨が浮き、両手の爪は尋常ではない長さで鋭く尖っている。そして右手首から鞭のような縄のようなものが伸びて地面にとぐろを巻いていた。
おぞましい。恐ろしい。龍騎は足がすくんでただただ立ち尽くした。
教師陣が鎧姿も勇ましげに魔法を使う。龍騎のそれより何倍も強力そうな火炎放射を、その手の平から放出した。
「オレにそんなものが効くものか」
魔人は首を傾けてケタケタ笑うと、全身炎に包まれた。
――いや、そうじゃない。
魔人の周りに球状の壁が出来ており、教師の魔法を弾き返している!
「くっ、駄目だ、届かん!」
教師が悔しげに叫んだ。そうか、魔人の魔法は、相手の魔法を弾く「力場」なのか。となると、肉弾戦しか対処法はないとなる。
「これでも食らえ!」
別の教官がマシンガンを乱射した。並みの人間なら蜂の巣になって絶命しているところだろう。だが魔人はスーツをずたずたにされても平気な顔をしていた。まるで何も大したことは起こっていないと言いたげである。
「オレの本気を見せてやるよ」
魔人はそうつぶやくと、素早く鞭を振り回した。たちまち教師陣は吹き飛ばされ、また校舎は破壊された。コンクリートの残骸が落下してきて、大五郎たちは慌ててよける。
「おのれ、わしが相手じゃ! わしの氷柱を食らえぃっ!」
大五郎がさっき見せた魔法を再現した。今度は本気も本気、ロケット並みのでかさの氷塊を瞬時に作り上げた。みこしをかつぐような投法で魔人に投てきする。
だが――
「無理だよ、オレのバリアは破れん」
あの大五郎の魔法が、やはり魔人の直前で粉砕された。投げた人間が敗者の、投げられた魔人が勝者の表情を形作る。
「くっ……馬鹿な!」
血まみれの教官たちがぼろぼろながらも立ち上がった。咳き込みながら大五郎たちに呼びかける。
「に、逃げなさい! この魔人は特Aクラスだ! 君たちの手には負えん!」
「し、しかし先生方も勝つ方法がないでしょう!」
「いいから逃げなさい!」
龍騎は絶望感に囚われた。教師の火炎放射や大五郎の氷柱が通じないなら、俺の火球なんか何の役にも立たないだろう。唇を噛み締めて、ただ魔人をにらみつける。何とかしないと、何とか……!
そこで響が龍騎の袖を引いた。
「龍騎、多分間違いないと思う。あいつにあんたの火球を投げつけて!」
「えっ? でも、バリアで弾かれる……」
「いいから早く! 先生たちが殺されちゃう!」
響の切迫した調子に、龍騎は反射的にうなずいた。
「わ、分かった!」
彼女は何かを知っている。だがそれを教えてもらう暇はなかった。
「火球!」
龍騎の手の平に火の玉が宿る。魔人がそれに気づいて、馬鹿にしたように笑った。
「おやおや、お子様の火遊びか。オレに効くとでも思ってるのかい?」
「うるせえっ!」
龍騎は渾身の力を込めて、火球を魔人へと投げつけた。野球部現役時代にならしたストレートだ。それは今までの魔人と人間の攻防に加わった、わずかなともし火にしか見えなかった。
だが。
「ぐわあっ!」
信じられないことが起きた。何と魔人の力場が、「それごと燃え上がった」のだ。相手は激しい炎に包まれて吹き飛び、校舎の外へと転げ出た。周囲から驚きの声が上がる。だが一番驚いていたのは、食らった魔人でも戦っていた人間たちでもない、他ならぬ龍騎本人だった。
「な、何でだ? 何が起こったんだ?」
指を鳴らして喜ぶ響が、龍騎に説明する。
「さっきあんた、大五郎の氷柱に火球をぶつけて弾かれたでしょ。で、気落ちしてさっさと試験会場に向かって……。その姿を見送った私は、不意に気がついたの。『氷柱が燃えてる』って」
「氷柱が燃えた?」
「つまり」
響は片目をつぶって人差し指を立てた。
「龍騎、あんたの魔法は、『他人の術に上乗せされる』のよ。大五郎の魔術の氷塊は、あんたの火球を受けて――時間差はあったけど――燃え上がり、炎を吹き上げて消えちゃった。そして今の魔人のバリア。あんたの魔法は力場ごと燃え上がって、魔人を倒したってわけ。氷柱だけだと半信半疑だったけど、今ので確証が持てたわ」
……信じられない。龍騎は自分の手の平を眺めた。俺の魔法にそんな力があったなんて。今まで他人の魔法に自分の魔法を被せた経験がなかったために、そのことに気づけなかったのだ。
魔人を倒せた。この俺が! 静かに、だが力強い自信がみなぎってきた。
「よっしゃあああ!」
龍騎は両手を広げ、天を仰いだ。じいちゃん、見ててくれたかな? やったよ、俺。みんなを救ったよ!
「何がよっしゃあ、だ」
歓喜の渦は起こらなかった。何と魔人が立ち上がっているではないか。そんな、倒せたんじゃなかったのか? 再び緊張感が辺りにみなぎった。
「魔法に魔法を上乗せする、か。なるほど、確かにそいつばかりは読めなかった。だがオレに二度同じ手は通じんぞ」
痩せぎすの魔人は焼け焦げたボロをまとって、再び前進してきた。龍騎は手につばを吐き、火球を作り出す。
「懲りねえ魔人だな! もういっちょお見舞いしてやる!」
龍騎は炎の玉をぶん投げた。だが……
「何っ?」
魔人はバリアの魔法ではなく、手にした鞭で火球をはたき落としたのだ。龍騎は迫りつつある魔人に恐怖し、二度三度と火の玉を投てきする。しかし、それも相手の鞭の前に砕け散った。
「くそ……っ!」
魔人が薄ら笑いを浮かべてにじり寄ってくる。舌なめずりをした。
「鞭の射程範囲に入ったぞ。死ね、クソガキ!」
「ちくしょおおおっ!」
龍騎は魔法の使いすぎで疲労困ぱいのまま、更にもう一球投げる。だがこれも鞭で跳ね返された。
「終わりのようだな。くたばれっ!」
そのときだった。
ボロボロだった教師陣が、最後の力を振り絞って火炎放射や光の矢を。大五郎が氷の槍を。響が熊のぬいぐるみを。それぞれ、ありったけの力で魔人に叩きつけたのだ。
「く、くそっ!」
魔人は慌ててバリアを張った。張らざるを得なかった。魔法が目に見えて遮断される。
響が必死に叫んだ。
「今よっ、龍騎! 火球を!」
呆然としていた龍騎が我に返る。手の平に炎の球体を発現させた。
「おうっ! 食らいやがれ、魔人!」
「し、しまった……!」
もうこれ以上魔法が使えなくなってもいい。それぐらいの覚悟と残りの体力で作り上げた火の玉を、龍騎は魔人めがけて投げつけた。
それは狙いあやまたず、相手の胸元に吸い込まれるように飛翔する。
「ぎゃあああっ!」
魔人が炎に包まれて絶叫した。その体の輪郭が崩れ、摩滅し、滅んでいく。大爆発の後には、その姿は気配すら残さず消滅していた。
粉塵が舞い、がれきからぱらぱらと粒がこぼれ落ちる。一瞬の静寂は、噴火するような大歓声でかき消された。
「やったあ!」
「た、倒したぞ、特Aクラスの魔人を……!」
「助かったぁ……!」
龍騎は中腰で息を切らし、額からボタボタと汗を垂らした。全身全霊の魔法の後は、心地よい疲労が待っていた。
「や、やっつけた……。じいちゃん、やったよ……」
大五郎がその背を叩く。はにかむような口調だった。
「酷いことを言って悪かったのう。おんしのおかげじゃ。ありがとうな」
響が肩を叩いてくる。涙ぐんだ声でささやいた。
「これで実技試験は受かったも同然ね。私の発見に感謝しなさいよ」
龍騎は身を起こすと彼女らに微笑んだ。
「こっちこそ、ありがとう」
守れた。人間を守れた。そのことが、何より嬉しかった。
響の予想通り、龍騎は国立魔術高校に合格した。大五郎と響の2人も試験をパスしていた。これから長いようで短い3年間が始まる。
と、その前に。
「俺、完全に荷物持ちになってない?」
「だってそのつもりで来たんでしょ? つべこべ言わずにさっさと歩きなさいよ」
春休み、龍騎は響のショッピングに付き合わされていた。彼女は家族と一緒に卒業記念の旅行に出かけるらしく、そのための衣装を探しているのだという。それで龍騎は「試験日の朝にぶつかった借りを返す」ためにお呼ばれしたのだった。
「はあ、辛いな……」
紙袋にはぎっしりとワンピースやらノースリーブやらスカートやらが詰まっている。それが三つも四つもあるのだ。正直、魔人との戦いぐらいに疲れている龍騎だった。
「ところでさ」
ショッピングセンターのベンチで腰を下ろし、ひとまず休憩となったところで、響が尋ねてきた。少し深刻そうな、でも面白がっているような、そんな表情。
「何だよ」
「龍騎ってさ、彼女いるの?」
ずいぶん唐突な質問である。龍騎はくたくたになった足を伸ばしていた。
「いないよ。それがどしたの?」
「いや、こうしても怒られないかな、ってさ」
次の瞬間、龍騎の頬にやわらかいものが触れた。響の唇だった。
え? 唇?
「ちょ、ちょっと……」
離れて澄まし顔の響を、耳を熱くして凝視する龍騎。何だ? 何がどうなった?
響はくすりと笑って立ち上がった。
「さあ、買い物買い物ー! 行くわよ龍騎! ぼさっとしてない!」
「え、あ、うん……」
先を行く響の背中を慌てて追いかける龍騎。荷物が少し軽くなったように感じた。
今日も行楽地は人でにぎわっている。その平和の中を、2人は進んでいくのだった……
(完)