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第七章

 夏休みはあっという間に過ぎて、あと2週間ほどで新学期が始まろうとしていた。きっと今までの夏休みに比べて、ずっと楽しいことが多いからあっという間に過ぎていったんだろう。


「こ、こんこん……。おじゃましまーす…。わっ、やっぱり伊織くんの部屋って綺麗に整理整頓されてるね!」

 僕の部屋に一人の来客があった。客人は、僕の耳が聞こえないのを知っているからか、口頭でノックをして入ってきた。控えめなノックの声に反して、入ってきた人物は自由な発言をしていた。思わず呆気にとられながらため息をついた。

「藤沢…。なんでいるの?」

「なんでとは失礼だな〜!」

「失礼なのは君の方でしょ。いきなり僕の部屋に入ってきたりして」

 僕にしては珍しく冷静にツッコミを入れると、不満気に頬を膨らませた。

 僕の部屋に来た客人、改め藤沢は物珍しげに、僕のベットに腰掛けて首を動かしていた。

 楽しそうに笑いながら、無言でおいで、というように両手を広げてこちらを見ていた。時折、ニコニコしながら膝をペチペチ叩いていた。ここに座って、と無言で言われている気がして恐る恐る近づいた。

 でも流石に膝の上に座るのは恥ずかしいから、藤沢の広げられた片手を避けようと押して、肩がくっつくくらいの距離で座った。僕なりにこれでも頑張ったんだから、我慢してほしい。

 そう、思っていたのだけれど…。

「伊織くんは照れ屋さんだもんね〜。素直じゃないもんね〜」

 藤沢はいかにも不満そうな声色で、猫のように肩に頭を擦って甘えてきた。

 少しくすぐったくて、恥ずかしくて、逃げようと身じろぎをしたが、

「逃さないよ!」

 いつの間にか抱きしめられていて、動けなかった。顔が熱くなっていく気がしたが、顔を見られたらまた何か言われると思って、藤沢を見ないようにした。

 そこで、僕はやっと一つの疑問にたどり着いた。

「藤沢、そういえばどうやって家に入ってきたの?」

「え?普通に、伊織くんの彼女です!って言ったら、伊織くんのお母さん、すごい嬉しそうに入れてくれたよ?」

 犯人は母さんだった。…考えてみればそりゃそうか。今家にいるのは僕と母さんだけだし。だとしても僕に彼女ができたなんて一言も言ってなかったのだけれど。まぁ、それはなんとなく察されていたのだろう。

 いきなり藤沢が結んでいるポニーテールを掴んで、解いた。長くきれいな黒髪がさらりと一瞬で広がる。それに見惚れていると、ぽすっ、と膝に藤沢が寝転んできた。

 いわゆる、膝枕だ。

「えっ…!?」

「………」

 藤沢は、何?だめなの?、と言いたげに目を細めたが、結局僕の反応は無視される。

 藤沢は僕の腹に顔を向けて、目を閉じて静かに呼吸をし始めた。

 しばらく何も考えずに、ぼんやりとその横顔を眺めていた。そして、視線を膝の上に広がる藤沢の黒髪を眺める。

「ん……。…ぇ!?」

 少し眠そうな声で驚いた声を上げた藤沢に、僕も驚いた。藤沢は寝転んだまま、固まっていて、僕も自分がなにか驚くようなことをしたのかと焦った。

 けれど、いくら考えても思い当たるのは、僕が彼女の髪を一束、手のひらに乗せただけだ。でも、藤沢のことだし、僕がこのくらいのことをやるのは予想してるだろうから…。

 さら、と持ち上げると手のひらからこぼれていく髪を見てふと、心が沈んだ。

「藤沢…。藤沢は、なんで髪青く染めてるの?」

「え?」

 不思議そうな声を出した藤沢は、僕の膝に頭をのせながら横に広がる自分の髪の毛をつまんだ。じっと静かに見つめた後、悲しそうに、寂しそうに眉を下げた。

「気になる?」

「うん」

「そっか。面白くないかもだけど、伊織くんには教えてあげるよ。私が髪を青く染めてるのは、初恋の人との思い出があるからなんだ」

 そして静かにぽつり、ぽつりと話し始めた。


▽▽▽


「……」

 私は人間関係の構築が苦手だ。中学生になったばかりで、クラスにうまく馴染めず、クラスメートの女の子達から無視されてしまっている。

 本当は無視しないでって言って、あの子達の輪に入りたい。一緒におしゃべりしたかった。まぁ、もうそれは敵わないことだと気づいたから、諦めたけど。

 人のいない小さな公園で、2つ並んだ片方のブランコを小さく漕いで、意味もなく時間を潰していた。

 漕ぐために足を伸ばしたりしてるつま先を見つめる。そしてまた、ため息をつく。それが最近の私の癖になってしまっている。

 そう、彼が現れるまでは。


 いつもと同じように誰もいない公園でブランコを漕いでいた。しばらく一人で漕いでいた。すると、突然隣のブランコも動き出す。

 驚いてそちらを見ると、

青い男の子がいる。

 自分でもなんでそう思ったのかは分からなかった。立ち乗りで漕いでいるその子を、観察してみると、彼の被ったベージュのキャップから短くはみ出した髪が、きれいな青に染まっているからなのだと気がついた。

「何?」

 バチッときれいな音がするほど、目があってしまって、少したじろいだ。

 不躾に見つめてしまったことを咎められると思い、慌てて謝ろうとブランコから飛び降りた。

「もしかして俺に惚れちゃった?」

 予想に反して、彼はいたずらっ子のようにニヤリという効果音が付きそうな笑みを浮かべた。

「え…?」

 思わず間の抜けた声が口からこぼれる。首を傾げると青い男の子もブランコから飛び降りてかっこよく着地した。その場でくるっとターンして私の方を向いた。

「それとも…何か辛いことがあった?」

 いきなり心配そうに眉を下げて私の顔を覗き込まれ、驚いて一歩後ろに逃げてしまった。

 それがあまりに私の心を読まれたような気がして、居心地が悪くて彼から目を逸らした。

「べ、つに。そんなことないです」

 どうしてか落ち着かなくて、彼から逃げようとしてしまった。すると、

「そんなことなくないだろ」

 彼は私の手首を掴んできた。まるで、逃さないよ。とでも言われてる気がした。

「…え?」

 少し怖くて、私は自分ができる渾身の愛想笑いを浮かべた。しかし、なぜか頬が引きつって頬を何かがなぞる。

「そんなことないなら、なんで泣いてるんだよ」

 呆れたように肩をすくめられ、顔が少し熱くなった。


 自分が思っていたより、学校生活を苦しく思っていた私は、そのあと声を上げて泣いてしまい、大いに青い男の子を困らせてしまった。

 そして泣き止んだあと、私は胸の内に溜め込んでいたものを、ぽろぽろとこぼした。その間も彼は黙って相槌を打ってくれた。ひとしきり話し終えると、心が解放されたことへの安堵か、一度止まっていた涙が静かに頬を伝った。

「がんばったんじゃん…、ぇっと名前は?」

 ずっと私の話を笑わずに聞いてくれた彼は、私の名前を聞いてきた。

「か、すみ。藤沢夏澄」

「夏澄ね、りょーかい。でさ、だから、夏澄は頑張ったじゃん。ね?こーゆー言い方は悪いけど、みんなのために夏澄が一人で我慢したんじゃん?」

 少し変わった話し方は人懐こさを感じさせ、あまりに優しい言葉で、私は驚いて瞬きをした。その度に流れていなかった涙が一滴だけ落ちた。

 表情こそ優しいものだったが、彼は壊れ物に触るみたいに怯えたように手を伸ばして、頭を撫でてくれた。静かに親指で目元を拭われ、滲んだ視界にピントが合い始めて彼の顔がはっきりと見えてきた。

 彼は私が思っていたより整った顔をしていて、少しソワソワして目をそらす。こちらを気にした様子のない彼は、キャップを被り直して軽く頭を振った。

「あ。そうだ。名乗ってなかったわ。俺は朝飛。よろしくね、夏澄」

 朝飛と名乗った彼は、朝に昇る太陽のようにまぶしい笑顔で笑った。


「ぅあ!?」

「………。夏澄の髪ちょーさらさら。てゆーか…綺麗な黒髪だね」

 朝飛くんとはあれから毎日公園で会うようになった。雨の日は傘を差して行けば、彼はすでに公園にいた。

 それだけなら、何も問題なんてない。そう、なにもないのだ。けれど、最近距離が近い。今だって、肩くらいの長さの髪を手のひらに載せられている。少しくすぐったくて逃げようとしたけれど、少し握られるような形のため、引っ張られて痛そうだ。

 何もできずに視線だけを彷徨わせていると、朝飛くんが、

「ねー!夏澄!」

 嬉しそうな声とともに私の髪が軽く引っ張られた。その引っ張られる感覚が少し不思議で、ゆっくりと振り向くと、少しごつごつとして、ところどころ毛が飛び出た束があった。

 よく目を凝らして見ると、それは不器用に編まれた三つ編みで、得意気に笑って私の反応を見ている朝飛くんの笑顔が見えた。

 不意に、心臓が変な音を立てた。

「…?」

「夏澄?どーした?」

 気づかないうちに頬が上気して、うまく喋れなくて、うまく息が吸えなくて。おかしなくらいに心臓がバクバクいってる。でも体のどこかが悪いわけじゃなくて…。

そこで私は気がついた。彼に救われたんだ。だから…。

 だから私は彼に、朝飛くんに恋をしたんだ。

 それ以来うまく彼の顔を見ることができなくて、少し不審がられる日々が続いている。

 けれど、明確に言えることは私は確かに幸せで、変わることができた。


 気がつけば、私が朝飛くんと出会ってから、二週間以上が過ぎていた。

「夏澄、最近学校どーお?」

「えへへ、朝飛くんと毎日お話してるおかげで、友だちができたの!」

「まじ?よかったじゃん!それは俺のおかげかぁ。へへっ、うれしーかも」

 太陽のように眩しい笑顔で笑う朝飛くんに、私は胸の高鳴りをこっそり感じた。朝飛くんのおかげなのはもちろんだ。彼の明るさに似て、私の性格も少し明るくなったと思っている。

 そのおかげで私に興味を持って話しかけてくれる子が増えてくれたのだ。無視されていたというのは私の勘違いで、実際は話しかける声が小さすぎて聞こえていなかったようだった。それを聞いてとても申し訳なくなり、思わず謝罪すると笑って許してくれた。

 そんな人達を悪く言ってしまっていたことに、自分の器の小ささがしれて恥ずかしくも思った。

 ふと朝飛くんの横顔を盗み見る。嬉しそうな顔で、自分のことのように楽しそうに笑っていた。

 それに、心臓が不自然な音を立てた。

 ああ、だめだ。私、この人のことが好きだ。

「朝飛くん」

「…?どーした?」

 無意識だった。名前を読んでしまったからには、やっぱなしにはできない。緊張してるのを朝飛くんにバレないようにこっそり息を吸って、吐いた。

「あの、わた、その…」

 なにか言葉を続けようとするのだけれど、その先がなかなか出てこない。そのおかげで、朝飛くんに不思議そうな顔をさせてしまった。

「どーした?無理しないでいーよ?」

「いや、ううん。大丈夫。あのね、朝飛くん。私、朝飛くんに伝えたいことがあるの」

 少しずつ声が小さくなってしまったけれど、最後までちゃんと言い切ることができた。朝飛くんが呆けたように何度も瞬きを繰り返している。

 やっぱり私には言えないのかもしれない。

 でも…!

「こ、こんな雰囲気にしちゃったから、何となく察してると思うんだけど…!」


△△△


「待って」

「え?」

 藤沢の話がそろそろ終わりそうな雰囲気を感じ、僕は思わず待ったをかけた。

「ど、どうしたの?」

 焦ったように戸惑った声を上げる藤沢に、僕は内心舌打ちをした。

 誰が好んで自分の彼女の初恋の話を聞くんだよ。藤沢の髪の色の理由が初恋だなんて思ってなかったし。

 それに気づいていないような藤沢に少し腹を立てて、まだ僕の膝に頭を載せたままの藤沢に顔を近づけた。

「ふぁ…!?」

「ねぇ、藤沢はー…。まだ、まだその人のことが好きなの?」

「え」

 わざと甘えるような声で藤沢の耳元に近づけて話した。少しびくり、と体を震わせた藤沢の耳を撫で、特に意味もなく息を吹きかけた。

「っ…!?」

「でも、今は。僕のことが一番好きでしょ?」

 僕らしくもなくニヤリと笑い、優しく抱き起こし、藤沢の唇に自分のそれを重ね合わせた。

 数秒そのままの状態でいたが、見える範囲だけでみるみる顔色が変わっていく藤沢が面白くて唇を離した。

 離れた瞬間、藤沢は僕を突き飛ばして少し離れたところに逃げた。その際、強く押されたことで僕はベッドに倒れた。

「…った」

「え?なに?」

「伊織くんが…!こんな意地悪だなんて…!知らなかった!」

 僕の綺麗な顔をした可愛い彼女は怒った顔をして、そんな事を言うのだった。

今二週間ごとの投稿で頑張ってみています!少しでも続きを楽しみにしていただけると嬉しいです。気軽にいいねやブクマ、感想などを送っていただけたら幸いです。

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