第四章
冒頭は伊織の語り(?)で始まります。少し違和感あるかもしれません…。
▽▽▽
成績優秀で、とても優しくて、差別をしない性格で、その上容姿も美しく整っていた夏目沙織は、僕の唯一無二の双子の姉だ。誰に問おうがみんな口を揃えて「完璧な人」だと褒め称えたと思う。だから僕は姉さんが自慢で、恋愛の意味で大好きだった。
でも、神さまはなんにでも欠陥を持たせたがって。多分だけど自分だけが完璧でいられるようにするためなんだと思う。だから僕はそんな神さまが嫌いだ。
まぁ、そんな神さまが姉さんに与えた欠陥は分かってると思うけど、この病気だ。そしてそれは僕にもついでと言わんばかりに与えられた。
なんで僕だけじゃなかったんだろう、って今でも時々思う。なんで…僕じゃなかったんだろうって…。
ん、あぁ。ごめん、藤沢。そんなつもりはなかったんだ。うん、ごめんね。
姉さんの症状の進行は僕と比べて著しく早かったんだ。僕が見えなかった色はまだ水色だけで、濃い青とかが見えていたときには姉さんは、もう青も緑も、紫も…殆どの色が見えなくなっていたんだ。耳も、僕の声以外は聞こえなくなっていた。
なんで声が聞こえるのが僕だけかって?それは理屈じゃ分からないけど、僕と姉さんが一緒に考えたのはこの病気の患者の「一番好きな人の声」は聞こえるんじゃないかって。それは欠陥を作った神さまからの少しでも恩情じゃないかって。
僕は姉さんと同じ分だけ時間を過ごせると思っていたんだけど、残り時間が全く違った。ただそれだけのことだった。
え…うん。そうだね、君の予想は多分あってるよ。明言は避けてたんだけどな。まぁ、過去形ばっかで話してちゃ分かるか。
うん、姉さんは中学二年生の時に僕をおいていったよ
ははっ、そんな顔しないでよ。たしかに僕は姉さんと一緒に死ねると思ってたから、かなりショックではあったよ。だから僕もあとを追いかけようとしたんだ。
分かってるよ、馬鹿なことだって。それに今ここにいるんだから、そんな怒らないでくれよ。
まぁ、姉さんにはそんなことお見通しだったみたいでさ。姉さんが眠る前に、僕にこんな約束をさせたんだ。
『伊織、ごめんね。私は先に行っちゃうけど、伊織はまだ絶対に、来ちゃダメ。私以外の好きな人を作ったり、それ以外の方法でもいいから絶対に幸せになって、残りの時間を一生懸命使ってから、会いに来て。その時は、伊織の方がお兄ちゃんだろうけど…。約束だよ、絶対に』
だからね、僕は姉さんとの約束を守れるように、頑張ったんだ。
でも、だんだん疲れてきて、姉さんに怒られてもいいか、って覚悟しようとしたときに。
変化があったんだ。
△△△
「変化…って?」
僕の話でところどころ疑問に思ったことを口にする以外、静かに話を聞いていてくれた。
「あれ?分からない?君だよ」
不思議そうに首を傾げる君を見ながら、今の僕が変に思うほど落ち着いてることに気がついた。
しばらく僕らを沈黙が包んだ。
そういえば、藤沢が僕の言うことを理解できないのも、しょうがないかもしれない。ヒントが少なすぎるような気もする。
「僕は今もうね、君の声しか聞こえない」
だから僕は君のことが一番好きだよ。
そんな意味を込めて言ったつもりだったが、更に驚いたように目を見開き、頬を赤く染めた。そして大きな瞳から大粒の涙をこぼし始めた。
藤沢を泣かせるつもりが全くなかったから、驚いてとめどなく零れる涙を拭おうと手を伸ばしたが、ふと、それを止めた。
目の前の彼女が泣き出したのは、僕が原因なのだと気が付いたからだ。それなら、僕に涙を拭ってあげる資格はないだろう…。けれど、彼女が涙を流す理由が僕には分からなかった。
また視線が徐々に下がっていった。
「ひっ、ひどい。伊織くん、ひどいよ…」
藤沢が思わずといった様子でこぼした言葉は、僕のさっきから異様なほど凪いでいる心に波紋を作った。
「ごめん…」
これしか言葉が出なかった。口下手な自分が恨めしい。この謝罪がとっさに出たものだというのが最低だ。
「なんで…諦めちゃうの?」
「なにを…、諦める、の?」
絞り出すような藤沢の問いかけの意味が分からなかった。首をかしげる僕に、藤沢は怒るように睨んできた。
「生きるのを、諦めないでって言ってるの!お姉さんとの約束守れてないじゃん!」
いつもふわふわとした感じで笑う彼女から、想像できないほどの剣幕で、怒られた。
実際はそんなことされてないのに、左の頬を思い切り殴られたような気がして、咄嗟に左の頬を押えた。
頬は痛みによる熱があった。…のは僕の錯覚で、正確には熱い液体が僕の指先を伝って、手のひらを濡らした。
最初は何なのかは分からず、しばらく頬を流れる液体を拭った。拭い続けた。けれど、それは拭っても拭っても新しく流れてきて、僕の顔を濡らした。そこで僕はやっと、自分が泣いているのだということに気がついた。
藤沢が諦めるなと言った理由もやっと分かった。僕は今まで病気を受け入れてはいたが、生きるのを諦めていたつもりはなかった。けれど、さっきのような異様な落ち着き方や、藤沢の反応を見ても何も感じなかったのも、僕が心のどっかですでに諦めていたからなんだと悟った。
たしかに藤沢の言うとおりだ。僕はひどいやつだ。姉さんとの約束を守った気になっていたけど、全く守れていなかったんだ。それが悔しくて、今泣いていることも分かった。
でも、どこか諦めた気持ちになっているのは変わらなくて、どうしたらいいのかも分からなかった。
ふっ、と藤沢が笑った気配を感じて顔をあげると、涙でぐちゃぐちゃに濡れた顔が目に入った。
「…ひどい顔」
「っな!?ひどい!伊織くんだって人のこと言えないからね?」
藤沢の顔は泣いたせいで鼻や目は真っ赤で、少し化粧もしていたのか目の周りが黒く滲んでいた。
僕の顔はそんなにもひどいものなのか、しばらく藤沢は笑い続けていた。僕もつられて笑うと、だんだんと笑いの波が収まってきた。
さっきまで笑っていたのが嘘みたいに、すっと気持ちが冷めていく。
「僕は、本当は生きようが死のうが、どうでも良かったんだ。でも、君と出会って、君と話して、手を繋いだりするたびに思ってしまったんだ。『ずっと、このままいられればいいな』って。でも、僕にはそれが叶わないことが分かっていたから、手放すしか、諦めるしかなかったんだ」
眉を下げ、不安げに視線をさまよわせる藤沢を見て、また僕が変に落ち着いていることに気がついた。
「でも、諦めたくない。でも、諦めるしかない。だとしても、死にたくない!…でも、死ぬ運命は決まってる!僕が姉さんに思ったようなことを君に思ってほしくない。僕は、まだ君をおいて死にたくない…!君に置いていかれる気持ちを知ってほしくない」
情けない。ボロボロと心の奥底にふたしておいた感情が溢れてきた。こんな事言われても迷惑なだけだ。
感情が溢れすぎて逆に落ち着き始めた僕に、藤沢は困ったように目を潤ませた。
「ねぇ、伊織くん。さっきの話だけどさ、私は今でも伊織くんが好き。最初は一目惚れとか言って軽い気持ちだったの。でもね、この短い間で言葉じゃ言い表せないくらい、伊織くんのことを好きになっていったのに、気づいたんだ」
未だ潤んでいる瞳を気にせず、言葉を一つ一つ丁寧に紡いでいく藤沢に、僕はいつの間にか魅入っていた。
「君が、まだ、諦めるとか、そういうので苦しんでいるなら。それでも。それでも私は、君のすべてを、大好きで、愛してあげます。だから、最後まで、諦めていてもいいから、本音は諦めてほしくないけど、私と一緒にいてくれませんか」
その言葉に力を入れていた場所からふっと、力が抜けた。それと同時に、ひどく安心した。懐かしさを感じた。
また泣きそうになってしまう自分がダサいと感じながら、きちんと伝えるために、応えるために目の前にいる僕の好きな人の瞳を見つめた。
「改めて言わせてください。こんな僕で良ければ、未来の、ない…こんな僕で良ければ、僕と付き合ってくれませんか?」
いつのまにか夕陽は半分海に隠れ、後ろの方では星が小さくまたたき始めていた。藤沢の返事を待つとき、僕はそれこそ今死んでしまうんじゃないかと、思ってしまうぐらいに心臓がバクバクと鳴って痛かった。
藤沢は僕の襟を掴んで引き寄せてきた。いきなりのことだったからバランスを崩して、砂浜に藤沢を押し倒すような形になってしまった。
「ちょっ、藤沢…!?」
藤沢が少し顔を寄せてきた。その時にほんの少しだけ唇に触れた。
「それこそこんな私で良ければ、よろしくお願いします」
藤沢は僕の告白の返事をするように、僕の唇に彼女のそれを重ねた。
今までの僕だったら羞恥で彼女から逃げていただろうが、そんなことはせず彼女を受け入れた。
しばらくそのままの体勢だったが、満足気な藤沢の顔を見て、体を起こした。
僕らの関係はたった今、『お試し』という仮の関係から、正式に『恋人』となった。
少し暗くなったあたりを見渡し、薄暗いからか灰色がかった景色に首を傾げた。
何かが変だ。
今までと同様、直感的にそう感じたが、今まさに幸せだった現実から目を覚ましたくなかった。
「わっ、まだ夕焼け綺麗だね」
藤沢のつい先程と同じ…いや、それよりも少し高めのテンションでそう言った。
ほんの数分、数秒前の僕なら、共感できただろうに。今の僕にはそれができそうになかった。
「…えない」
「え?」
「夕焼けの色が、見えない」
僕は動揺のまま口にした。藤沢も最初は理解が追いついていないような顔をしていたが、納得したような顔をした瞬間に、顔色が白くなっていっていくのが分かった。僕も顔から血の気が引いているのを感じている。
ほんの数秒前にはこのあたりには幸せな空気が広がっていたのに、今では絶望に近いものが広がっている。
互いに言葉が見つからず、視線をさまよわせていた。
おもむろに藤沢がこちらに近づいてきて、僕の手を取った。藤沢は自分の指を僕の指に絡ませると、少しぎこちないが、いつもと同じように柔らかく微笑んだ。
「私がいるよ」
たったそれだけの言葉なのに、言ってしまえば、意味なんてないのに、それが嬉しかった。言葉にできない安心感を得た。
けれど、一つの不安だけが拭いきれず、彼女の体を抱きしめた。
異性の柔らかい感触に、姉さんのことを思い出した。もう触れることのできないその人に、もうすぐ会えてしまうことに皮肉な気がしてしまった。あんなにも会いたかった人に、今は、今すぐには会いたくなかった。
思わず抱きしめる腕に力を込めたが、藤沢は気にする様子もなく優しく僕の頭を撫でてくれた。耳元で、
「大丈夫。大丈夫だよ、伊織くん」
とも言い続けてくれた。少し震えた君の声が、耳に触れるたび、不思議と僕の心を落ち着かせてくれた。
少し腕の力を弱めて藤沢の顔を覗き込んだ。
やはり彼女は僕を不安にさせないために、少し強がっていたようだ。
「っ…こっち、見ないでよ」
潤んだ瞳を隠すように、ぱっと顔を背けた。その頬を、そっと触れると少し体を震わせたが、僕の目を真っ直ぐ見つめてきた。
僕もまた見つめ返すと、僕は今色が見えなくなったことへの動揺や恐怖が消えていることに気がついた。
「ははっ」
思わず笑ってしまった。こんな状況だからか藤沢はムッとしたように眉を寄せた。
「君はすごいよ…。ありがとう」
藤沢は何に対する感謝か理解できないのか、首を傾げ口を開こうとした。けれど僕は彼女の口をふさぐように、自身の唇を重ねた。
ありがとう、僕を好きになってくれて。ありがとう、君のことを好きにさせてくれて。君がいてくれるおかげで、目の前のことから少し目をそらせる。
おかげで僕は、
死ぬのが怖くなったよ。
変わらず投稿は不定期になってしまいますが、少しでも続きを楽しみにしていただけると嬉しいです。気軽にいいねやブクマ、感想などを送っていただけたら幸いです。




