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第三章

 紫が見えないことに気がついたことを僕は母さんに説明すると過度に心配されたが、その声ももうほとんど聞こえない。

 そのことも伝えると悲しそうに眉を下げていた。また、その日から母さんは僕の行動に何も言わなくなった。

 きっと母さんはもう諦め始めているのだろう。だから僕の好きにさせようとしてくれているのかもしれない。そのちょっとした気遣いのようなものが今の僕にはありがたかった。


 ようやく今日は藤沢と買い物に出かける水曜日になった。

 待ち合わせ場所である駅前のちょっとした広場に、集合時間10分前につくとまだそこに藤沢はおらず、近くのベンチに腰掛け持ってきていた文庫本を開いた。

 夏の真っ只中だというのに蝉の声は聞こえず、人の行き交う足音、話し声も聞こえなかった。ただ、じっとりと肌を焼いてくる日差しだけが唯一夏だと実感させた。

 しばらく読み進んでいると、聞きなれた元気な声がやはり不思議なことにはっきりと耳に入ってきた。

「伊織く〜ん!ごめん、遅くなっちゃった?!」

 オレンジ色の膝丈くらいのスカートをひらひらと揺らしながらやや早歩きで来る姿を見つけた。

「全然、今来たところ」

 ベンチから立ち上がりながら、待ち合わせに先に来た人の常套句を口にした。今までなら、

「うん、15分くらい待ったかな?」

 などと正直に伝えていたであろう。けれど不思議とすらすら言葉が出た。人は変わるものだな。なんて考えているうちに藤沢が横に立って嬉しそうにニコニコ笑っていた。

「楽しみにしてた?」

 いたずらっ子のように笑う藤沢に一瞬見惚れ、すぐに我に返った。

「っ…別に」

 嘘だ。本当は三日ぐらい前から藤沢と出かけるのが楽しみで、何を着ていくか何を買うかなどを考えて、そのうえ興奮でうまく寝付けなかったほどだ。ただ、それを正直に伝えるのがなんだか恥ずかしい。

 いつもと変わらぬ藤沢は、先週のことを特に気にした様子がなさそうなので、少し安心する。

 僕の顔をじっと上目遣いで眺めてくる藤沢に、なんだか顔が熱くなるのが分かり顔を逸らした。しかし、藤沢に軽く服の袖をつかまれ彼女の顔が、口元が僕の耳に近づいた。

「私は、楽しみだったよ…?」

 吐息交じりの声が僕の耳に柔らかく触れた。

「…っ!?」

 あまりの近さに驚いて耳を押えて藤沢から距離をとったら、からからと面白がるように笑って改札口へ歩いて行った。

「からかったなっ…」

 少し文句を言ったけれど楽しそうな藤沢には無意味なことは理解していたから、あとの文句は言わず僕も改札口へと向かった。

 思いの外、車内に人は少なく二人並んで座ることができた。いつもの藤沢なら肩をくっつけてくると思っていたが、予想は外れて肩をつけるどころか少しだけ間を空けて座られた。少し不思議に感じたが対して気にすることでもないな、と思い直して結局気にしないことにした。

 2,3駅ほど電車に揺られていると、目的地についた。そこはやはり近くにショッピングモールがあるからか、僕達のような学生らしき人が多く行き交っていた。まぁ、言うまでもなくその喧騒は聞こえないのだけれど…。

 目当ての建物が見えてくるとこころなしか、手を繋いで僕を引っ張るように歩く藤沢の足取りが軽やかに、少し早くなったように思えた。

 …ていうか、いつの間に僕は手を繋がれていたんだろう。

 思わず苦笑したが、僕は彼女の手に指を絡ませるように繋ぎなおして、追いかけるように駆け足で進んだ。

 ショッピングモールの自動ドアをくぐると、じっとりとした暑い空気から解放され、ひんやりとした心地よい冷たい空気が肌を包んだ。

「どこに行こうか?」

 自然と僕の口からそんな問いかけが零れた。藤沢は少し驚いたように目を開き、すぐにいつものようにふわりと笑った。うーん、と少し悩むような素振りを見せて黙って僕の手を引っ張って歩き始めた。ちらりと見えたその横顔はとても楽しそうに笑っていたので僕も何も言わずついていくことにした。

 結局最初に連れて行かれたのは、フードコートのすぐ近くにあるそれなりにおしゃれな雰囲気のレストランだった。ただ、一つ違和感を感じるとすれば、店の中にいる客の年齢層を見る限り僕らが気軽にはいれるような感じではなかった。

「ねぇ、藤沢。僕らここの店に入っても大丈夫なの?」

「当たり前じゃん、お店は年齢関係なく入っていいんだから。ほら、行こう?」

 あきれたように肩をすくめられ、無理やり手を引かれて僕らは奥の席に座ることになった。席につくと藤沢はスマホを取り出し、軽く操作したあとすぐにしまい、メニューを開いた。

「なに食べる?」

 メニューの量が意外に多くて少し悩んでいると、藤沢はいつの間にか店員さんを呼んでいた。

「あき兄、注文が―」

「なんで夏澄がここにいるんだよ」

 店員さんに知り合いのように話しかけた藤沢と、苦笑いをしているが優しい顔をしている男性が軽く話をしていた。僕の頭の中が疑問で埋め尽くされ始めた頃、やっと藤沢は僕の存在を思い出してくれたようで、僕の方に顔を向けた。

「あ、あき兄。この人が伊織くんだよ」

「ああ、この彼が。はじめまして、夏澄の兄の藤沢秋人です」

 人の良さそうな笑みを浮かべて、僕に軽くお辞儀をしてきた。言われてみれば、とても似たきれいな顔立ちをしている。見るからに年上の男性のきれいな笑みに、思わずたじろいでしまった。だが、藤沢のお兄さん、もとい秋人さんは気にした様子もなく、

「いつまでも喋っていると店長に怒られちゃうので、ご注文をどうぞ」

と微笑んでみせた。

「えーと、オムライス2つと、オレンジジュースと…。伊織くん飲み物何がいい?」

「えっと、アイスコーヒーで…って。ちょっとまって藤沢、その、えっと」

 流れるように注文を始めた藤沢に、僕の注文がオムライス固定なのにも驚いたが、僕が一番焦った理由は値段だ。ここでお金を払ったらこのあとの買物が満足にできなくなりそうな気がする。そんな焦りを読み取ったのか、秋人さんは納得したように、唇に人差し指を当てて笑った。

「今日は俺のおごりです。可愛い妹の初デートなようなので」


 秋人さんの配慮のおかげで僕らはまだこの買物でお金を使ってない。結局、少しでも払わせてほしいといったがやんわりと断られた。

「あき兄やっぱ大人だね〜」

「そうだね、大人の余裕って感じがする」

 次の買い物をするために移動してるときに、ふと手がつながれていないことに気が付いた。先ほどまでつながれていたので少しさみしく感じて、少し先を歩く藤沢との距離を詰め白い手を握ろうと手を伸ばして、握った。

「えっ、い、伊織くん…!?」

 自分でも驚く行動だが、何とも言えない満足感で満たされたので僕からは藤沢に何も言わなかった。いつもしてやられているからその仕返しだ。

「デートなんでしょ?」

 いつもに比べ顔を赤く染め、少しうつむきしおらしくなる姿にまた何とも言えない気分になった。

「ん、じゃあ…」

 嬉しそうに、恥ずかしそうに指を絡ませるように握り直された手から、幸せが伝わるような気がした。

 そのあとは、本屋に入って好きな作家や、ジャンルやそのほかいろいろが藤沢と被っていて二人して小さな声で笑ったり、ゲームセンターに連れていかれてピンクの丸いキャラクターのストラップが二つ取れて、二人してバックに付けたり…。


 買い物が終わった後藤沢の提案で、ショッピングモール近くの海へ遊びに行くことになった。

砂浜につくとそこでは、白くなった波がその場を行き来していた。まぁ、肝心の波の音は聞こえないのだけれど、もう慣れっこだ。

「わあ!」

 藤沢は無邪気に感嘆の声を上げて波を追いかけるように走り出した。その後を僕もまた、駆け足で追いかけた。

パシャパシャと波を蹴って歩いている姿はとても楽しそうで、見ているこちらの気分も明るくなる。

 僕はその姿を眺めるように、その場に座った。

 

この時間が、ずっと、続けばいいのにな…。


 そんなふうに感じたことに疑問を抱かせないほど、穏やかな時間が僕らの横を通っていく。

 海風も少しべたついていたが、それも不思議と不快に思うことはなかった。

 ふと、僕らは『お試し』の関係なんだということを思い出した。最初こそどうでもいい、などと思っていたが、それが―この関係がひどくもどかしく思えた。

 いつの間にか下がった視界で自分の靴を見つめた。少し汚れたこの靴は、今の僕に惨めなほど似合っている。

「伊織くん!見て!すごいよ!」

 名前を呼ばれ顔を上げると、そこは一面の夕焼けが広がっていてオレンジ色のグラデーションで空を彩っていた。

「綺麗だね…」

 いつの間にか波を蹴るのをやめて、隣に座っていた藤沢の声が聞こえた。砂浜に置かれた手に重ねるように僕の手を乗せると、間近で藤沢と目が合った。


 第三者が僕らのことを見れば、とてもロマンチックな夕焼けで互いを見つめあう、カップルのように見えるだろう。けれど実際には、僕らは『お試し』で、いわば仮なのだ。それがこのきれいな景色に不似合いで、とても歪なものに感じた。

 なんで今になってこのことを強く思ってしまうんだろう。

 以前の僕なら『仮』でも付き合えてるならいいじゃないか、関係を変える必要はないだろう、とも考えていただろう。けれど、そうじゃない。違うんだ。言葉にするのは難しいけど、この関係をお試しみたいな仮じゃなくて、ちゃんとした、正式なものにしたかった。

 そんな思いで僕はいつしか変わった一番大好きな人の、重ねていただけの手に指を絡めた。

「ねぇ、藤沢…。まだ僕のこと、好き?」

「…?何言ってんの。大好きに決まってるじゃん」

「そっか…。ねぇ、僕も、藤沢のこと好きだよ」

「…えっ!?」

 自分が思っていたより言葉はすらすらと出たが、こんな告白でも相当な勇気が必要で、心臓が変に音を立てている。

 嬉しそうに表情を緩める藤沢には申し訳ないけど、僕が一番伝えたいのはこんなことじゃない。

「だからさ、もし、こんな僕と…その、こんな僕とでも付き合ってくれるって言ってくれるなら、今から話すことを何も言わないで、最後まで聞いてほしい」

 最初こそ表情を明るく染めていた藤沢だが、それは徐々に驚きの表情へと変わっていった。少し瞬きをした後、すぐに、深くうなづいてくれた。

「あのね。僕……」

 得体のしれない恐怖で声が震える。こんなんじゃだめだ。僕、伝えると決めたじゃないか。

 一度落ち着くために呼吸に意識を向けた。

 よし、落ち着いたな。

 うん、落ち着いた。

 自問自答で無理やり落ち着いて、改めて口を開けた。


「僕は…、病気。なんだ」


 真横にいるからか藤沢の驚きで息を呑む音が、耳元で聞こえる。本来ならこんな小さな音だって聞こえないのに。けれど理由に気が付いた今、理屈は知らないけれど、全く不思議に思うことはない。

 僕が『病気』だと打ち明けたことに言いたいことはたくさんあるだろうに、藤沢は僕の頼みを聞いてくれていた。

「この病気の症状は、主に2つある。まず君が知ってる通り、色が見えない。生まれつき一色だけ見えない色があって、そこからどんどんと広がって最終的にすべて灰色になってく。でね、もう一つ。耳も聞こえなくなるんだ。…僕と姉さんにしか症例がなくて病名はないんだ」

「そう…」

「でね、この病気は、見える色が全部灰色になって、その後、最後の音が聞こえなくなったときに、死ぬ」

 横でずっと聞こえていた僅かな呼吸の音が止まった。でも、気にしてはいけない。全部話すと、伝えると決めたから。

「藤沢、少し、僕の姉さんの話をしてもいい?」

 コクリと小さく藤沢がうなずいたのを見て、僕は目を伏せて今でも大好きな姉さんの話を始めた。

変わらず投稿は不定期になってしまいますが、少しでも続きを楽しみにしていただけると嬉しいです。気軽にいいねやブクマ、感想などを送っていただけたら幸いです。

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