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朝食はスープだけだった。小さく刻まれた野菜が入ったスープは食欲がない時にぴったりの料理だ。しかしマリアは食欲はあるし、病人でもない。
「妃殿下は現在、第二王子殿下に乱暴され、泣き伏しているという事になっておりますので」
キュリー夫人の言葉に無理があると思いながらも大人しく頷いた。いつも食欲旺盛なマリアを不憫に思ったのか、侍女達に控室に置いているという軽食をわけてもらった。
「噂がすごい事になっておりますよ」
幾分疲れた顔をしたヒューズ夫人はそう言って食後のお茶を淹れてくれた。
「噂?」
「はい。嫌がる妃殿下を無理やり夜伽させたとか、廊下まで悲鳴が聞こえてきたとか」
侍女達を見ると笑顔で首を振った。キュリー夫人を見れば、「わたくしはそこまでお話ししておりません」と微笑んだ。
噂話が無駄に広がって、無駄に大きくなるのは珍しい事じゃない。しかし伝わるのが早すぎるような気がする。
「まあ、少しやりすぎたと反省してます。シーツに血糊をつけようとしましたら、勢いを誤りまして」
「そこまでしたの?」
「はい」
ならば愛人もまたこの噂を耳にしているだろう。本人に問い詰めるのだろうか?それともマリアの方に押しかけてくるだろうか?今のところ、愛人に部屋まで押しかけられた事はない。ただ離宮を出て本宮に行く時や、散歩をしている時、偶然を装って出会ってしまう。
一方的に、どんなに愛されているか、どんな贈り物を貰ったのか自慢げに語る。時には社交界で認めて貰えない自分がどんなにかわいそうなのか涙を流し語ってくる。
最初は面白いものを見たと楽しんでいた。
愛らしい顔に、魅力的な物量を持った乳房は見事なもので、涙を流しているその姿はついお芝居でも見ているようだった。昨夜のマリアのように海綿などの小道具を使っているのだろうか?鼻水もたれていなくて、見栄えもする。どこぞの妃も見習った方がよいのではと思う位だ。
しかし段々と話の内容に飽きてきていた。最初の日からどんな事を言われたのか、記録をとってもらっているが、内容に変わり映えしないから当然だ。
変化があるだろうか。いやあるに違いない。
「それと妃殿下、わたくしがいない間に色々と愉快な事になっていたようで」
「そうね、あなたは夫君に捕まっていたものね」
「夫からの手紙を信じないで下さいませ」
シュヴァーベンにやってきた時、護衛隊長を務めてくれた男が、ヒューズ夫人の夫だった。よくある政略で結婚したようだが、夫婦間で温度差があるようだ。もちろんこういう意思疎通のなってない夫婦を観察するのは口にしてはいけないという自覚はあるが趣味の一つだ。
暫く離れていた夫婦だ。昨夜、どんな話をしたのか、何があったのか気になる。気になるが素知らぬふりをする。きっと手紙で教えてくれるだろうから。
「それにしても、ティアラですか」
「ええ」
「第一王子の個人資産、結婚前と比べて目減りしていく一方だというのに、一度、覚えた贅沢が忘れられないんでしょうね。いつも昨年よりよいものがほしいとおねだりしているという話ですよ」
「それだったら、ますます自分で注文なんて出来ないわね」
「いいえ、何度も注文してますが、取引のある宝石商は注文は受け付けても、石が揃わないとか色んな理由つけて納品まで時間がかかる、と返事をしているそうです」
確かに時勢を見る商人達は第一王子達の支払能力に不安を感じるだろう。もし作ったとして、支払いがなければ、商人としても痛手を負うし、かといってその品を他の女性が購入してくれるとは思わない。評判の悪い第一王子妃が注文したものだ、目に入れるだけでも不愉快な筈。
「第一王子には妃と側近の距離が近すぎると忠告した事がありますが」
「あら、もしかしてあなたも教育係だったの?」
「はい、一週間でしたけど」
「確か短い方で三日、長い方で二週間だったわね」
「総勢十名、その後は第一王子に任せております」
「だったらまだ愛人の方が優秀なのね、ほら、だいぶ姿勢もよくなってきたし、発音もきれいになったと思わない?」
「教育係をつけてませんが、努力しているのでしょう」
そういうところは評価できると思う。ただそろそろ飽きてきた。
「妃殿下が侮辱を受けたならば、それはわたくしたちに戦をしかけたと同様。ええ、あの第一王子妃の不義を調べて公にしてやりましょう」
「ありがとう、あなたならそう言ってくれると思っていたわ」
「もし不義の関係がなかったとしてもかまいません、女の社交界の戦というものを教えてさしあげましょう」
「ええ」
「ただし!妃殿下が身籠ったら話は別です。中止にはしませんが、延期します」
「えっ」
「当然の事です、何よりそれを優先していただかないと困ります」
きっぱりと宣言するヒューズ夫人、同じようにキュリー夫人も頷いている。渋々頷いた。
その日の夜に開催された夜会では、噂の真相を探る為、普段よりマリアの周辺に人が集まった。
勿論、離宮を出る前に愛人と鉢合わせした。真っ青な顔をした愛人は涙を浮かべ後ずさって離宮へ帰っていった。久々に違う反応をされ、新鮮で良かった。
「マリア!」
「あら、おばさま、ごきげんよう」
「あなた、噂は本当だったのね」
王妹ローゼはマリアの首筋に残った口づけの痕を痛ましそうに見ていた。
「おばさま、これも嫁いできた女の義務です」
「マリア……」
「わたくしなら、大丈夫ですから」
血色の悪い顔にちゃんと見えるだろうか、健気に務めを果たそうとしている妃に見えるだろうか。
疲労しているのは、昨夜、夜明けから始まった祭事と式典で忙しく、その上、夜のお勤めまであったからだ。あと食事も少なめなのも影響している。今夜さえ乗り越えれば、暫く公務はない。それまでの我慢だ。
因みに今、ダイヤモンドとサファイアのティアラをつけている。夜会なのでつけてもつけなくても良いそうだが、第一王子夫妻を煽る為にもつけてみた。思っていたように妃の方は、マリアに向かって来そうだったが第一王子の方が止めていた。どうやら大使を通じてカールスバーグに報告するという脅しが効いているようだ。
「妃殿下、お顔が悪い人みたいですよ」
こっそりとヒューズ夫人に注意される。慌ててちょっとふらつくふりをし、小さく微笑んで交流を続けた。