第7話 スマホくらい使え
故郷を離れる前に、送別会、というほどのものを開いてほしかったわけではないが、会えない夏休み中でもせめて友達にくらいは別れを告げておきたかった。
だが、それも難しい話で、私もひよりも友達のほとんどが夏休み中は仁淀の外に出かけていることを知っただけだった。まだ内密のせいもあって、友達全員にメッセで「竜王に嫁ぎます」と伝えるわけにもいかず、結局は何も言わずに出立することになりそうだ。
駅前のカラオケ店の一室で、私は暗がりのせいかぼーっとしていた。ひよりの歌うポップスの曲名も曲調もまるで頭に入ってこなかったほどにだ。
「りつか、聞いてる?」
歌い終えたひよりが、私の顔を覗き込んできた。不機嫌というよりも、心配の色が窺える。
「あー、聞いてる。眠くてさ」
「例の夢?」
「そう。毎晩さ、貴族の礼儀作法とか、言葉遣いとか、家柄の説明とか授業がくあー」
私は噛み殺せなかったあくびを手で掴まえて、何とかしのぐ。
燼星墨光という竜と、金剛しらつゆから毎晩夢の中で妃になるための事前授業を受けていることは、ひよりにはすでに話してある。竜を知るミズチのひよりとしては「竜ならそのくらいはやれるだろうね」という認識で、話が早かった。
私は歌う気にもなれず、ひよりも休憩に入った。クーラーが効いていて冷たい飲み物のある個室だ、だらだらゆっくりしないとバチが当たる。
「あーあ、宮城なんて行ったら、カラオケも無理だろうなぁ」
「だろうね。てゆーかさ、千千都の街中を歩くのも無理じゃない?」
「せっかく都会に行けるのに……流行のやつが真っ先に手に入るのに。服とか服とか」
「生殺しだよねぇ。まあ、言えば手に入れてはくれるだろうけど、そんなもの着る必要なんてありません、って叱られるかもね」
「言われそう。もうやだ」
私は本気でそう思う。流行の服を手に入れられないことではなく、上から目線でばっさり断られることが嫌なのだ。何をしていいのか、何をしてはいけないのか、そんなことばかり考えて生きていかなければならないなんて、この先の人生が楽しくなりそうにない。
「ひよりはどっか行かないの?」
「普段なら休みには竜のお山に行くんだけど、親がこないだの台風の後片付けまだやってんの。この夏はどこにも行かないよ」
「ああ……そっか。地区長だもんね」
「竜はこっちの事情をあんまり考えてくれないから、代理に他のミズチの家を送るだけでも苦労したんだってさ。最終的に捧げ物の魚を増やすからって了解もらったらしいし、マジウケる。食い物かよ、しかも魚かよって」
「竜って何の魚食べるの?」
「とりあえず川で獲れた鮎を送るらしいよ」
「鮎かあ。食べたいねー」
いけない、思考がすぐに現実逃避の方向へと飛んでいく。でも鮎は食べたい、と思ったので、帰りに魚屋に寄ろうと私は決心した。昔は七輪で炭火焼きをしていたが、台所のコンロのグリルでも十分美味しく焼けるはずだ。
「でさ、りつか。ここだけの話」
「なになに?」
「竜って人間に化けられるじゃん?」
「うん、毎晩夢で見てる」
人間に化けているとは言うが、角と尖った耳はあるので人間ではないと一目で分かる。完璧に化けることもできるのだろうが、外見が人間そのものになるとそれはそれで人間社会が迷惑だし、ミズチも同じ理由で人間に化けても尻尾を残している。竜もミズチも、一応は人間に合わせる気はあるらしかった。
それはともかく、ひよりは私の耳元で、こっそりこんなことを言ってきた。
「次の竜王、若い竜だから、多分イケメンのはず。写真撮って送って」
私はひよりを見た。乙女の顔をしたひよりが、期待を抱いて私を見ていた。気になったとしても、私の気持ちにもうちょっと配慮すべきだろう。呆れを通り越して、私は怒りが噴き上がる。
「真面目な顔して何言ってんだこの馬鹿娘!」
「いいじゃんかよー! 竜ってマジで美男美女が多いんだって!」
「でも本体は竜でしょ! 爬虫類!」
「ちょまそれ言っちゃおしまいよ、りつか! うちらならいいけど竜相手に爬虫類はまずいって!」
それがどうした、どうしたもこうしたもあるか、と私とひよりが取っ組み合って均衡状態になっていると、部屋の扉がノックされて開いた。
私とひよりは動きを止めて、飲み物のお盆を持ってやってきた店員へ視線を移す。
「お待たせしましたー……って、りつかとひより?」
その店員は、どう見ても同じクラスの男子、笹川凌だった。サッカー部の万年補欠、帰り道が一緒の買い食い仲間だ。
「おう、おひさー、凌ちん。メッセ送ったのに無視しやがってー」
「あ、凌君だ。ここでバイトしてんの?」
「夏休みの間だけな、朝から忙しかったんだよ。二人だけか?」
「そうなんだよ、ねね聞いて聞いて」
ひよりは強引に凌を引っ張り、ソファに座らせる。私はすかさずお盆を取り、飲み物をテーブルに並べた。
ひよりはごく簡潔に、私の状況を説明する。まだ秘密だけどりつかが次の竜王の妃になるんだって、みたいな軽いノリだ。
それを聞いた凌は、意味が分からない、という顔をしていた。
「りつかが、竜王の妃ぃ?」
素っ頓狂なアクセントと声で、凌はそう言った。そのリアクションは、常人らしくて私はちょっと安心した。ひよりも月神も、皆まるで私が竜王の妃になって当然、とばかりの態度だったから、やはりこう驚くべきだろう、と私は変に納得する。
「マジで言ってる?」
「事実事実。もう勅使も来てて、宮城から人を派遣して、りつかがいなくなった家のことはやってくれるんだってさ」
そこまで教わると、凌も現実味が湧いてきたらしい。私を見て、何度か頷く。
「そっか。りつか、貴族だもんな。全然見えねぇけど」
「貴族ったってうちは貧乏だし末席だもん、そりゃそうよ」
「それで、何でりつかなんだ? 何かしたのか?」
「それが分かんないんだって」
「はあ?」
「私を妃に選んだ理由を教えて、って言っても、取次の人は頑なに教えてくんないの」
教えてはいけないしきたりでもあるのか、それとも月神も知らないのか、私がなぜ選ばれたのかその理由を何度尋ねても、月神は曖昧に誤魔化していた。しかし諦めきれなくて、まだ私の胸の内はもやもやしている。
「りつかはその、次の竜王に会ったことはないんだよな?」
「ないよ。最近は毎晩夢の中でおじいちゃん竜には会ってるけど、それだけ」
「まずその状況が想像できんけどさ、本当か? 憶えてないだけで、どっかで会ってるんじゃないか? お前、忘れっぽいしな」
「あー、言えてる」
「失礼な!」
「でも、会ったこともない話したこともない相手と、いきなり結婚するか? 普通はしないだろ、いくら竜王でもさ」
凌の言い分はもっともだ。
理由が必ずあるはずだ。くじで選んだとか、引き受け手がいなかったとか、そんな下らない理由ではないだろう。となれば、次の竜王は私を知っているのか、と考えるが、そもそも私がその次の竜王のことを知らないのに、なぜ向こうが知っているのか、という疑問が浮上する。
「じゃあ、どっかで会ったことある? ううーん、思い出せないだけかなぁ」
「可能性はあるんじゃないか。直接本人に、えーと、本竜? に聞いたらいいだろ」
「それしかないか。って、会わなきゃだめ?」
「だめだろ」
「だめっしょ」
「だよねー!」
テンションを上げてみたが、鬱々とした気持ちは変わらない。
私は大きなため息を吐いて、スマホの画面を見た。出かけるからと弟からのメッセが入っていて、アプリを起動させてぐるぐると考えてみる。
直接会う以外に、どうにか話をする手段はないか。そう思うが、電話もメールも無理だろうし、他に手は——。
「せめて、メッセのアドレスとか分かれば」
「あーね」
「無理だろそれは」
その場では、私もそう思った。
だが、ひよりと別れた帰り道、何となくこうも思った。
竜だって、スマホを使う時代なんじゃないか、と。
私は魚屋に寄って鮎を四尾買って、自転車を思いっきり漕いで帰宅すると、さっさと塩を振ってグリルに突っ込んでから、月神へ電話をした。
嫁ぐ相手とメッセでやり取りをしたい。アドレスを教えて、と。
月神は、若干の沈黙のあと、復唱した。
「丹青様の、メッセのアドレス?」
よほど意外だったのだろう、月神の声に明らかに困惑が混じっている。
「失礼、メッセとは?」
「あ、スマホのアプリです。中高生の間でよく使われてるSNSです」
「それは……丹青様は、スマートフォンは使っておられないかと」
やっぱりか。
だが、私は諦めない。どうしても話をするのだ。
「じゃあ何のために生きてるんですか? スマホ使わずに現代を生きるなんてありえないんですけど」
「そうおっしゃられましても」
「もう一度言います、現代でスマホ使ってないとか、ありえないですよ! メッセくらい使ってください!」
私の強めの押しが効いたのか、月神は口ごもり、そして決意したようにこう言った。
「分かりました。上奏してみましょう」
「えっ、上奏って」
「一妃の希望とあらば、丹青様も検討なさるかと。少々お待ちください、警備上の諸問題も解決しなければならないので。できるかぎり急いではみます」
月神は至極真面目に、そう言い残して電話を切った。
私はすぐに、上奏、という耳慣れない単語をスマホで調べた。
上奏とは、意見や事情を竜王に申し上げること、と出てきた。
つまり——スマホを使え、と次の竜王へ上奏することになるのだろう。
竜王がスマホを使う、どうやらそれは月神の反応で分かるように、前代未聞のことのようだ。
「な、何だかおおごとに……?」
ちょっとだけ、やってしまった、と私は後悔した。ひよりや友達に対してのノリで言ってしまったのだ、怒られたらどうしよう。
私は不安になってきて、何度もグリルの鮎をひっくり返して気持ちを落ち着けようとしたが、まったく効果はなかった。
どうしよう。
今日は12:00にも投稿します。見てねゴリラ。