第4話 ファミレスに竹馬の友
月神の初訪問から数日経って、私は電話で了承の返事を出した。川上のじいさんの手前、あの場はああ言うしかなかったのだ、という事情も謝っておいた。月神はやはり分かっていたらしく、「差し出がましい気を回してしまいましたが、結果としてお味方できたようで何よりです」と言ってくれた。顔は怖いが意外といい人かもしれない、これなら仁淀の家と弟を守る約束もきちんと履行してくれそうだ。
しかし、私は疲れた。普段使わない脳細胞を使ってしまったせいで、とにかく腑抜けた。これはいけない、と思って、私は朝布団に潜ったままスマホを手に取り、SNSアプリ『メッセ』をタップして幼馴染の青蓮華ひよりにメッセージを送った。
急いで来い、すぐに来い、駅前のファミレス集合、と。
そうと決まれば私は布団から出て、朝ごはんもそこそこに家を飛び出した。弟はまだ寝ていたので、起こさないようにして、おにぎりを食えと台所の食卓に書き置きを残しておいた。
今日も空には入道雲がある。夏真っ盛り、畦道の残る木々の生い茂った山肌の屋敷から、自転車を漕いで私は駅前へ向かう。仁淀には国鉄の仁淀駅しかない。その駅前だけちょっと栄えていて、商店街と小さなビジネス街があった。全国チェーンなのに仁淀には数軒しかないファミレスのうちの一軒はそこにあり、学校の帰りによく立ち寄っている。
とはいえ、夏休みの最中、皆帰省しているのか、長期休暇だから旅行にでも行っているのか、人通りはまばらだ。ファミレスの外に自転車を停めて、中に入ってみても客は少なかった。
適当に案内された席で、ひよりを待つ。私がドリンクバーでオレンジジュースとサイダーを混ぜて席に戻ると、ちょうどひよりがやってきた。謎のご当地Tシャツに七分丈のジーンズ姿で、化粧こそしていないが目鼻立ちくっきりの派手めの顔に、すらっと背も高い。ただしウェーブした茶髪には緑色のメッシュがところどころ生えており、地毛だ。そして何より、背中とお尻の境あたりから、太ももより太い魚のような尻尾が生えていた。翠緑の鱗に薄い鰭、猫のように地面に尻尾の先がつかないようにくるんと丸めている。
何を隠そう、青蓮華ひよりは仁淀の川に住むミズチの女子高校生だ。私と同じ高校、クラスの十七歳。ぱっと見遊んでいる風貌だが、真面目に弱小の女子サッカー部で一生懸命打ち込んでいる系の女子だ。その代わり、昔から勉強はできない。小学校一年生の夏休みの宿題からずっと、私が教える立場だった。
「おっすおっす、りつか」
「遅いよひより、すぐ来いっつったじゃん」
「勘弁してよ、ここらへんはうちからは上り坂なんだからさぁ」
ひょいひょい、とひよりの尻尾は持ち上がる。嬉しいらしい。
やってきたファミレスの店員へ、私のチーズリゾットとひよりのハンバーグメガ盛りセット二つ——ミズチは人間よりずっと大食いだ——を頼んで、私はさっそく、ひよりへ嫁入り話を簡単に説明した。
次の竜王の妃に選ばれた、家のこともあって嫁ぐしかない、と。
すると、ひよりはコーラと乳酸飲料を混ぜた飲み物にストローを差し、一気飲みしてからごく普通に驚いていた。これはそう、私が学校でミズチの学生たちとの競争に勝って購買の特大コロッケパンをゲットしたときと同じ反応だ。あれは大変だった、ミズチは人間より食欲旺盛な上に、身体能力もきわめて高い。だから私は正面からぶつかることは避け、チャイムが鳴る直前にフライングして教室を飛び出し、購買に一番乗りしてゲットしたのだ。
「えー、じゃあ、りつかは竜の王様のお妃になるの?」
「まだ決まってない」
「もう決まってるようなもんじゃん。へー、川で滑って転んで泣いてたりつかがねぇ」
「いつの話よ、もう」
私はむくれる。そんな記憶はさっさと忘れてしまえ、とさえ思う。
私は幼いころは泣き虫だった。ひよりをはじめとしたミズチの幼馴染についていって遊びたくて、でも人間の子供では体力もなく、最後まで一緒に遊ぶことはできない。鬼ごっこは途中でリタイアせざるをえないし、隠れんぼはミズチの鼻や耳を誤魔化すことができずにあっさり見つかる。遊び場の山歩きもミズチの独壇場だった、だから私はついていけなくて拗ねてよく泣いていた。
仁淀家は仁淀の水系の河川を管理する立場として、ミズチの各家との家族ぐるみの交流が盛んだった。私は人間の友達よりも、ミズチの友達のほうが多く、ミズチたちも私を普通の子供として扱ってくれた。その交流はミズチの子供たちへ、将来人間の社会の中で暮らすためにミズチよりも脆弱な人間に慣れさせる、という目的もあったようだが、それは概ね成功している。
だから、ひよりは私のことはもちろん、貴族の仁淀家のこともちゃんと知っていた。それゆえに、今回の嫁入り話は他の人間よりも正確に話を把握できると踏んで、私は呼んだのだ。
やってきたハンバーグメガ盛りセットを自分の前に並べながら、ひよりは喋る。
「うちらミズチにとっちゃ、本能的に竜は主人なわけよ。その竜に嫁ぐ人間なんてさ、びっくりだよね。それも幼馴染が」
湯気立つハンバーグ、デミグラスソースの香り、ひよりはざくざくナイフとフォークで切り分けて口に放り込む。ミズチだから、ということもあるが、成長期のひよりはいっそ清々しいほど食べる。成人男性二人分以上の量の朝食をぺろりと平らげていく。私がチーズリゾットを冷ましているうちに、半分は食べ終えていた。
「竜ってさ、見たことないんだけど」
「あ、そっか。りつかは仁淀からあんまり離れたことないもんね。うちはあるよ、たまに竜の住むお山に行って、掃除とかお供えとか用意してご奉仕すんの。でっかいよー、長ーい胴体があったり、金色に光ってたり。あとおじいちゃん多い」
「えー、じゃあ私、おじいちゃんに嫁ぐの?」
「違う違う。竜王って、竜の中でも若い竜がやるの。だから……あー、二、三百歳くらいじゃない?」
「それは私たちの感覚ではおじいちゃんでしょ」
「大丈夫、竜は万年生きるから」
何が大丈夫なのか分からないが、竜とは大変長寿だということは分かった。万年という、亀と同じくらい途方もない年月を生きる生き物に、どうして百年も生きられない人間が嫁ぐのか。政略結婚も大概にしろ、と私は心の中で愚痴る。それでは飽き足らず、私はついに口に出してしまった。
「ひより、ぶっちゃけさ、弟放って結婚するとか嫌なんだけど。私、十六だよ? 高校どうするのよ?」
「そりゃあ、退学でしょ。寿退学」
「嫌すぎ」
「誰も悪いことなんて思わないから大丈夫って。むしろ、仁淀のみんながお祭り騒ぎするんじゃない? うちの領から竜王の妃が出た、ってさ」
「それも嫌」
「あーあ、りつかはわがままだねぇ」
「いや、普通にさ、会ったこともない竜に嫁げって言われたら、困るでしょ」
「それは確かに。じゃあ、何でりつかが選ばれたか、って話よ」
私もそれは真っ当な疑問だと思うが——。
「分かんない」
「だよねー」
ひよりは笑うが、私はため息しか出ない。
しかし、大盛りライスを次々口へ運ぶひよりは、真剣に話をするつもりはあった。
「でも、降って湧いたとはいえ、いい話なのは間違いないよ。りつか、セイちゃんのためでもあるしさ。まだ小学六年生じゃん、りつかだって高校二年だしさ、家を守るっていうのは現実的に考えて相当厳しいと思うよ」
「うん……私じゃ、親族から家を守れそうにないし、あーあ、せめてセイちゃんが大人になるまで待ってほしかったな」
ひよりは私を取り巻く状況をよく把握していた。人間より、ミズチのほうが貴族の家の話に敏感だ。それは代々自分たちと人間を繋ぐ役目の家に協力する気があるからだし、貴族の家の没落は直接自分たちの生活に関わってくる。ただ、ミズチは貴族に肩入れすることは禁じられていた。あくまで竜の眷属、建前でも人間に従ってはならない。その一線は思う以上に厳しい。
それも、ひよりは分かっているのだろう。申し訳なさそうに、こう言ってきた。
「ミズチは貴族の人宮家の内情には関われなくてさ、ごめん」
「ああ、いいのいいの。そんな無茶言うつもりはなくて、こっちこそごめん」
私たちは謝り合って、とりあえず話を変える。
「こうやって、ゲーセン帰りにファミレス寄るのもできなくなるのかなぁ」
「そだね。今のうちにポテト食っとこ。パフェも奢るよ」
「じゃあ奢られる」
「元気出せ。よーし、期間限定のこれね。いくつ頼む? 五つくらい?」
「ひよりが全部食べるじゃん。私の分も頼んで」
「オッケー。すいませーん」
ひよりはメニュー片手に店員を呼ぶ。
昨日から始まった期間限定のマンゴーパフェ、そういえば母さんはマンゴーが好きだったな。フライドポテトだって父さんと弟がご飯前に食べて怒られていた、そんな思い出が蘇る。
私は、できるだけ思い出さないようにしようとしていた。でも、どうやらこの土地にいるかぎり、それは無理そうだ。
それもまた、私が竜の王へ嫁ぐ理由の一つになりそうだった。