第34話 今からでも知るのは遅くないと願う
丹青の心は読めない。
それは当然で、私はただの人間で、しかも相手は竜だ。経験則なんて通用しないし、私が読心術を使えたって防がれるだろう。
「出会って、それで?」
昔の丹青は私に一目惚れでもしたのか、話しているうちに好きにでもなったのか。そう考えなくては話に辻褄が合わないが、たったそれだけのことを言うためにここまでお膳立てをする必要があるだろうか。
となれば、何かまだあるのだ。
「言いづらいこと?」
「いや、正しく伝えるためには、どう言えばいいか迷っているだけだ」
丹青はそういうところがある。慎重を期して、自分が発する言葉を警戒している。地位ある者としてそれは当然の義務だが、本来吹けば飛ぶような人間たちに対し、竜がそこまで気遣うことはないだろう。
そのときだった。個室の襖が開き、黒髪の老爺が現れた。
年老いたその姿には不釣り合いなほどの艶のある黒髪を垂らし、その老爺は丹青を見下ろす。
「まあ、そうじゃろうなぁ。己の言葉の意味をしかと理解する、なかなかに難しいことじゃ」
丹青は目も頭も動かすこともなく、老爺を視野に入れずに尋ねる。
「燼星公、迎えに来たのですか?」
「転ばぬ先の杖、というじゃろう? 年寄りのお節介じゃ、気に入らんじゃろうがの」
燼星墨光ことぼっくんの登場に、丹青が著しく機嫌を悪くしていることは、明らかだ。態度をきわめて硬化させたと言い換えてもいい。
しばしの沈黙、丹青もぼっくんも微動だにしない。私はどうしていいのか、とこの緊張した空気にただ戸惑うばかりだが、よく考えれば私はぼっくんと直接会ったのは初めてで夢で出てきたまんまの姿に違和感すらなかったし、丹青は子どもの姿だからよくよく見ていると祖父の来訪に孫が拗ねているようにしか見えなくなってきた。
現実逃避している場合ではない、私ははっと我に返って、ぼっくんにちらっと視線を向ける。
それを合図とするかのように、ぼっくんは丹青へこう言った。
「丹青、釘を刺したはずじゃ。お前は竜王となる、我々と敵対せぬ約定を交わした、これを反故にするつもりか?」
私はほぼ反射的に、ぼっくんへ勢いよく問い返す。
「ちょっ、待ってよ、どういう話? 分かんないんだけど」
半ば、それは丹青を庇うように出た言葉だ。まるで、丹青を敵視するかのような物言いに、身構えたからだ。
ところが、それは間違いではなかった。
「丹青は、今の時代においては忌み子である。なぜならば、その力は今いる竜という種族を上回るからじゃ。古き時代の古き竜と同じ者、現代に至るまでにその血を繋いできた竜たち、これらはもはや、別種と言っていい。竜の中には、すみやかに弑するか、我々の領域から遠ざけるべきだという意見さえ出ていた」
ぼっくんの口からは、淡々と語られる。
丹青は何も言わない。
「弑する、目上を殺すだなどと、この言葉を使う時点で、我々が丹青という存在をどれほど畏れているか、分かるようなものよな」
ぼっくんはにっこりと顔は笑いつつも、目が笑っていない。丹青もそれに応じず、雰囲気は最悪だ。
敵だの殺すだの何だのと、この平和な現代に何と物騒な。しかしぼっくんこと燼星墨光は一万年以上を生きてきた竜だ、物騒な時代など嫌というほど目の当たりにして、その中を生き抜いてきたであろう古老だ。片や——丹青はどうだろう。そんな言葉を投げかけられなければならないほど、丹青が特別視されている、ということは汲み取った私は、強引に話題を変える。
「それでも、丹青はどうして竜王になろうと思ったの。丹青、まさか、仁淀で何かあったから?」
丹青は、この国の竜王だ。なら、少なくとも今は人間とも竜とも敵対する立ち位置にはない。
しかし、その関係となった理由がもし、私に関係することであれば、おおごとだ。私のせいで、何か決定的な問題が生まれてしまったのではないか。そんなふうに、私が思ってしまうことを見越して、丹青は上手く言う方法を探していたのだ。私はそう気付いた。
丹青は、しっかりと私を見つめる。
「たとえ、他愛ない子どもの戯言だったとしても、安易に受け入れた感情だったとしても、私は君を好きになったんだ」
丹青は止まらない。熱っぽく、告白を続ける。
「君は私の話を聞いてくれた。理解しきれなかっただろうが、一生懸命に私の話に耳を傾けてくれた。私はそこで初めて、会話によって、自分以外の誰かを認識したんだ。誰かに聞かせるために、私は自分の中の思いの丈を言葉として紡いだ」
——君のためにだ。
私は、そこまで聞いて、自分の想像力があまりにも足りていなかったことを後悔した。
一目惚れなんて、匂いが好きだからなんて、『好き』の理由が軽いのではないか、なんて思った。結婚するほどの理由にはならないだろうし、丹青は一時のお熱を上げているだけで、すぐに私からそっぽを向くだろうとさえ思った。
だから、もっと『好き』である理由があってほしかったし、なかったのならもういいと腹を立てた。その程度の思いくらいで結婚させられたなんて嫌だ、と私は——それこそ自分だって一時の感情に支配されていたくせに——全部ご破算にしようとした。
でも、その『好き』の理由が真剣で、深く根ざしていて、私でなければならないほどの事情があったなら、どうなる?
私は、ちゃんと向き合えるのだろうか。
私のせいで、私を好きになったせいで、丹青はしたくもないことをさせられているのではないか。だとすれば、私を好きになったことなんて間違いではなかったのか。
丹青は、そう思いたくなんてなかったのだろう。そのために、動いた。
「仁淀を離れたあと、私は竜たちによって、無理矢理話し合いの場につかされた。私を野放しにしておけないからと、自分たちのために都合のいい処分を画策していたことくらい、私は見抜いていた。だが、その場で暴れたところで——結局のところ私は竜だ、どうやったって君と一緒にいられないじゃないか、と悟ってしまった」
「そこで儂が助言したのじゃよ。一人であれ、複数であれ、人に執着があるのなら、人を統べる竜王とならんか、と。そうすれば、りつかを嫁に迎えてやることもできる。色々と問題はあったとしても、丹青がこの世で唯一やりたいことは、大好きなお前さんと一緒にいることしかないわけじゃからの」
丹青は頷く。臆面もなく、私を見据えていた。
何よりも私を考えて、特別な竜の身でどうすればいいのかを考えて、その結果が今なのだ。そこにどれほどの葛藤があったか、私は知らない。苦痛や忍耐が必要とされ、どこまでも思案を重ねて、最善を生み出そうとした丹青の努力がいかほどのものか、今だって私はすべてを知っているわけじゃない。
私は、丹青を何も知らないのだ。
知らないのに、私は何を思い上がって、丹青を嫌っていたのだろう。
まあ、匂いフェチは嫌だけど、誤解だったっぽいし。
うーん、私はちょっと気まずい。丹青とぼっくんはまだ話を続けているが、それが流し聞きでも割と洒落にならないことなのは分かった。
「こう見えて丹青はの、お前さんが害されるくらいなら宮城どころか貴族も十十廻国もすべて滅ぼしかねん。実際それだけの力はあるのじゃから厄介でな」
「できたとしても、簡単ではありません」
「しかし、できるじゃろう? ただそれだけであらゆることの抑止力となるわけでの。そう、大昔の竜たちが作り出したミズチのように……人も竜も、何もかもの魂を弄って、意のままに動く生き物へと作り変えることさえできるのよ、こやつは」
もうその力は神にも等しいというのに、ぼっくん以下竜たちはよく丹青を抑え込めたものだ。無論、そうしなかったならば、それこそすべてがご破算だっただろう。
「それをやられれば、この国はなくなる。それどころか、世界にどれほどの影響を与えるか、計り知れん。無論、人も竜も最大限抵抗はするものの、どう足掻いても魂への干渉を防ぐことはできん。こやつの力、海を越えるくらいは平気でするしの」
丹青は特に何も言わず、肯定も否定もしない。確かにこやつはしれっととんでもないことを当然のようにするだろう、私もそう思う。
ぼっくんは神妙になっていた私の顔がおかしかったのか、また笑っていた。
「とまあ、丹青が竜王になったのは、そういう事情じゃよ。さて、聞いておろう、皆の衆」
皆の衆?
私はすぐに悟った。この会話、いや、この料亭に入ったときから、私と丹青の会話は——さっと姿を見せたしらつゆや先日会ったばかりの万修に聞かれていたのだ。後ろにはまだいる、この会話を聞かせても大丈夫な人々なのだろう。
何となく、その場はしんと静まり返っていた。何を言っていいのか、分からない。




