第31話 人と竜が歩幅を合わせる
赤い耐熱アスファルトの道を、てちてちと歩く、幼児。
大きめの大人用のサマーニット帽を被り、上半身は薄めのパーカーとTシャツ、下半身は夏用クール素材の半ズボンに白いスニーカー。服装の真新しさは隠せず、おニューの服を着て張り切って出かける五、六歳の男児、にしか見えない。
ただ、やけに顔の作りが整っているし、目の色は実は赤茶色だし、サマーニット帽の下の黒い髪には赤と青のメッシュが混じっている。ついでに白金の小さな角が二本もだ。
ところが、幼児はスニーカーの紐が解けていることに気付き、片膝を突いて慌てて結ぼうとしはじめた。慣れない様子で、一生懸命蝶々結びをしているが、妙に不格好だ。
私はじっと、その幼児がスニーカーの紐を結び終えるのを待っていた。もたもたしてはいるが、焦っている気持ちは伝わってくる。急ぐ用事があるわけでもなし、数歩先で立ち止まって待つ。
ようやく、そいつは——幼児に変化した丹青は、顔を上げて、てちてち走ってきた。
「りつか、待ってくれ」
丹青は私の横に並ぶ。私は歩調を緩やかにする。小さいころの弟と一緒に歩いているときと同じだ。
「はいはい。歩幅合わせるから」
成人姿に比べれば短い手足をちょこまか動かし、丹青は私を見上げてきた。
「どこへ行くんだ?」
「子供連れでも不思議じゃないとこ。運河地区にショッピングモールがいくつかあるって聞いたし、そっち行こ」
今朝、私は、丹青と遊びに出かけることになった。正確には家の中で遊ぼうと思っていたら始雷に仕事があるから出ていくよう言われ、夕方まで帰ることができなくなっているのだ。
しかし、この明らかに竜が化けましたとばかりの丹青は、すでにその姿を公の目に晒しているし、私よりもはるかに人目に憶えられている。だから、そのままの姿では外は歩けない——なので、せめて幼児になって、髪と角を隠そう、尖った耳も隠そう、ということになった。ところがだ、丹青は変化が下手くそで、幼児に変化できたのはいいが、髪も角も消すことができない。何度か挑戦してやっと耳は丸くなった。それだけだ。
仕方なく始雷のサマーニット帽を借りて、丹青はお忍び姿となった。どこからどう見てもお金持ちのお坊ちゃんの雰囲気は否めず、始雷に用意してもらった———なぜか家の中に男児用衣服があった—服は生地と仕立てがいいせいで余計に悪い。
さすがにこのオーラが半端ない幼児丹青を街中でうろちょろさせるわけにはいかない。できれば富裕層が行きそうな場所で、子供連れでも問題がなさそうな、運河地区にあるショッピングモールを目的とすることにした。千千都の運河地区は元々張りぼてであっても軍事拠点が多かったのだが、平和な今となっては再開発の対象であり、小金持ち程度のファミリー層、新興富裕層の住むおしゃれな地域と化しているそうだ。まあ、しらつゆやかんろ、始雷からすれば、富裕層などと称しては鼻で笑ってしまうようなものだろうな、とも思えた。
平日の昼間、私はマンションから出て、バス停へと向かう。丹青はちょこちょことついてきていた。並べば私はギリギリ保護者に見えなくもない、うーん、ガバめのロングカーディガンと飾り襟シャツ、キュロットとサンダルで、十六歳よりは上に見えるような、見えないような感じだ。もうこれはどうしようもない、化粧をしても同じだろう。
とりあえず、一番の懸念はそこではなくて、始雷がOKを出したのなら問題ないと判断するくらい重要な問題がクリアされていることだ。
私と丹青、つまり一妃と竜王のお忍び外出が許されるのか。その安全面を始雷が考えないはずもなく、追い出されたということはそういうことで、気にするなと言われているのだ。きっと。
考えなくていいことは、考えないでおこう。私は見えてきた誰もいないバス停の屋根の下に潜り込み、時刻表へ目を凝らす。スマホで調べてきた路線表が間違っていなければ、数分後に目的地行きのバスはやってくるはずだ。
丹青は自分もスマホを取り出して、両手で持っている。大人の手ならまだしも、幼児の小さな手ではスマホは実に扱いづらいだろう。
おずおずと、丹青は私を見上げ、話しかけてきた。
「りつかは、実はどこか行きたいところがあるんじゃないか?」
「別に。欲しいものは大抵通販で買えるもん、千千都でどうしても行きたいところなんてないし、そもそも手持ちがないし」
「それなら」
「そういう恵むような真似しないで。いい?」
「……はい」
丹青はぱあっと顔を明るくした瞬間、しょぼくれ、目まぐるしく表情を変化させている。
私は、誰かにものを恵んでほしいわけじゃない。丹青にだって、買ってもらう理由がない。そこのところ、買い物の経験が浅い竜には分からないだろうな、女心だって分からないに違いない。
それより、もっと実用的なことを聞いておかなければならなかった。私はスマホを見せ、丹青に尋ねる。
「バス乗ったことある?」
「いや、ない。大丈夫だろうか」
「運転手さんの横の料金箱の上に、スマホを乗るときにタッチすればいいから。私の真似して」
「う、うん」
丹青は随分と思い詰めて、真剣にスマホを握りしめている。それほど鬼気迫る儀式のように捉えなくても、と思ったが、放っておこう。私がいちいち世話をするより、自分からちゃんと理解して慣れていくほうがいいだろう。
丹青の心の準備ができたころ、バスがやってきた。車体の八割くらい強化ガラスで覆われた、最新型のEVバスだ。どことなく外見は電車っぽさもあり、田舎で見るような排気ガスまみれで騒音のひどい古びたバスとはまったくの別物だった。
前の乗降口の扉がスライドして開く。私が一歩を踏み出し、運転席横のタブレットパネルにスマホをかざすと、軽快な音が鳴ってOKと表示が出た。
ちょっと進んで振り向くと、丹青が両手で持ったスマホをタブレットパネルへ慎重に差し出していた。その顔は、緊張感と使命感に溢れている。
やがて、タブレットパネルは丹青がバスへ乗ることを許可し、ピピッと鳴ってやっていた。丹青がそれを聞き、また私を見上げてくる。
「できた」
「よかったね」
満足感で彩られた顔のまま、丹青は動き出したバスにびっくりして転げそうになり、私はその手を引っ張って近くの一人用座席に座らせた。小さい体では、バスの揺れが激しすぎて立っていられないようだった。
バスはちょっと乱暴に、運河地区までの道のりを走っていく。




