第29話 古き竜の謀り
小さな老人の姿形をしていても、その威圧感はまさしく竜のものだ。
燼星墨光、気候さえも操る竜は、にこりと笑って官吏たちへ問いかける。
「さて、今日は少しばかり、聞きたいことがあってまいった」
笑いつつもピリピリとした緊迫する空気が、万修をはじめとする官吏たちの肌を粟立たせる。もっとも近くにいた信濃など、壁際まで身を引いていた。
ところが、燼星墨光から発せられた言葉は、耳を疑うようなものだった。
「ぬしらは、竜王がおらずとも幾年ほど政治を維持することができる?」
その意味を即座に理解できない者など、この場にはいない。
万修の斜め前にいた白髪まじりの官吏が手を上げる。
「それは……竜王陛下の裁可なくとも、滞りなく現状維持を、ということですか?」
「少し違う。現状よりもよくすることはできるか? とも付け足そう」
竜がいなければ政治をよくできるか。そう言われて、竜の目の前で、真正面からそうですと答えられるか? 竜王に仕える官吏たちが?
馬鹿にしている。そう思っていても、万修は黙っていることはできなかった。
のそりと、万修は前の列を押しのけて、最前列に立った。胸を張り、虚勢を悟られないよう声を大きく、明確に発音する。
「畏れながら、申し上げます。現在の式部省の力があれば、各所を相当の年数誤魔化すことが可能かと。また、式典など公の場に姿を現すに際し、変化を得意とする竜のお力添えがあれば容易であると考えます」
しかし、それでは十分ではない、と万修は思い知っている。正直に、それを竜の耳に入れてやろう、嫌味と思われてもかまうものか。そう腹を決めた万修を、誰も止められはしなかった。
「その上で、現状よりも、となれば、まずやるべきことは上位貴族の横槍を止めることです」
大広間が再度ざわつく。ここには、信濃をはじめ上位貴族の息のかかった官吏が何人もいるだろう。下位貴族であろうと優秀であろうと、上位貴族の覚えめでたくなければ多少なりとも出世に差し障りがある現状、その不健全さは指摘されて然るべきだ。万修や任光でなくとも、そこに不満を持つ下位貴族は多い。
燼星墨光は万修へ問う。
「しらつゆはようやっておると思ったが……何やら、不満があるか?」
「宮城は聖人が一人二人いようとも、幾千の凡才により成り立つ組織です。朱に交われば赤くなる、才覚を適切に示すことは簡単なことではありません」
万修は臆しない。燼星墨光は対策を——事前にある程度考えていたのだろう——打ち出す。
「では、こうしようではないか。竜の中から、才覚ある者をそれぞれの省に改革のため派遣しよう。命令者としてではない、それぞれの場所でそれぞれに才覚のある者同士を組ませ、働かせる。無論、理の内のことも、理の外のこともあろう。しかし、国のためとあれば、陰に日向に動くことを容認すべきところもあろう?」
万修ほか、その提案に驚き、竜の歩み寄りとも取れる話が竜の古老から発せられたことを現実のことと受け止めにくく、大広間はしんと静まり返る。
上位貴族は竜の有力者を擁し、その影響力を元に長年の権力基盤を造ってきた。竜に関わる事柄を円滑に行うために、宮城から役目を優先的に贈られることもしばしばで、有能だろうが無能だろうがそれは関係ない。ときに越権行為があろうとも、竜を盾に押し通し、竜王にもきつく意見する。上位貴族の影響下にない高級官吏からすれば、目の上のたんこぶのようなものだった。
その竜が、各所に派遣されるとなれば、上位貴族が増えるようなものではないか。宮城はさらに混乱する。
「竜として派遣するのではない。あくまで、在野から拾ってきた人材として扱うがよい。儂が選び、よぅく言って聞かせ、送り込む。それでは不満か?」
「誤解を恐れずに申し上げるならば、不満でございます」
「おい、万修!」
やってきた任光の制止を聞かず、万修は使命感をもって上申する。ここで引けば、竜の後ろ盾がない自分たちの立ち位置がなくなると分かっているからだ。上位貴族がさらに多くの竜を囲い込み、さらに専横を極めるなら、何の意味もなく、国家の害に他ならない。
言うべきことは——急激な改革でも、後退的な体制維持でもない。
「この宮城の末席に連なる官吏として申し上げます。すでに十十廻国は竜のみに支配される国としての形を失っております。となれば、これからは竜と人が対等に手を携えるべきです、できることならば」
竜を後ろ盾にはしない、できなくなれば、上位貴族の鎧を一枚剥がせるようなものだ。しかしすぐにそれをなくすことはできない、上位貴族の猛烈な反発は想像するまでもないからだ。
宮城における竜と人の対等、ともすれば竜王さえも人と対等にあるべきと解釈されかねないが、そこは今問題ではない。
満足げに、燼星墨光はからからと笑った。
「いやいや、儂に物を言える逸材は、中務省ではなくこちらにいたか。うむ、言うたからには責任を果たすがよい」
そこでようやく、万修は気付いた。
嵌められた、と。
獲物を捕らえた燼星墨光は、上機嫌だ。
「実はな、丹青の仕事を減らしてやろうと思ってまいったのじゃよ。竜王に仕事がありすぎる、九割ほど削減させようと思うてな。ああ、金剛の家は関係ない。儂は友人に助けてくれと言われただけ、竜は人を助けるものゆえな」
この老爺、あっさりと宮城を変えようと図って、実際にその道筋をつけてしまった。
主張するからにはやるだろう、ここで不満を持つ下位貴族の代表のようにされて、意見を具申してしまった以上、万修が何もしないというわけにはいかない。病があると父のように退くこともできない。すっかり押しのけられた信濃は慌てている。
「ほれ。あとは派遣する竜とともに未来図を作るがよい」
燼星墨光は中空を指差して、ぽんと一つ、巻物を出現させた。万修は上から落ちてきたそれを咄嗟に受け取り、燼星墨光の目配せを受けて、渋々開く。
そこには、番号を振られた竜の名が並んでいた。ずらりと、音に聞く竜の名もあれば人里に近づいていないであろう竜の名もある。巻物の巻頭には、百竜名簿と書かれている。
それすなわち、燼星墨光の差配で宮城に送られてくる竜たちを示し、その数は——百もいる、ということだ。ただでさえ希少な竜だ、存命する半数以上を派遣するということになる。
「竜を、これほど派遣する……!?」
万修は目を剥くほどに、信じがたいことだった。
燼星墨光の力をもってすれば、可能であるのだ。竜王などよりはるかに竜たちを統率する力のある、一万年をゆうに超える時を生きる竜、それが燼星墨光なのだから。
「各地で遊んでいるやつらを叱りつけてな、いい加減に人の役に立てと言うてきたのじゃよ。では、ぬしが音頭を取ってよろしゅうやっておくれ。人宮臣二位家筑摩万修よ」
万修は何とも苦々しく、しかしそれは顔に出さない。
燼星墨光は、信濃を連れ、大広間からさっさと出ていった。あとはお前たちで何とかしろ、そういうことだろう。
任光が万修の持つ百竜名簿を覗き見る。
「大変なことになったな、万修」
「ああ……しかし、これは」
燼星墨光は、万修の名も姓も知っていた。最初から嵌めるつもりだったのだ、式部卿を多々務める筑摩家を味方につけるために、万修が上申しなければならない話題を出して。
もし万修が黙っていたとしても、わざとらしく指名したことだろう。どのみち、逃れられることでもなく、それならば主体性を持って協力したほうがマシだ。
それに——昨日、りつかにけじめと責任を説いた手前、やるべきことをやらなければならない。
「やむをえまい。責任を果たせと言ったからには、俺もやらねばなるまい」
万修は百竜名簿を閉じ、これからを考える。
燼星墨光が真に何を目指しているのか、それを知らなければならない。
おっさんと爺さんしかいないなここ最近の話……。




