第28話 未明の呼び出し
翌日未明、宮城では動きがあった。
式部省における四等官以上の官吏を対象に、緊急の呼び出しがあったのだ。高級官吏たちは宮城に泊まるか、近隣の宿舎に寝泊まりしているため、速やかに全員が集まることになった。
式典にも使われる式部省の大広間に集まっているのは、二十五、六人ほどだろうか。畳の間に座布団が整列されて座っている者もいれば、立って歓談に興じている者たちもいる。お茶汲みをやる下級官吏は出勤していないことから、自分たちでさっさと茶を出し、呼び出した信濃式部卿の到着を待っている。
筑摩万修も呼び出された一人だ。昨日の丹青とりつかの騒動が終わったと思えば、この緊急の呼び出し、何か関係があるのかと疑わざるをえない。
ここに集まった面子はいずれも下位貴族の長や中堅どころ、いわゆる平民上がりの官吏はいなかった。それもそのはずで、式部省は他の省よりも下位貴族の派閥が強い影響力を持つ。人事に叙位、礼式に賞行といった身分に直接関わる分野を司るだけに、古くから故実を知る下位貴族に一日の長がある。
ゆえに、他の省よりもプライドの高い人間が多いが——その分、仕事に手を抜くことはない。自らの存在意義に関わるからだ。
適当な場所に座り、あぐらをかいていた万修へ、髭面の伊吹任光が話しかけてきた。
「万修、こたびの召集、やはり丹青様の命令か?」
万修は首を横に振る。
「いや、特に誰かに命じられて、とは聞いていないが」
「まあ、あれだけ嫁に逃げられて取り乱した上で、皆の前には出てこれまいが」
「滅多なことを言うな。信濃卿に目を付けられるぞ」
任光はわざとらしく鼻を鳴らした。
「何が信濃だ。万修、お前の父が病でお役目を退いておらなんだら、そのお鉢も回ってこなかっただろうに」
こら、と万修は任光を嗜める。
事実ではあるが、大っぴらに言うことでもない。万修の筑摩家は家格こそ下位貴族だが、大昔は竜のいた山を任されていたこともある、群を抜いて古く格式ある家だ。それだけに宮城では卿クラスを歴任することも当たり前だが、万修としてはただでさえ忙しいのにこれ以上面倒な立場になりたくない、とも本気で思っている。
だが、それを信濃を含めた対抗勢力の面々が信じるはずもなく、万修の父が派閥争いに積極的だったせいで、万修も同じだと思われている。必要以上に信濃式部卿に目を付けられたくはなかった。
任光は万修の古い友人であり、同期だ。腹蔵なく言い合える間柄であり、任光は信濃がいないことを確認して愚痴を漏らす。
「式部省がいつまでも上位貴族の言いなりと思うてもらっては困る。だからこその下位貴族からの一妃選出が大きい、惜しむらくは仁淀家がほとんど宮城に関わりがなかったことだが」
万修は、昨日会ったばかりのりつかの顔を思い起こす。一妃を辞めて宮城から逃げ出そうとする前代未聞の事件を起こし、竜王を恐れるどころか言いたい放題侮辱していたあの少女は、貴族のしがらみなど毛ほども感じていないだろう。
だからこそだ。どちらに転ぶにせよ、転ぶ経緯となったこれまでのりつかに対する扱いは、本当にりつかのためになっていたのだろうか、と同情してしまう。
「後ろ盾はないに等しい、上位貴族ならば操り人形にするだろうな」
「むごいことだ」
「そう思うのか」
万修は、任光の憐れみが意外に思えた。任光は何を今更、とばかりに語る。
「そりゃあそうだ。うちの娘と同じ年頃で、遊びたい盛りだろうに。よほどのことがないかぎり、下位貴族の娘などほとんど一般人と同じだぞ」
なるほど、そう来たか。式部卿だの上位貴族だのと鼻息荒く言っている割には、任光は案外人並みの同情心を持っていた。
「そうだな。竜王直々に選ばれれば、断る術などない。現に、上位貴族たちは一妃を囲って、飴と鞭を使って逃げられないようにしていた」
「しかし、丹青様もあまりにも人の世を知らなすぎる。まあ、竜は下々のことなど何とも思わんのだろうし、お戯れの一つにすぎんだろうが」
またお前は、と万修が諌めようとしたそのときだった。
「ほっほっほ。そうか、そう思われておるのか」
万修と任光の後ろに、黒髪の老爺が立っていた。白紬の着流しに、漆黒の羽織を肩にかけている。
式部省では見覚えのない顔に万修も任光も警戒したが、こんな朝早くにここにいるということは、緊急の呼び出しを受けてのことだろう。つまり、立場的にも身分的にもそれなりの人物だ。見知らぬからと言って、蔑ろにするわけにはいかない。
任光が誰何の代わりにやんわりと話しかける。
「これは宿神、どちらからいらした?」
「なぁに、爺のことなどお気になさるな。続けて続けて」
そう言われて批判を続けられはしない。万修と任光が戸惑っていると、黒髪の老爺は軽々しく、とんでもないことを言い放った。
「竜王とて、今となっては人間を知り、ある程度は敬わねばなるまい。それこそが共存であり、そこに上下をつけることは不遜である。ぬしらとて、友に序列はつけぬじゃろう? だが、本当に友であってくれるのか、それが信じきれぬ竜たちはいたずらに威厳を示し、見栄を張る」
まさかの公然と竜たちを批判する黒髪の老爺は、怯える様子などない。
「みっともないことじゃ。そうは思わぬか?」
黒髪の老爺は万修と任光へ同意を求めるが、答えようがない。
万修は、黒髪の老爺の正体を確かめるべきだと思った。
「宿神、あなたは……一体?」
黒髪の老爺は答えない。
大広間に信濃が大股で入ってきた。集まっている官吏の前に立ち、大声を張り上げる。
「静粛に! 本日は緊急の呼び出しに、さぞ慌ただしくしたことだろう。しかし、どうしても諸君と話をしたいとの仰せである」
その言葉には、肝心のものが足りない。
緊急の呼び出しを要請したその人物は、誰か。主語が抜けては話にならない、おそらくはやんごとない身分、それだけの力のある人物が求めたのだろうが——さて、下位貴族を黙らせるためだろうか。万修は腕を組み、事態の推移を見守らんとする。
ところが、信濃が万修と任光のほうを見た。なぜ、と思う間もなく、信濃は呼ぶ。
「燼星墨光公、こちらへ」
その名を聞き、大広間がざわめく。
その名を知らぬ者はここにはいない。竜の古老、金剛家の守り神。
それがこの黒髪の老爺に化けているのか。万修も任光も驚くが、その理由は、なぜの意味は、竜が人里に降りて式部省に一体何の用があるか、というところにある。
燼星墨光はにやりと笑う。
「うむ。まあ、楽にいたせ。取って食うことはせぬよ」
そう言って、燼星墨光は悠々と引き下がる信濃のいた位置に立ち、官吏たちを見回した。




