第11話 天空でひとまず午睡
残暑の空も、高度二百メートルを超えれば、風のおかげで暑くはない。
ヒートアイランド現象によって千千都の都心部は恐ろしく暑くなる。夏には摂氏四十度近くなることも珍しくはなく、アスファルトの地面が柔らかくなるほどだそうだ。
高さ五百メートルを超える宮城は中心から裾野に広がって低くなっていくテント型だが、竜の玄関や御空の間といったところは飛び出ていて、決してなだらかとは言えない。数千年も修復と増改築を繰り返していれば、全域を網羅した正確な図面は残っておらず、また人間の利便性を考慮して、建築物に関しては必ずしも先例を踏襲しない暗黙さえあった。
そこに、私はやってきた。いつもの私服でいいと聞いていたので、透かし編みのニットカーディガンとTシャツ、ジーンズ、スニーカーだ。髪は後ろで一つにまとめている。
大柱に偽装された、外の見えないエレベーターに乗って、宮城の中心部へ昇っていく。耳鳴りがするほど速く、高いところまで運ばれていくのは、私も初めての経験だ。私を案内する月神は、平然としつつも初めて訪れた人間の新鮮な反応を楽しんでいるようだった。
「一度上に昇りますと、ほぼそこで生活が完結するよう設備が整えられていますので、滅多に地上に降りることはなくなるかと」
「えっ、千千都の観光はだめなんですか?」
「残念ながら、しばらくは無理でしょう。婚儀が終わり、警備体制が整えば、あるいは」
分かっていたことではあるが、少々残念だ。都市の端は地平線の向こうまで続くほどの巨帯都市、世界有数の大都市圏、流行の最先端地と称される千千都を目の前に、おあずけを食らってしまった。
やがてエレベーターが停止し、扉が開く。
ふわりと、花のかすかな香りがした。三、四階分は天井が高く、一面の板の間が広がり、どうやら壁はなく、はるか先には空が見える。誰もおらず、しんと静まり返った様子は、ここが平地ではなく相当な高度にあるというのに、まったくそれを感じさせない。
「風、入ってこないんですね」
「ええ、ここから北にある榛名山の炳陽梅花公が風を操って、宮城は常に人間にとって住みよい空気や温度が保たれています」
「竜って、そんなことまでできるんですか?」
「一般的には超常の能力を持つものですが、あまりその詳細は明らかにされず、竜たちもひけらかすことはありません。たとえば金剛山の燼星墨光公は西からの熱波や大嵐を抑え、四季を穏やかに移ろわせてくださっていますが、竜も万能ではありません。人間の期待が大きくなりすぎないよう、期待が失望に変わらぬよう、その能力はできるかぎり隠しておかなくてはならないのです」
私はなるほど、と神妙に頷いておいた。ぼっくん、働いてるんだなぁ、と思った。
それはそうと、ここは何なのか、と月神に尋ねたところ、驚くべき事実が発覚した。
「ここはワンフロアすべてが一妃たるあなたの私室となります。部屋はそれぞれ端のほうに、このスペースは竜王との応接間です。必要なものがあればこれから順次運び入れますので、丹青様とご相談なさってもよろしいかと」
この体育館よりもグラウンドよりも広い板の間の空間は、ただの応接間だった。竜にはこのくらいの広さがなければいけないのか、しかもここ一帯がすべて私の部屋だと——端っこしか使わないだろうに——とてつもないスケールに、私はめまいがしそうだった。竜も人に化けて来れば、このスペースいらないよね、とも思った。
そして、人間用の部屋は、十一個もあった。うちの屋敷よりも広いのではないか、と思うほどの部屋数を、一人で使えと言う。寝室が一つ、書斎が二つ、衣裳部屋が二つ、人間用の応接間が二つ、食堂と台所と風呂とトイレが一つずつ。ここまで整っているということは、つまりはここで生活のサイクルを完結させろ、ということだろう。それは軟禁生活と何が違うのか。
やめだ、そんなふうに考えるとつらい。
私は部屋の中に目を向ける。引っ越したばかりの真新しい家のようで、中には私の荷物を詰めたダンボールいくつかと最低限の家具以外は、ほとんど何も置かれていなかった。とはいえ、建物は古くても部屋の改装はしっかりされているし、生活設備は最新のものばかりだ。古い和式トイレが詰まって困る、なんてことはないだろう。
ここで暮らすためのひととおりの説明が終わったあと、月神は耳打ちをしてきた。
「ところで、りつか様。丹青様と連絡は」
「……取れてません」
月神は神妙な面持ちになった。丹青と何かあったのか、と心配が顔に書いてある。
私は誤解させないために、パープルゴールドのスマホを手に入れてからのことを話す。月神にわがままを言っておきながらまったく丹青と連絡を取っていないことを告げるのは心苦しかったが、しょうがない。
「というわけで、月神さんが色々やってくれたのに、最後の最後で私が勇気が出ないせいで、まだ返事できてないんです」
話を聞いたあとでも、月神の神妙な面持ちは変わらなかった。強面を少ししかめていたが、私を気遣って心なしか声音を柔らかくしていた。
「二日後の婚儀で初顔合わせとなりますが、それでもよろしいのであれば」
「……本当はちゃんと話したいです」
「お気持ちはお察しいたします。しかし、丹青様はご多忙極まる状況にありますから、今から直接お会いすることは難しいでしょう。やはり」
やはり、『りゅうたん』でメッセージのやり取りなり何なりしたほうがいい。そこまで直接的には言わなかったが、月神はそう勧めてくれていた。
私もそれがいいとは分かっている。ここまで来て、気後れしたってしょうがない。
「あとで、連絡取ってみます。なんかこう、上手く、はい」
「それがよろしいかと。さすがに婚儀の場で新郎新婦が顔を合わせて気まずい、というのは」
「周りも嫌ですよね、はい」
私は早くも仁淀に帰りたくなっていた。
月神が帰ってから、飛行機と船を乗り継いだここまでの長旅の疲れがどっと湧いてきて、私は板の間の寝室にあった布団を、部屋の真ん中にある妙に分厚い畳の上に敷いて昼寝をすることにした。多分、そのうちお手伝いの人が来ると思うが断れないか、と色々思案しながら布団を被ると、あっという間に眠気に襲われ、私は眠りに落ちた。
海だ。
白浜に波が寄せては返す。入道雲は夏を示し、背後には松林があった。
不思議なことに、私は懐かしかった。これは夢の中だろう、昔の夢か。墨光としらつゆのおかげで夢の中でも自由に歩けるようになってしまって、私は裸足で砂を踏み締めてみる。
すると、海から声がした。
「りつか」
振り向くと、海が一ヶ所だけきらめいていた。そこだけ太陽光が激しく当たっているようで、眩しい。しかし、そこから声が聞こえてきた。私は誰何の声を上げる。
「誰?」
「すまない、夢に入るのは慣れていないんだ。私の姿は見えていないだろう」
「うん、眩しくて見えない」
声の主は、男性だろうか。少年と言っても差し支えないかもしれない。発音は綺麗なもので、ちょっと仁淀の方言が入った私は羨ましささえある。
光る海面はゆらめき、人影が見えたが、やはり眩しくてずっと目を向けることはできない。
「どうしても、君に言っておきたいことがあるんだ。君は、私のことを憶えていなくてもいいんだ。そんなことは問題じゃない、自分を責めたりしないでほしい」
少年の声は必死になって、そう言っていた。
夢に入る力を持つなんて、竜以外いない。私が宮城に入ったタイミングで、私の夢にわざわざ入ってくる竜というのは、多分、彼しかいない。
彼は名乗る。
「私は丹青。霽空丹青、竜王の玉座を継ぐ者だ。もっとも——今は君からの返事を待つ、小心者に過ぎないが」
それ以上の言葉は聞こえなかった。
夢がぷつん、とテレビの電源を切ったように失われ、私は起きてしまった。
枕元のスマホを見る。ほんの一時間ほどの午睡だったようだ。
私は、返事の催促と受け取った。ただ、乗り気にはならない。
「憶えてなくたっていい、なんてことはないでしょ」
起き出した私は、何とか思い出そうともがいてみたが、結果は芳しくなかった。
結局、疲れが取れていなくて二度寝をしたが、今度は夢を見なかった。
次回は11/9の12:00です。そろそろ投稿数を増やしたいゴリラ。




