第10話 貴族たちも働いている
ちょうど、りつかが寝る前に布団の中で新品のスマホを握りしめて頭を悩ませているころ。
千千都、宮城のすぐそばにある高層ビル。宮城の広大さと亭々たる頂のふちにあっては、地上五十階から眺めてもさほど高度を感じない。
最上階のペントハウスには、金剛しらつゆがいた。このビルはまるごと金剛家の持つ千千都滞在用の建物で、明後日に迫る次代竜王の妃の来訪に向け、上位貴族として雑事に追われていた。飽きた夜景に目もくれず、しらつゆはパソコンの二面のディスプレイと睨み合い、キーボードをひたすら叩く。本来であれば書類の作成くらい何人もいる秘書にでもやらせるべきことなのだが、自分でやったほうが早くて確実であるせいで、しらつゆは何事も自分でやってしまう。幼少のみぎりから下手に能力があるせいで、他人に頼ることを覚えてこなかったのだ。
用意されている高価な栄養ドリンクを飲み、エスプレッソに砂糖を二杯三杯と入れて飲み干し、料理人に用意させておいた一口サイズのおむすびが二、三十個入った漆塗りの弁当箱に手を突っ込んでは口に放り込む。貴族にはあるまじき行いだが、ここには誰も入ってこないため、しらつゆは余計な気を回したりはしなかった。着ている服さえも、スーツや着物などではなく作務衣だ。色気のかけらもない。しかし、内と外のオンオフがきっちりとしているしらつゆだ、外では完璧に金剛家当主としての務めを果たしている。それゆえに、金剛家ではこの内情を知っていても、誰も文句は言わなかった。
ディスプレイに、電話着信のアラームが点った。電話をかけてきた人間の氏名が映るスマホの画面を一瞥したしらつゆは、即座にヘッドホンを取り出し、電話に出る。
「金剛です。いかがなさいましたか、榛名様」
ディスプレイから目を離さず、キーボードを叩く手を止めず、しらつゆは電話口の相手——榛名始雷へ語りかける。
同輩といえば同輩だ、同じ上位貴族四家の一つ、榛名家当主である始雷。四十代の男性でしらつゆとは境遇も経験もまるで異なる人物だが、家と宮城での利害関係がよく一致するため、それなりには親交が深い。
低く、重々しい男性の声がしらつゆの鼓膜に響く。
「どうした、しらつゆ。声に張りがないが、日々の仕事に疲れたか?」
気の置けない間柄の始雷の気遣いに、しらつゆは正直なところを答える。
「墨光様がスマホが欲しいなどとおっしゃるので」
「スマホ?」
「現代の人間のことをお知りになりたいそうです。おかげで山の麓までお忍びで出ていらっしゃるものですから、竜神社の神主や巫女たちが大慌てです」
竜はそうそう人里に降りてはこない。竜に仕える職の人々も、年に数回竜の姿を見る程度という者も珍しくはないのだ。
それが、金剛の霊峰に住まう老竜燼星墨光は、現代に生きる女子高校生仁淀りつかと夢の中とはいえ交流を持ったせいで、スマホの存在に並々ならぬ興味を抱いてしまった。竜は機械に馴染みなどない、だから人間にスマホを買ってもらって使い方を教わる、という名目で人間に化けて軽々しく山を降りてくる事件が勃発した。大至急、しらつゆは墨光用のスマホを用意し、竜神社の若い巫女たちに使い方を指導するよう命令を出した。もちろん、使用料金は金剛家持ちであるし、利用登録に欠かせないクレジットカードは、しらつゆがクレジットカード会社に無理を言って家族カードを作らせた。竜が公式にクレジットカードを持ったことなど、有史以来初めてではないだろうか。今まで畏れ多くて竜を顧客にできなかった携帯各社がこのことを知れば、そのうち竜向けのスマホと利用プランを作るに違いない。
そんな変化はさておき、しらつゆは始雷の様子を伺う。
「ところで榛名様、宮城の様子はいかがですか? 明後日には一妃が入内するとなれば」
「万事つつがなく、準備などとうに終えているさ。いつ来られても問題ない」
「さすがです。とはいえ」
「お前が気にしているのは、比叡と霧島の動向だろう。やつらは大人しくせざるをえない、霽空丹青公の晴れ舞台を汚す真似を後ろにいる竜たちが許しはしないからな」
しらつゆの懸念は、当然だが始雷も想定の範囲内だろう。十十廻国上位貴族の四家、金剛、比叡、榛名、霧島は、竜に近い立ち位置にいることから、古くからこの国の政治に深く干渉してきた。それは後ろ盾の竜の意思でもあるし、貴族としての家の存続や国家安泰を願うためでもあるが、まったく私利私欲がないというわけではない。名誉を求める人間、財を求める人間、それらはいつの世にも存在し、自分の思うとおりに世の中を動かそうとする。貴族には、常にそんな人間が一定割合以上存在するものだ。
官公庁だけならまだしも、政治の中枢である宮城までそうした貴族に牛耳られてしまえば、どう足掻いてもこの国は混乱してしまう。それゆえに、榛名家は宮城に強い影響力を持ち、その規律を保つことを生業としてきた。始雷もまた、他の上位貴族たちを牽制する力を持つ。
とはいえだ。今回はさすがに、イレギュラーが多すぎる。貴族も官僚も、誰も彼もがどう動けば自分の立ち位置を確保できるか、暗中模索をしている有様だ。下位貴族から選ばれた一妃が、宮城でその地位にふさわしい生活を送ることができるか、それさえも定かではない。
その中でも、始雷は、そしてしらつゆは規律を求めている。貴族たちの暴走を抑え、竜王の即位が無事行われるよう、尽力しているのだ。
「榛名様のご尽力には頭が下がります。しかし、宮城の奥に入ってしまえば、一妃に味方がいないことは明白です」
「そう思って、官女の数は最低限まで減らした。貴族の家と深い関わりがある者を一掃しておかねば、次の主たる霽空丹青公も一妃も面倒だろう」
「そこまでおやりになるとは」
「しらつゆ、誤解してほしくはないが、榛名家当主として、私は宮城を平穏無事に保つことが何よりも大事な使命なのだ。榛名の山におわす炳陽梅花公より賜ったお役目、そのためなら」
「一妃がその原因となれば、追い払われるおつもりですか?」
しらつゆの問いに、始雷は電話口でため息を吐いた。しらつゆとて始雷が一妃となるりつかを邪魔者扱いするとは思っていない。しかし宮城の状況がどうなるか見通せない、また次代竜王の意思が定まっていない今、どう転んでも対処できるようにしておくことが、始雷の役目だ。
そのことを、始雷は自認しているのだとばかりに、答える。
「何百年ぶりかの、下位貴族からの入内だ。それ自体に先例がないわけではないが、下位貴族が入内前に竜との繋がりがあり、それが縁で妃に指名されるなど前代未聞。このことが我が国にどのような影響をもたらすか、考えたことはあるか?」
しらつゆは答えない。その程度のこと、十十廻国の竜と人の歴史を編纂することも役目の一つである金剛家は、当然ながら知っている。始雷は共通認識を確認するように、歴史をなぞる。
「竜と人は、対等ではない。謙り威厳と誇りを忘れた竜、傲慢にもそのように振る舞う人は、国を乱す元だ。約五千年前、初めて竜王が人に追い落とされた。竜たる本分を忘れ、人に奉仕し、尽くしたからだ。そのようになったのは、ひとえに無知で慎みのない妃の考えに感化されてしまったがゆえ。それから百年の戦乱、貴族の争いは収まらず、次の竜王が据えられるまで竜も人も殺し合った」
十十廻国とて、外国と同じで、国内で戦争は起きていた。しかしそのほとんどは人間同士であり、竜が関わることはまれだ。そのまれな出来事が約五千年前にあり、今に至るまで教訓として語り継がれている。
前代未聞のりつかの存在が、その戦乱をまた引き起こすトリガーとなってはしまわないか。新たな竜王となる霽空丹青は、その未知数の指導力を発揮して、この状況を上手く制御できるのか。不確定要素があまりにも多すぎる。
「それだけではない。この数千年間、竜と人の関係が決定的に破綻しなかったのは、我々がその均衡を努めて保ってきたからだ。何があろうとも、私は竜と人の交わる場所、宮城を維持する。無論、竜の知恵と人の歴史をまとめ、書に残していく役目の金剛家にそれを押し付けるつもりはないが」
始雷はそこで、言葉を区切った。
「ただ」
「ただ?」
珍しく、始雷は言葉を選びながら、おそらく考えながら話す。
「宮城を貴族の巣とせず、竜王にとって理想の環境に近づけるためにはどうすればいいか……それを考えたとき、どう足掻いても旧弊の存在から目を背けられはしない。いかに正すか、いかに物事を組み替えるか……残念ながら、この非才の身では閃くこともなく、まだまだ模索している最中だ」
つまりは、始雷も古い体制を刷新し、改革に乗り出す気概はある、というわけだ。
しらつゆは笑う。
「榛名様、微力ながらお手伝いいたします。まずはそう、仁淀りつかがどのような少女か、それをお教えいたしますよ」
「そうか、頼んだ」
このあと、しらつゆは極秘でりつかに貴族教育を突貫で行っていた旨と、霽空丹青にスマホを持たせるに至った経緯を始雷へ伝え——始雷は言葉を失うほど呆れていた。
次回は11/9の05:00です。見てゴリラ。




