挿話 ヒロ 27 こわれたふたり
本編四十五話から四十八話のときのお話です
ぎゃん泣きの龍が落ち着いた。
落ち着いたら今度は父さんにべったりになった。
人たらしは龍にも適用されていたようだ。
ちなみに黒陽様も父さんのことを気に入っている。
しょっちゅうオミさんもまじえた三人で夜中に酒盛りをしている。
ずっと泣いて水分不足になっただろう蒼真様にお茶を出す。
ついでにみんなにも。
蒼真様は霊力たっぷりの地下水で煎れたお茶がお口に合ったらしい。
「おかわり」と言ってこられたのでおかわりを煎れる。
お茶請けに出したお饅頭も気に入ってくださったらしい。二個、三個と食べておられる。
黒陽様は甘いの苦手だからってお茶だけ。
お茶飲んで食べて、ちょっと落ち着いた。
そこに竹さんとアキさんがやってきた。
竹さんは表情固いまま。
それに気付かないフリで、トモの部屋に行くというのに同行した。
トモはまだ眠っていた。
竹さんはトモのそばに崩れ落ちた。
アキさんが椅子に座らせたけど、竹さんの目はトモをとらえたまま離さない。
――こんなに『好き』って言ってるのに、なんで気付かないんだろうねぇ……。
『目は口程に物を言う』なんて言うけれど、竹さんの目は『トモが好き』と訴えていた。
それなのに本人がその気持ちに気付かない。生真面目も頑固もここまでくると困ったもんだよね。
「……黒陽……」
竹さんは静かに、静かに言葉を落とした。
「……私、また、失敗しちゃった……」
竹さんはトモと別れることを決めてしまった。
こんなに好きなのに。
こんなに好きだから。
父さんが何を言っても竹さんは考えを変えない。
ぼくはなんて声をかけたらいいのかわからない。
わかるよ。ぼくもそうだったから。
巻き込みたくないんだよね。自分のせいで誰かが傷つくのがいやなんだよね。
わかるよ。わかるけど。
それ、トモはどうなの?
竹さんはどうなの?
やっと会えたのに。好き同士なのに。
――好きだから、一緒にいられないのか……
その気持ちもわかって、仮にぼくがおなじような立場だったら同じ選択をするって理解できて、余計になにも言えなかった。
そうしているうちにトモが目覚めた。
竹さんを目にした途端、トモはふわりと微笑んだ。
――トモがこんな顔するなんて。
トモがどれだけ竹さんが好きか見せつけられたようで、なんだか泣きたくなった。
「――竹さんのおかげです。ありがとうございました」
そう話すトモの声は聞いたことがないくらいやさしいもので、その顔は信じられないくらい穏やかなものだった。
いつも竹さんを前にしたらガッチガチに固まって声も出ないトモなのに、今日は普通に話ができてる。どうしたんだろ?
ふとそんなことに気付き、思い出した。
晃が言っていた。
「『半身』に『受け入れて』もらったら落ち着く」
――これがそうなんじゃない?
竹さん、トモのこと『受け入れた』んじゃない!?
だからトモ、普通に話せてるんじゃないの!?
言いたいのに言えない。
目の前ではトモと竹さんが言いあっている。
「お別れです」と言う竹さんに「いやだ」とトモがすがっている。
こんな必死なトモ、見たことない。
必死なトモは悔しそうに、苦しそうに顔をゆがめていたけれど、グッと何かを決心して息を吸い込んだ。
「好きです」
「貴女が好きです」
―――言ったー!!
やった! トモ、ついに告白した!!
すごい! あんなヘタレだったのに! やったなトモ!
なのに竹さんには通じない。
「ありがとうございます」なんてサラッと受け流してる。
トモがどんなに追いすがっても、どれだけ必死に言葉を重ねても彼女に届かない。
加勢しようと前に出ようとしたけど、父さんに止められた。
『なんで邪魔すんの!?』ってにらみつけたら、父さんはかなしそうな顔でただ首を横に振った。
「もう会いません」
竹さんの言葉に、トモが絶句した。
竹さんは泣きそうな顔で笑っていた。
「もう会えなくても。もうそばにいられなくても。
貴方がしあわせなら、それだけで私もしあわせです」
その言葉が竹さんの本当の気持ちだって、わかった。
竹さんはただひたすらにトモのしあわせを願っている。
たとえ自分がつらくても。
たとえ自分が苦しくても。
トモのためならって、身を引こうと、決めた。
蒼真様が父さんの肩に顔を埋めて震えていた。黒陽様はハルの肩でうなだれている。
「しあわせになってください。――さようなら」
竹さんがそう微笑んだ。
その途端。
トモの目から光が失われた。
そっとトモの手から自分の手を引き抜いた竹さんは、そのまま部屋を出て行った。
扉が閉まった途端、トモの目から涙があふれだした。
だばだばとただ滝のような涙を流すトモに、思わず駆け寄った。
ぎゅうって抱きしめるけど無反応なトモに、ぼくもいつの間にか泣いていた。
「つらいねトモ」「つらいよね」「泣きな」
ぼく、何もしてあげられないけど。
一緒に泣くことしかできないけど。
声もださずにただ涙を流すトモを抱きしめて、ぼくは声を上げて泣いた。
くやしかった。かなしかった。つらかった。
誰が悪いんじゃない。誰も悪くない。
竹さんはトモが好きなんだ。だからお別れを決めたんだ。
トモは竹さんが大好きなんだ。だからお別れを言われてこんなに傷ついてるんだ。
なんでだろうね。
なんでうまくいかないんだろうね。
トモはいいやつなのに。竹さんもいい子なのに。
なんで一緒にいられないんだろうね。
きっと竹さんはトモのことを『受け入れた』。
だからトモはあんな告白ができた。
それなのにお別れしなくちゃいけないなんて、なんでだろうね。
好き同士一緒にいたらいいじゃんね。
理不尽な現実に泣いた。トモがどれだけ傷ついたかわかって泣いた。
泣いて泣いて、ハルに肩を叩かれた。
「もうそのくらいにしておけ」
そんなこと言われたって、くやしいんだよ。かなしいんだよ。
えぐえぐ泣くぼくを立たせ、父さんのところに連れて行くハル。
父さんはぼくを抱いて支えてくれた。
「トモは家に連れ帰る。
童地蔵を抱かせたら少しは回復するだろう」
童地蔵。トモの家の。
確か子供の頃トモが言っていた。『暴走したときに抱くと落ち着く』って。
「あれは姫宮が青羽のために作った霊玉を使って、青羽が作らせたんだ。
あのときの姫宮の姿を写して。
青羽はずっとあの童地蔵を『姫宮の代わり』としてそばに置いていた。
実際同じ姿であの霊玉を備えたあの童地蔵は、姫宮の形代のような存在に成っていた。だから『半身』を喪っても青羽は生きられた。
前世の記憶はなくてもトモにもあの童地蔵のチカラは作用しているらしい。
だから、ココロがこわれてすぐの今ならば、あの童地蔵ならば治せるだろう」
そう言われて、初めてトモの状態に気が付いた。
虚ろな表情でただ涙を流すその姿は、まるで抜け殻のようで――。
「――ぼく――」
ぼく、邪魔した?
早く処置しないといけないのに、ぼくがすがりついて泣いてたから処置できなかった?
ザっと血の気が引くぼくに蒼真様が声をかけてくれた。
「お前が泣いてくれたから、少し癒されてる。
お前、水属性だろ?」
どうにか蒼真様に顔をむけ、うなずいた。
「無意識に浄化をかけてた。
水属性の涙は術者の心理が投影される。
お前がトモを想って泣いたのが、トモの癒しになったよ」
それ、本当?
ハルに顔を向けると、ハルも、肩の黒陽様もうなずいてくれた。
――よかった――。
安心して足のチカラがぬけた。
崩れ落ちそうになったところを父さんが支えてくれた。
「とにかく、家に連れて帰る。
それで童地蔵を抱かせておく。
あとは、本人次第だ」
「それでよろしいですか蒼真様」と確認された蒼真様が「いいよ」とうなずく。
そうしてハルはトモを連れて転移した。
その日の夕食。
竹さんはどうにか夕食の席についた。
今日双子にご飯を食べさせるのは父さんとオミさん。
アキさんが用意してくれるプレートを母さんが双子の前に並べる。
「さあさ。竹ちゃんと黒陽様もどうぞ! 今日はアキ特製ハンバーグよ! 肉食べて元気出さなきゃ!」
わざと明るくおどけて言いながら母さんがおふたりの前にもプレートを置く。
ニ歳児の双子と変わらない量のプレート。
最近の竹さんはそれだけしか食べられない。
ここ数日はそんな少しの食事すらとれなかった。
「たけちゃ! いっぱいたべよ!」
双子も竹さんの様子がいつもとちがうことに気付いている。
サチの言葉に竹さんは弱々しくも微笑んだ。
「竹ちゃん。コーンスープとコンソメスープ、どっちがいい?」
「サチこーんすーぷ!」
「ゆきも!」
ぴっと手を挙げてアピールする双子に「はいはい」とアキさんが答える。
「たけちゃは?」
「たけちゃもこーんすーぷにしよ?」
双子にすすめられ、竹さんは微笑んだままうなずいた。
その目から、ぽろりと涙が落ちた。
「「「―――!」」」
「――あれ? あれ? どうしたんだろ?」
戸惑いながらもぽろぽろ涙をこぼす竹さん。
「おかしいな。なにか目にはいっちゃったみたい」
そう言って目をこすろうとするのを母さんが止めた。
「ダメよ竹ちゃん。目にゴミが入ったなら、こすったら傷がつくわ」
そう言って、竹さんの頭をその胸に抱きかかえた。
「目にゴミが入ったときは、涙で流すのよ。
涙で流してゴミを出すの。こすっちゃダメよ」
「―――はい」
竹さんはしばらく母さんにすがりついて涙を落とした。
そんな竹さんに双子が泣き出してしまい、霊力あふれさせてしまったのでぼくとハルであやすことになった。
竹さんもココロをこわしてる。
でもそのことに本人が気付いていない。
これ、どうしたらいいの?
言うべき? 黙っとくべき?
「とにかく様子を見よう。
アキとちーがどうにかしてくれるかもしれない」
泣きながら霊力ふき出しているユキの霊力を循環させてやりながらゆさゆさとあやすハル。
ぼくもサチに同じようにしながら、うなずくことしかできなかった。
翌日になってもトモからは連絡がなかった。
どうしているのか心配だったけど、「回復中に行ったら邪魔になる」とハルに言われたらどうにもできなかった。
竹さんは朝食に顔を出したけど、ほとんど食べられなかった。
アキさんが双子用に作った一口パンをひとつ食べただけ。
「卵は?」「いちごは?」と食べさせようとしたけれど、弱々しく微笑むだけで手が伸びなかった。
「せめてこれだけ飲みなさい!」とバナナジュースを飲まされていた。
竹さんはたったコップ一杯のバナナジュースを、苦しみながらどうにか飲み切った。
世間はゴールデンウイークに入っている。
でも竹さんは休日なんか関係なく「結界の確認に行ってきます」と出て行ってしまった。
戻ってきた竹さんに渡されたリストを見て驚いた。
これまでの倍の仕事をこなしてきていた。
これだけの仕事をしたなら体力も霊力も使い果たしたに違いないのに、竹さんは夕食もほとんど食べなかった。
アキさんがとろとろにしたチーズリゾットを作ってくれたのを、ちいさなカップ一杯しか食べられなかった。
「この調子じゃあ竹ちゃんが弱っちゃう……」
アキさんが心配そうにこぼすけれど、ハルも黒陽様も「どうにもできない」と諦めモードになっていた。
夜遅く。
ハルにトモから連絡が入った。
すぐさま転移したハルに、どうなったのかやきもきしていた。
保護者達にもトモから連絡があってハルが向かったことを話したから、みんなそのままリビングで待っていた。
戻ってきたハルに、全員が息を飲んだ。
「諦めないそうだ」
なんだか晴れ晴れしたような顔で、いつもの意地の悪い狐のような笑顔を浮かべるハルに、ああ、トモはもう大丈夫だってわかった。
わかったらホッとした。
ホッとしたらドッと疲れが出た。
ソファに沈み込んだ。保護者達も同じようにぐったりしていた。
「いつか彼女の役に立つために修行を続けたいと言う。
まあ『出会ったからには協力する』と約束したからな。
約束は守らないといけないから、修行をつけることを約束してきた」
なんでもホワイトハッカー仲間が励ましてくれたらしい。
「代表に言って特別ボーナス出してもらわないとな!」なんて父さんが笑った。
「早速明日から修行を始める。
姫宮と黒陽様には『ヒロを鍛える』と説明して、山でやろう。
いいな。ヒロ」
「もちろん!」
ぼくも修行しなきゃなんだし。
なによりトモが元気になったなら、やる気になったならよかった。
「竹さんと黒陽様には言わないの?」
ふと気になってそう聞いたら、ハルは「言わない」ときっぱりと言った。
「トモが『諦めない』なんて知ったら、姫宮は動揺する。
なにをしでかすか、どんなマイナス思考に陥るか予測がつかない」
その説明に「あー」と全員が疲れ果てた声を漏らした。
「今は、おかしな言い方だが、一応安定している。
この状態を保たせたほうが安全だろう。
くれぐれもトモのことは言うな」
ハルの言葉に「わかった」とうなずく。
「黒陽様には言ってもいいんじゃないのか? 心配してるわけだし」
父さんがそう言ったけど「駄目だ」とハルはきっぱりと言った。
「あのひとはうっかり者なんだ。どこで姫宮に漏らすかわかったもんじゃない」
「あー」
心当たりがあるらしい父さんが苦笑を浮かべた。
「とにかくトモを鍛えて。そのあとのことはまたそのときに考えよう」
行き当たりばったりのようなことを決めて、その日は解散になった。