挿話 ヒロ 24 浄化の行方
目の前の光景が信じられなかった。
竹さんの部屋の扉を開けた途端、息を飲んた。
澱んだ気配が部屋中に充満していた。
そこに黒陽様の術が展開した。
ドン! と浄化がかけられる。
竹さんは巫女装束のような装いのまま、呆然と座り込んでいた。
床に、ひとが転がっていた。
トモ、なの?
だって、こんな。
ボロボロじゃないか。
明らかに意識のない、白い顔。
だらりと投げ出された身体を包む服は、汚れこそないもののあちこち破れている。
あし。右の足。どうしたの?
なんでそんな、おかしなふうになってるの?
それよりなにより、その身体にまとわりついている瘴気。
澱んだ、禍々しい気配。
それがトモを呑みこもうとしている。
トモの胸の上の黒陽様が必死に浄化と治癒をかけているおかげで、それ以上浸入していないようだった。
そうだ! 浄化! 治癒!
ハッとして、ようやく身体が動いた。
トモのそばにひざまずき、治癒をかける。
一回。二回。三回。
――なんで!? なんで治癒が効かないの!?
すぐそばでギュオッと高霊力が圧縮された!
突然の気配に顔を上げると、竹さんが周囲の霊力を集めて霊玉を作っていた。
霊玉に固めるときにナニカの陣を刻んでいる。
その石を竹さんがトモの胸に押し当てた。
パアッと陣が広がった!
けど、すぐにそれは消えて、霊玉もパキリと粉々になってしまった。
竹さんは、表情をなくしていた。
お人形のように虚ろな目で、呆然としていた。
それでもまたすぐに霊玉を作る。トモに押し当てる。陣が広がるけど、またすぐに散ってしまう。
なんで? なんで!?
「なんで」
浄化を、治癒をかけながら言葉がもれる。
なんで浄化も治癒も効かないんだよ。
竹さんの術なんて、ぼくの何倍も何十倍もすごいじゃないか。
なのになんでトモに効かないんだよ。
このままじゃ。
このままじゃ、トモは。
「――鬼のチカラが強すぎた」
黒陽様が浄化をかけながら教えてくれた。
「あの威圧を、覇気を、おそらくは一身に受けている。それも至近距離で。
あと少し姫の封印が遅かったら、おそらくトモは死んでいた」
真っ白な顔で目を閉じたトモに、黒陽様の言葉は大袈裟じゃないって思い知らされる。
「現場に着いてから私も姫もずっと浄化と治癒をかけているのだが。
この、鬼の瘴気。
これを散らすだけでもかなりチカラを取られている」
注意してよくみると、竹さんの陣が展開するたびに確かにトモを取り巻く瘴気が薄くなっていってる。
効果はちゃんと出ているみたいだ。
「だが、散らすことはできている。
だからこそ、まだ生きている」
そうでなかったらとっくに瘴気に呑まれて死んでると言外に言われ、ゾッとする。
手が止まってしまったぼくにかまわず、竹さんと黒陽様がさらに浄化と治癒をかける。
また少し瘴気が薄まった。
「あと、トモに持たせていた守護石。
あれが、もう破壊寸前だった。
そちらの修復にも回されていて、なかなかトモ自身に術が通らん」
前にハルが双子に言い聞かせていた。
『お守りはあくまでも「降りかかるモノから守る」モノ』だと。
『迂闊なことをしたり自ら危険に飛び込んだりすることに関しては、お守りでも守れない』と。
今回、トモはおそらく、自分から鬼を引き付けた。
そのおかげで一般市民には被害がなかった。
そのぶん、トモはひとりで戦うことになった。
その結果が、これ。
無表情で浄化と治癒をかける竹さん。
ぼくも、黒陽様も必死で浄化と治癒をかける。
トモを取り巻いていた瘴気は薄まった。あと少し。あと少し!
大丈夫。きっと大丈夫。きっとトモは助かる。
そう信じて、浄化と治癒をかける。
そのとき。
「おじゃましまーす」
のんきな声に顔を上げると。
窓から入って来たのは、ちいさな青い龍。
え? なに? 誰?
「蒼真」
ホッとしたような黒陽様のつぶやきに、察した。
話に聞いていた『東の守り役の蒼真様』だとわかった。
蒼真様はテキパキと処置をしてくださった。
「もう動かしても大丈夫」の言葉にその場の全員が安堵した。
崩れ落ちそうになる膝を叱咤して、トモをどうにか着替えさせてベッドに横たえる。
瘴気は完全に浄化されている。外傷も治療ができた。呼吸も安定している。
ようやく危険が去った様子に、深い深いため息がこぼれた。
どうにか落ち着いてから、黒陽様が話を聞かせてくれた。
トモが対峙した鬼は、相当に強い鬼だったらしい。
それこそぼくらの霊玉の元になった『禍』レベルはあったという。
どちらも黒陽様と竹さんが一目見て即「封印!」と判断するレベルだと。
……それを、ひとりで?
ぼくらがあの『禍』浄化したときって、『禍』が白露様取り込もうとしてたときだった。
つまり、意識がぼくらにそこまで向いてなかった。
なのに、今回は、トモひとりに威圧も覇気も向けられたってことで。
あの『禍』の黒い炎に灼かれるの、今でも時々夢に見て飛び起きるよ。
晃の炎が守ってくれてそれだった。
ホントよく生きてたって思ったよ。
それを、なんの防御もなく、ひとりで?
え? 逆になんでトモ生きてんの?
「姫の守護石だ」
黒陽様の説明によると、竹さんのお守りが仕事をしたらしい。
霊的守護と物理守護、毒耐性と運気上昇。
それらが目一杯仕事して、トモを守り続けていたと。
あと数秒竹さんが鬼を封じるのが遅かったら、守護石は壊れていたらしい。
そのくらい限界ギリギリまでチカラを振り絞ってトモを守っていた。
だからこそトモは生きていた。
竹さんと黒陽様が鬼を封じてすぐ、トモに浄化と治癒をかけた。
でも、トモひとりにその術は向かなかった。
「おそらく守護石の運気上昇の仕業だ」
鬼はそのとき怒り狂っていたという。
その覇気はトモに向かったけれど、当然周囲にも影響を与えていた。
鬼の周囲の木々や土地が穢されていたらしい。
その穢れは鬼を封じてもズクズクと周囲に広がり、そのまま放置していたら間違いなく澱んだ『場』に成っていた。
それを食い止めたのが、竹さんと黒陽様がトモにかけた浄化と治癒。
『運良く』穢れた『場』を浄化した。
『運良く』再生不可能に思われた『場』を治癒した。
そのおかげで、あとは安倍家の術者や下鴨神社の神職でどうにかなるレベルにまで回復したらしい。
そして、そんな働き者の守護石の回復にもふたりの浄化と治癒の術が回された。
「おそらくトモのやつ、相当あの守護石に『願い』を込めていた。
だからこそ守護石はトモを守ろうとしたし、トモにかけた術が守護石にも影響を与えた」
トモと守護石は一蓮托生のような関係に成っていたらしい。
守護石が壊れたときがトモの壊れるとき。
だから、トモにかけたはずの浄化や治癒が守護石の浄化と治癒にもまわされた。
つまり。
竹さんと黒陽様の浄化と治癒は、トモ本人と、守護石と、穢れた『場』を浄化治癒していた。
そりゃいくら竹さんの高霊力でも治らないよ。
『場』の浄化なんて、どれだけの人数でやると思ってんの。それもあの『禍』クラスの――もしかしたらそれ以上の穢れを浄化なんて。
そんな穢れが、トモを包んでいた。
分散された浄化ではトモを守るのが精一杯で、穢れを清めるまではできなかったという。
トモの胸には変わらず竹さんの守護石がある。
袋の上から触れてみる限り、壊れてはなさそう。
「霊力空っぽになっていたからな。
その石の浄化と治癒、トモ本人と同じかそれ以上の霊力を必要としただろう」
ああ。だからこの部屋に戻ってから竹さんが浄化治癒かけてもそこまで回復しなかったと。
蒼真様の治療でようやくトモは治ったと。
トモが治ったから、守護石にだけ浄化と治癒をかけることができて、ようやく安定したと。
……………ホントにギリギリだったんですね。
この部屋に戻ってからも必死でかけていた浄化は、蒼真様が来られたときにはトモを包んでいた穢れをどうにか清めることに成功していた。
蒼真様がおっしゃった「ちょっとしかしなくてよかった」は、文字通り『治療だけで済んだ』ということらしい。
あの瘴気を散らすならば、特級の浄化陣が五つは必要で、そのためにはたくさんの材料と陣とそれを扱える術者が必要なんだと。
蒼真様の主である東の姫ならば特級浄化陣五つを同時展開できるけど、蒼真様には特級だと同時は三つが限界だと。
それだと浄化しきれなかったかもと。
「竹様の水で浄化したんだろ? あのひとの浄化は特級に値するから」
その特級の浄化陣と同等のチカラを、竹さんは細かい霊力操作なくトモにぶちこんでいたらしい。
それは、弱りきってくだける寸前のトモと守護石にはかえって毒になるほどのチカラだった。
ちゃんと冷静に霊力操作してトモの表面ギリギリまでを浄化するようにしないといけないと。
そうやって取り巻く瘴気を散らして、それから徐々に身体の表面から内側へと、少しずつ、少しずつ浄化しないといけないと。
黒陽様はちゃんとそうやってたと。
浄化もあんな高霊力で行うとなると、あれだけ弱った人間ひとりを相手にするなら段階をふまないと危険だと。
なのに竹さんは動揺した。
動揺して、うろたえて、パニック状態になった。
ただただ「浄化! 治癒!」って、高霊力を込めまくった強力すぎる浄化をトモに向けて叩き込んだ。
黒陽様が結界を展開する間もなかったっていうんだから、どれだけのものかわかるってもんだ。
その危険極まりない浄化に、守護石が反応したんだろう。
運気上昇が仕事をして、竹さんの浄化と治癒は分散された。
そのおかげで糺の森はある程度まで浄化され、守護石も徐々にチカラを取り戻していった。
まあ、全部無事に終わった今なら「結果オーライ」って言える。
けど、一歩間違ってたら竹さんがトモにとどめをさしてたかもしれないなんて。
そんなこと、とても本人に言えない。
その竹さんはベッドに寝かせたトモの手を取って、必死で霊力を注いでいる。
蒼真様に「いっぺんに入れたら破裂するよ?」と注意され、霊力量をちゃんと調節して流している。
トモはさっきから熱が出てきた。
「当然の反応」と戻って来られた蒼真様が確認して解熱剤を飲ませた。
「前よりはまだマシじゃない? これなら二、三日で元気になると思うよ」
謎の太鼓判に、それでもありがたくて「ありがとうございました」と頭を下げた。
下鴨神社や安倍家の派遣したひと達から連絡があった。
竹さんと黒陽様がガンガン浄化と治癒をかけていたおかげで、あの糺の森は問題なく浄化できたという。
トモが鬼を引き付けて走ったルートの浄化も完了。
鬼を封じた霊玉は、とりあえずハル預かりになった。
「もとの『世界』に戻せたら一番なのだが、そこにどうやったら繋げられるのかがわからない。
一番確実なのは、私が保管しておいて、南の姫が覚醒されたあとで斬ってもらうことだな」
そして、今回の件に関して報告をした関係者すべてから問われた。
「あれが主座様のおっしゃっていた『ボス鬼』ですか?」
それに対するハルの答えは「否」だった。
そうなんだよね。
竹さんも黒陽様もあの鬼について『ぼくらが戦った「禍」クラス』と表現した。
そしてその『禍』は、以前『バーチャルキョート』に出現していた。
そのときの扱いは『中ボス』レベル。
今回の『バーチャルキョート』で同じ場所に出現した鬼も『中ボス』レベル。
つまり。
今後現れると予測されている『ボス鬼』は、もっともっと強いってこと。
現在の京都で、そんな相手とまともに戦えるとしたら、ぼくら霊玉守護者だけ。
その霊玉守護者のトモは死にかけている。
竹さんがギリギリ間に合ったこと、竹さんのお守りを持っていたからかろうじて生きていた。
――たとえば。
たとえば、五人そろっていたら。
戦略をたてて、術やらアイテムやらいっぱい用意して五人で戦うのだったら、なんとかなるだろうか?
佑輝と晃を前衛に、トモが中衛から前衛を補助して、ぼくとナツが後衛で対象を封じつつみんなを支援して――。
頭の中でシュミレートしてみる。
あの『禍』と戦う想定。
でも、何度シュミレートしてみても………勝てると思えない。
そんな相手を、竹さんはひとりで封じた。
「――それでどれほどの『強さ』を得られるか……」
黒陽様の言葉が身を以て迫ってくる。
この『世界』の霊力量は年々減っているという。
だから高霊力保持者がめずらしくなった。
その高霊力保持者だって黒陽様達から言わせたら『大したことない』レベルみたい。
修行しても、竹さんレベルには届かない可能性のほうが高い。
――『ボス鬼』が出現したときは、きっと姫も守り役も『災禍』に対処しているとき。
つまり、『ボス鬼』と戦うのは、ぼく達霊玉守護者。
―――ゾワリ。
足元にあの暗い暗い穴がある。
そこに堕ちたら――。
あわててギュッと目を閉じる。
強く拳を握る。
見るな。見ちゃだめだ。
大丈夫。みんなで戦えば。
それでも恐怖は這い上がってくる。
ぼくが死ぬかもしれない。晃が、ナツが、佑輝が死ぬかもしれない。トモだって死にかけた。
ぼくらだけじゃない。
ぼくらが討伐できなかったら、京都中のひとが死ぬ。
父さんも、母さんも、サチもユキも。
「――黒陽様」
ぼくの呼びかけに、ハルと話をしていた黒陽様が首を上げた。
「ぼくに、修行をつけていただけませんか?」
ハルは黙っていた。
黒陽様はちょっと顔をしかめた。
「今回の鬼と遭遇しても戦えるレベルに。
できれば『ボス鬼』と対峙しても戦えるレベルに」
でないとぼく、死んじゃう。
ぼく自身も、ぼくの大事なひと達も守れず死んじゃう。
握った拳が震えていた。
止めたくても止まらない。
こわくてこわくて泣きそう。むしろ吐きそう。
でも。
まだ大丈夫。
まだ『ボス鬼』は出現していない。
今からでも、少しでもチカラをつければ。
あの『禍』だってどうにかなったんだ。
『先見』をくつがえすことができたんだ。
だったらきっと、今回だって。
ぼくの顔がどう見えていたのかわからないけど、黒陽様は痛そうに顔をしかめ、ギュッと目を閉じた。
しばらくなにか考えて、そうして目を開けた黒陽様はハルに顔を向けた。
「私からもお願い致します。
ヒロをはじめ、霊玉守護者の五人への修行をつけてやってください。
万が一『ボス鬼』と対峙したときに、生き延びられるようにしてやってください」
それはきっと、この前申し出てくれた『修行をつけてやる』とはレベルが違うものになるだろう。
あの中学二年のときの地獄の修行よりももっと地獄が待ち受けているのかもしれない。
それでも、死ぬよりはマシだ!
「――わかった」
黒陽様はそう言って、ぼくを見上げた。
その目は今までに見たことのない厳しいもので、黒陽様も覚悟を決めたことがわかるものだった。
「高間原の北、紫黒の『黒の一族』がひとり、黒陽の名にかけて。
霊玉守護者五人が『ボス鬼』と対峙しても死なぬよう、鍛える。
他の守り役にも協力させる。
覚悟してついてこい」
「―――よろしくお願いします」
ごめんねみんな。
一緒に地獄につきあって。