閑話 竹 鬼とトモさん
竹視点です
本編第四十ニ話のときのお話です
いつものように御池の晴明さんの家で夕ご飯を待っていた。
晴明さんの家にはヒロさんの二歳の弟妹がいる。
その子達の生活リズムを中心に一日のスケジュールが組まれている。
私と黒陽は双子ちゃん達と一緒に早目の夕ご飯をいただく。
今日双子ちゃんに夕ご飯を食べさせるのは晴明さんとヒロさん。
日によって手の空いた人がお世話をしている。
食べさせるとはいっても双子ちゃんはもう二歳四ヵ月。
「じぶんで!」が増えてきて、自分でスプーンを持って食事を口に運んでいる。
ときには手づかみで食べる。
それを補助したり、「うまく食べたねぇ」「いっぱい食べてえらいねぇ」など声をかけて食べ進めるようにうながしている。
手も口も服も机も床もドロドロのベタベタだけど、ご家族は何も言わない。
「そういうもの」と受け入れている。
すごいと思う。
自分ひとりでそれなりに動けるようになったら――具体的には三歳から五歳くらいで――家を出ていた私は実は子育てを間近で見たことはない。
今生の家族には弟が二人いるけれど、私は自分のことばかりで子育てに関わってこなかった。だから気がついたら大きくなっていたという感じ。
だから、こうして毎日双子ちゃんのお世話を見るのが新鮮でならない。
「大変だなあ」とびっくりすることばかり。
晴明さんが意外と様になっているのがなんだか微笑ましい。
「これでも人生十回目ですからね。
過去九回には子供も孫も曾孫もいた身です。
子育て経験は十分あるんですよ」
にっこりと笑って晴明さんはそんなふうに言う。
私は人生何回目かもうわからないけれど、子育て経験なんて一回もない。
晴明さんはすごいなぁ。
晴明さんと一緒に椅子に座らせた双子ちゃんに大きなよだれかけをつける。
このくらいは私もできるようになった。
その間にヒロさんが食卓を整える。
キッチンではアキさんが双子ちゃんと私達の夕ご飯を作ってくださっている。
「ほら。竹さんも座って」
ヒロさんにうながされ席につき、双子ちゃんと目の前に並べられる夕ご飯に「美味しそうねー」「ねー」と話をしていた。
そのとき。
ヒロさんのスマホが鳴った。
「リカさんだ」
すぐに出たヒロさんは、スピーカーモードにした。
「ヒロです」
『ヒロさん? リカです』
リカさんは晴明さんの奥様。これまで九回晴明さんの奥様となられていて、私も何度もお世話になった。
今は婚約者の立場だけど、私達の責務に『バーチャルキョート』が関わっていると判じた晴明さんの依頼でなにかと協力してくださっている。
『「バーチャルキョート」のクエストが発表されました』
その言葉に緊張が走る。
「内容は?」
『堀川今出川交差点に鬼が出る。これを退治しろと』
「時間は?」
『あと五分。十八時十五分スタートです』
ヒロさんがテキパキと確認していく。
「リカさんの状況は?」
『「バーチャルキョート」プレイ中です。
今大急ぎで現地に向かっています。
兄も一緒です。
他にもたくさんの人が堀川今出川交差点を目指して進んでいます』
前にリカさんが教えてくれた。
『最初に到達した人、最初に一撃入れた人、倒した人、それぞれにドロップアイテムやレベルアップやらのボーナスがあるんですよ』
それで『バーチャルキョート』のなかのひとが我先にとクエストに向かっているみたい。
「ぼくもすぐログインしてみる。ありがとねリカさん。
彰良くんもリカさんも、無理しないようにね」
電話を切ったヒロさんはハルさんと目を合わせ、うなずいた。
「アキ」
「まかせて」
短くそれだけ言葉を交わし、双子のお世話はアキさんが代わった。
晴明さんが部下のあやかしを呼び出した。
ひざまずく三体に短く指示を出す。
「堀川今出川交差点だ。行け!」
バッと消えるあやかし達。
晴明さんとヒロさんがバタバタとあちこちに連絡を取り始めた。
「最優先事項だ。『バーチャルキョート』のクエストに参加しろ」
「今どこだ? おかしな動きがある。堀川今出川交差点に向かえ」
『バーチャルキョート』と現実が連動しているのではないかとの仮説を立てている現段階では、両方を確認する必要がある。
晴明さんは両方にひとをやるように手配した。
その間にヒロさんはタブレットを用意して『バーチャルキョート』の画面を出した。
ちょうどヒロさんに呼び出された晴臣さんが部屋に入ってきた。
ヒロさんはタブレットを晴臣さんに任せて連絡役に戻った。
私もなにかしないと。
でも、なにしたらいいの?
目を閉じて気配を探る。
大きな霊力のゆらぎは感じない。
目を開けて時計を確認。
リカさんの言った時間になった。
晴臣さんが操作するタブレットの中ではちょうど鬼が出現した。
予告どおりの出現に、集まっていたひと達が我先にと攻撃をしかけている。
「『バーチャルキョート』内、鬼出現。戦闘が始まりました」
晴臣さんの報告に晴明さんがうなずく。
黒陽がタブレットに触れた。
「――特になにも感じない」
私も触れてみたけれど、おかしなものは感じない。
なんだろう。
タブレット越しでは感じないの?
それとも私達にはわからない術式が組まれている?
わからなくて、ただ不安で、ぐるぐるしていた。
「竹ちゃん」
そんな私にアキさんが声をかけてくれた。
「きっと大丈夫よ。今までだって、何度もあったじゃない」
そう言われたらそうだと思いだした。
二月に『バーチャルキョートが怪しい』となってからリカさんに協力を依頼して、これまでも何度かこんなことがあった。
そのたびに『バーチャルキョート』と現実の同じ場所と、両方にひとを派遣している。
本当に現実に鬼が出現したこともあったけど、出現してすぐだったこともあって安倍家の方だけでなんとかなっていた。
思いだしたらちょっと落ち着いた。
「そうですね」とかろうじて返事をして、晴臣さんの隣でタブレットを見つめた。
「――おかしいな……」
あやかしをやった晴明さんが首をかしげている。
「交差点に入れない――? 誰かが結界を展開しているのか――?」
ブツブツ言って、晴明さんはバラリと机の上に占いの道具を広げた。
ジャッ、ジャッと筮竹を捌き、なにやら調べている。
やがて晴明さんは札を一枚出した。
「菊様。晴明です。
堀川今出川交差点におかしな動きがあります。
詳細がわかり次第ご報告いたします」
菊様に即座に一報を入れないといけない事態――。
非常事態の気配に食事どころではなくなった。
じっと晴明さんとヒロさんがあちこちとやりとりをするのを見守っていると、ピリ、とナニカを感じた。
危険。危険。
危険? なにが?
なんだろう。なにか、危険が迫っている。
誰に? どこに?
胸がザワザワする。落ち着かない。
これは、なに?
「――黒陽……」
「霊力のゆらぎは感じませんでした」
黒陽の報告にうなずく。
私も何も感じなかった。
ナニカが現れたりおかしなことがあったら私達は感知できる。
特に結界に関することは『黒の一族』の私達の専門分野と言ってもいい。
たとえば『落人』が『落ちて』きたり、誰かが強い結界を張ったりしたら『ゆらぎ』でわかる。
でも、なにも感じなかった。
私達が感知するほどの強いゆらぎではなかった?
それなら大したことにはならないはず。
なのになんで、こんなに胸がザワザワするんだろう。
私が落ち着かない思いでじっとしている間にも晴明さんとヒロさんはバタバタと動く。
京都市の地図を持ってきて広げたり、なにかメモを取ったり、あちこちに電話をしたり。
「白峰神宮異常なし」
「晴明神社、一条戻り橋共に異常なし」
ヒロさんがリストを作りながら次々に晴明さんに報告を上げていく。
うなずきを返しながら晴明さんは晴明さんであちこちに指示を出している。
「浅野さん村田さん現着」
「報告」
『報告します』
スマホのスピーカーから男の人の声がする。
『堀川今出川交差点の東南角地周辺に濃い瘴気の残滓があります』
「浄化の必要は?」
『あります』
「―――!」
――浄化が必要なほどの残滓。
それほどの存在に、気付かなかった――!?
ショックで黒陽に顔を向けると、黒陽も顔をこわばらせていた。
なにが起こっているの?
一体、なにが。
ぐるぐるする頭でふと思った。
まるで『災禍』にいいようにされているときのようだ、と。
晴明さんはさらに周辺調査するように指示をし、写真を送るように命じた。
送られてきた写真を見たヒロさんが固まった。なに?
「ハル」
ちいさく呼びかけスマホを晴明さんに見せるヒロさん。
「――これ、この自転車――」
ちゃり。――自転車。
自転車?
「―――!」
パッとあの日の光景が浮かんだ。
トモさんの後ろに乗った。
三人で、自転車に乗って、池のほとりでパンを食べて。
無理矢理ヒロさんの持つスマホの画面を覗いて見た。
画面には、一台の自転車が建物の壁に立てかけるように置いてあった。
見覚えのある自転車。
あのときの。
トモさんの。
「―――!」
どうしよう。どうしようどうしよう。
トモさんになにかあった。
この不安な気持ちはトモさんに渡した守護石が反応しているからかも。
かもじゃない。そうに違いない!
どうしようどうしよう。どうしたら。
「黒陽、どうしよう」
「落ち着いてください姫。まずはトモの居所を探さねば」
「そ、そうね」
トモさん。居場所。探す。どうやって?
「どうやって?」
「私が探しています。とりあえず、落ち着いて」
「竹ちゃん」
アキさんがそっと手に触れてくれた。
そのとき初めて自分が両手を固く組んでいることに気がついた。
アキさんは私の組んだ両手から指を一本一本剥ぎ取るようにして広げさせた。
そうしてはがれた手をアキさんの手に乗せてモミモミと揉んでくれた。
アキさんの手の中にある私の手は震えていた。
「竹ちゃん。今は落ち着いて。
緊張するのはいいけれど、固くなっていたらいざというときに動けないわ」
アキさんの言葉はもっともだと思えた。
だからコクリとうなずいた。
アキさんはにっこりと微笑んで、私の頬をむぎゅーと潰した!
そのままもにもにと揉まれる。
「リラーックス、リラーックス」
「ぶ、ぶい」
おかしな返事にアキさんが笑う。
いつの間にか千明さんとタカさんが来ていて、双子ちゃんにごはんを食べさせていた。
と、ヒラリと一羽の小鳥が晴明さんの元に飛んできた。
「ハル。トモだ。
緊急事態発生。鬼が出た。
場所は堀川今出川交差点。東南角の横断歩道から少し東の電柱の影から出てきた。
俺では対処しきれない。応援頼む」
トモさんの声に、その内容に、息を飲んだ。
どういうこと?
なんで?
さっきの報告では瘴気の残滓の話しか出なかったのに。
「電柱を調査させろ」
指示を出した晴明さんの顔色も、受けたヒロさんの顔色も悪い。
「なんで今連絡が――?」
そうしていると、二羽目の小鳥が来た。
「トモだ! 鬼を引き付けた! 下鴨神社に向かう! 糺の森で戦闘に入る!」
「―――!!」
戦闘。トモさんが。
鬼と。なんで。そんな。
「何かしらの妨害がなくなったからか…?」
晴明さんがつぶやく。
黒陽が閉じていた目を開けて晴明さんのほうを向いた。
「――糺の森周辺が探れない」
「「「―――!!」」」
黒陽の言葉に私も探ってみた。
わからない。なんで?
晴明さんが式神を飛ばす。
私も式神を作って飛ばした。
「――弾かれた!?」
「――私の式神はともかく、姫宮の式神までも――」
おかしい。絶対おかしい。
なにか起こってる。
どこかに電話をかけていたヒロさんが顔を上げる。
「トモ、出ない」
「札は」
「届かない」
「下鴨神社に連絡」
そのとき。
ドン、と、ゆらいだ。
大きな霊力のゆらぎ。
ナニカが、いる。
ナニカ。どこに?
目を閉じて霊力を探る。
これは――糺の森!
すぐさま高間原の服に変える。
黒陽がぴょんと肩に乗ったのを確認して、晴明さんに「行きます!」とだけ告げて転移した。
一瞬で薄暗い森に出た。
その途端。
凄まじい瘴気と覇気!
なにあれ! 大きな――鬼!?
まずい! 封じなきゃ!
「姫!」
「はい!」
笛を吹くヒマはない!
タタッと木を駆け上がり、鬼の頭上に位置取った。
笛にぐっと霊力と術式を込め、飛び降りる!
鬼の頭に一気に霊力を叩き込む!
笛に込めていた術式がすぐさま展開して、あっという間に鬼は拳大の水晶玉に変化した。
シタッと着地して立ち上がった。
薄暗い森の中、私の目の前に人がいるのにやっと気付いた。
ポカンとして私を見つめている。
私も思わずポカンとしてしまった。
なんで。なんでこのひとが、ここに?
「トモさん――?」
トモさんはにっこりと微笑んだ。
そして――そのまま倒れた。
「―――!!」
まるで糸が切れたあやつり人形のような倒れ方に思わず駆け寄った!
「だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「姫! 動かしてはなりません!」
黒陽の叱責に触れた手を慌てて引く。
と、手のひらになにかついているのがわかった。
なんの気なしに両手を広げてみた。
――薄暗い中でもわかる。ドス黒い液体と、血のニオイ。
血。
なんで。
座り込んだまま倒れたトモさんを見下ろすと、黒陽がその胸に乗って浄化をかけている。
浄化。治癒。そうだ、治癒!
バッと水を錬成してトモさんの全身を洗い流すようにかける!
これで浄化と治癒になるはずなんだけど。
「姫。そのまま続けてください」
「はい」
「晴明。黒陽だ」
黒陽は晴明さんに連絡を取っていた。
場の浄化は下鴨神社の方がやってくださることになった。
安倍家からも調査の人を送ると言われる。
その間も必死で水をかけた。
トモさんの意識は戻らない。
考えたくないことが浮かんできて、必死に浄化と治癒術をかけた。
辺りは真っ暗になっていた。
暗くて傷の具合もトモさんの顔色も見えない。
見えないから、治癒術が効いているのかもわからない。
わからないから必死で水を練成し、浄化と治癒をかけた。
すぐに神職の方が数人来てくださり、私達はあとをまかせて安倍家の離れに転移した。
いつも私達がお世話になっている部屋。
暗い部屋に電気を点ける。
そこには、ボロボロのトモさんがいた。
「―――!」
よく悲鳴を出さなかったと思う。
床に転がったトモさんは、あれだけ浄化と治癒をかけたのに完治していなかった。
ボロボロの服。傷だらけの顔。
なにが。なんで。こんな。
「姫宮」
いつの間にか晴明さんとヒロさんがいた。
ヒロさんがトモさんに治癒をかけている。
そうだ。治癒。私もかけなきゃ。
ゴポリと水を練成し、かけようとしてお部屋の中だと気がついた。
水をかけたらお部屋がビショビショになっちゃう。あわてて霊玉に固める。
治癒の術式を込め、ヒロさんの反対からトモさんに押し当てる。
霊玉はすぐにくだけてしまった。少しは効果があった?
効果があったのかなかったのかわからない。
わからないから、もう一度水を練成する。霊玉に固める。押し当てる。
ただただ、それを繰り返していた。
「おじゃましまーす」
のんきな声に顔を上げると、懐かしい姿があった。
「蒼真――!」
東の守り役の蒼真だった。
青いちいさな龍がスルリと開けた窓から入ってきて、そのままトモさんの上に乗った。
「なに? コイツまた無茶したの? 仕方ないヤツだなぁ」
そう言いながら蒼真はいくつもの術式を展開してなにか調べていた。
蒼真は医術と薬術で有名な東の青藍の姫の守り役。
優秀な治癒師である梅様の守り役だけど、蒼真自身も優秀な治癒師。
その蒼真が診てくれるならもう大丈夫。
そう思えて、ホッとした。
蒼真はトモさんの右足になにかを振りかけ、手を乗せて霊力を込めた。
脇腹あたりにも同じようにして、他にも何箇所もなにかをした。
「ほい。とりあえず処置終わり。もう動かしても大丈夫だよ」
「スマンな。助かった」
蒼真の言葉に黒陽が頭を下げる。
あわてて私も「ありがとう蒼真」と感謝を述べた。
「竹様と黒陽さんで浄化と治癒かけてたんでしょ?
おかげでぼくはちょっとしかしなくてよかったよ」
にっこりと笑ってそんなふうに言ってくれる蒼真が私が気に病まないように言ってくれているのがわかって、なんだか涙が込み上げてきた。
「それよりコイツ着替えさせてベッドに寝かせよう。着替えはある?」
「ただちに」
ヒロさんが部屋を出ていった。
「で? なにがあったの?」
晴明さんがこの数十分の間にあったことを話し、私達も現地で見たことを話した。
蒼真も驚いていた。
でもすぐに蒼真は表情を引き締めて晴明さんに言った。
「情報が少なすぎる。
まずは事態の鎮静化。それから検証。
とにかく情報を集めて、精査して。
菊様とも話し合って、まとまったらぼくらに教えて」
「かしこまりました」
晴明さんの返事に蒼真がうなずきを返していたとき、ヒロさんが戻ってきた。
トモさんをその場で着替えさせ、そうしてベッドに横たえる。
「竹様。こいつの手を握って、霊力を流せる?」
「は、はい」
すぐにベッドサイドにひざまずき、トモさんの左手を探して握る。
蒼真がそばで霊力量を確認してくれた。
「そうそう。その調子。熱が下がるまでそうしてて」
「熱?」
「今から出るよ」
絶句していると蒼真が晴明さんにお薬を渡していた。
「じゃ。ぼく、一旦帰るね。また来るから」
引き留める間もなく蒼真はさっさと窓から出て行った。