挿話 ヒロ 14 土曜日 2 菊様との打ち合わせ
竹さんと黒陽様を送り出し、家族でとある料亭に来た。
年に数度の名家の集まり。
あちこちに挨拶をし、話をし、食事もいただき、そうしてようやく菊様と合流できた。
「お久しぶりです」
ハルの呼びかけに「あら安倍の」と美少女がにっこりと笑みを浮かべられた。
彼女の周りを取り囲んでいた男共の笑顔がひきつる。
菊様は高校一年生になった。
元々綺麗なひとだったけど、久しぶりにお会いしたらまた一層綺麗になられた。
その名にふさわしく大輪の菊のように、あでやかで、華やかで、凛とした高貴さがあった。
背はそんなに高くない。百六十センチあるかないか。でもスラリと長い手足とほっそりとした身体が実際の身長よりも高く見せている。
陶磁器のようなきめ細かやで白い肌。
健康的に染まった薄紅色の頬。
薄めの唇は職人が筆で描いたように整っている。
大きな目は子供の頃から変わらない。
垂れ目がちのその大きな目を長いまつげが縁取り、ますます彼女を人形のように見せていた。
腰までの長い黒髪は絹糸のように艷やかでまっすぐ。
結うこともなく飾りをつけることもなく、ただ背に垂らしているだけなのに、どんな髪型よりもあでやかで、どんな髪飾りよりも華やかに見えた。
今日は白いワンピース。
丸襟の首元に明るい薄緑の細いリボン。
膝下丈のAラインのスカート。
靴も白で、シンプルなもの。
シンプルな装いが菊様のスタイルの良さと黒髪を際立たせ、その大きな目をより印象付けているようだった。
当然独身の男共が放っておくわけがない。
名家の資産家の美人の娘なんて誰もが欲しがる。
誰が彼女の心を射止めるかと、開会から菊様の周囲で火花が散っていた。
菊様は今日もそんな男達を見事にあしらい、誰も一定距離以上近づけようとはしていなかった。
婚約者も恋人もなく、どれだけアピールしてもなびかない菊様のことを『高嶺の花』と呼んでいるひとは多かった。
そんな菊様の例外が、ハルとぼく。
ぼくらに対してだけは菊様は人払いをしてゆっくりと話をする。
それはぼくが三歳の頃から続いていることだから、周囲からは『仲のいい幼馴染』と思われている。ハルも婚約したしね。
今日も自分を取り囲む男達を適当にあしらい、ハルとぼくのところにお越しくださった菊様。
「向こうでお話しましょう」と庭のベンチに足を向けられる。
すぐに菊様付きの護衛兼世話役である立花さんと杉浦さんがついてこられた。
立花さんは二十代後半から三十代始めの女性。
菊様に初めて会ったときにはもうお側におられた。スラっとした細身の美人さん。
杉浦さんは菊様の同級生。
なんか遠縁のお嬢様で、学校も同じクラスらしい。ちょっとキツそうなお嬢さん。
おふたりに会釈をすると向こうも会釈を返してくれる。
そうして五人で庭を歩き、ハルと菊様がベンチに座られた。
ぼくはハルの横に立ち、立花さんと杉浦さんは菊様の横に立った。
そこでハルが時間停止の結界を展開した。
ハルとぼくと菊様以外のひとは人形のように固まっている。
「――はー。やれやれ。毎度のことながら、面倒くさいわね」
それまでのお嬢様然とした態度をかなぐり捨て、菊様は乱暴にベンチの背もたれに背中をあずけられた。
「猫なんかかぶられるから」
苦笑まじりのハルの言葉に菊様も「ホントよね。失敗したわ」と軽口で返される。
「お茶」
短く命じられてアイテムボックスからコップを出す。
ハルに二個渡し、アイテムボックスから取り出した冷茶を入れる。
そのひとつを受け取った菊様は何も言わずグビグビと召し上がる。
半分くらい一気に召し上がられた。お口に合ったらしい。よかった。
ハルは上品に一口二口飲んだだけだった。
その間にアイテムボックスからテーブルを出してふたりの前にセットする。
アキさんの作ったクッキーを出すと、菊様は黙ってそれを口に運ばれた。
むしゃむしゃとクッキーを食べながら「報告」と短く命じられる菊様。
毎日式神を使って報告書は上げているけれど、やっぱり面と向かって話をするのはちがうらしく、毎回こうやって報告を命じてこられる。
ハルも大人しくここ数日のことを報告する。
京都を囲む結界のこと。
南の『要』である朱雀様に霊玉を渡そうとしたけれど、トモが同意しなかったために術は一時停止にしたこと。
そのトモが竹さんの『半身』なこと。
システムエンジニアをしていて、『バーチャルキョート』のバイトをしていること。
そして竹さんを心配するあまり術に同意しなかったこと。
トモが竹さんに対してどんな心配をしているか。
「できれば菊様から姫宮に『安倍家を出ていかないように』と命じていただけると助かります」
ハルの報告を全部聞いた菊様は、柳眉を寄せてへの字口になられた。
「まったく、竹は……」とブツブツ文句を口にされる。
「わかったわ。帰ったらすぐに竹に説教しとく」
「よろしくおねがいします」
頭を下げるハルに合わせてぼくも頭を下げる。
竹さんはしょっちゅう菊様に怒られている。
式神にガミガミ言われてヘコむ竹さんとそれをなぐさめる黒陽様の図はすでに我が家ではおなじみの光景になりつつある。
今夜もそんな光景が見られるらしい。
心の中で『ゴメンね竹さん』とあやまっておく。
でもトモのことを考えると、頼んででも菊様に怒ってもらわないといけないと思う。
「竹の様子は?」
「変わらずです。夜はあまり寝ていないようです」
「全く……」
お行儀悪く肘をつきあごをのせ、ハァとため息をつかれる菊様。
と、その目が変わった。
なにかを見つめているような、目。
『先見』をしておられると、わかった。
しばらく黙っておられた菊様だったけど、姿勢をなおして首を振られた。
「――やっぱりダメね。
竹か『鍵』なのは変わらないんだけど、その先が『視』えない」
「そうですか……」
ハルはそれだけ言って、お茶を一口飲んだ。
「『半身』に会えたのよね」
「はい」
「例の男?」
「はい」
「変化は?」
「いい変化と悪い変化が」
短い問いにハルも短く答える。
視線だけで先をうながされる菊様にハルが答える。
「『半身』に出会ってから、また夜出歩いておられるようです」
チッ、と舌打ちされる菊様。お行儀悪いなぁ。
ぼくらの前でしかしないのも、それだけぼくらに気を許してくれていることもわかるから、ぼくは別にイヤじゃないけど。
「封印は?」
「効いてます。『智明』のことも『青羽』のことも覚えていません」
「……寝てる間は封印がゆるむのかしら……それとも『黒の一族』だからかしら……」
ブツブツ言っておられた菊様だけど、すぐに顔をお上げになって「いい方は?」とたずねてきた。
「昨日『半身』の家に行って、昼寝をしたそうです」
その報告に菊様は大きな目をさらに大きくされた。
「……………竹が?」
「はい」
「……………封印は?」
「効いてます」
「……え? 前からの知り合い? 親戚とか?」
「昨日が会って三回目です」
「……………」
絶句される菊様なんてめずらしい。
それだけ竹さんがトモの家で寝たというのは『あり得ないこと』なんだとわかった。
そんな菊様にハルも苦笑を浮かべた。
「記憶はなくても『半身』だと感じているのではないかと」
「………そんなもん?」
「私は『半身持ち』ではないのでわかりかねますが」
「……私も『半身』がいたことなんてないから、わからないわ」
はー。と感心したように首を振られる菊様。
そっか。菊様には『半身』はいなかったのか。
ぼくのまわり『半身持ち』が多いし、昨日ハルから『恋人がいた』なんて聞いたから菊様にも『半身』がいるのかもって思ったんだけど。
「今日も理由をつけて黒陽様と共に『半身』の家に行ってもらいました」
その言葉にも菊様は驚いておられた。
竹さんは自分のことを『災厄を招く娘』だと思っているから、何度も同じ家にお邪魔することはまずないらしい。
それなのに。と。
それで今朝あんなにトモの家に行くの嫌がってたのか。
トモがイヤなんじゃなくて、本当にトモに迷惑がかかることをおそれていたらしい。
やさしい竹さんらしくて苦笑が浮かぶ。
アキさんが策を立てて実行したことを伝えると菊様はニヤリと笑われた。
「さすがは晴明の腹心ね。やるわね」
「おそれいります」
それから他の姫のことや晃達なんかの話をして、そろそろお開きにしようとなった。
「できれば今生でカタをつけたい。
アンタにも迷惑かけるけど、頼むわね」
「承知致しました」
頭を下げるハルに、ふと昨夜浮かんだ疑問が首をもたげてきた。
菊様には、誰か心配してくれるひとはおられるんだろうか。
寄りかかれるひとが誰かおられるんだろうか。
この『強く』てやさしいひとのために、なにかできればいいんだけど。
あと『長くて五年』。
その間に、少しでも菊様のチカラになれたらいいんだけど。
そう思って、ちょっと眉が寄った。
そんなぼくに菊様は目ざとく気付かれた。
「? なに?」
「イエ。なんでもございません」
あわててごまかしたけどかえってムッとされた。
「なによ」
「イエ。ホントに。別に」
「気になるじゃない」
「大したことでは」
そうごまかしていたのに、ハルがペロッとバラした。
「このヒロは菊様のお力になりたいそうですよ」
「ハル!」
思わず場も忘れて怒鳴った。でも菊様は平気なお顔をしておられた。
一瞬キョトンとして、すぐににっこりと微笑まれた。
「そう。ありがとう。今後も頼むわね」
「――ッ! は「菊様には寄りかかれるひとがいるかと心配していました」
―――馬鹿あぁぁぁぁ!!
なにバラしてんのおぉぉぉ!!
ハルをどつこうにも菊様の前だからできない!
もう! もう! ハルめ! あとで覚えてろよ!!
菊様は笑顔で固まっておられたけれど、ちいさく震えだされた。
え? と思ったそのとき。
「――ぷーーーッ!!」
思いっ切り、吹き出された。
「ぷはははは! 私が!? 寄りかかる?
ぷふー! あははははは!!」
大爆笑だ。
こんな菊様初めて見た。
おなかを抱えて足をジタバタさせて、テーブルをダンダン叩いておられる。
「なんでそんな素っ頓狂な考えに至るのよ!
バッカじゃない!? ぷふふー!」
「水属性ですから」
「だからって、勘違いもいいとこでしょう!」
「このヒロは姫宮しか身近に接しておませんので」
「あー。そっかそっか。それで私も『悲壮な想いで責務に殉じてる』とか勘違いしちゃったわけね!」
納得しながらも、ぼくの顔をチラリと見上げた菊様はまたしても「ぷーーーッ!!」と吹き出してしまわれた。
そこまで笑わなくてもよくない?
ようやく落ち着いた菊様は目尻の涙をぬぐわれた。
「私はそんなんじゃないわよ。
『災禍』をどうにかしてやろうとは思ってるけど、それ以外は許された人生を精一杯楽しむつもりで毎回生きてるわ」
ケロッと明るくおっしゃるそのお言葉に嘘はないとは感じたけれど、どうしても気になって、余計なこととわかっていたけれど、思い切って、お伺いした。
「……おつらく、ないですか?」
菊様はニヤリと嘲笑った。
「私には白露がいる。
あのおっちょこちょいのお人好しがずっとついていてくれるから、長い人生も楽しいものよ」
それは『つらくない』わけではないですよね?
そう思って、眉が寄った。
そんなぼくに菊様は呆れたようにため息を落とされた。
「アンタ、晴明の右腕なんでしょ? そんなお人好しで甘っちょろくて大丈夫?
もっとシビアに、冷淡でないとやっていけないんじゃない?」
答えられないぼくを放置してハルにも苦言を呈される菊様。
「アンタも。部下の教育はしっかりしたら?
どうせアンタのことだから甘やかした教育してんでしょ」
「このヒロはこれでいいんですよ」
ハルはさらりとかわす。
「ヒロは僕の無二の右腕ですから」
「―――!」
ハルがぼくのことをそんなに評価してくれてるなんて初めて知った。
うれしくて誇らしくてテンション上がる!
「『無二』ならなおさらしっかり鍛えないといけないでしょうに」
フン。と呆れたような菊様の視線にちょっと落ち着いた。
「『災禍』はなにを仕掛けてくるかわからないわよ」
「ですね」
菊様のご忠告もハルは笑顔で受け止めた。
そんなハルに菊様もあきらめたらしい。
「余所の教育方針にまで口出しすべきじゃないわね。
ま、心配してくれてありがと」
ニヤリとお笑いになる菊様の笑顔はいつもの余所行きのものじゃない。
皮肉げな、自然な笑顔。
綺麗な笑顔よりも意地悪そうな笑顔を向けてもらえるほうがうれしいなんて、ぼくも菊様にだいぶ慣れたんだろうなぁ。
「ご無理なさいませんように」
そう言って頭を下げると「フフン」と笑われた。
「『災禍』を追い詰めるまでは無理しないわ。
追い詰めたら無理してでもヤッてやるけど」
……『殺ってやる』に聞こえましたよ?
普段の完璧お嬢様との落差に毎回驚かされる。
「……菊様はどうしてそこまでして『災禍』を滅しようとされているのですか?」
竹さんは『罪をつぐなうため』と言っていた。
竹さんが『災禍』の封印を解いたために失った生命に対する贖罪だと。
これ以上誰も『災禍』のために死なせないためだと。
菊様はどうしてそこまでしておられるのだろう。
『呪い』を解くため? 人々を救うため?
罪の意識にとらわれている竹さんを救うため?
失礼だと怒られても当然のぼくの質問に「決まってるじゃない」と菊様はえらそうに腕を組み足を組まれた。
「この私をコケにしてくれたからよ」
「……………は?」
意味がわからなくて一瞬意識が飛んだ。
そんなぼくに構わず菊様はつらつらと語った。
「私、高間原にいたときから優秀だったのよ。
次期女王確定してて『先見姫』なんて呼ばれて。
実際ほとんどのことは視通せたわけ」
かろうじてうなずくと菊様は続けられた。
「それがあの『災禍』だけは読めなくて。
ある程度の策は用意して準備してたのに、全然ダメだった。
完全にしてやられたわけよ」
そう言って、獰猛な笑みを浮かべられる。
「この私の!『先見姫』とまで謳われたこの私の予見も予想も全部くつがえして!
私だけでなく他の姫も守り役も嵌めやがって!
しかも一度だけでなく二度も三度も!
許せるわけがないでしょう!」
ダン! とテーブルを叩き、メラメラと怒りに燃える目をお向けになる菊様にビビる。
「『災禍』は滅する。何年経っても。なにがあっても。
この私をコケにしてくれた『お礼』をしないとね」
フフフフフ。と不敵にお嗤いになる菊様。
あれだ。悪の女幹部とか。魔王とか。そんなかんじ。
竹さんとは全くちがう、悲壮感も使命感もなにもない本音に、ちょっと安心した。
復讐心とかプライド傷つけられた報復とか、それも本音だと思うけど、それだけじゃないとも思う。
でもこのひとを突き動かしている一番の原動力はそれなんだろう。
ハルはあきらめたようにため息をつくだけ。
きっと前から知っていたんだろう。
だからこそ『痛い目を見るぞ』なんて『忠告』してくれたんだろう。
「がっかりしたでしょう?」
菊様はなんてことないような顔でさらっと聞いてこられる。
ぼくにどう思われていようが関係ないという顔。
実際そうなんだろう。
だからぼくも本音で答えた。
「いいえ。大変勇ましいと思いました」
にっこり微笑むぼくに嫌悪感がないとわかってくれたんだろう。
菊様はちょっと言葉に詰まられたけれど、プッと吹き出されたあと、にっこりと笑われた。
花が咲くような、自然な笑顔だった。