挿話 ヒロ 12 姫達の話
本編第16話〜第17話のお話です
その夜、ハルとふたりでトモの家に行った。
トモはいつもどおりにぼくらを出迎え、誠実に頭を下げてきた。
「昨日は申し訳ありませんでした」
ハルにもうながされ、それでこの件は終わりにした。
竹さんの話題になった途端、トモは見る見る赤くなった。
それまではいつものトモだったのに、急にオドオドキョドキョドしはじめた。
こんなトモ初めてで、照れてこうなっていることが丸わかりで、面白くてからかいたくてたまらない!
「相談に乗ってくれ」と言われて話を聞いた。
「たまたま通りかかって」
「後ろ姿が目に入った途端『このひとだ!』ってわかって」
「目があった瞬間、とらわれて」
「彼女のことしか考えられなくて」
「『これじゃダメだ』とわかっているのに、気がついたら彼女のことばかり考えてて」
「会えただけでうれしくて」
「もう、『かわいい』以外言葉が浮かばなくて」
「とにかく、かわいくて」
――腹筋と表情筋を総動員して笑い出したいのを必死で耐える。
トモが!
あのトモが!!
こんなになるなんて!!
「女なんてコリゴリだ」「相手になんかしたくない」なんて言ってたのに!
ぼくらが女のひとの話しても全く興味示すことなんかなかったのに!
なにこの変わりっぷり!
デレッデレじゃないか!
べた惚れじゃないか!
顔真っ赤! 耳まで真っ赤!
うつむいてボソボソ話すなんてトモらしくない!
語彙力どこいったの!?『かわいい』しか言ってないよ!?
イヤ確かに竹さんかわいいけど。
そんなに!?
「いやー。まさかトモがそんなことになるなんてねぇ」
からかいまじりのぼくの言葉にもムッとするだけで反論もしない。
『恋はひとを変える』とよく言うけど、実際トモは変わってしまったようだ。
そのトモとハルのやりとりを聞く。
トモはただひたすらに竹さんの心配をしていた。
安倍家から出ていくんじゃないか。
ひとりで苦しむんじゃないか。
誠実に、真摯に、真剣に、竹さんのことを想っていた。
ハルの言うとおり、ぼくの心配していた『危険』とは違うところでトモは竹さんの心配をしていた。
ちょっとホッとしつつも、やっぱり『危険』には変わりなくて眉が寄る。
しかも。
「『長くて五年』だ」
ハルの言葉。
つまり、竹さんも、菊様も、いつ亡くなってもおかしくないということ。
聞いていた。
四人の姫にかけられた『呪い』の話。
『二十歳まで生きられない』で『記憶を持ったまま何度も転生する』呪い。
『二十歳まで生きられない』
『生きられない』
―――。
ゾワリ。
昔の恐怖が足元に広がっていく。
あの底なしの穴が足元に迫ってくる。
「どうにかできればと思っているよ」
ポソリとハルはつぶやく。
そうして南の姫がこわれた話をしてくれた。
竹さんがこわれた話をしてくれた。
菊様が他の姫達の記憶を封じたことも。
菊様。
三歳のときに初めて会った。
転生を繰り返している、元異世界のお姫様。
『先見姫』なんて呼ばれてる、すごいお姫様。
「『強い』方だよ」いつかハルはそう言った。
「『強さ』はひとつじゃない」そうとも言った。
あんなにほっそりしてお人形みたいに綺麗でおうちもお金持ちで困ることなんかなんにもないみたいな人なのに、五千年も前から『責務』に立ち向かっている。
他の姫の苦しみをふさいで、それなのに自分は目をそらすことなく立ち向かっている。
きっと菊様にもつらいことがあっただろうに。
苦しいことがあっただろうに。
なんて『強い』ひとだろう。
なんて立派なひとだろう。
トモはただひたすらに竹さんの心配をしている。
彼女の苦しみに想いを馳せ、どうにかできないかともがいている。
ハルも竹さんの心配をしている。
ハルの恩人は竹さんだから。
他の姫はハルにとって、言い方は悪いけど『竹さんのついで』だ。
ぼくも、保護者達も竹さんの心配をしている。
この数ヶ月一緒に過ごして家族同然になった竹さん。
素直で世間知らずでうっかりで頼りなくて『ぼくらがお世話しなきゃ!』と思わせる竹さんをぼくらは心配している。
菊様は?
菊様には、誰か心配してくれるひとはいるんだろうか。
あの『強い』ひとが寄りかかれるひとが誰かいるんだろうか。
トモの家から帰って黒陽様と保護者達と話をして、ベッドにもぐってもなんだかモヤモヤしていた。
「………ねぇハル」
二段ベッドの上にむかって話しかける。
子供の頃、ぼくに異変があったときにすぐ対処できるようにと、ハルはずっとぼくと同じ部屋で寝起きしてくれた。
十四歳の春にその『先見』はくつがえされたけれど、今更別々の部屋にするのも面倒で高校生になった今でもぼくらは同じ部屋で寝起きしている。
二段ベッドの上と下。
ハルの気配があるだけで安心する。
「……『転生する』って、どんなかんじ?」
ぼくの質問にハルは答えてくれない。
「『転生する』ってわかってたら、死ぬのもこわくない?」
「死ぬときって、どんな気持ち?」
答えがないままポツリポツリと問いかけていた。
二十歳まで生きられない竹さんや菊様。
孫や曾孫に術をかけて転生を繰り返しているハル。
『生まれ変わる』って、どんなかんじ?
『死ぬ』ときのことも覚えてる?
痛い? 苦しい? こわい? それとも、生まれ変わるってわかってるからこわくない?
ぼくは転生者じゃないから前世の記憶なんてない。
『一度見聞きしたものは完全に覚える』『絶対記憶』なんて特殊能力を持っているぼくだけど、さすがに前世のことは覚えていない。
だから、想像するしかできない。
彼女達の痛みを。彼女達の苦しみを。
『記憶を持ったまま生まれ変わる』ってどんな感じだろう。
転生者のひなさんは言っていた。「知り合いに会う気はない」「自分はもう『死んだ人間』だから」「自分が会いに行ったり心配したりするのはもう『ちがう』」と。
彼女達もそう思ってる?
知り合いがいても会いたくない?
会いたくても会っちゃいけないって思ってる?
五千年の間に何度生まれて何度死んだんだろう。
どれだけのひとと出会い別れたんだろう。
守り役がずっとついていてくれているとはいっても。
神様や『主』みたいな長命な知り合いがいるとはいっても。
やっぱり、つらいんじゃないのかな。
竹さんは笑顔で武装している。
笑顔を浮かべて『これ以上は近寄らないで』と自分を守っている。
母さん達にだいぶはがされちゃったけど。
菊様はいつも一歩引いている。
一歩引いて、誰とも深く関わらないようにしている。
人当たり良く応対しながら、ときどきここでないどこか遠くを見ている。
ふたりのそれは、そうするクセがついちゃったんじゃないのかな。
長い時間を生きて、生まれては死んで、出会っては別れたからじゃないのかな。
「……竹さんも菊様も他のふたりの姫様も、ずっと苦しい思いを抱えて転生してるのかな……」
ハルも菊様も言っていた。
竹さんは何度生まれ変わってもそのたびに『思い詰めて疲弊して』倒れると。
それほどの記憶を抱えて、生きていかないといけない。責務のために働かないといけない。
それなら、記憶なんてないほうがいいんじゃないのかな。
責務もなにも知らんぷりして、普通に、しあわせに暮らしたらいいんじゃないのかな。
他の姫にはそんな時間をあげる菊様はやさしいひとなんだな。
それなのに自分は全部覚えて責務に立ち向かっている菊様は、やっぱり『強い』ひとなんだな。
ぼくがなにかできればいいんだけど。
あの『強く』てやさしいひとのために、なにかできればいいんだけど。
あと『長くて五年』。
その間に、少しでも菊様のチカラになれたらいいんだけど。
凛とした大菊のようなひとの姿が思い浮かぶ。
集団で咲き誇る小菊ではなく。
数輪が肩を寄せ合う中菊でもなく。
たったひとりで堂々と立つ、その姿。
威厳のある、まさに女王。
その細い肩にどれほどのものを乗せているのだろう。
その大きな目にはなにを映しているのだろう。
『助ける』なんてムリだとわかっている。
でも、少しでも『支える』ことができればいいな。
大菊を支える支柱の一本になれたらいいな。
今はまだ『支柱の一本』であるハルのお手伝いでしかないぼくだけど。
少しでも菊様を、竹さん達を支えられるように、なれたらいいな。
そんなことを考えていたら、 ハルがため息をついたのがわかった。
「……一応忠告しておく」
なんだろうと黙ってベッドの天井を見つめていると、ハルの声が降ってきた。
「姫宮を基準に考えていると、痛い目を見るぞ」
なんのことかと首をひねり、もそもそとベッドから出た。
はしごに足をかけて顔をのぞかせたぼくをチラリと横目に見たハルは、嫌そうな顔をして頭の下で腕を組んだ。
「さっきの南の姫の話だが」
うなずくことで話をうながす。
唯一と定めた主を想いこわれていった南の姫。
きっと一途なひとだったんだろう。
誠実でやさしいひとだったんだろう。
そうぼくが考えていることを見透かしているであろうハルはチラリとぼくの顔を見て、また大きなため息を吐いた。
それからあきらめたように身体を起こし、ベッドの上で胡座をかいた。
「あれはあのとき限定だ。
本来の南の姫は、天真爛漫で傍若無人で、好き放題やりたい放題する乱暴者だ」
キッパリと言い切るその顔がうんざりとしてるのを隠しもしてなくて、ハルが心底そう思っていることがわかった。
抱いていた印象とハルの口から出てきた人物像が違いすぎてパチクリとまばたきすることしかできない。
そんなぼくにハルは重ねて言った。
「東の姫も西の姫も、姫宮とは全然ちがう。
おふたりとも計算高くてしたたかで、利用できるものはなんでも利用するひとだ」
「まあそのおかげで私が姫宮のそばにいられるようになったんだがな」とハルは腕を組んでうなずいている。
……あれ? そうなの?
じゃあ、菊様は――。
勝手に『悲劇のヒロイン』『辛い責務を背負って頑張る健気なお姫様』のイメージを菊様にかぶせていたけれど、もしかして、ちがう?
ぼくの考えを見透かして、ハルはひとつうなずいた。
「くよくよメソメソしているのは姫宮だけ。
思い詰めて身体を壊すのも姫宮だけ。
他の姫達はそれなりに割り切って、人生楽しみながら責務に取り組んでいる」
ハルの知る千年の間でも、生まれたおうちを出なかったときもあるし、恋人のいたときもあったと。
利用できるものはなんでも利用しまくって、王とも有力者とも親しくしていたときもあったと。
美味しいもの食べて楽しいことしてたと。
「今生の西の姫だってそうだろ?」とハルは言うけど、そうだっけ?
「勉強もお稽古も今までの経験を活かして要領よくこなして。
家族や側仕えをうまく使って。
白露様や私に仕事押し付けて。
おかげでこっちは負担が増えて大忙しだ」
げんなりと言うハルがおかしくてつい笑った。
それが竹さんのためになるとわかってるから進んで仕事を押し付けられてるくせに。
笑ったぼくにハルもニヤリと笑った。
「まあ、ヒロは水属性だから。
そんなふうに気を回すのも特性だから、仕方ないといえば仕方ないか」
なんのことかと首をひねると、ハルは説明してくれた。
「水属性は、穏やかでやさしい人間が多い。
水は器に合わせてその形を変えるだろ?
川では川を流れるように。池では池のように。器に汲めば器に合わせて。
だからか、相手に寄り添うことのできる人間が多い。
そのせいか、ひとを気づかったり気持ちをおもんばかったり、助けようとする性質の人間が多い」
「姫宮だってそうだろう」と言われる。
「お人好しで、すぐに人助けをして。
なんでもかんでも背負ってしまう。
姫宮もお前も、水属性の特性がよく出てるよ」
「ぼく、そんな?」
「なんだ。無自覚か?」
ハルは当然のように言うけど、そうかな?
ぼく、わりとシビアだと思うんだけど。
「お人好しですぐに人助けする性格だから姫宮を助けたんだろう」
そうかな?
「それはひととして当然の行動じゃない?」
「そんな人間ばかりじゃないから言ってるんだよ」
そうかなぁ? そんなことないと思うけど。
ハルだって同じ場面に遭遇したら同じように助けると思うけど。
そんなぼくにハルはフッと微笑んだ。
「まあ仕方ないか。
ヒロの場合、生みの親のちーも育ての親のアキも『そう』だから。
ヒロが『そう』なるのも当然か」
そうしてぼくの頭をわしゃわしゃとなでる。ちいさいときみたいに。
なつかしくて気持ちよくて大人しくなでられていたら、ツンとおでこを突かれた。
「余計なこと気にしてないで。さっさと寝ろ」
「はぁい」
布団にもぐって「おやすみ」と声をかけたら「おやすみ」と返ってきた。
それでようやく安心して、眠りに落ちていった。