第七話 術式破綻
「同意しません」
そう宣言した途端!
バチィッ!!
俺の左手の下にあった彼女の右手がなにかに弾かれた!
「!」
「!!」
痛そうに顔を歪める彼女に血の気が引く!
反射的に彼女を支えようと右手を出したが、それよりも早く彼女は二、三歩後ずさった。
結界の中の霊力が一気に乱れる!
俺以外の四人がガクリと崩れ膝をついた!
彼女が瞬時になにかをした。
ギュウッと渦をつくり、結界の中の霊力がひとつにまとまっていく!
霊力の渦は半円形の結界の天井部分に集まり、プカプカと浮かんでいた霊玉を巻き込みクルクルとただよった。
バッと両手を上げた彼女が天井を見つめ、ギュッと両手を握った。
その動きに従うように霊力の渦と霊玉がキュッとひとつになり、パチンと消えた。
彼女は千早の袖を大きく広げ、くるりと回った。
そのまま彼女はその場で舞う。
彼女の舞に従うように結界陣はスルスルとほどけ、霊力の残滓までもが糸のようにくるりと踊った。
やがて結界もすべてなくなった。
彼女はパン、パンと二つ柏手を打ち、その場に正座した。
祭壇に向かって深々と拝礼し、動きを止めた。
シン、と室内に静寂が広がる。
誰もが動けない中、ゆっくりと彼女が頭を起こした。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
あわてたように腰を浮かせて年少組をうかがう彼女。
「だ、大丈夫です」「なんとか」
震える声で年少組が答える。
「すぐに回復をかけます!」
白露様は晃に寄り添い回復をかけている。
彼女は隣のナツに向かった。佑輝には黒い亀が回復をかけていた。
それをぼんやりとながめていると、突然ガッ! と胸ぐらをつかまれた。
ヒロだった。
いつものやさしげな顔を脱ぎ捨てて、見たことのない怒りの形相で俺を睨みつけていた。
「なに考えてる」
低い声。こんなヒロの声、聞いたことがない。
常にないヒロの様子に年少組も黙り込んで動けない。
「説明したよね?『途中でやめたら危険だ』って。
何回も確認したよね?『本当にいいか?』って」
ヒロの言うとおりなので反論することもできず、気まずい思いをしながらものろりとうなずく。
その途端! 片手でつかまれていた胸ぐらを両手でつかまれ、締め上げられた!
「――ッざけんなよ!! 自分がどれだけ危険なことしたのか、わかってんのか!!」
そのままガッと頬を殴られた!
「ヒロ!」
あわててナツが飛んでくる。
後ろからヒロを羽交い締めにしたけれど、ヒロは止まらない。
「ざけんな! ナニやってんだ!! この馬鹿!」
「ヒロ! ヒロ! 落ち着け! まずは話を聞こう?」
ジタバタと暴れるヒロを後ろからナツが、前から晃が押さえる。
佑輝も飛んできて「トモ」と声をかけてきた。
「どうしたんだ? なにかあったのか?」
心配そうに俺をのぞきこむ佑輝は、俺を信頼しきっている。
俺が間違った判断をするわけがないと、なにか理由があるに違いないと信じている。
「……………」
理由。
こんなことをした、理由。
ちらりと視線をそらすと、座りこんだ彼女が目に入った。
心配そうにこちらをじっと見つめている。
俺が霊玉を渡したら、貴女、無茶するでしょ?
またひとりでなにもかも抱えて、ひとりで苦しむでしょ?
それがイヤだから。
そんな苦しい思い、させたくないから。
だから、同意を拒否したんだ。
――言えない。
言えるか!!
突然、冷静になった!
ナニ知ったかぶってエラそうに言ってんだって話だよ!
迷惑以外のナニモノでもないだろう!
むしろキモくないか俺!?
勝手に思い込んで、勝手に和を乱して。
でも、と胸の底で声がする。
彼女を守るためだ。彼女に無茶をさせないためだ。
いつもそうだ。彼女はいつも俺を置いていく。
俺を置いて、ひとりで死地に向かう。
そんなこと、もうさせない。
もう置いて行かれるのはイヤだ!
理性的な俺と感情的な俺がせめぎあい、自分でもわけがわからない。
何も言えずうつむいていたら、二人を振りほどいたヒロにまた殴られた!
バキィ! と音がするくらい激しいパンチに、さすがにドッと倒れた。
「「「ヒロ!」」」
そのまま馬乗りになり俺の胸ぐらを掴んで顔を上げさせたヒロはさらに殴りかかってきた!
二発、三発。何度も何度もガッガッと殴られる。
「ヒロ。そこまでだ」
ハルがヒロの肩を押さえた。
「姫宮がこわがっている」
その言葉で、やっとヒロの動きは止まった。
俺をつかんだままヒロが振り向いたのがわかった。
ヒロの視線をたどり、両手で口を押さえたままカタカタと震える彼女を見つけた。
顔色が悪くなっている。泣きそうだ。
ああ、しまった。こわがらせてしまった。
ヒロに殴られたことよりも、彼女をこわがらせたことが、痛かった。
ヒロが俺を投げ捨てた。
ドッと倒れた俺を見向きもせずヒロは彼女のもとに行き、土下座した。
「申し訳ありませんでした!」
絞り出すようにヒロはそう言った。
「せっかくの術を無駄にしました。
貴女を危険にさらしました。
事前に意思統一ができていなかった我らの責任です。
申し訳ありません!」
そして額を床にすりつけた。
ヒロの勢いに、年少組もその場で彼女に向かい土下座した。
俺ものろりと身体を起こし、なんとか正座をして頭を下げた。
「あの、ヒロさん。大丈夫です。その、術は一時停止状態にしましたので。
またトモさんのお気持ちが固まったら、そこから始められます。
術の暴走もありません。大丈夫です。
ですからどうか、頭を上げてください」
あわあわとヒロの肩を押し頭を上げさせようとする彼女。
それでもヒロは頭を上げない。むしろ一層頭を下げた。
「それよりもヒロさん、本当に大丈夫ですか?
あの、皆さんも。
回復かけたとはいえ、今の『器』の分しか回復してないはずです。
霊玉が無くなった分のは補充できてないわけで、その、つらくないですか?」
他人の心配ばかりする彼女。
ヒロは土下座のままブンブンと首を振った。
「ヒロさん」
「ヒロ」
白露様も彼女の隣からヒロに声をかける。
「大丈夫よヒロ。貴方がそんなに気に病むことはないわ」
「そうです。大丈夫ですヒロさん」
二人がヒロに声をかけていると、ハルがヒロの横にしゃがんだ。
ポンとヒロの肩をたたく。
「とりあえずお前達四人は上に行け。
四人は霊玉が無くなった状態だから、霊力を回復させないといけない。
上でなにか食え。で、風呂に入って寝ろ」
ハルの指示にヒロがのろりと頭を上げた。
ヒロは泣きそうな顔をしていた。
くやしくてたまらないというような、真っ赤な目をしていた。
「命令」
なにも言わないヒロにハルがそう告げると、ようやくヒロはちいさく返事をした。
「………はい」
のろりと立ち上がるヒロに、すぐさまナツと晃が両側に寄り添う。
佑輝も後ろに従った。
「トモ」
ハルにまっすぐに呼ばれ、顔を向ける。
正直何を言われても何をされても文句は言えない。
冷静になって己の行動を振り返ると、ヒロがブチ切れるのも納得のとんでもないことをしでかした。
散々念押しされたのに意見を翻した。
全員を危険にさらした。
無事だったのは、ひとえに術者が彼女だったから。
並の術者の執り行う術であんなことをすれば生命の危険があった。
だから、俺は自分のしでかしたことの責任を取らないといけない。
ハルが何を言っても従わないといけない。
その覚悟で、ハルに土下座した。
「申し訳ありませんでした」
ハルはなにも言わない。
ただひとつため息を落とした。
「……今からでも、同意する気は?」
ハルの問いかけに無言で答える。
術を台無しにしみんなを危険にさらしたことに対しては申し訳ないと思う。反省もしている。
だが、彼女に霊玉を渡すことは――同意することは、彼女を苦しめることだという思いが今もぬぐえない。
彼女を苦しめたくない。
彼女をひとりで行かせたくない。
だから、霊玉は渡さない。
黙ってうつむく俺にハルはまたひとつため息を落とした。
「お前は家に帰れ。沙汰は後日」
「はい」
大人しく頭を下げる。
顔を上げると、ハルは『仕方ない』というような、困った顔をしていた。
――怒ってないのか?
あんなことをしでかしたのに?
何故ハルがそんな顔をしているのかわからず、でもなにも言葉が出てこず、黙ってまた黙礼した。
「姫宮」
俺の黙礼をうなずきで受けたハルは彼女に向き直り、やはり土下座した。
「申し訳ありません。僕の不徳の致すところです」
「そんな」
慌てる彼女にパッと顔を上げたハルは話を進めた。
「ひとまず、今後のことを話し合いましょう。
白露様、黒陽様。よろしいですか?」
「ウム」
「そうね。これからどうするか、相談しましょう。どこで話をする?」
「姫宮のお部屋にお邪魔してもよろしいですか?」
「はい」
「では参りましょう」
差し出されたハルの手を取った彼女はそのままハルに手を引かれ共に立ち上がった。
黒い亀がぴょんと彼女の肩に飛び乗った。
ハルはぐるりと俺達を見回し、はっきりと言った。
「本日の術はこれまで。
今後どうするかは、後日連絡する。
今日は解散。ご苦労だった」
「ハッ!」
ヒロが片膝をついて頭を下げた。
年少組もそれに準じる。
「気をつけて帰れよ。トモ」
ハルはそう言って俺に回復をかけた。
ヒロに殴られた傷はきれいに治った。
ハルは彼女を連れて部屋を出た。
「さあさ。みんなも上に行きましょ」
白露様にうながされて四人も部屋を出ていった。
年少組は俺を気にしてチラチラ見たりちいさく手を振ったりしたが、ヒロは一切俺を見ることはなかった。