挿話 ヒロ 2 竹様
「竹の覚醒が始まっている」
菊様にそう告げられ、ハルは動き出した。
白露様や緋炎様に話を聞いたり、離れの一室を竹様用に整えたり。
「直接会いに行ったらダメなの?」
「黒陽様から『声をかけるまでは手出し無用』ときつく言われている」
ぶすっとしてハルが言う。
竹様の守り役の黒陽様はそれはそれは過保護な方だという。
その過保護さで、少しでも竹様に『普通のしあわせ』を送らせてあげたいと願っているのだという。
『責務』を忘れたわけじゃない。
竹様が忘れている分、黒陽様が菊様の指示でいろいろやっているらしい。
「自分が姫の分まで動くから覚醒するまでは見逃してくれ」
そう菊様にお願いしているという。
そうして竹様はなにも知らず、のんきに過ごしているという。
菊様の背負っているものに思いを馳せて、なんとなくモヤッとした。
でも、その竹様こそがハルの恩人の『姫宮』だというから、黙っておいた。
晃を父親に会わせるために悪戦苦闘し、それが落ち着いた。
ぼくは高校生になった。
ハルの右腕として支えられるようになるためにいろんな仕事に関わるようになった。
そのひとつが霊的に重要な場所の維持確認。
この京都は霊能都市だ。
街の外側を結界が囲み、その中も様々な霊的な場所がある。
『要』『場』『パワースポット』様々に呼ばれるそんな場所には、そこを守る人達がいる。
たいていは神社仏閣。そこの神官や僧侶。
家として一族で守っている家もある。
たまに個人で守る人もいる。
そんな『守護者』に会いに行き、その場所を確認する。
問題はないか、困ったことはないか面談する。
これが結構大切。
毎日見ている守護者には気が付かないことに気が付くこともある。
何度も顔を合わせ直接話をすることで信頼関係を作る。
「そういえば」「大したことじゃないんですけど」そんな話から重大事を防げることも多々ある。
だから面談する担当者は、それなりの実力者でないと勤まらない。
ぼくはまだまだ若輩だから、経験を重ねて実力をつけていかないといけない。
この維持確認の仕事はいろいろな意味でぼくのいい学びになった。
守護者との交流。人脈づくり。
その場所の変化に気付くか。なにか起きた場合の対処法は。
いろいろなことを少しずつ学ばせてもらった。
ぼくはまだ学生で、そこまで時間がとれない。
なので、担当するのは北の数件だけ。
数ヶ月に一度、定期的に面談に向かった。
霊的に重要な場所は数か所が絶妙に影響を与えあっていることがある。
霊的な場所がおしくらまんじゅうしているような京都だ。ひとつに問題が起こると、連鎖的にあそこもここも、となることがある。
だから、面談に行くときは必ず『場』と『場』をつなぐルートも確認する必要がある。
その日もそんな面談に行き、周囲の確認を兼ねて次の場所まで歩いていた。
十二月に入り、寒さがグッと強まった。
まだ一月二月ほどの寒さではないとはいえ、吐く息は白い。
それでも霊力を巡らせ早足で歩いていると段々とぽかぽかしてくる。
と、普段は感じない高霊力を感じた。
なにか異変の兆しかと、その高霊力を目指し急いだ。
電柱の影に隠れるように、女の子がひとり、しゃがみこんでいた。
ぼくらも高霊力保持者だけど、それよりもはるかに多いとわかる高霊力。
それが身体中を暴れ、身体に納まらず外に暴れ出そうとしているのを、必死に抑えていた。
電柱にもたれ、苦しそうに歯を食いしばっている。
暴走寸前なのを抑えていた。
ぼくも子供の頃はしょっちゅう霊力を暴走させていたからわかる。
身体の中をエネルギーが暴れまわる感覚。
自分の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような、身体を引き裂かれるような苦しみ。
吐き出しても吐き出しても楽にならず、ただ泣くことと暴れることしかできない。
そんな苦しみを、彼女は黙って必死にこらえていた。
こんなに寒いのに、額に汗を浮かべて。
一目で『暴走だ!』と判断したぼくは駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
ぼくの声に、その人はゆっくりと顔を起こした。
もともと肌が白いのかもしれない。それをふまえても明らかに顔色が悪かった。
青い通り越して紙のように白い。
血の気は失せ、唇も紫になっている。
ちいさく震えている。グッと歯を食いしばっていた。
一重の垂れ目は涙が浮かんでいる。
どう見ても「救急車!」って叫ぶレベルなのに、彼女はしゃがみ込んで顔をのぞき込むぼくを認識すると、弱々しくもにっこりと微笑んだ。
「――大丈夫です。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
いやどうみても大丈夫じゃないよね?
「ちょっと、立ちくらみがしただけです。
少し休めば、大丈夫です。
いつものことですので。お気になさらず」
そう言って、ぼくを行かせようとする。
でも彼女は、とても立てそうにもない。
「お家は近くですか? せめてお送りしましょう」
心配でそう言ったけど、彼女は頑なに「大丈夫です」と笑う。
その様子に、その表情に、覚えがあった。
昔のぼくが、そこにいた。
「大丈夫」いつもそう言って笑顔を作った。
心配させたくなくて。
迷惑かけたくなくて。
だってぼくが叫び出したいほどこわがってるって知ったら、みんなが悲しむ。みんなが苦しむ。
そんな想い、させたくない。
だってぼくが泣きたいほどつらいって知ったら、みんながどうにかしようとしてくれる。手を尽くしてくれる。
そんな迷惑なこと、させたくない。
だから、笑う。
「大丈夫だ」って、「心配しないで」って、笑う。
だけど。
だけど、本当は苦しかった。
助けてほしかった。
でも、そんなこと口にしちゃいけないと思ってた。
それでなくてもみんながぼくのためにいろいろしてくれてるのは知っていた。
それでなくてもみんながぼくのことを心配してくれてるのは知っていた。
だから、これ以上負担をかけちゃいけない。
ぼくのこの気持ちはバレちゃいけない。
だから「大丈夫」。
ぼくは「大丈夫」。
気にしないで。
それに。
それに。
言っても、どうにもならないでしょう?
ぼくがどれだけ苦しいか吐き出しても。
ぼくがどれだけつらいのか訴えても。
誰にもどうにもできないでしょう?
それなら、言って困らせるくらいなら、辛い思いをさせるくらいなら、黙っておく。
黙って、なんでもないような顔をして笑っておく。
それがぼくのできる数少ないこと。
迷惑ばかりかけてるぼくのできること。
目の前でしゃがみ込んで動くこともできない女の子は、制服の感じからして中学生。
ひとつに結んだ長い髪は先が地面に落ちている。
一重の垂れ目が潤んでいるのは、それだけ苦しいから。
それなのに「大丈夫」と笑顔を作る。
ああ、この子は、昔のぼくだ。
みんなに出会う前の、救われる前のぼくだ。
何故か泣きたくなった。
可哀想で、助けてあげたくなった。
高霊力保持者なら安倍家で保護できる。
あの北山の本拠地なら霊力も豊富だし、それこそ高霊力保持者が暴走しても抑えられるだけの結界を張れる結界師もいる。
あの頃のぼくを助けるような気持ちで、彼女に手を差し伸べた。
「貴女の不調は、霊力過多による暴走のためです」
ぼくの言葉に彼女はきょとんとした。
突然こんなこと言われたら当然の反応か。
苦笑が浮かぶのを抑え、真面目な顔で話を続ける。
「思春期にはよくあることなんです。
対処法もあります。大丈夫です。
こうして出会ったのもなにかのご縁です。
よかったらお家までご一緒します。
それで、保護者の方も交えて、説明します」
苦しそうに黙っている彼女に、ポケットから名刺を出して渡した。
「ぼくは安倍家の主座様直属の者です。目黒と申します」
「目黒さん」ちいさく復唱する彼女に、少しでも警戒を解いてもらえるようににっこりと微笑む。
「あやしい者ではありません。信用できないようでしたら、お問い合わせいただいても構いません」
ぼくの顔をポカンと見ていた彼女の気がゆるんだんだろう。
ド! と霊力が暴走しそうになった!
それを咄嗟に封じ込め、彼女は「ぐうぅ」と唸り額を地面に落とした。
「とりあえず、お家にお送りします!」
あわてて彼女に触れようと手を伸ばした途端。
バチッ! なにかに弾かれた!
彼女はハッと顔を上げ、痛そうに、申し訳なさそうに顔をしかめた。
「大丈夫です。ご心配を、おかけしました」
そう言って立ち上がろうとする。
が、すぐにふらついて電柱にもたれかかった。
「ホラ。無理じゃないですか」
「い、いえ。少し休めば、大丈夫ですので。
どうぞ、お構いなく」
支えようと手を伸ばしたけど全身で拒否される。男が苦手なのかな? どうしよう。どうしたら。
そのとき。どこかから声がかかった。
「もしや霊玉守護者か?」
どこから声が? と声の元を探すと、彼女の足元に黒いちいさな亀がいた。
ぼくの手のひらくらいの亀。
額に白い日輪のような模様がある。
その姿にもしやと気付いた。
ハルから聞いた『姫宮』の守り役。
額に日輪の模様のある、黒い亀。
「――もしかして、黒陽様、ですか?」
黒い亀はちょっと驚いたように目を大きくした。
「そうだ。晴明から聞いているか?」
やっぱり。
あわててその場で片膝をつく。
「お初にお目にかかります。目黒 弘明と申します。
安倍家主座直属の、『水』の霊玉守護者です」
「黒陽だ。こちらは我が姫。竹様だ」
黒陽様の言葉に彼女は乱れる息でペコリと頭を下げた。
ぼくも頭を下げる。
黒陽様はハァハァと苦しそうに目を閉じる竹様の肩にぴょんと飛び乗った。
「姫。この者に家まで連れ帰ってもらいましょう」
その言葉に、竹様はうっすらと目を開けた。
「『転移はマズい』と姫がおっしゃるので回復をかけていましたが、これ以上回復をかけても効果はありません。
この者が通りかかったのもなにかの縁。
この者に連れ帰ってもらいましょう」
「で、でも」とためらう竹様に、黒陽様はさらに言った。
「では、安倍家に連れて行ってもらいましょう」
驚く彼女に黒陽様は顔をしかめた。
「梅様の薬と私達の結界で抑えて、これです。
もう無理です。姫。晴明のところに世話になりましょう」
「ご迷惑に、なる、から」
細い声でそうためらう彼女に黒陽様が言い募る。
「対価を渡せばよろしい。姫が元気になるまではこの黒陽が封印石を作って支払いとします。
元気になったら、姫が作って渡せばいいのです。
姫の石ならば、晴明は喜びます」
その様子が浮かんだのだろう。竹様はちいさく眉を寄せた。
黒陽様はぼくに首を向けた。
「目黒といったか」
「は」
「『承認』する。こちらへ」
呼ばれたので竹様のそばに一歩寄ると、黒陽様がちいさな手を伸ばした。
なにかしようとしたけど、届かなかったらしい。顔をしかめたのがわかった。
それならとこちらから手を伸ばすと、黒陽様はぼくの手のひらにぴょんと飛び乗った。
「額へ」と指示され、亀を頭に運ぶと、ちいさな手で額をツンと突かれた。
「『承認』した。これで姫に触れられる」
そしてそのまま僕の肩にぴょんと飛び乗った。
「では安倍家に――」
黒陽様がそう指示しようとしたのを、竹様が「待って」と止めた。
「帰宅途中に、いきなり、安倍家に行ったら、お父さんとお母さんが、心配、する、から」
その指摘に黒陽様も反論できなかった。
しぶしぶといった声でぼくに指示を出した。
「姫を自宅に運んでくれ」
「承知しました」
黒陽様の指示に従おうとしたのに、当の本人が「だ、大丈夫です!」と逃げる。
「もう少ししたら大丈夫! これ以上迷惑かけたくないんです!」
電柱にしがみつき顔を隠すようにそう言う彼女とちいさなぼくがダブった。
ぼくもあんなふうに言ってた。
ああやって、抱き上げようとする父さんの手から逃げた。
苦しいんだよね。わかるよ。ぼくもそうだったから。
迷惑かけたくないんだよね。わかるよ。ぼくもそうだったから。
呼吸を無理矢理整えて、彼女は震える足で電柱から身を起こした。
そして、にっこりと微笑んだ。
「――大変、ご心配をおかけして、申し訳ありません。
私は大丈夫ですので。くれぐれもお気になさらず。
では、失礼します」
ペコリとお辞儀をする彼女。
頑固だなあ。ぼくもそうだったなあ。
ぼくのときはどうしてもらったんだっけ。
父さんはぼくがどれだけ嫌がっても無理矢理抱きしめてきた。
「かわいい」「かわいい」とバカな親の顔をしてベタベタくっついてきた。
晃は怒った。
「わかったフリして飲み込むな」「自分をいじめるな」って。
「自分の友達をいじめるなら、ぼく本人でも許さない」って。
うれしかったなぁ。
――そうだ。
「――わかったフリして飲み込まないでください」
わざとムッとして、彼女に言った。
キョトンとしている隙に叩き込む!
「自分の気持ち押し込めて、ごまかして笑ってる!
今の貴女の笑顔はうそっこだ! つくりものだ! にせものだ!!
他の人はごまかせても、ぼくはごまかされません!!」
ぼくの強い言葉に彼女は目に見えて動揺した。白い顔がさらに白くなった。
ごめんね。こわがらせて。
でも、貴女は、ぼくらは、こんなふうに言ってもらわないと受け入れられない。
「他人のことはいいから」
ズイ、と一歩近寄る。後ずさる彼女。
こわがられても構わず一気にお姫様抱っこで抱き上げた。
「自分を大切にしてください」
彼女を抱き上げた途端、その暴走する霊力がぼくをビシバシと削る!
彼女が抑えてるはずなのに!
苦しい! 痛い!
こんな苦しいのに、声も上げずひとりで耐えてたのか!
思わず顔をしかめた。声をあげないようにぐっと歯を食いしばる。
そんなぼくに気がついたのだろう。彼女はハッと顔をこわばらせ、飛び降りようとした。
すぐさま抱き直してグッと抱き止める。
「暴れないでください。落としちゃいます」
「落としてください! 離して!」
ジタバタと暴れる足をしっかりと確保して動きを止め、わざとぎゅううぅっ! と抱き寄せた。
父さんがしてくれてたみたいに。
「離して! あぶないから!」
彼女からあふれた霊力がぼくを削る。
ピッと頬が切れた。
「―――!」
彼女はグッと目を閉じ身体を縮こまらせ、必死に霊力を抑えようとした。
ぼくの肩の黒陽様が周囲に結界を展開しているようで、この暴走にさらされているのはぼくらだけのようだ。
暴れる霊力は水を形取り、彼女を中心に渦を巻き始めた。
ザブン! ドブン! と強い波がぼくに叩きつけられるけれど、日頃の修行のたまものか何とか耐えられた。
「貴女も水属性ですか?」
なんてことないような顔をして彼女に話しかける。
固く目を閉じたままちいさくうなずく彼女に「ぼくもですよ」と笑いかける。
「同属性のぼくなら多少無茶をしても大丈夫。
気にせずドバーッと洪水起こしちゃってください!」
わざと明るくそう言った。
自分の言葉を証明するように、彼女の霊力が固まって出現させた水の渦を霊力操作を駆使してひとかたまりにしようとする。
ぐううぅぅ! キツい! 水に込められてる霊力量が段違いだ!
それでも、ここはカッコつけなきゃ!
ぼくが何をしようとしているのかわかったのだろう。肩の黒陽様も協力してくれた。
黒陽様が水を制御してくれて、ぼくがイメージを固める。
ほとんどを黒陽様に頼っているのに霊力ごっそり持っていかれる!
がんばれ! がんばれ! まだ倒れるな!
なんとか水をひとかたまりにまとめ、ぽよぽよと宙に浮かせる。
彼女は自分の霊力の異変に気付いたのだろう。ぼくの腕の中でちいさく身じろぎし、そろりと顔を上げた。
ゆっくりと瞼を開けた彼女は目の前をぽよぽよとただよう水の塊に気付き、驚いた。
あわてたようにぼくの顔を見る。
「ね? 大丈夫でしょ?」
切れそうになる息を必死で整え、にっこりと微笑んだ。
汗が流れるのはさすがに隠せない。
彼女は信じられないものを見るような目でぼくを見つめていた。
「……にいさま……」
なにかをちいさくつぶやき、彼女は弱々しく笑った。
安心したのか、力尽きたのか。
彼女からふっと力がぬけたと思ったらそのまま目を閉じ、動かなくなった。
「――気を失ったか……」
やれやれと肩の亀がため息をついた。