第五十八話 異界へ
焼き上がったパンに守り役達は喜んだ。
特に蒼真様は「おいしい! おいしい!」とまた結界のお世話になるハメになった。
「これ、蒼真ひとりにしたら危なくない?」ということになり、蒼真様がアキさんについている間は緋炎様もついていることになった。
白露様も同行したがったが、ハルに「西の姫はいいのか」とツッコまれてあきらめていた。
それでも緋炎様で押さえきれないときには緊急呼出で駆けつけることになった。
実力のある霊獣ふたりがかりでないと抑えられない存在だと暗に示しているというのに、アキさんは平気な顔で龍を肩に巻き付けている。
ホント度胸のあるひとだな。
器がデカい。懐が広い。
だからこそオミさんを救えたんだろう。
改めて『強さ』について考えさせられた。
俺達がダベっている間にオミさんが各種手続きを済ませて戻ってきた。
俺は明日からパン教室に通うことになった。
いつの間に連絡を受けていたのか『パン釜の作り方』や『発展途上国における農業の指導法』なんて教室まで予定を入れられていた。
竹さんのそばにいられるように強くなるための修行をするはずが、なんでこんなことに。
そう考えてしまったことはオミさんにはお見通しだった。
「『急がば回れ』だよ。トモ」
オミさんが笑顔で書類を渡してきた。
サイト名とアドレスが羅列されていた。
農業やら料理やらの参考になりそうなホームページだという。
つまり『見ておけ』と。
……了解しました。
その場で親父に連絡をとった。
テレビ通話に出た親父に人払いを頼み、話をした。
「俺、『とらわれた』」
その一言だけで親父はなにもかも理解した。
一瞬ポカンとしただけで、すぐにニヤリと笑った。
いつもの、上から目線のえらそうな笑顔。
そこに、少しだけ、ほんの少しだけ、うれしそうな色が見えた。気がしないでもない。
「で?」
「しばらく休学したい。そっちに短期留学してることにしたい。口裏合わせ、よろしく」
「わかった」
親父はあっさりと了承してくれた。
「洋と由樹には言っとけよ。バレたとき怒られるのは俺なんだからな」
それからオミさんも交えていくつか打合せをした。
お袋には親父から話しておいてくれることになった。
「夏に法要で帰るから。そのときに会わせろよ」
意地悪くそんなことを言う。
「あと三ヶ月でどうにかできるわけがないだろう」
「それもそうか」
「ハハハッ」と笑う親父はおもしろがっている。くそう。憎たらしい。
それから叔父さんの家に向かった。
ハルとオミさん、アキさんも同行してくれた。
アキさんにくっついて蒼真様まで同行した。
明らかに高位の霊獣、しかも龍の登場に、叔父さん叔母さんは出迎えた玄関でひれ伏したまま動かなくなった。
蒼真様。霊力もーちょっと抑えて。まだまだ。もーちょっと。
事前に「大事な話がある」と招集をかけていたから、座敷には叔父さん一家がそろっていた。
叔父さんは俺の祖父母の養子。
親父が「研究者になりたい」「留学したい」と飛び出してしまったために寺を継ぐために養子になってもらったひとだ。
その叔父さんの家族ということで、俺とは血縁関係はない。戸籍上は一応関係あるが。
そんな叔父さん一家だけど、霊力を見込まれじーさんに修行をつけられた叔父さんの子供や孫だけあって全員それなりの霊力がある。
退魔師として活動しているひともいる。
その叔父さん一家は、俺達が部屋に入るなり平伏した。
ハルと蒼真様の霊力にビビっているようだ。
「蒼真様。もーちょっと抑えて」
「えー」
「蒼真ちゃん。おねがい」
「明子が言うんなら仕方ないなぁ」
そうしてようやく叔父さん一家は動けるようになった。
用意された座布団の上に落ち着いて、ハルが名乗りをあげた。
「安倍家主座、安倍晴明である」
それだけでザッと平伏する叔父さん一家。
叔父さん叔母さんはじーさんばーさんのところにちょくちょく顔を出していてオミさんとは顔見知りだ。
ハルとも数回は会ったことがある。
でも他の家族はハルに会ったことはない。
俺が『安倍家の主座様と親しい』ということは聞いていたらしいが、実際目の当たりにするとやはり違うようだ。
まあ言ってみれば大会社の社長がいきなり地方のちいさな下請け会社に挨拶に来たようなものだからな。ビビるのも無理はない。
「皆も既に承知のこととは思うが。
こちらが今回ご降臨なさった龍様だ」
アキさんの肩の龍がエッヘンと胸を張る。
それを叔父さん達は呆然と見つめていたが、あわてて平伏した。
ハルが叔父さん達の説明用に用意していた話を聞かせる。
たまたま安倍家の敷地に龍がご降臨なさったこと。
たまたまハルのところに向かっていた俺が対処したこと。
最初に会った俺に龍が懐いていること。
幼い龍がハルの母親にもっと懐いてしまったこと。
幼いために霊力制御がうまくいかず、このままでは危険なこと。
同じく懐いている俺に母親の護衛と龍の世話係を任せたいこと。
どのくらいで龍が落ち着くかわからないから、しばらく休学してもらいたいこと。
学校側に『龍の世話』などと説明するわけにはいかないから、父親のところに短期留学していることにしてほしいこと。
「そういうわけで、しばらくトモは安倍家で預かる」
ハルの言葉に「承知致しました」と平伏する叔父さん一家。
「安倍家からの、いや、安倍家主座からの特別依頼だ。
くれぐれも本当の理由は内密にしてもらいたい」
「ハハッ」
それから叔父さんとオミさんと三人で学校に行って休学手続きを済ませた。
叔父さんと叔母さんがときどき家の掃除をしてくれると言ってくれたのでお願いしておく。
デパートで買い物をして守り役達に約束の高級チョコレートを献上した。
三人共大喜びだった。
『龍の世話係として安倍家に行った』ことになった俺だが、今回は離れに寝泊まりするわけにはいかない。
竹さんがいるからだ。
竹さんにはまだ会えない。
もっと強くなって、彼女のそばにいても負担にならないようになってからでないと、会えない。
そういう俺にハル達も同意した。
その結果、一乗寺のタカさんの家に世話になることになった。
タカさんの会社にも宿泊棟があるけれど、ゴールデンウィークの今はちょうど研修に来ているひとが寝泊まりしている。
だからタカさんの自宅の一室を借りた。
日中はパン教室と各種講座を受講し、空いた時間で本やら論文やら読み込んだ。
パン釜もイチから作って使ってみた。
ハルとヒロのじーさん達には『外国のものすごい田舎に行くことになった』と説明し、林業やら農業やら教えてもらった。
「条件が合えば味噌も醤油も作れるんじゃないか?」なんて提案されて勉強することが増えた。
歴史に詳しいじーさんがいて、鉄が歴史においてどんな影響を与えたか説明してくれた。
別のじーさんは戦前から高度経済成長にかけての話をしてくれた。
山野草に詳しいじーさんが現物を見せて勉強させてくれた。
夜はタカさんとシステムについて話し合った。
タカさんはいつも忙しいから、そのとき必要なことを教わってあとは自主勉というパターンが多かった。
こんなに時間制限もなく、とりとめもなく思いつくままに話すことなんて初めてで、ものすごく楽しかった。
いつまでもパソコンの前から離れない俺達に「早く寝なさい!」と千明さんの雷が何度も落ちた。
ゴールデンウィークが終わってみんな学校に会社にと日常に戻る中、俺は学校に行かずパン教室と調べ事の日々を過ごしていた。
パン作りの腕前はそれなりになった。
粉をはじめとする材料のことも説明できるようになった。
材料の元になる素材についても栽培方法を説明できる程度にはなった。
必要な道具もそろえていった。
そうして白楽様の『異界』から戻ってから二週間。
ようやく修行に旅立つことになった。
白楽様の『異界』へは蒼真様だけでなく白露様もハルも同行してくれた。
が、白楽様達は白露様しか目に入っていなかった。
「おばあ様! よくお越しくださいました!」
「久しぶりね楽ちゃん。元気?」
「はい! 元気です! さあさあ! こちらに!」
「ありがと。ところで楽ちゃん。トモのことなんだけど」
「おばあ様! おばあ様! 最近はどのようにお過ごしでしたか? あとで検査させてください!」
「楽ちゃん? ちょっと落ち着きましょう?」
「はい! 落ち着いて話を伺います!」
「楽ちゃん?」
……………ダメだ。
ハルも呆然としている。こんなハルめずらしい。
最終的に白露様が実力行使で白楽様を叩き潰した。
威厳もクソもなく大きな白虎にのしかかられた小柄な老人は、それでもうれしそうにニコニコしていた。
本当に白露様が大好きらしい。
どうにか体裁を整えて、ようやく挨拶となった。
といっても壇上の白楽様はどっしり伏せた白露様に包まれるように座ってご満悦だ。威厳もクソもない。
そして前回側役と紹介された三人はそんな白楽様をうらやましそうにながめていた。
「このたびはこのトモの修行をお引き受けいただき、誠にありがとうございます」
ハルの挨拶に合わせて頭を下げる。
「ご存じのとおり、このトモは北の姫の『半身』です。
この者を鍛えることは姫様方の御為になることは間違いございません。
西の姫からもよろしくと言付かっております。
どうぞ、どうぞよろしくお願いいたします」
鷹揚にうなずく白楽様に「こちら、ほんの気持ちでございます」とハルが酒を差し出す。
側役がひとり寄ってきて受け取り、異常がないか確認してから白楽様に献上する。
「西の姫からもこちらを預かっております」
受け取ったその紙に手をかざしうなずいたことから、紙に西の姫の霊力が込められていたのだろう。
奉書にざっと目を通す白楽様。
「委細承知」
「ありがとうございます」
ハルとともに頭を下げる。
「それと、このトモからも修行の対価を用意してまいりました」
目で合図され、蒼真様にちらりと視線を送る。
蒼真様も白露様もうなずいたのを確認して「失礼します」とアイテムボックスから大きな白い紙を取り出して広げ、そこに次々とパンを出していく。
『なんだこれは』と言いたげな側役達に蒼真様が軽く告げる。
「これ、『向こう』の主食のひとつ。小麦粉から作る、パンだよ」
「「「!」」」
白楽様を先頭に興味津々の面々。
食パン、フランスパン、菓子パン。
アキさんと二人で作りまくったパンを並べていく。
一応綺麗に包装しているが、どうかな? 大丈夫かな?
「こちらはこの館をはじめお世話になる方々へ。
こちらは側役の皆様へ」
側役用は店で買ったパン。ギフト用に箱に入れてもらった。
「そしてこちらが白楽様へ。
最高級食パンと、賞を取ったパンです」
有名店の最高級食パン。
試食した蒼真様が大暴走して大変だった。
抑え役の白露様緋炎様まで大騒ぎしてエラいことになった逸品だ。
実際俺も驚いた。こんなに違うのかと。
白楽様の手に渡ったその食パンを、蒼真様も白露様もガン見している。
蒼真様。ヨダレでそうですよ。
おいしかったですもんね。また買ってもらってください。
守り役達の反応に側役達がウズウズしている。
白楽様はニコニコしている。
食パンに続けてメロンパンとクリームパンとアンパンも。
どれもナントカいう賞を取ったとかで、めちゃくちゃ美味かった。
甘いの苦手な俺でもそう思うくらいなので、蒼真様は当然暴走した。
「『向こう』は百五十年くらい前に外国の文化が一気に入ってきて、生活様式も食文化もものすごく変わったの。
楽ちゃん達もびっくりすると思うわ。
よかったら食べてみて!」
白露様にそこまで言われ、白楽様は食べてみる気になったようだ。
側役達がすぐさまあちこちに指示を飛ばし、お茶が出され、アンパンは食べやすいようにちいさくカットされた。
美しい菓子器に上品にのせられ、ようやく白楽様の手に渡った。
「では。いただきます」
「どうぞ!」
全員の注目の中、白楽様がアンパンを一切れ口に入れた。
もぐ。と噛み締めた、その瞬間!
カッ! と目を見開いた白楽様の霊力がドッと立ち上がった!
が、さすがそこは年の功か、すぐに収めた。
なんて霊力量だ!
暴走した蒼真様よりも多かったぞ!?
ダラダラと冷や汗をかいている俺の前で白楽様は上品に咀嚼し、差し出されたお茶をこれまた上品に飲み干した。
「白斗」
「ハッ」
白楽様はなにか考えを巡らせていたようだったが、再びカッと目を見開いた。
「すぐに各所の研究責任者を招集しろ!
それから大膳司を呼べ! これを食べさせろ!
材料はなんだ!? 農業関係に詳しいのは誰だったか!? 賀白!」
「すぐに連絡して参ります!」
「白杉! 智白の修行は後回しだ!
まずはこの食物の分析! 再現に向けて研究班を編成しろ!」
「ハハッ」
文字通り上を下への大騒ぎとなった。
あちこちからひとが来ては献上したパンを一口食べて大騒ぎする。
蒼真様が「トモに作り方覚えさせてきた」なんて余計なことをバラしたものだから文字通り締め上げられた。
そうして俺はあちこちに引き回され講習会を開き、パン釜を作り畑を作りパンを作った。
この『世界』には鶏も牛もいた。意外なことに現代にも通じるような研究施設も工房もあった。
霊力が現代の電気の代わりをしていて、霊力を込めた霊力石が電池の役割を果たしていた。
家電に相当するものがある程度そろっていた。
竹さん達のいた高間原から伝わった技術がそのまま生きているという。
それらを駆使してバターや生クリームを作り、パン作りに必要な材料を安定供給する仕組みを作った。
「他にもなにか知っているだろう」とあちこちで締め上げられた。
「数値を記録させろ」と採血され色々な検査をされた。
そんな俺に「まあがんばって」「テキトーに迎えに来るよ」と軽ーく声をかけただけで守り役達とハルは帰っていった。
そんなかんじで俺の『白楽様の高間原』での生活が始まった。
いつか強くなって竹さんのそばにいられるように。
何年かかっても。どれだけ過酷でも。
がんばる。
待ってて竹さん。
胸のお守りをぎゅっと握る。
ほんのりとあたたかい霊力が『がんばれ』と言ってくれているようだった。
「智白! こっちのこれはどういうことだ!」
「智白! この前話してた料理の件だが!」
「智白! 竈の霊力回路ひいたんだ! 見てくれ!」
「智白! 次はこの薬を飲め! なぁに大丈夫! 成分的には問題ないはずだ!」
「智白! 今度はこっちだ! 大丈夫! 死にそうになっても回復薬がある!」
………俺……本当に強くなれるんだろうか………。
ここまでが第一部です。
しばらくトモは修行に入ります。
トモ修行中の明日からはヒロ視点でこれまでのことをお送りします。