第五十六話 白楽様の世界の説明
「じゃあ行こう! すぐ行こう!」と急かす蒼真様を止めたのはオミさんだった。
「その修行はどのくらいの期間を想定されていますか?」
蒼真様は少し考えて、答えた。
「『向こう』では何年もかかると思う。でも十年はかからないんじゃないかな?『向こう』は霊力高いし。
でもぼくが連れて行って連れて帰るから、出入り口を調整して時間調整することはできる。
『向こう』で何年経っても『こっち』では数日、とか、できる」
「まあ! 蒼真様はすごいんですね!」
アキさんに褒められて蒼真様は「それほどでもあるよ!」なんてでれでれしている。
フム。となにか考えて、オミさんはハルに耳打ちした。
そのままスマホのスケジュール帳を見ながらぼそぼそと打ち合わせをするふたり。
やがて結論が出たらしい。
「蒼真様。我々におはなしを聞かせていただいたあとに修行を終えたトモを迎えに行くことはできますか?」
「うん。できるよー」
ハルの質問に蒼真様はサラリと答える。
「修行を終えて『こちら』に戻ったあと、調整は必要ですか?」
その指摘に守り役達は頭をひねった。
「どうだろ? 大丈夫じゃないかな?」
「あ。でも確かに、高霊力の土地に慣れてて『こっち』に戻ったら、多少調子が悪くなることがあるかも?」
「そっか。ぼくらは長くても二三日しか『向こう』にいないけど、年単位で滞在したあとだったら調整がいるか……」
やいやいと守り役達が検討した結果「数日は大人しくしておいたほうがいいかも」となった。
ハルがちらりとオミさんに目をやる。オミさんは黙ってうなずいた。
「トモ。提案なんだけど」
なにかと顔を向けると、オミさんはにっこりと微笑んだ。
「しばらく学校休んだらどう?」
「……というと?」
なにか考えがあるらしいと、とりあえず聞いてみる。
「今はたまたまゴールデンウイークだから修行に専念できるけど、その『白楽様の世界』に行って帰って調整して、てなるとゴールデンウイークちょっとすぎちゃうかもしれないだろ?
学校行くためにあわてて調整するよりも、おちついて時間をかけて調整してから学校行ったほうがいいんじゃないかと思うんだ」
……それは確かに。
ガキの頃の苦労が頭をよぎる。
高霊力をコントロールすることができなくて、学校に行くのがつらかった。
教室で席に座っているだけで拷問のようだった。
あれを、また。
そう考えただけでうんざりした。
「その白楽様に修行をつけてもらったら、どのくらい強くなれますか?
竹ちゃんのそばにいられるようになりますか?」
「!」
オミさんの質問に蒼真様は「きっとなるよ!」と請け負ってくれた!
「まあ、トモ次第じゃない?」
「少なくとも今よりは強くなると思うわ」
緋炎様と白露様は冷静にそう分析した。
竹さんのそばにいられる。
それなら、どんなつらい修行も耐える! 耐えてみせる!
やる気をみなぎらせる俺をちらりと見たオミさんは、何故か困ったように口の端を上げた。
「トモは竹ちゃんの『半身』なんだよね」
うなずく。
説明も論理だてもできないが、俺と竹さんは『半身』だ。それだけはなぜか『わかる』。
「じゃあ、トモを竹ちゃんのそばに置いておいたら、竹ちゃんは安定するんだよね?」
オミさんから向けられた質問にハルは「そのはずだ」とうなずく。
「それなら、修行から帰ってきてもしばらく学校行かずに安倍家の仕事してもらったらどうかな?
それこそ『竹ちゃんの護衛』とか『竹ちゃんのお世話』とか」
「―――!」
そ、そそそ、そんな!
そんなしあわせなこと、してもいいのか!?
バッとハルに顔を向けると、何故かハルは呆れ果てた顔をしていた。
ヒロを見るとこちらは苦笑を浮かべていた。
蒼真様を見ると興奮したように「いいね!」と言った!
「白楽のところで、あいつが認めるくらい強くなったら――そのくらいの強さを身につけられたなら、ぼくらと十分戦える!
それなら竹様の負担にもならない!
また一緒に暮らせる!」
『一緒に暮らす』!!
なんだそのしあわせな提案! うれしすぎて血管切れそうだ!
「がんばれよトモ!」と蒼真様に背中をバンバン叩かれる。
「はい!」とうなずく俺に、白露様と緋炎様は何故か呆然としていた。
「……まさかトモがこんなになるなんて……」
「……これが『半身』……おそろしいわね……」
なにをブツブツ言っているのだろう?
よくわからないが放置だ。
「じゃあトモはお父さんのところに行っていることにしよう。
短期留学って形でどう?」
「いいかも」
「お父さんと、洋さんには話をしておこうね。
学校側への手続きは僕やっておくよ」
オミさんが具体案を提案してくれる。
俺に異存はない。「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「その白楽様のところにお世話になるのに、なにか必要なものはありますか?
着替えとか日用品はアイテムボックスに入れて持参するとして、修行に必要なものとか、手土産とか、対価とか」
オミさんがそう確認すると、守り役達はそろって頭をひねった。
「どうだろ? なんかいる?」
「いかんせん狙って修行のために『白楽の高間原』に行ったことがあるひとなんていないからねえ…」
迷い込むひとはたまにいるが、そのまま定住したらしい。
迷い込んでもとの『世界』に戻ったひとはいないと。
……つまり俺も蒼真様に会わなければそうなるところだったんだな……
改めて冷や汗が出る。
「なんの対価もなしにトモを受け入れてもらうわけにはいかないだろう。修行をつけてもらうのだから。
そうだなあ……。酒はどうです?」
ハルが守り役達にたずねる。
神々になにかご挨拶やお願いに伺うときには酒を持参するのが基本らしい。
ハルの提案に蒼真様がハッとした。
「酒もいいけど、パンがいい!」
「パン?」
なんで? と一同が首をかしげる。俺も首をかしげた。
「さっきこいつを連れて『向こう』歩いてるときに色んなひとから声かけられてさ。
ホラ。『向こう』のひとにとっては『こっち』の人間なんて珍しいじゃない? 質問攻めにしたんだよ。
で『主食は?』って聞いたときにこいつが『米とパン』って答えて。
『パンってなに?』って聞かれたけど、うまく説明できなかったんだよ。
『向こう』はぼくらが『落ちて』から三千年ってとこ?
だから、まだ機械化は進んでないし、こっちと食文化も違う。
パンなんて見たことも聞いたことも食べたこともないから、めずらしいもの好きの白楽は絶対喜ぶよ!」
「それは確かに!」
「いいわね! いろんな種類のパンを広げたら、楽ちゃんパニックになっちゃうかも!」
きゃっきゃと楽しそうな守り役達。
だがちょっと待ってほしい。
「ちょっといいですか?」
聞き捨てならない言葉があったぞ?
「『白楽様の高間原』は『こっち』と時間の流れが違うのですか?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてませんよ」
俺のツッコミに「そう?」と軽い蒼真様。
そしてハルも知らなかったらしい。
嘘くさい笑顔を張り付けたまま固まっている。めずらしい。
「ええと、最初の千年くらいは同じ時間の流れだったんだよね」
蒼真様が白露様緋炎様に同意を求める。
「そうそう」とふたりも思い出しながら話してくれた。
「楽ちゃんがやらかして歳をとりにくくなったのが――四十代後半? 五十代はじめくらい?」
「そのくらいだったわね」
白露様の確認に緋炎様がうなずく。
「それで、自分の経過観察をしながらそれぞれの研究をしたり手狭になった『世界』を広げたりってしてたんだけど。
どうも観測の結果、楽ちゃんは千年で十歳歳をとるみたいなの」
血中酸素濃度や筋肉量やいろいろ調べ、当時の一般人の平均値と照らし合わせた結果、やはり白楽様の身体は年齢を重ねた状態――悪く言えば老化した状態になっていた。
千年で十歳なら十分『不老不死』といえそうだけどな。
「それがわかってしばらくして、さっき言った『能力者排斥運動』みたいなのが『こっち』で起こって。
『楽ちゃんの世界』にだいぶ逃がしたの。
一気にひとが増えた『楽ちゃんの世界』を維持するのが楽ちゃんも大変になって、どうしようって話になったの」
手狭になったからとまた広げたらしい。
そうして今のサイズの『世界』になったと。
「で、楽ちゃんのそばにいた子達が『白楽様おひとりに負担をかけるのは申し訳ない』って言って、あの『世界』に住むひとの霊力を取り込んで『世界』を維持する陣を開発したの」
……簡単に言うなあ。
研究者ばかりだからか天才がいたからか、とにかく新規の陣の開発と展開が成功したらしい。
「そのときに楽ちゃんが『ついでだから』って言って『楽ちゃんの世界』と『こっちの世界』の時間の流れを変えるように陣をいじったの。
あの時点で楽ちゃんは六十歳を超えていた。
『少しでも私達を助けられるように』って、『こっちの世界』の半分の時間になるようにしたの」
きっと白楽様は白露様が大好きなんだ。
文字通り不老不死のこの守り役達がさみしくないように、少しでも共に寄り添えるように、そんなことを考えついたに違いない。
どうやらはちゃめちゃな研究者の内側は、祖母想いのやさしいひとのようだ。
「だから『こっち』では最初の国の崩壊から四千年が経っているけれど、『楽ちゃんの世界』では二千年てところなの」
「つまり、私達が『落ちて』から三千年ね」
「……時間のスケールが大きすぎて、ついていくのが大変……」
アキさんがボソリとつぶやいた。
白露様はさらに説明を続けた。
「こっちの時間で今から百年? 二百年? そのくらい前から、楽ちゃん、ときどき休眠するようになったのよ。
楽ちゃんの身体ももう八十代相当になっちゃって、さすがにいつ死ぬかわからないからって。
『少しでも長くこの「世界」を支えられるように』『少しでも長く私達と会えるように』って、自分に時間停止をかけて休眠してるの」
そこまでして白露様を支えようとしているのがわかった。
白露様も守り役達もきっと気付いている。
気付いていて、気付いていないふりをしている。
お互いを思いやる白楽様と守り役達に、なんだかほんわかした気持ちが広がっていく。
「だから最近ではたまに会いに行っても寝ているときもあるのよ。
それなのに、よく起きてるタイミングで行ったわねトモ。
やっぱり竹様の守護石はすごいわね……」
感心したような白露様。
緋炎様も蒼真様もうんうんとうなずいている。
やっぱりすごい石なんじゃないかコレ。
パンの、それもたったちょっぴりのパンの対価でもらっていいものじゃないだろう!?
内心であせっていたら、オミさんが守り役達に質問をした。
「もしかして竹ちゃんが『黒陽様とふたりでフラフラ』していたときに寝起きしていた『異界』って、そこですか?」
オミさんの指摘に守り役達は「それはまた別じゃない?」と答えていた。
「寝起きするくらいならちいさな『異界』を展開すればいいから、自分達で作ってるんじゃない?
ただ、ときどき遊びに行ってるらしいわよ。
私もたまに行くけど」
緋炎様の説明に蒼真様も話をはじめた。
「ぼくも『白楽の高間原』に薬草園作らせてもらっててさ。
ときどき採取や手入れに行ってる。
まあ基本は『向こう』の子達が世話してくれてるから、『向こう』の薬草園は楽なんだよねー」
「私もたまに行くわ」と白露様も笑う。
異界にまで顔を出してるのかこの虎。忙しそうだな。
そんな話をしていたら「そういえば」と蒼真様がなにかに気付いた。
「白楽が言ってたんだけど、トモ、黒陽さんから『なにか受けてる』らしいんだけど。
晴明、なんか知ってる?」
問われたハルは『はて?』と顎に手を当てていたが、すぐになにか思い当たったらしい。
「――あれじゃないですか?
『姫宮に触れるための承認』」
「ああ」
「あれね」
保護者達もヒロも『承認』されたらしい。
そうでなければ竹さんが『触れよう』『触れられてもいい』と思わない限りは弾かれるそうだ。
自衛のために、そういう結界を竹さんは常に身にまとっているそうだ。知らなかった。
守り役達も竹さんのその結界の話は知っていたらしい。
「あー。あれね」「なるほどね」とうなずいている。
俺はそんなもの受けた覚えないぞ?
「『智明』のときに『承認』したとおっしゃっていた。
転生しても『承認』は生きているらしいぞ。
『青羽』も『承認』が生きていた」
なるほど。と納得する俺の前で蒼真様がなにやらブツブツつぶやきながら考えに沈んでいる。
「……そっか……。黒陽さんの『承認』か……。てことは、黒の人間じゃなくても……できる……?
しかも『境界無効』持ち……なら……も……」
その目が今までと違う。
そう、まるで、研究者のような――。
と、蒼真様がパッと顔を上げた。
ジッと俺を見つめるその目。
不穏な空気を感じて思わず引いてしまう。
「――いやいやいや。いくらなんでも。ウン。ムリムリ」
アハハッと笑った蒼真様だったが、すぐに真顔に戻った。
「――ムリ――? いや、もしかしたら――?」
じいいっと見つめるその目は知ってるぞ!
さっきも見た、解剖するカエルを見ていた理科教師と同じ目だ!
「なにたくらんでるの蒼真」
緋炎様にツッコミを入れられ、蒼真様はただ「んー」とうなった。
「できそうな気もするし、姫が覚醒しないとムリな気もするし……。
でも姫が覚醒する前に確認しといたほうが……」
「蒼真」
緋炎様に強く呼ばれ、蒼真様はようやくハッとこちら側に戻ってきた。
「なに? 薬の話?」
緋炎様の問いかけに「そう」と素直に答える蒼真様。
「ちょっと精製が難しい薬草があるんだけどね。
もしかしたらこいつが強くなったらイケるんじゃないかなぁ……って……」
だからその目はやめてくれ!
本能的に身の毛がよだつ!
「私やウチの姫じゃダメなの?」
再びの問いかけに蒼真様はようやく俺から目を離してくれた。
「蘭様も緋炎さんも火属性だから。
理想は水属性なんだよ」
「トモは金属性じゃない」
「金は錬成に長けてるからまだ大丈夫」
「黒陽さんじゃダメなの?」
「剣が振れないとダメなんだ」
「あー……」
なにかはわからないが、緋炎様にはそれで伝わったらしい。
「剣のあてはあるの?」
「これがあるんだー」
「………もしかして………」
フフン。とドヤ顔の蒼真様に対し、緋炎様は苦虫を潰したような顔になった。
そんなふたりが同時に俺のほうを向いた!
「トモ! 修行がんばれ!
がんばって、強くなれよ! ぼくらより強くなれ!」
「トモ? 蒼真がなにか言ってきたらひとまず答えを保留するのよ?
特に『どこかに行こう』なんて誘いは簡単に乗ってはダメ!
必ず私に報告相談するのよ! いいわね!?」
右手を蒼真様につかまれ、左手の上に緋炎様に乗られて迫られた。
わけがわからない。なんの話だ。
わからないが「はい」とだけ答えておいた。




