第五十五話 蒼真様の説明
うんうん唸りながら頭を抱えて丸くなっている白虎。
気の毒になったらしく「お茶を煎れてくるわ」とアキさんが席を立った。
「それにしても」ヒロがノートパソコンの画面をスクロールしながらつぶやく。
「またとんでもない話が出てきたよねぇ」
スクロールしながら文章を微調整していくヒロ。おそらく最終的には報告書に仕上げるのだろう。
何の気なしにその文章をながめていて、ふと気が付いた。
「この『蒼真様の一族が異世界に転移できる』というのは、本当ですか?
蒼真様も異世界に行けるんですか?」
「行けるよ」
けろっと答える龍だが、俺もヒロも驚きを隠せない!
「本当に異世界なんてあるんだ!」
「あるから『落人』がきたり『神隠し』が起こったりするんだろうが」
「何をいまさら」とハルは呆れた様子を隠さないが、ヒロはそれでも興奮を隠すことなく反論した。
「そうはいっても、実際ぼくが見たわけじゃないもん。
こうやって『行ける』って言うひとがいるんなら、本当にあるんだって改めて思うよね」
ヒロの言葉に俺もうなずくことで同意する。
いくら竹さん達が『異世界から来た』と言われても、実際その『世界』を見ることも感じることもできない俺にとっては、想像上の世界と変わりない。
だが実際『行ったことがある』というひとを前にすると一気に現実味が迫ってくるようだった。
「――蒼真様は、他にどんな世界をご存じですか?」
オミさんの声にヒロが表情を引き締めてキーボードに手を添える。
オミさんは『霊力なし』なので、守り役達が見えないし話が聞こえない。
だからその言葉を伝えるべく、一言一句逃さないように入力しようとしていた。
オミさんの質問に蒼真様は申し訳なさそうに眉を下げた。
「……実は、ぼくが行けるのは、ぼくたちが住んでいた『世界』だけなんだ」
「というと――『高間原』!?」
「滅びたのではなかったのですか!?」
この話はハルも知らなかったらしい。驚きを隠すことなく蒼真様に迫った。
「滅びたよ。魔の森にのまれて、瘴気だらけの『世界』になった。
とてもヒトは住めない」
「じゃあなんで」
なんで『高間原』に行ったのか。
そんな思いの込められたヒロの言葉に、蒼真様は「それがね」と説明をしてくれた。
「ウチの姫は優秀な治癒師なんだけど、そこに至るまでには当然たくさん研究や研鑽を重ねててね」
うんうんとうなずく俺達に蒼真様は続ける。
「特に薬の材料になる薬草栽培に関しては、そりゃあうるさかったんだ。
細かく条件を変えて生育状況や効能の違いがでるか比較検証したり。
限定地域にしか生育していなかった植物を持ち帰って栽培できるようにできないか研究したり。
で、その姫が特に大切にしていた、姫の研究の集大成といえる温室が青藍にあったんだ」
つまり東の姫も研究者だと。
なんか研究者の話ばかり聞いている気がする。
「さっき白露さんは『魔の森を支えていた結界が崩れて魔物があふれた』って話してたけど、それに至るまでにもいろいろあったんだって」
そうして蒼真様は姫と守り役がこの『世界』に『落ちて』からの話を補足してくれた。
「自分の娘とその守り役を奪われた四方の国の王は、軍勢を率いて黄珀に向かったんだ。
単に恨みを晴らしに行ったんじゃないよ?
『災禍』を滅したら『世界の崩壊』を防ぐことにつながる可能性があったから。
『災禍』が黄珀にいるのは間違いない。
それで、黄珀に向かったんだ」
「なるほど」とうなずきながらもヒロの指は素早く動く。
俺もうなずき話を聞く。
「出陣前、魔の森の結界はまだ保っていた。
それでも念のためにって森との境界に『要』となるものを設置した。
それで基本大丈夫なはずだった」
「まあ、結果はダメだったんだけどね」と蒼真様はサラリとつぶやく。
「で、黄珀に向かう直前。
誰かが気が付いたんだって。
万が一、億が一。『災禍』を滅して『世界の崩壊』を防ぐことができたら。
明日も明後日も昨日と同じ日々が来るとしたら。
『姫の温室』が傷ついていたら、姫は怒り狂うんじゃないか――って」
その時には姫にかけられた『呪い』の情報は王に届けられていた。
東の姫が転生してくることはわかっていた。
「ウチの姫、容赦ないから。
王を筆頭に、誰もがボロクソに罵られてけちょんけちょんに痛めつけられるってゾッとしたって」
それはどんな姫だ。
本当に『姫』なのか?
「だから、姫の温室の周りを取り囲むように結界陣を展開してから出陣したんだって。
王を先頭に国のトップクラスのひと達が、それこそ必死に霊力込めたらしいから。かなり強力な陣になってて、魔の森の侵攻を防げたみたい」
……国のトップクラスがそこまで恐れる姫……。
ツッコミが言葉になる前に蒼真様の話が続いた。
「ぼくが最初に『高間原』に――青藍の温室に『転移』したのは、この『世界』に『落ちて』から十年経ったときだった。
たまたまあの温室のこと考えてたら『ポン』って行けたんだ」
………そんな簡単に。
なんでも『界渡り』ができる人間にとっては『転移』と変わらないという。
強く思い描いた場所に瞬時に移動する技『転移』。
その移動範囲が広い人間がすなわち『界渡り』をする、と。
そんなもんか?
俺は転移もできないからわからないが、転移のできるハルは苦虫を潰したような顔をしている。
「で、それから温室を管理するためにちょくちょく帰ってる。
だから『高間原』には行けるけど、他の『世界』は行ったことないから知らない」
「なるほど」とパソコンをのぞいていたオミさんがうなずいた。
「現在の『高間原』はどうなっているのですか?」
オミさんからのこの質問にも蒼真様はあっさりと答えた。
「真っ黒だよ」
「『真っ黒』?」
「うん。
温室の周りの結界の中は普通に動けるんだけど、結界の外側はもう真っ黒。なんにも見えない。一歩も出られない。
一回だけ守り役みんなで行ってみてね。調査したことがあるよ」
「そうなのよ」と緋炎様が話を引き継ぐ。
「白露の風と私の炎を混ぜて鳥を作ってね。
それでも結界を出た途端ちいさなちいさな姿しか保てなかった。
でも四方の国の王が魔の森の侵攻を少しでも遅らせようと置いた『要』がまだ生きていてね。
その『要』と『要』をつなぐ線の上だけはなんとか動けたから、ぐるっと一周したの。
もう、どこもかしこも真っ暗闇。
生き物がいるのかどうかもわからなかった」
どんな『世界』なのか想像もつかなくて黙っていた。
「まっくらやみ……」ボソリとヒロがつぶやいた。
「そういえば」
アキさんに点ててもらった抹茶を飲んでいた白露様がようやく復活してきた。
「蒼真と黒陽さんはあのとき結界から出たわよね?」
その言葉に、ポン。と手を打つ蒼真様。
「そうそう。あれはキッツかったよねー。
結界を展開した黒陽さんを乗せた状態で出られるか実験してみたけど、なんていうの? ねばっこい? 息苦しい? どっちにしても、ぼくも黒陽さんも『もう無理!』ってすぐに音を上げて戻ったよね」
「アハハー」なんて軽く言っているが、それ、すごく危険なことじゃないか!? 無茶するなこの龍!
「じゃあもう本当に『高間原』にはヒトは住めないし、行ってもその温室以外出ることはできないんですね……。
それは竹ちゃんもつらいだろうな……」
ぽそりと落ちたオミさんの言葉に、蒼真様も俺達も目を伏せた。
「……竹ちゃんはそのことを知っているのですか?」
アキさんの質問に守り役達は顔を見合わせた。
「私は言ってない。姫と女王には報告したけど」
「私も竹様には言ってない。蒼真は?」
「言わないよ。言うわけないじゃない」
「……黒陽さんも絶対に言わないわよね……」
総括すると『多分知らない』らしい。
西の姫と東の姫は知っていると。
南の姫は?
「ウチの姫はそういう済んだことや細かいことは気にしない性質だから」
聞かれていないから報告していないと。だから知らないと。なるほど。
「……蒼真様のお知り合いに、違う『世界』に行った方はおられたのですか?
もしかして、お話を聞く機会なんてありました?」
……オミさん?
やけに『異世界』を気にするオミさんにひっかかりを覚える。
が、蒼真様の声に思考を止められた。
「うん。色々聞いたことあるし、おはなしにもなってるよ」
「ええー! 素敵! ほかにどんな『世界』があるんですか!?」
楽しそうなアキさんに「ええとねえ……」と話をはじめようとした蒼真様。
それを止めたのはアキさんだった。
「待ってください蒼真様。
またあとでゆっくりと聞かせてください。
トモくんを白楽様のところに連れて行かないといけないんですよね?」
「そうだった」
はっとする蒼真様に、アキさんはにっこりと微笑んだ。
「せっかくの貴重なおはなしをお伺いするのですもの。ちぃちゃんにもタカさんにも聞かせたいわ。
それにお茶もお茶菓子も用意しないと」
「お菓子!?」
途端に蒼真様がピン! とその長い身体を伸ばす。
「ええ。楽しいおはなし、めずらしいおはなしには必要でしょう?」
「うん!」
大きくうなずいた蒼真様は「わあい! わあい!」と喜びの舞を舞い始めた。
「………申し訳ありません白露様緋炎様。
話を伺うときに同席していただけますでしょうか……」
「もちろんよ!」
「仕方ないわね! 蒼真を抑えられるのは私達だけですもんね!」
ハルの要請に食いしん坊の白虎とオカメインコがウキウキしている。
この調子だといくらでも話を続けるなこの守り役達。
俺を送るのを優先してくれたアキさんの英断に感謝を送っておく。