【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』25
ふうぅ、と深く息をつき、伊佐治は瞼を閉じた。
うつむく姿はなにかに祈るように見え、なにも声をかけられなかった。
伊佐治がこんな壮絶ともいえる過去を持っているなんて思いもよらなかった。伊佐治はいつも大らかで陽気で豪快で、寄りかかってももたれかかってもどっしり受け止めてくれる器の大きな男。俺にとっては絶対的な味方。その伊佐治がこんなものを背負っていたなんて。
誰一人なにも言えないうちに伊佐治は瞼を開き、またひとつ息を吐いた。
「―――つまんねえ話聞かせちまったな」
困ったように嗤う伊佐治にマコとリディが大きく首を振る。そんなふたりにちいさく笑い、伊佐治はコップを手にした。
口を潤しコップを置き、伊佐治はゆっくりと話し出した。
「清秀――ヒデのじーさんはすごい男でな」
突然変わった話に全員が再び耳を傾ける。
「サト――ヒデの母親は子供の頃『呪い』を受けて『二十歳まで生きられない』身体になっちまったんだ」
「清秀はどうにかサトを救おうと、手当たり次第に術式やら『呪い』やらの研究をしたんだと」
「それで異世界の『呪い』でも、サトとふたりである程度の解呪に成功した」
なるほどとうなずく俺達に構わず伊佐治は話を続けた。
「俺が『落ちた』とき、サトは二十歳越えていて『呪い』もなくなってた」
「サトに『呪い』をかけた妖魔を玄治が討伐して、サトは救われたんだと」
「玄治がサトを救えたのは『とある偉いひと』が手助けしてくれたからだった」
「その『偉いひと』に、手助けしてくれた『対価』として『困っているものがいれば必ず助ける』と『誓約』したんだと」
「だから俺の『隷属印』も無償で解呪してくれたし、その後行き場のない俺の面倒も見てくれた」
「言葉も文字も生活習慣も常識も教えてもらった。『人間の世界』で生きられるように」
「そのときに清秀から教わったのが『人化の術』と『隠行の術』。――サトの姿を変えたり隠したりして『呪い』から逃れられないかと研究したらしい」
「すごいよな」伊佐治が笑う。
「で、人間のフリしたり人間から見えないようにしながらサトの家に厄介になってたんだ」
「玄治がまだ大学に入ったばかりの頃で『婿入りしてからの打ち合いの相手が欲しい』『退魔師の玄治と一緒に戦ってくれると助かる』って言われてな。
そんなの建前だってわかってたが、まあこっちも行くとこなかったし。軽い気持ちで受けたんだ」
「そしたら玄治のやつ、めちゃくちゃ強くて。こっちは実戦くぐってきた元将軍だってのにいい勝負してくるんだ。楽しくってな。ついつい熱が入っちまって、何度もサトに叱られた」
「あの頃の玄治は『自分は強い』ってわかってたから、なんでもひとりでやっちまおうとしてたんだ」
「まあ『若いから』もあったが」
「『北の黒鬼』て言われてたくらい無茶な戦いもしょっちゅうで。『あぁこりゃサトが心配するわ』って、ついて行って一緒に戦った時には戦い方の指導したりしてた」
「その間にもふたりはあちこちの困りごとに首を突っ込んでは人助けして。寺はどんどん行き場のないヤツらが増えていって。妖怪寺になっていった」
心当たりがあるらしいウチの連中が「あー」と遠くに目を遣る。それより俺は親父が『無茶な戦いをしていた』という話が信じられなかった。親父はいつも余裕しゃくしゃくで泰然としていたのに。そうか。伊佐治の指導のおかげだったのか。無事帰還したら詳しく聞いてやらないといけないな。
「玄治が大学卒業してすぐサトと玄治が結婚して。すぐにヒデを身籠った」
「ヒデはサトの腹にいるときから高霊力保持者で。サトがどんどん体調崩すもんだから玄治が取り乱して大変だった」
「どうにか無事にヒデが産まれて。そこからは毎日が戦争だったよ」
そう言いながらやさしい眼差しを俺に向ける。
「とにかく手がかかる赤ん坊だったから。俺達が付きっきりで見守ってた」
「な」とウチの連中に目を向ける伊佐治。ウンウンと深く深くうなずくウチの連中。申し訳ないやらムカつくやらでムッとする俺に伊佐治はいつものようにニンマリ笑った。
隣に座る俺の頭をわしわしと撫で、困ったような表情で話し出した。
「―――俺はさ。さっき話したとおり『普通の家族』てのを知らないから。ヒデの護衛だけするつもりだったんだよ」
沈んだ調子へと変わった声に、ただじっと伊佐治を見つめた。
「子供の扱いなんて知らない。そもそも『愛情』を知らない。ずっと戦場暮らしで『平穏な家庭』なんて知らない。そんな俺が、あの子達を死なせた俺が『子供を育てる』なんてできるわけがないと思ってた」
「けど、おまえはとにかく突拍子もない赤ん坊で突拍子もない幼児だったから。なにをしてがすかわからなくて始終くっついてないといけなかった」
ウンウンうなずくウチの連中。そんな記憶にないこと言われても知るかよ。
「けど、だからだろうな。振り回されてヘトヘトにさせられて、毎日毎日一喜一憂させられて。――気がついたら、可愛くて仕方なくなってた」
「『愛情』てのはこういうもんなんだと、俺でも感じられたんだ」
「一緒に毎日過ごすうちに、生まれ変わったようだと思うようになった」
「おまえを通して新しい『生』を生き直してると思えた」
「毎日新しい発見をして。毎日新しい疑問を見つけて。普通の子供では思いつかないようなことを思いついて。気になることはとことん調べて。
そんなおまえと一緒に過ごしていると、昔いた『世界』のことが遠い夢のように思えるようになった」
「おまえはどんどん成長していった。どんどん賢くなった。どんどん強くなった。そんなおまえと過ごす毎日が楽しくてな。この『世界』に来てよかったって思ったんだ」
「『しあわせだ』って」
「『ヒデのおかげで救われた』って」
「そう、思ったんだ」
静かな、静かな言葉に。笑顔に。
なにも、言葉が出なかった。
伊佐治はそっと目を伏せ、ひとつ息を吐いた。
「ガラにもねぇこと言っちまったな」そう言いながら頭を掻いた。
手元のコップを持ち上げゴクリと中身を飲み、そうしてまた話し出した。
「おまえが渡米するってときに、誰がついていくか、結構揉めたんだよ。みんなおまえが大好きだったから」
「単身異国に行くのも心配だったが、『おまえと離れたくない』ってみんな思ってた」
「『全員でついていくか!』って言ってたら今度は『サトと玄治と離れたくない』って言い出すヤツが出てきて。で、話し合いの結果俺達五人がヒデについて行くことになった」
「そのときにサトが気付いたんだよ。俺達の外見が二十年変わってないことに」
淡々と伊佐治が説明していくのを全員がじっと聞いた。
「麻比古達は『長命な種族』ってわかってた。本人達から二十年くらい変化がないのは『普通』って言われてた。定兼達付喪神は器物だから好きに姿を変えられる。じゃあ俺は? て聞かれて、はじめて疑問を持ったんだ」
「その頃はまだ清秀が生きてたから。サトと三人でああだこうだ話をして、ふたつの可能性が出た」
「ひとつは『落ちた』影響」
「『落ちる』と言っているが、要は『世界』を越えての移動だ」
「『世界』と一口で言っても色々あるらしい。他次元の『世界』。同次元の離れた場所。少しズレた『世界』。それこそ人間に知覚できるものではない。いわば『神の領域』だ」
「そんな『神の領域』の事象の影響を受け、身体が作り変えられた可能性があると」
「もうひとつは『呪い』の変質」
「俺にかけられていた『隷属印』を清秀とサトが解呪してくれたわけだが、なんせ違う言語と系統の術で造られた『呪』なわけで、消しきれていない可能性があることは最初に言われていたんだ」
「その残った『隷属印』が悪さをしている、もしくは『清秀とサトが解呪したつもりで違う呪いを上書きした』可能性がある、と」
―――説明されれば納得しかない。
どちらも証明することはできない。だからこそ祖父や母をもってしても『可能性』しか示せなかったのだろう。
「まああくまでも可能性だけの話だ」伊佐治もあっさりと言う。
「外見だけが変わらず年齢は刻んでいるのか。年齢も止まっているのか。それも『わからない』」
「髪や爪は伸びてるし、折られたツノや牙だって早い段階で生えてきたし、消化も排泄もしてるから、身体機能として細胞分裂やらなんやらは行われてるみたいなんだがな」
「老化現象だけに不具合が起きてんのか、『生命の器』に不具合が起きてんのか、何らかの理由で時間停止がかかってんのか。可能性だけは色々考えられるが、実際どうなのかを調べる方法は今のところない」
「だからまあ、なるように任せるしかないと思ってる」
自分のことなのにどこか他人事みたいな顔で伊佐治は言った。
「ある日突然ポックリ逝くかもしれない。突然ジジイになるかもしれない。もしかしたら何百年何千年このままかもしれない」
腕を組み指を一本ずつ立てながら可能性を挙げる伊佐治に「確かに」と納得の声がちいさくあがる。
そんな中、伊佐治はやさしい笑みを俺に向け、言った。
「少なくともこの年齢までおまえのそばにいられた」
「それだけでもありがたいことだと思ってるよ」
慈愛に満ちた笑みに、どう返していいのかわからずムスッとする俺に伊佐治は笑い、そうしてまたそっと目を伏せた。
「―――俺はあのとき死ぬはずだった」
「運良く生き延びられたとしてもロクな人生じゃなかっただろう」
「戦乱の中で利用されるだけ利用されて使い捨てられただろうよ」
俺達がなにか言うより早く、伊佐治は顔を上げた。
「それが『落ちた』おかげで面白おかしく過ごせた」
「うまいもの食って。うまい酒も飲んで。知らない場所も色々行って。映画や漫画や面白いものも色々見れた」
「これからどうなるかはわからないが」
「まあ俺の生命あるかぎりはおまえのそばにいたいと思ってるよ」
いつものようにニンマリと笑う。そんな伊佐治に何故か安心感を抱き、ただ黙ってうなずいた。
「今の俺にとって、おまえが居場所だ」
いつものようにでっかい手でわしわしと俺の頭を撫でる伊佐治。されるがままになっていたら伊佐治が続けた。
「おまえときたら、夫になっても父親になっても相変わらず頼りないからな」
「俺がついてないと」
「そうだよね」マコが笑みを浮かべ口をはさんだ。
「伊佐治さんがいてくれないと、ヒデさんさみしくて泣いちゃうよ」
「ヒデは伊佐治に甘えきってるからな」定兼まで余計なことを言う。
「だよな」ニンマリ笑い、伊佐治が俺の頭をさらにわしわしと撫でる。
「まあ、心配すんな」
「俺はそばにいるから」
「おまえはおまえのまんま、やりたいことに突き進めよ」
「―――おまえが苦しくないなら、いいんだ」
つい拗ねたような言い方になった。そんな俺に伊佐治は目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとよ」
「……………別に」
フンとそっぽを向く俺に伊佐治は笑った。いつものように「ガハハ」と大きな口で。
「おまえももう少ししたらわかるよ」
「トモと一緒に過ごしてみな。『生き直してる』って思うぜ」
そう言って伊佐治はやさしい表情をカゴに向けた。
カゴの中ではトモがスヤスヤと眠っている。
トモは規則正しく早寝早起き。早い時間に寝かしつけたら大抵は朝まで起きない。とはいえ乳幼児にはなにが起こるかわからない。念の為にと毎晩のミーティング時にはカゴに寝かせそばに置いている。
トモに向けた目に陰りはない。ただ大らかで穏やかな、いつもの伊佐治の目。
伊佐治の言葉を信じるならば、伊佐治は俺を通じて『生き直した』ってことなんだろう。『しあわせ』だということなんだろう。それに安心して、軽口に応じた。
「大変しかないぞ?」
本気で返したのに伊佐治は笑う。
「まだ一歳にもなってないじゃないか」「これからだよ」
他の連中も楽しそうにうなずいている。思わずマコと顔を見合わせてしまった。
俺とマコの表情にまた大口で笑う伊佐治。頬杖をつき、楽しそうに言った。
「俺達もトモと一緒に、また『生き直し』させてもらうさ」
「な」とウチの連中に話を振る伊佐治。応えて連中が好き勝手口を開く。
「子育ては面白いぞ」「まったく知らない世界の扉が開くんだ」
「まさかアメリカに行くことになるとは思わなかったよな」
「英語ペラペラになるなんてね」
それもそうかと納得しているとウチの連中はさらに言う。
「トモはどんな扉を開くかな」
「楽しみだな」
確かに。
何に興味を持つか、どんなことをしたがるか、それはトモ次第。俺達は扉を開くトモを後ろから見守り支えればいい。俺がしてもらったように。
連中の話に納得している間にも話は続く。
「いつまでここにいるかにもよるけどな」
「ここはここで面白いがな」
「だな。『むこう』ではできない経験ができてる」
確かに。井戸作ったり獣狩って解体なんて『むこう』で普通に暮らしてたらできない。
「けど、いつかは『むこう』に帰るだろ」「帰ったときに玄治とサトに怒られないようにトモを鍛えないとな」
「いやいや。それはまだ先でもいいじゃないか」「今はしっかり甘やかしてやろう」
伊佐治の言葉に「それもそうだな」と麻比古も笑う。
「マコはトモとやりたいこといっぱいあるんだものね」「ひとつのこらずやってあげましょうね」
暁月の言葉にマコがうなずく。と、暁月が俺をにらみつけてきた。
「ヒデも協力するのよ」「父親なんだから」
「はい」と大人しく答えれば暁月は満足そうにうなずいた。
「もちろん私達も協力するわ」「ね。伊佐治」
「おう」
笑う伊佐治。他の三人もうなずいている。
「リディも協力してね」
これで解散。そんな雰囲気になったが。
「―――あの」
意を決したような表情で、リディが伊佐治を見つめていた。
「―――私の話も、聞いてもらえますか」
◇ ◇ ◇
「ずっと、憧れてたひとが、いるんです」
俺達の承諾を受けたリディはそう話をはじめた。
「私は王女として生まれました」
「姉、兄、私、弟の四人きょうだいです」
「姉も兄も弟も王族に相応しい素晴らしいひと達です」
「対する私は取り立てて優れたところもなく、ただ言われるがままに学ぶしかない人間でした」
「どれだけ努力しても姉や兄には到底足らず、弟にも追い越され、未熟と稚拙を呆れられてばかりでした」
「そんな私があきらめず努力できたのは、とあるかたのおかげなのです」
「幼い頃そのかたのお話を読んでから、そのかたはずっと私の支えでした」
「そのかたの存在があったから私は今の私になれたのです」
リディはじっと伊佐治を見つめていた。どこか熱を感じる視線に『もしや』と察するものがあった。
「―――今から約三百年前。戦乱の時代。各国が覇権を争う、下剋上と群雄割拠の時代でした」
「多くの武将が歴史に名を残しました。その中のおひとり、ティンの将軍が、幼い私の支えとなりました」
「幼い頃から下働きとして戦場で働いていた少年。どんな仕事も文句ひとつ言わず嫌な顔ひとつせず真面目に取り組んでいた。そんな少年だから徐々に周囲にかわいがられ引き立てられていきました」
「戦場に出るようになればその剛力と度胸で次々と敵をなぎ倒し、勇猛さはすぐに知られるようになりました」
「その戦いぶりもすごく素敵なのです! ―――が、それは置いておきまして――」
熱くなってきた語りに自ら気付いたリディは呼吸を整え直し、再び語り始めた。
「――将軍は慈愛に満ちた方だったそうです」
「戦乱で焼け出された者達や親を失った子供達へ、自らの資金で支援をしました」
「時には共に畑を耕し、時には有用な知恵を与えました」
「『子は宝』だと、『希望』だと言い、孤児院を作り教育を施しました」
「『どんな生まれでも関係ない。真面目に生きていれば、きっといつかいいことがある』『誰が見てくれなくとも、お天道様とお月様と自分自身がいつも見ている』――その言葉に、私は支えられたのです」
―――それ―――!
幼い頃しょっちゅう聞いていたフレーズに、思わず息を飲んだ。他の連中も同じようで、全員が伊佐治に目を向けていた。
「下働きの少年が努力を重ね将軍となり、たくさんのひとに愛された。その事実が、幼い私をはげましてくれました」
「『ちいさな子供でも努力はできる』と。『努力はいつかむくわれる』と。幼い私に信じさせてくれました」
リディの目には確信が宿っている。目の前の男がその人物だと。
「―――いつかお会いできたら、お礼を申し上げたかったのです」
「そんなこと、実際にはできないとわかっていましたが。それでも、伝えたかったのです」
熱い、熱い眼差しを伊佐治に向け、リディは告げた。
「あなたのおかげで、私はがんばれました」
「あなたがいてくれたから、私はくじけず生きてこれました」
「ありがとうございます」
「いつも心のなかで感謝を伝えていましたが、まさかご本人にお伝えできるなんて―――本当に、『世の中なにが起こるかわからない』ですね」
頬を染めふわりとやわらかく微笑み、リディは立ち上がった。表情をキリリと引き締め王族に相応しい雰囲気をまとい、右の手のひらを左胸に当て伊佐治に向け一礼した。
「ナイトランジェンの王クリプタンスと王妃ヒーリアンムの第三子、第二王女リディアンムが、神と太陽と月のもと言上奉ります」
「貴方様のこれまでのご功績とご仁愛に敬意と尊敬を。そして、幼い私を支えてくださったことに深い深い感謝を捧げます。―――イザーディアス ズィアム ティン将軍」
―――『宣誓』!
俺達の『世界』で『宣誓』は尊いもの。神仏に『誓い』を宣言する。宣言した言葉は『言霊』に成る。『名』と『魂』をかけた言葉は『呪』に成る。
リディは己の『名』をかけた。深い信仰心と祈りが言葉を『言霊』に『呪』にした。それが『わかる』。
息を飲んだ。瞬間。
伊佐治の胸が光った!
カッと強く光る胸部に全員が驚き注目する。伊佐治が服の胸元を開くと、心臓の上あたりが光っていた。
マコがハッとした。すかさず常に携帯しているデジカメを取り出し写真を撮った。よく見たら光は陣のような文様を作っていた。
光っていたのはホンの二、三秒。徐々に光を弱め、まるで何事もなかったかのように元の状態に戻った。
「……………今、の、は……………?」
『宣言』を行った自覚のないらしいリディがポカンと声をもらした。
開いたままの伊佐治の胸にはなんの変化もない。かすかな古傷が見て取れるだけ。
おそるおそるというように自分の胸に触れた伊佐治。そのままペタペタと自分の胸あたりを触っていた。
「痛みとかないか? なんか変化あるか?」
「………特にねぇな」
俺の問いかけに答える伊佐治。暁月がその腕を取り、手首で脈拍を確認する。俺も反対の腕を取り霊力の流れを確認。―――胸のあたりになんかある。
「―――さっき話してた『隷属印』か?」
「ん?」
「胸になんかある」
さらに集中して探る。
「―――『呪い』の残滓があるな。じいちゃんと母さんでも解ききれなかったということか………」
考察しながら伊佐治の体内を探る。伊佐治も自分の体内を探っているのがわかる。
「さっきリディが告げたのがおまえの『名』か?」
「ああ」
「まさか俺の『名』を知ってるやつがいるとは思わなかった」どこか呆然としながら伊佐治がつぶやく。
「『名』を告げられたことで隷属印が反応した―――? いや、『名』を奪うことで封じられていた伊佐治の本来の『チカラ』が目覚めた―――?」
ブツブツ考察する俺の横でリディは両手を固く組み合わせ心配そうにしている。マコはデジカメの画面を見つめこちらも考察中。
「―――リディ」マコが声をかける。
「もう一回、伊佐治さんの『名』を呼んでくれる?」
うなずいたリディが真剣な表情で伊佐治に呼びかけた。
「―――イザーディアス ズィアム ティン将軍」
―――反応あり!
先程と同じように伊佐治の胸が光る。今度はデジカメを構えていたマコがシャッターを切る。俺も霊力の流れを探った。
先程と同じく数秒で光は収まった。
「―――やっぱり『名』だな」
「隷属印を破壊しようとしてる」
俺の見解に伊佐治もうなずいた。がすぐに首をかしげる。
「俺の『名』は奪われたはずなんだがな?」
「リディが自身の『名』をかけて『宣誓』したことでなんか効果があったのかもな」
「奪われていた『名』を今ので返した、とか?」
「可能性だけの話だがな」
やりとりする俺達に、黙ってなにか思案していた麻比古が口を開いた。
「リディはもしかしたら『愛し児』じゃないか?」
「『愛し児』?」
キョトンとするリディに麻比古が問いかける。
「リディはもしかして、神社仏閣――ええと、こっちでは神殿だったか? そういうところに出入りしてなかったか? それか、神殿でなくても、なにか神に祈りを捧げるようなことをしていなかったか?」
ハッとする様子から心当たりがあるらしい。
「―――神殿に併設の孤児院に毎月一度訪問しておりました。その折には必ず神殿にも詣で祈りを捧げておりました」
「私の暮らしておりました城にも拝殿がございました。そちらへは毎日祈りを捧げておりました」
「ですが、私の捧げておりました祈りは大したものではなく――神職様のように祝詞を捧げるわけでも長時間祈りを捧げるわけでもございませんでした。それでもなにかございますでしょうか……」
「祈りの量や質は関係ないらしいぞ」麻比古が答える。
「ウチの村に伝わる伝説だから本当かどうかわからないが」と前置きして話を続けた。
「神仏は真面目で正直な者がお好きらしい。清浄な魂を持ったものは特に」
「で、気に入った者は特別に目をかけてくださる。そういう『神仏のお気に入り』のことを『愛し児』と言うんだ」
「早い話が『神仏にえこひいきしてもらえる者』だな」
『愛し児』の話は俺も聞いたことがある。実際会ったことはないが、かなりの優遇を受けると聞いている。
「毎日顔を見せてくれて声をかけてもらえたら、それもリディみたいに魂が清浄な娘だったら『愛し児』になれる可能性は十分にある」
断言する麻比古。当のリディは「そんな」と戸惑っている。
「以前からリディは『愛し児』なんじゃないかと思ってたんだ」麻比古が言う。
「リディのピンチに神仏が動いた結果、俺達が呼ばれたんじゃないか、と」
「どういうこと?」
「加護を授けたリディを助けられる人材をこの『世界』の神仏が探し、俺達が遣わされたんじゃないかってこと」
説明されれば確かに。
この島に『跳ばされ』困り果てたリディが神に祈りを捧げたそこに俺達が現れた。衣食住を提供でき生活環境を整えることのできる俺達が。
タイミングといい出現場所といい、高位の存在の関与が十分に考えられる。
「可能性は高いな」他のヤツらもうなずいている。
「で、リディが『愛し児』だったなら、『宣誓』によって伊佐治に『名』を返すこともあり得るんじゃないか?」
「確かに」納得し口々に検討をはじめる。
「隷属印が解呪しきれていないから完全に返却に至っていないということかな」
「いやそもそも『名を奪う』というのが本当に奪われているのかもあやしいぞ」
「というと?」
「要は伊佐治の思い込み」「『名』を『奪われた』と思い込んで、自分で自分に制限をかけてる可能性はないか?」
「なるほどあり得る」
「リディが正しい発音で呼びかけたから『名』が反応した可能性もあるよな」
「かなり難しい発音だもんな」
ああだこうだと話をしていたとき「そういえば」マコが伊佐治に問いかけた。
「伊佐治さんてなんで『伊佐治』って名前になったの?」「『名』を奪ったひとがつけたの?」
「いや」伊佐治があっさりと明かす。
「俺を『伊佐治』と名付けたのはサトだよ」
「『落ちて』玄治に拾われてサトのところに連れて行かれたときに『名前は?』って聞かれたんだ」
「そのときの俺は奴隷にされて番号で呼ばれてた」
「百三十四番。捕らえられてからずっとそう呼ばれていて、サトに問われたときに思い浮かんだのもその番号だったんだ」
「サトは精神系の能力者だろ? 名前を聞かれた俺が浮かべた情報を読み取ったらしい。奴隷だったこと、番号で呼ばれていたことを」
「『一、三、四。なら、いさじはどう?』って聞いてきた。『むこう』と発音が違う数字の羅列なのに元の『名』に似た響きなのが不思議だったよ」
カラリと笑う伊佐治に対し、麻比古は神妙な顔でつぶやいた。
「そういう話を聞くとますます神仏の御力や奇縁宿縁やらを感じるな」
麻比古の一族は時々『神使』に選ばれる者が出るらしい。現世にいて神の声を聞き伝える者、『神域』で神仏に仕える者、ヒトと神仏とをつなぐ『調停者』となる者などなど。それで麻比古昔から信仰心が篤いのか。
「おかあさんとおじい様が『解呪しきれなかった』っていうのは、使う言語が違ったからだろうね」マコがデジカメの画面を見ながら分析する。
「これ、さっき浮かんだ陣」
見せられた画面にはところどころ欠けた陣が描かれていた。
「おかあさんが色々教えてくれた中に術式のことや陣のこともあったけど」
マコは妊娠期からずっと母により教育されてきた。それは『ヒトならざるモノ』につきまとわれやすいマコの自衛のためだと思っていたが、それ以上の教育を施されていたらしい。なにやってんだ母さん。
「これ。『術式を解く』というよりは『陣を破壊する』って感じだよね」
「多分おかあさんでも知らない言語の『解呪』はできなかったんだろうね」
「で、『解呪』から『術式一部破壊』に切り替えた」
「破壊されてるのは一部だから伊佐治さんの生命を奪うことはない。術式が完全消滅してるわけじゃないから」
「多分だけど、伊佐治さんの心臓を潰そうとしてる術式の部分をみつけて、それだけを物理的に壊してるんじゃないかな」
「それで心臓破壊は止まった。けど陣は残ってる」
「その残った陣がおかしな働きをして、伊佐治さんの『生命の器』に影響しちゃってるんだろうね」
マコの特殊能力『看破分析』の効果かマコ自身の分析力か、そんな考察をマコが口にする。
「伊佐治さんにかけられた『隷属印』て、今の時代も残ってるのかな」
「………私は聞いたことはありませんが………『絶対にない』、とは言えないと、思います」
マコに問われたリディが苦そうに答える。まあそうだろうな。『隷属』なんて悪いヤツが使い続けてそうだ。
「使われた元々の術式と刻まれた印を調べて。どの部分がどう壊されたか調べて。そのうえで解呪してあらためて伊佐治さんの『名』を返したら、『生命の器』への影響もなくなって普通に年齢を取る、気がする」
そう分析し説明するマコ。マコの説明は可能性が高いと俺も他の連中も納得できる。
「じゃあまずはその術式を調べるところからか」
「資料とか残ってるかな」
「さすがにそういうのは残さないんじゃないか?」
「知ってそうなヤツに手当たり次第に聞くしかないか」
ウチの連中が検討をはじめたところでマコが伊佐治に問いかけた。
「伊佐治さんはどうしたい?」
「ん?」
質問の意味を問いかける伊佐治にマコが説明する。
「言ってみれば今の伊佐治さんて『不老不死』なんだよね」
「病気や怪我で死ぬことはあるだろうけど、多分普通に生活してたらずっとこのままの姿で生き続けられると思う」
説明されれば「なるほど」と思う。
「できるかどうかは置いといて」マコが続ける。
「解呪したら『不老不死』ではなくなっちゃう」
「解呪しなければ『不老不死』でいられる可能性は高い」
言われた伊佐治はいつもと変わりなく黙っている。そんな伊佐治にマコは淡々と問いかけた。
「解呪したい? それとも、解呪したくない?」
全員が伊佐治に注目した。伊佐治はただ黙っていた。
やがてゆっくりと腕を組み、長いため息を吐き出しうつむいた。
「―――『不老不死』、か………」
ポツリとつぶやき、顔を上げた。
「悪くねぇ」
ニヤリと不敵に笑う伊佐治。そしてすぐに言い切った。
「―――けど、俺はいらねぇな」
あまりにも簡単に言うものだから俺のほうが「いいのかよ」と問いかけてしまった。麻比古も定兼も「もったいなくないか」「『不老不死』なんて、欲しいヤツいっぱいいるぞ?」と声をかける。それでも伊佐治は「いらねぇよ」と言い切った。
「これまで身体の時間が止まってたのはヒデを守るのに役立ったからありがてぇと思う」
「けど、もうヒデもオッサンになっちまったしなぁ」
「もう俺が若くいる必要はねぇだろ」
そう言われたらそうかもしれないが、それでも納得できなくて微妙な表情になる俺達に構わず、伊佐治は普通の調子で続けた。
「ヒデを看取ったあと、麻比古か久十郎か誰かに俺を看取ってもらうのも悪くねえ」
「解呪できるなら、したいな」
きっぱりと言う伊佐治に「そっか」とマコが応じる。俺達も「伊佐治がそう言うなら」と受け入れる気持ちになった。
「とはいえ、そんな簡単じゃないはずだぞ?」
「俺のいた時代でも『隷属印を解呪できる』なんて話、聞いたことがない」
伊佐治の言うことはもっともだ。ちょっと考えただけでも問題解決の糸口すら思いつかない。
が、マコの考えは違うらしい。
「けど『術式』や『陣』である以上、解く方法はあるはずだよ」
「転移陣のついでに調べてみる」
「『ついで』かよ」
伊佐治は笑ってツッコんだが、伊佐治が気に病まないようわざとマコがそう言ったのも理解しているようだった。
「まあ、そうだな」「『ついで』に頼むわ」「けど無理はすんなよ」
いつものようにでっかい手でマコの頭をわしわしとなでる伊佐治。マコもうれしそうに目を細め「うん」「わかってる」と答えていた。
一段落した話し合いに、ふと気になった言葉を思い出して伊佐治に問いかけた。
「俺を『看取る』って、おまえ何歳だったんだよ」
「俺?『落ちた』ときは二十八だった」
「「「えええええ!?」」」
思っていた以上に若い年齢に思わず叫びがあがる。
「三十半ばだと思ってた」
「俺五十前だと思ってた」
「老け顔」
「落ち着きすぎ」
仲間達から散々に言われても伊佐治は「がはは」と笑うだけ。
「実年齢は九十近くなっちまったからな。『老成』って言われても『そのとおり』ってなっちまうよな」
「『老成』じゃなくて『老け顔』って言ってんだよ」
「そりゃ仕方ない。人種の違いだ」「日本人は元々若く見えるからなぁ」
「それもそうか」
納得したところでなんとなく一段落ついた雰囲気になった。
「もう遅くなっちまったな」「このくらいにして、もう寝ようぜ」
伊佐治にうながされ解散になった。