【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』24
俺達がこの『世界』に『跳ばされて』一か月が経った。
なんでわかるか。毎日カレンダーの日付を消しているから。
転移初日。リディに色々聞き取りをし「一年は四百日くらい」と伊佐治が思い出した。
「曖昧に日々を送ってたらすぐに日にちがわからなくなる」と判断し、その場でカレンダーを作った。俺達の『世界』のものとこの『世界』のもの。ふたつを並べて一日の終わりにバツ印をつけている。
こういう几帳面さと生真面目さを求められる仕事は久十郎が適任。就寝前に久十郎が全員を集めバツ印をつけ、同時にその日の報告会と翌日の予定を話し合っている。
拠点の生活環境は一番に整えた。
木を斬り建材を作り家を建てた。家具も作った。上下水道を整え風呂トイレを作った。建材作った残りでトイレットペーパーも作った。
もりもり作業する俺を見たリディが目を丸くして「魔導士様でしたか」とか言うから「ただの研究者だよ」と答えた。納得してないみたいだったが、なんでだろうな?
この『世界』でも俺の習得した術が使えるのは助かった。しかもここは霊力量が違うせいか術の効きが格段に違う。それもあってなんでも簡単にできてしまう。それが楽しくてつい調子に乗って色々作っている。
トイレは洋式のウォシュレット付き。便座は暖房完備。風呂はこじんまりとした内風呂と大浴場並みの外風呂。当然どちらもシャワー付き。水量豊富でよかった。
給湯器も作ったので蛇口をひねれば水もお湯も出る。「魔術師様でしたか」とリディが目を丸くしていた。
生活拠点が整ったら今度は周辺探索。地形は。生態系は。危険はないか。使えるものはないか。食えるもの食えないもの。なんでもかんでも調べていった。
海流を調べるために久十郎に何箇所か丸太を落としてもらい観測。かなり複雑な海流であることが判明。こりゃ船での脱出は無理だな。外洋を走る船に救援の狼煙を送っても、運良く熟練の船乗りがいない限りは近寄れないだろう。
なら島での暮らしを充実させようと森の少し奥まで探索の手を広げる。調査しながら収穫し、多くの発見があった。
少し遠くまで探索に行って同じ距離を戻るのが面倒だったので転移石を作った。
術を刻むのにちょうどいい鉱石があった。瘴気に冒されていたが浄化して転移陣を刻んだ。これでも寺の跡取りだったので浄化はできる。わりと得意。対になるふたつを作り、片方を拠点に設置。数度テストしてうまく帰還できるのを確認して少しずつ距離を延ばしていった。
どこもかしこもなにもかも瘴気に染まっている。これじゃあ食えない使えない。収穫したものをひとつひとつ浄化していたが面倒になり、拠点から徐々に全体浄化をかけていった。効果範囲はそこまでないが、やらないよりはマシだろう。やり続けてたらそのうち瘴気は消えるだろう。
鉱石に結界陣を刻んだものを大量に作り、浄化できたところに置いていく。これで浄化済の場所がまた瘴気に冒されることはない。拠点を中心に結界を広げていった。
あちこち浄化しまくる俺を見たリディが目をまんまるにして「大聖者様でしたか」とか言うから「ただの研究者だよ」と答えた。やっぱり納得してないみたいだったが、なんでだろうな?
◇ ◇ ◇
そんなふうに生活基盤を整えていたひと月の間にこの『世界』とこの島の調査はかなり進んだ。
まず物理法則。重力も物理法則も俺達のいた『世界』とほぼ同じ。体感で違和感を感じていなかったが、観測でも証明された。
空気中の成分もほぼ同じ。いくつかわからない計測できない成分がある。これが高霊力を形づくる要因じゃないかと予測している。どうにか計測したいんだがそのための機器ができていない。そのうち完成させたいと思っている。
天体についてもだいぶわかってきた。毎晩の天体観測とリディの知識でこの惑星の大まかな大きさと地軸の傾斜角の予測が立った。離れた地点数か所を観測できたらもっと正確な数字が出せるんだがな。これもそのうちだな。
島の生態系についてが一番調査が進んだと言える。
リディと伊佐治から聞き取りをし、島の実態調査をし、生態系ピラミッドが判明。俺達の『世界』にはなかった植物やいなかった動物も教わった。薬草類毒草類、益虫毒虫、野生動物などなど。食えるもの使えるものも多く見つけられた。
今のところ見つけられていないが、この『世界』のどこかにはドラゴンやフェンリルがいるらしい。いつか見てみたいな!
希少な動植物は生体も素材も高額で取引されている。希少でない動植物はそれなりの値段で取引されている。鉱物も同じく。そういうのはファンタジーでおなじみ冒険者ギルドや商業ギルドで売買できる。もちろん個人商店でも売買できる。そんな話をリディから聞いた。
この島には希少なものも希少でないものも豊富にあった。無人島だから当然か。
だが残念ながら売りに行く手段がない。なので、自分達でのみ活用消費している。
リディは知識として知ってはいても実践できなかった。そりゃそうだ。お姫様には必要ない。
大まかではあるが活用方法を知っていて実践できたのは伊佐治。
「ずっと戦場暮らしだったからな」
解体方法、使用部位、傷薬をはじめとした各種薬の作製、料理に使うときの使い方、などなど、などなど。
「六十年経ってても覚えてるもんだな」本人が一番驚いていた。
リディが『跳ばされた』以外の転移陣を確認した。ほとんどは経年劣化と自然消滅で使い物にならなかった。このどれかが人里に行けるものだったんだろう。
転移陣には文字らしき文様が描かれていた。リディによると古代語らしい。三百年前を生きていた伊佐治をもってしても「一部分しか判読できない」。さすがのリディも「ここまで古い言語は習得していない」。
「解読はあきらめるか」と話していたら意外なところから声があがった。
マコだった。
「パズルみたい」「解いてみたい」「挑戦してもいい?」
目をキラキラさせてウキウキと言われては「やるだけやってごらん」しか答えはなかった。
リディと伊佐治からそれぞれの知っている言語について教わったマコ。部分的になった転移陣を調べ、他にも転移陣がないか探し、建物の残骸から文様を調べ、さらに伊佐治とリディから色々聞き出している。毎日楽しそうで俺としては喜ばしい限りだ。
◇ ◇ ◇
「ずっと戦場暮らしだった」伊佐治の言葉に引っ掛かるものはあったが聞いていいことかわからずスルーしていた。
それでもなんだかずっと気になって悶々としていたら、マコが目ざとく気付いてくれた。
「伊佐治がこんなこと言ってて」泣き言のようなボヤキをマコに吐き出した。
その日の夜。いつもの報告会が終わって雑談ばかりになったとき。「そういえば」マコが伊佐治に声をかけた。
「伊佐治さんてどのあたりの出身なの?」
壁に貼っているリディが描いた世界地図の前に立ち、マコが無邪気にたずねる。
「ここがボク達の今いる島でしょ?」「ここがリディのいたお城のある街だよね」「ここがお輿入れしたお城のある街」「どっちもこの島からはすごく距離があるよね」「伊佐治さんはどこから転移したの?」
「………ったく」「マコは仕方ねぇなあ」
文句を言いながらも伊佐治も地図の前に立った。
「どうせ馬鹿が泣きついたんだろ」ニマニマ笑いながら俺に目を向ける伊佐治。なにもかもお見通しなのが気恥ずかしく、ムスッとしたままそっぽを向いた。
そんな俺の頭をいつものようにでっかい手でわしわしと撫で、伊佐治は困ったように笑った。
「気になるなら言えよ」
「………聞いていいのかわかんなかったんだよ」
「ホントおまえは変わんねえなあ」
「いつもは傍若無人で自分勝手なのに、変なところで弱気なんだよな」「女房子供ができたんだから、もっとしっかりしろよ」
そう言われても言い返すこともできず黙っていたら、伊佐治は壁の地図を指さした。
「俺がいたのはティンて国」「ここにあったんだよ」
「俺のいた時代は、いわゆる戦国時代だったんだ」「だからあっちもこっちも戦争ばっかりしてた」「だから俺もずっと戦場暮らしだった」「まああの頃は普通だよ」
あっけらかんと明かされ、なんだか肩の力が抜けた。伊佐治本人が傷ついている様子がないことに安心していたら伊佐治が笑いかけてきた。
「大したことじゃなかったろ?」
「……………」
ぶすくれ目を逸らす俺に「まったくおまえは」と笑いながら伊佐治がでっかい手で俺の頭を撫でる。わしわしといつものように撫でられ、それだけでささくれていたどこかが落ち着いていくようだった。
ひとしきり俺を撫でた伊佐治は地図に向かい、話を続けた。
「『落ちた』のはここだな」「ここに崖があってな。ちょいとドジって落っこちちまったんだよ」「気がついたら玄治と対峙してた」「精神系能力者のサトがいたおかげで言葉が通じなくても『敵意はない』『落人だ』ってわかってもらえて助かったぜ」
俺達にそう語った伊佐治はリディに向け改めて説明した。「玄治ってのはヒデの親父で」「『精神系能力者』てのは」
唯一『この世界』の住人で俺達の事情がわからないリディへキチンと配慮するところはさすが伊佐治。俺はそんな配慮、考えもしなかったよ。
このひと月ちょっとの間、折に触れて『落人』や異世界について話していたこともあり、リディも伊佐治の説明を驚きながらも受け入れていた。
「そういえば」話を聞いたリディがふとつぶやいた。
「イサジさんは『あちら』で六十年お過ごしだったとうかがいましたが」
最初は俺達のことを『様』付けで呼んでいたリディ。「やめてくれ」と懇願し『さん』付けで落ち着いた。敬語は「常にこの話し方だったもので」と言われ「そりゃお姫様なら庶民の喋り方は難しいか」と俺達が折れた。
それでもひと月ちょっと毎日ずっと顔を合わせ続けたことで親しく話すようになったリディが伊佐治に問いかけた。
「おいくつで『あちら』に行かれたのかは存じませんが、とても六十歳以上にはお見受けできません」
「異世界では身体の時間が止まるのですか? それとも外見が変わらない方法があるのですか?」
きょとんと、単純な疑問を投げかけただけのリディに対し、伊佐治はめずらしいことにちいさく目をすがめた。
その様子が『痛いところをつかれた』みたいに読める。
『ここ』に『落ちて』すぐ、時間経過速度や生活習慣、物理法則などをリディに聞き取りした。そのときにここが伊佐治がいた『世界』であること、伊佐治がいた時代から三百年経過していることを確認し、リディには伊佐治はこの『世界』から俺達の『世界』に『落ちた』こと、俺達のところで六十年暮らしていたことを説明した。
『こちら』の三百年が俺達の『世界』の六十年に該当するのか、ただ単に『異世界の扉』の出入口があっただけなのか、そのへんは検討したがわからなかった。それこそ『神のみぞ知る』というヤツだろう。
その話をしたときはこの『世界』に『落ちた』ばかりで確認事項が多すぎたために伊佐治の外見に変化がないことが『おかしいこと』だと認識しなかった。なんせ俺が生まれてからずっとこの状態だから。麻比古達長命種がゴロゴロいたことで『外見に変化がない』ことに違和感を抱くことがなかったから。
麻比古、暁月、久十郎は『長命な種族』。定兼は付喪神なので俺達有機生命体とは理が違う存在。
伊佐治は『鬼』だと思っていた。伝承にある鬼そのままの姿だから。だから『長命な種族』なのだと思っていた。
けれど、よくよく思い返してみたが、本人から種族について聞いたことはなかった。気がする。言われても聞いてなかったり忘れている可能性も否定できないが。
偶然この『世界』に『跳ばされて』伊佐治と同種族のリディに会い、平均寿命や成長速度なんかを聞いた。それによると俺達とほぼ変わらない。
伊佐治もそうだとするなら、どうしてこいつは六十年変わらぬ姿を保ててたんだ?
そう気付いたのは俺だけではなかったらしい。ウチの連中も「そういやそうだな」と言い出した。
「俺、伊佐治も長命種なんだと思ってたからなんも思わなかった」
「俺も」
「けどリディと同種族なら違うよな」
「伊佐治だけ特別とか?」
「人間だって俺らだって、めちゃくちゃ長生きするやついるもんな」「伊佐治もそのクチか?」
「『落ちた』らそうなるとか?」
「『落人』なんて滅多に知り合うことないからわかんないな」
「なんか心当たりあるか?」
仲間達に声をかけられた伊佐治は「さすがにわかんねぇなあ」と苦笑していた。
「昔、サトと清秀が色々調べて試してくれたけど、結局は『わかんねえ』ことがわかっただけだったよ」
「清秀ってのはヒデの祖父で」「学者みたいな術者だったんだ」マコとリディに説明する伊佐治。
「『色々調べて試した』って、なにしたの?」
「―――霊力の流れを診たり、『先見』したりとかだな」
マコの質問に答える伊佐治に、マコはさらに質問する。
「それってたとえばヒデさんや暁月さんでもできること?」
「ん?」
「ここは伊佐治さんにとって『元の世界』なんでしょ? ボク達はここに『落ちて』きたわけでしょ? てことは、おじい様とおかあさんではわからなかった変化が現れてる可能性があるよね?」「ボク達にだってなにか変化が起きてる可能性だってあるよね?」
理路整然と問いかけるマコ。じっと見つめる視線に伊佐治は黙っていたが、気まずげに頭をわしわしと掻いた。
「―――マコといいリディといい、若い娘はよく気がつくなぁ………」
つぶやき伊佐治は瞼を閉じた。腕を組みうつむく様子はなにかを葛藤しているように見えた。
なにを言っていいのかわからず、ただ伊佐治を見守った。
「―――まあ、いい機会だな」
深く深くため息を吐き出したあとそう言って、伊佐治は全員をぐるりと見回した。
「つまんねえ話だけど、聞いてくれるか?」
伊佐治らしくない困ったような笑顔。「言いたくなかったら言わなくていいわよ」暁月が言ったが伊佐治はひょいと肩をすくめた。
「別に隠すようなことじゃねえんだ」「単純に話す機会がなかったってだけ」「それに聞いて楽しい話でもないしな」
「ただ、全部話さないと説明が難しいんだ」
「それに、このまま言わないでいるとマコとそこの馬鹿が気にするだろ」
『馬鹿』と言われムッとする俺と違いウチの連中は「確かに」と納得している。なんでだよ! そりゃ気になるけど!
「だからまあ、昔話として聞いてくれたらいいさ」
そう言って席に座った伊佐治。
「話長くなるから茶ぁもらえるか?」
リクエストされ暁月とマコとリディが動く。すぐにそれぞれにコップが行き届き、伊佐治の話がはじまった。
◇ ◇ ◇
―――まあ、よくある話さ。
俺が生まれたのは『ティン』という国。ぶっちゃけて言えば弱小国だが、周りはそんな規模の国ばかりだった。だから年がら年中戦争をしていた。早い話が戦国時代だ。
三百年前のティンの国王はそりゃあクズでな。手当たり次第に女に手を付ける男だった。
王妃も側妃も愛妾も愛人もいるのに、城で働く女官もメイドも下働きも、町娘も村娘も、王の目についたら最後『お手付きの栄誉にあずかる』ことになった。
最悪だろ。ゴメンな嫌な話聞かせて。
けどこれを説明しないと俺の話ができないんだよ。
まあ、そういうこと。
俺は『お手付き』の結果できた子供だったんだ。
俺の母親は田舎の村娘だったらしい。視察という名目の女漁りに来た王に捕まって暴行されたって聞いてる。
『お手付き』になった娘は「王の子を宿しているかもしれないから」と後宮に連れて行かれ監禁される。そうしてさらに王に暴行されるんだ。
最悪だろ。
そんなことしてたらまあ当然子ができるわな。子ができた女には興味を失うんだ王は。クズだろ。
飽きられた女は、子を育てるためにそのまま後宮に居続けるのもいたが、大半は実家に帰った。子を捨ててな。
俺の母親? 俺の母親は、俺を身籠った時にはもうココロが壊れてたらしい。ただ人形のように妊娠期を過ごし、出産後は回復することなく死んだらしい。
ああ。気にすんな。俺みたいなのはそれこそ掃くほどいたんだ。いかに王がクソだったかわかるだろ?
とにかく、そんなふうに産み落とされた子供が後宮にはわんさかいた。俺もそのひとり。
王妃や側妃の子供は『王子』『王女』として扱われたが、俺みたいな『お手付き子』は犬っころ扱いだったな。
世話をする人間はいたから死ぬことはなかった。一応『王の子』だから教育も受けさせてもらった。けれど王に相手にされない王妃は俺達みたいなのが憎かったんだろう。待遇は良くなかった。そんなことに気付いたのもヒデの『世界』に『落ちて』からなんだけどな。
ああ。女好きの王だったが、厳密には『若い女好き』だったんだよ。だから王妃はすぐに飽きられた。子を宿したことで興味を失った面もあったみたいだな。
側妃だ愛妾だってどんどん増やしても、若さを失ったり子ができたら飽きるんだ。ほんとクズだよ。
そんなクズでも王は王だった。王妃は『王妃』という自分の立場を守ろうとしたのか自分の子供を守ろうとしたのか、とにかく俺が物心つく頃には王妃は『お手付き子』を毛嫌いしていた。
だからある程度大きくなったら男は戦場へ、女は城の下働きに出された。
まあな。今ならわかるんだよ。
それだけの人数養おうと思ったら莫大な金がかる。なら働けるものは働かせないとっていうのも道理だって。
そんなわけで、俺は八歳で戦場に送られた。
その頃はいつでもどこでも戦争してたんだよ。それこそ猫の手も借りたいくらいに人手が足りなかった。だから貧しい村の子供は率先して下働きに出されてた。戦場で働けば一応は給料が出たからな。
だから八歳でも戦力になった。俺、ガキの頃から身体が大きかったからな。
子供が洗濯や料理なんかの下働きをして。ある程度成長したら仕事をしながら兵士としての訓練をして。そうして十五歳前後で初陣に出るんだ。
基本ずっと戦争状態。補給はあったが戦況によっては届かないこともあった。だから食料も薬も現地調達せざるを得なくて。解体方法も薬草の見分け方や薬への加工の仕方も自然に身につけていったな。
まさか六十年以上経って役に立つなんて思いもしなかったよ。
俺は戦闘に適正があったらしい。十三歳で初陣を迎え、翌日から毎日戦場を駆けた。運良く生き残り続け、いくつかの武功を挙げた。一兵卒だったのが小隊長になり中隊長になり大隊長になり。徒卒――歩きの下級兵士な――だったのが騎馬兵になり。気がついたら一軍を任される将軍になっていた。
俺としては生き残るのに必死だっただけなんだが、王妃や王子王女達には面白くない。なんせ犬っころと同じ『お手付き子』なんて下賤な男が『将軍』。そんなのは『高貴な御方』からしたら「許せない」らしくてな。ついでに言うとそこそこの家の出のヤツらも俺の立身出世が「面白くない」と感じていたらしい。
で、まあよくある話。
副官の裏切りで敵軍の捕虜になった。
副官? 敵軍に俺を届けてすぐ殺されたよ。
どうも俺の身柄と引き換えに敵軍での好待遇を約束されてたらしいが「上官を裏切るような者は信用ならん」とか言われて首を刎ねられてた。
ちょっと考えたらわかるだろうに、馬鹿だよなあ。まあ馬鹿だから敵軍に利用されたんだが。
で、敵軍でツノを折られ牙を抜かれ『名』を奪われ隷属印を押された。要は奴隷にされたわけだ。
昔むかし『ツノナシ』っていう種族がいたんだとよ。ヒデ達の『世界』の人間と同じ、ツノも牙もない人種。
そいつらは『下等生物』とされ、使役され時には食われた。ヒデ達の『世界』で言う馬や牛みたいな扱いだな。
『ツノナシ』は俺のいた時代には絶滅してたんだが、奴隷のツノと牙を奪って『ツノナシ』にする風習があったんだ。要はわかりやすく貶めるわけだな。
俺は将軍としてそれなりに有名になってた。早い話が敵軍のヤツを殺しまくってたわけだ。だから『捕虜』でなく『奴隷』にされるのも「まあ仕方ねぇな」と受け入れた。
愛剣を奪われツノと牙を奪われ『名』も奪われ。さらに隷属印まで押され。食事を与えられず拘束されたまま固い石造りの牢に放置された。
「とっとと殺せばいいのに」「なに考えてんだか」と思ってたよ。
どうも俺に相当ビビってたらしい。限界まで弱らせようって腹だったんだ。
で、「もういいだろう」って頃に食い物を与えられた。けどどうもイヤな感じがして、食ったフリだけして捨ててたんだ。水だけはさすがに飲んで生命をつないでいたがな。
数日そんな食事が続いてエラそうなヤツが来た。面倒でボーッとしてたら「薬が効いてるな」とか言ってたから食事になんか混ぜてあったんだろう。もしかしたら水にもなんか入ってたのかもな。
そのままベラベラ話してくれたよ。俺を敵陣――かつての味方の陣に突っ込ませる。死んだと思ってた将軍が敵に寝返ったとわかったら敵陣は総崩れだろうってな。
いや上手い戦略だと思ったよ。そりゃ効果あるだろうって俺でも思った。
俺を先陣に出して裏切られたらマズいから、隷属させて弱らせて絶対に刃向かえないようにした。文字通りツノを折り牙を抜いてな。
俺は戦えなくてもいいんだよ。ハリボテの旗印。早い話が案山子だ。「おまえらの将軍は堕ちた」と、「これからはおまえらの敵になった」と見せつけるだけで総崩れになると予測していた。まあ多分そうなっただろうな。
俺、わりと人望あったんだよ。「自分で言うな」って話だけどな。このとおりデカいから遠くからでも目立つだろ? それでなんだかんだ戦意向上に使われたりしたよ。
そんな俺が「敵になった」となったら、まあ戦いにはならないだろうって俺でもわかる。
そうして次の戦に俺を同行させると告げられた。「それまで同行させる兵士と暮らせ」って牢を移動させられた。
連れて行かれた牢には子供ばかりが閉じ込められていた。
ご丁寧に壁に埋め込まれた鎖で一人ずつの首をつなぎ、ツノも牙も折ってあった。隷属印まで押され、それこそ犬っころのように冷たい床に転がされていた。
その牢にいたのは全部で八人。首と両手足に枷をはめられ、申し訳程度のボロ布を身につけ、ただ呆然と横たわっていた。
ボロ布からのぞく腕も足も細っこくて、肌だって一度も風呂に入ったことないだろってくらい汚れていた。髪も伸び放題でボサボサ。同じ人間に、それも子供にこんな仕打ちができるヤツがいることが信じられなかった。俺がいた後宮でもまだマシな扱いだった。
「非道いことを」つい洩らした俺に、連行した兵士は馬鹿にしたように教えてくれた。
「こいつらは『人間』じゃない」「『兵器』だ」と。
「生まれたときから隷属印を刻みツノをぬき牙が生えたらぬき、人為的に造られた『ツノナシ』だ」と。
この『世界』はヒデ達の『世界』よりも霊力量が多いだろ? これまで収穫した草や石や獣達にも霊力が含まれてただろ?
この『世界』では霊力――こっちじゃ『魔力』って言うんだが――魔力は万物に宿っているもので、当然生まれたばかりの赤ん坊にも宿ってるんだ。
そんな赤ん坊のツノを折る。―――正気の沙汰じゃないと思ったよ。
俺達の種族にとってのツノは、魔力の漏電装置みたいなもんなんだ。身体の中に収まりきらない魔力がツノになるって言われてる。成長するにつれツノは大きくなるんだが、潜在魔力の大きいやつはツノも大きくなるってわけだ。
そのツノを生まれたときから折られるってことは、魔力暴走が起きても放出できず、体内で魔力が暴れ苦しんで死ぬってことを意味してる。
そこに集められた子供達は「戦場に連れて行きわざと暴走する薬を飲ませ狂戦士にするんだ」と、「普段は食事を与えず戦場で敵を喰うよう『躾けている』んだ」と、自慢げに言いやがった。
魔力が暴走しすぎて爆発して死ぬものもいるが「それはそれで大量に相手の兵を殺せる」と嗤いやがった。
ティンの連中もクズだと思っていたが、アーガンの連中はそれを上回るクソだと思ったよ。
そのクソ共がな。俺が裏切ったり反抗的な態度を取ったら「このガキどもをひとりずつ始末する」って言うんだ。俺が子供を見捨てられないってどっかで聞いたんだろう。そのために子供達の『小屋』に連れてきたんだとわかったよ。
わかったからってどうにもならない。目にしちまったら情が湧いちまって置いて逃げることもできない。この作戦を立てたヤツは頭いいって感心したよ。
そのとき感じたのは後悔だったな。
『さっさとティンの王族皆殺しにしとけばよかった』ってな。
やろうと思ったらできたんだよ。何度かチャンスはあった。戦勝式とか叙勲式とか。帯剣で参加できたから、俺なら一瞬で全員の首を刎ねることができた。
けどそのときはまだそこまでの憎しみはなかったんだ。ホントだぞ?
いいように使われてるのも、蔑まれてるのもわかっていたが、俺はずっとそういう扱いだったから。「そういうもんだ」「仕方ねぇ」って思ってた。『教育』って恐ろしいよな。疑問も違和感も抱かせないんだよ。
けど、虚ろな目で転がされてる子供達を見て、初めて理解したんだ。
俺がさっさとティンの王族を皆殺しにして王になってたら、戦争なんて馬鹿げたことやめた。アーガンや他の国が攻めてきたら返り討ちにして服従させた。そしたらこの子達は『兵器』になんかならずに済んだのに。俺が王だったらこんな非人道的なこと許さないのに。って。
―――ゴメンな。つまんねえ話聞かせて。
ヒデについて学校に行ってたときに、ヒデの『世界』でも戦時中には非人道的なことが行われてたって知った。きっと『ニンゲン』ていう生き物はどこの『世界』でもそうなんだろうって今の俺は受け入れられる。許せるかどうかはまた別だがな。
だがあのときの俺は、俺自身ツノも牙も剣も『名』も奪われ隷属印を押され食事ぬきの極限状態が続いてたところにそんな子供達を見せられて、ただ自分を責めたんだ。
何もしてこなかった自分を。何もできない自分を。無力な自分を。
申し訳なさと哀れみで押し潰されそうだった。だからただの逃げで、子供達をひとりひとり膝に乗せ抱きしめ撫でた。ボサボサの髪の毛にどうにか手櫛を通して「よくこれまでがんばったな」って声をかけた。『犬っころ』と呼ばれていた昔の自分がしてもらいたかったことを子供達にした。子供達を通して昔の自分達を撫でている気持ちになった。
全員抱きしめたらまた最初の子供に戻って、結局一日中子供達をただ撫でていた。
子供達はただされるがまま。何の反応も見せなかった。ココロが壊れてたんだろうな。それか感情を与えられていなかったか。それがまた哀れで、どうすればこの子達を救えるか考えていた。けれど虜囚の身でできることなんかなくて、結局なにも思いつかないまま子供共々牢から出された。
「翌朝の戦闘に間に合うように移動する」と、俺と子供達は鎖につながれ一列で歩かされた。俺は余程警戒されてたんだろうな。子供達の列の真ん中に入れられた。「子供を人質にすれば刃向かえない」と思われてるみたいだった。実際そのとおりだったがな。
荷馬車かなんかで運ばれるのかと思ってたらずっと歩きだった。兵士ども「『家畜』が車に乗れると思うのか」って嗤ってやがった。救いようのない人間てのはいるんだと思ったよ。
昼過ぎから移動をはじめ、あと少しで目的地に着くというところで崖沿いの細道を通ることになった。それで荷馬車を使わなかったのかと理解した。
荷馬車が通れる道と比べてその細道はずいぶんと近道になる。ティンの斥候がアーガンの軍勢の動きを見張っているだろうが、こんな荷馬車も通れない細道は警戒していないだろう。ならばティンの軍勢からすればアーガンの軍に突然俺が現れたように見え、まともな戦いにならないだろう。アーガンの軍師はホント頭がいいと思ったよ。
鎖でつながれた俺達の間に兵士がひとり入る形で一列で進んでいた。
薄闇が迫ってきていたから兵士達も気が急いていたんだろう。「早く行け」って子供達をせっつていた。
ただでさえ食事を与えられていない子供がずっと歩き通しだったんだ。ふらついて当然だよ。なのに俺の前にいた兵士が、その前のふらついた子供に鞭を打った。
それ見てつい、カッとしちまって。
後先考えずに兵士に向かって行ったんだ。
『火事場の馬鹿力』ってあるんだよな。あのときの俺は歩くだけでやっとだったはずなのに、こみ上げた怒りでそれまでぼやけてた目の前がはっきりして、動かないはずの身体に力がみなぎった。
後ろから兵士の背に体当たりして、兵士が差していた剣を奪った。剣に魔力を込め鎖を斬り両手足の拘束も斬り、子供達の鎖と拘束を斬っていった。間に入っていた兵士は崖下に蹴り飛ばし、走りながら俺より前の子供の拘束を解いては抱き上げていった。反転して後ろの子供達の拘束を解いて抱き上げ、片腕に四人ずつをひっかけた状態で逃げようとしたんだ。
駆け出そうとした瞬間。胸に強烈な痛みが走り、身体が拘束されるのを感じた。隷属印を押されてたの、うっかり忘れちまってたんだよな。
最後尾に魔術師がいた。俺が動きだしたときには驚いて固まってたそいつがハッと立ち直って隷属の呪文を唱えたんだ。痛えのなんのって。
で、思わずバランス崩して足を踏み外して、崖下へと放り出された。子供達もろともな。
落ちていくとき、夕暮れの藍空に月が見えた。
まんまるな満月がひとつ、ぽっかりと浮かんでいた。
この『世界』では『月は三つ』てのは常識だからさ。「あとふたつはどこにあるんだろう」って、そんなときなのに思った。リディに言われて初めて『三つの月が重なる日だった』って思い出したよ。
でな。ヒデ達の『世界』では星に祈りや願いをかけるだろ? この『世界』では月に祈りや願いをかけるんだ。
だから、落ちながら『願い』をかけた。
俺はなにひとつ救えなかった。せめてこの子達だけでも救いたかった。せめて、この子達が来世では幸福でありますように。まともな家族に育てられ、『しあわせ』に生きられますように。って。
子供達がどうなったのかはわからない。
ただ俺は落ちながら意識を失ったみたいで、気付いたら森の中に倒れていた。
隷属印の痛みは続いていて心臓を握りつぶされる苦しみにのたうち回ってた。
それがどうも「鬼が暴れてる」って連絡になったらしい。気がついたら玄治と対峙してた。即刻斬り殺されなくてよかったよ。
玄治が言うのに、俺は胸を掻きむしってたんだと。で「なんかおかしいぞ?」ってなって、ひとまず当て身を食らわせて意識を刈り取って、縄でぐるぐる巻きにして動けないようにしてからサトのところへ持って行った。
「口から泡を吹いた大きな男性をお土産に持ってこられて、びっくりしたわ」ってサトが言ってた。
そのサトが俺を『視て』、『落人だ』ってこと、『呪い』をかけられていることに気付いたんだ。
そのままサトと清秀――サトの父親でヒデのじーさんな――が俺にかけられた隷属印を調べて、どうにか解呪してくれた。おかげで意識を取り戻したときには痛みがなくなってて驚いたよ。
精神系能力者のサトがいたおかげで言葉が通じなくても『敵意はない』とわかってもらえたし、お互いに情報のすり合わせができた。
『落人』の存在は俺は知らなかったが「元の『世界』に帰る方法は自分達ではわからない」って説明に「別に帰れなくていい」「迷惑でないならここに置いてくれ」って頼んだんだ。
「ずっと戦場暮らしでたいしたことはできないが、掃除洗濯はできる」って。
実際元の『世界』に戻れたとして、帰る場所なんてなかったしな。
俺の他に子供達がいなかったか聞いたが、玄治もサトも「知らない」って。
「もしかしたら違う『世界』や違う『時間軸』に『落ちた』のかも」ってサトに言われた。
そうだったらいいと思ったよ。
俺のドジで崖から落ちて死んだんじゃなくて、俺みたいにどこかに『落ちて』しあわせに暮らしてるならどれだけいいかって。
ヒデ達の『世界』はここと比べて魔力量――霊力量な。が少ないだろ? ここならツノのないあの子達でも暴走することなく生きられるって思ったんだ。
おまけにヒデのところの人間は『ツノナシ』が当然だろ? むしろ俺達『ツノアリ』は「鬼だ」っておそれられてる。なら尚のことあの子達には生きやすいだろうって思った。
ただの手前勝手な妄想だ。自分の罪から目を逸らしてるだけだ。わかってる。
それでも、そうならいいと思うんだ。
あの、愛情どころか、人間が得て当然の尊厳すらもらえなかったあの子達が、少しでも『人間』として生きられたらいいと。
そうでないなら、崖から落ちたときに苦しむことなく生命を終え、来世で幸福になってたらいいと思うんだ。
俺は玄治とサトのおかげで『しあわせ』に暮らせたから。
ヒデのおかげで救われたから。
蛇足
隷属印が押されてたのになんで子供達を助けられたか
隷属印にかけていた条件は
①アーガンの国王と軍師(策を立てた人物)に絶対服従すること(命令は絶対遵守、叛意を持たない、危害を加えない)
②ティンに関わるすべてに味方しない(寝返り裏切り防止)
のふたつだけ
条件に反する行動を取ると心臓握り潰される痛みに襲われ動けなくなる
「ごめんなさい」して反省したら痛みはおさまる
孫悟空の輪っかと同じ
何個も何個も条件つけると『呪』が弱くなるので、ホントはいっぱい条件付けしたかったけどこのふたつしかできなかった
(伊佐治の魔力と精神力が強かったので、このふたつでギリギリだった)
①の『絶対服従』に『アーガン軍』でなく『国王と軍師』に限定したのは
・もしアーガン国内で謀反が起きたときに伊佐治が使えなくなるから
・軍の人間が伊佐治を使って謀反をたくらむかもしれないから
下剋上の時代なので、臣下でも信用できない してはいけない
王は『王のみ絶対服従』にしたかったけど、自分が切り捨てられる可能性があるとみた軍師がしっかり自分も条件に入れ込んだ
王と軍師も仲良しではなくお互いに警戒し合ってる関係
王「あいついつかやらかすに違いない」
軍師「私を活かしてくれてる間は生かしておいてあげよう」
けど下っ端兵士達はそんなこと知らないから「隷属印押された」と聞いて「なら俺達に反抗できなくなったんだ」と短絡的に判断、伊佐治に対し強気な態度に出ていた
伊佐治がその気になってたら皆殺しの憂き目に遭ってたやつ
伊佐治は伊佐治で『隷属印の条件』を知らないので(わざと知らせないように隷属印押した←知られたら伊佐治なら抜け道見つけて逃げられるとわかっていたので)「隷属印押されちまった」「まあ仕方ねぇなあ」で大人しくしてた
そんな条件下なので
・アーガンの兵士に反抗的態度を取る
・自らの戒めを解く
・アーガン軍の所有物である奴隷の解放
・逃亡
すべて隷属印で制限されていない行動
条件の範囲内でも謀反行動が取れるとわかっていた軍師は『条件以外であっても問題行為が認められた場合、隷属印を通じて術師が罰を与えることができる』ということを補足事項として隷属印に条件付けしていた
万一のときは隷属印を発動させるために術師を同行させていた
軍師の読みは見事大当たり
けど結局は逃げられた。軍師残念。
術者の『呪』で隷属印が発動、その『呪』は解呪されないまま『界渡り』したので、伊佐治は『落ちた』あとも苦しんでいた