【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』22
外国人一行が帰国し、騒々しかった日々が終わった。
無事帰宅の連絡も受け一安心。ようやく落ち着ける。
とはいえ、暁月達による『より暮らし良い生活のために講座』は続いているのでウチの連中はなんだかんだと多忙。出たり入ったりしている。
うちに引きこもっている俺達のところにもあちこちのやつらが来ては話をしたり指導しろと言ってきたりする。面倒だがウチの連中に世話になった自覚があるのでしぶしぶながら相手をしている。
四月に入りすっかり桜の季節になった。早咲きが終わりソメイヨシノが全盛を迎えている。伴って『悪しきモノ』どもの活動も活発化している。
俺が現役の頃から桜の時期は良くない。花が咲くときに地中に沈んだあれこれを放出するとかで、ヒトもヒトならざるモノも影響が出る。「桜に浮かされる」とか「桜に惑わされる」とかよく耳にするが、そのとおりの事象が起こる。『ナリソコナイ』が影響を受け低級妖魔になったり、低級が集まってやらかしたり、人間に取り憑いたりと、枚挙に暇がないほど案件が山積する。それに対して依頼が来たり、ウチの周辺の事象に対処したりで、春――特に桜の時期は忙しかった。
それは現在も変わりないようで、洋一達はなんだかんだと忙しそうにしている。「厄介なのが出たら、義兄さん、頼むね」と真顔で言われたが無視しておいた。俺が手を出さなくても親父がいるから問題ない。俺は忙しいんだ。マコを守らないといけないから。
マットからの警告を受けたその日すぐに両親に報告。顔の利く両親が警察へ話を通してくれた。おかげで近隣の巡回が増えた。らしい。今のところは不審者情報は入っていないが、油断はできない。
洋一達にも念の為に周辺警戒するよう伝えている。家族を人質にするのは悪人の常套手段。特に幼い蓮と誠一郎に気を配るよう頼んでいる。
最近は「狙われてるかもしれないから」と言い訳しながらマコとトモと定兼と引きこもり生活を続けている。トモの遊び兼訓練に付き合ったり。研究所に残してきたやつらとやりとりしたり。論文を読んだり。
マコはマコでトモの世話をしながら数式を解いたりなにやら書いたりしている。時々マットとやりとりしている。今後どうするかはまだ決めていないが、俺もマコも研究からは離れられないのは確か。
どうするのが最善なのか、考えるものの結論は出ない。
マコも同じようで、トモの相手をしながら「どうしたらいいのかなあ」とつぶやいていることがある。
トモを京都から出せないのは間違いない。属性特化の高霊力保持者で霊玉守護者だというだけでも両親の修行が必要なのは明白。アメリカでは無理。霊力量が違う。実戦できる数が違う。トモを指導できるとしたら俺とウチの連中だけだが研究所に戻ったら俺はトモに割く時間はないと断言できる。せいぜい毎日の自分の修行のときに同行させるくらいだと。
その程度の修行ではとても『奥様』に見合うだけの男になるには足りないだろう。そもそも京都を離れたら『奥様』に出逢えない。だからトモは京都から出せない。
マコはさみしかった幼少期の経験からトモに「両親の揃った家庭」を与えたいと思っている。「家族の愛情」を注ぎたいと願っている。マコの希望を叶えるならば俺もマコもこのままここで暮らすべきだ。だが実際京都での研究では「物足りない」というのも事実。だからこそ俺は留学したし、卒業後もアメリカに居続けている。オンラインでやりとりできるとしても、やはり現場で自分の目で確認しながらデータを積み上げて検証したい。京都では機材が足りない。
マコも自分ひとりでの考察では「足りない」と感じている。口に出すことはないが、そう感じているのがわかる。俺も同じだから。
マット研に出入りしていたときはマットをはじめとした数学者達で議論をし問題提起をし、新しい発想や発見があった。それが今の状況では限界があると感じている。けれどトモのことを考えると簡単に「アメリカに帰る」とも言えず、マコも悩んでいる。
ふたりで話し合うこともあれば両親に相談することもある。ウチの連中と話をすることも。
ウチの連中は「ヒデとマコの好きなようにしたらいい」と言ってくれている。「アメリカに帰るなら付き合う」と。
だが『より暮らし良い生活のために講座』改め『生活向上委員会』の活動がある暁月達を連れて行っていいものか。
特に久十郎は諏訪の連中に頼りにされている。あいつだけでも日本に残していったほうがいいんじゃないだろうか。
久十郎がいないとなると生活の質が格段に落ちるのは間違いない。だが同族に会えてうれしそうな久十郎を見ていると俺に付き合わせてはいけないんじゃないかと思ってしまう。
最初はそんなこと考えることすらしなかった。久十郎は生まれる前からずっと俺についてくれていて、久十郎がいなくなるなんて考えたことなかった。けれどマットの話を受け俺達の進退について話をするようになったとき、両親やウチの連中が久十郎に話をしているのを聞いてしまった。
「せっかく家族に会えたのだから一緒に暮らしたら?」「ヒデはもう壮年になったわ。私達がついて守らないといけない子供じゃない」「自分の『しあわせ』を考えてもいいんじゃないか?」
指摘されたらまさにそのとおりで、そんなこと考えたことすらなかった俺は愕然とした。
ウチの連中は俺のそばにいてくれるのが「当たり前」で、俺のそば以外の生活があるなんて考えたことがなかった。
麻比古は『番』に逢えた。村でも歓迎されていた。暁月だって故郷のヤツらから慕われている。久十郎は言わずもがな。
定兼は「俺はヒデの刀だから」「俺が折れるまではそばにいるよ」と言ってくれた。
伊佐治は「俺は帰るところがないからなあ」「行くとこないからヒデのそばに置いといてくれよ」と笑っていた。
どうするのがいいのか、なにを選べばいいのか、迷うばかりで明確な答えが出ない。それでも時間は経つし日は進む。トモはどんどん成長していく。
離乳食が始まりアレルギーを心配しながら食べさせる。身体機能も伸び、できることが増えていく。霊力操作も徐々に身に着け始めた。
周囲の助けをもらいながらトモを中心に一喜一憂し、日々を送っていた。
◇ ◇ ◇
普段は寝つきのいいトモがめずらしくぐずり、寝ようとしない。抱いて揺すってもマコが歌を歌っても『奥様』を抱かせても暴れる。ついにはギャン泣きになった。
「桜の影響かな」「月の影響かもよ」
見ると見事な満月が浮かんでいた。母の結界があるので感じないが、桜と満月に影響されて結界の外は霊気が渦巻いているに違いない。おそらくは妖魔どもが活性化しているだろう。
まだ幼いトモはそういうあれこれを「敏感に感じているのかもしれない」とウチの連中が言う。
「ヒデもそうだった」「桜の時期は機嫌が悪かった」「ちいさいときは寝つきも悪かった」
そんな物心つくかつかないかのときのこと言われても知るかよ。
とはいえトモのこのぐずりからのギャン泣きはあれこれに影響されているという意見は正しく思える。
そんな話をしている間もトモのギャン泣きは続き、抱いていてものけぞり逆Uの字になる。泣きすぎて顔は真っ赤。抱いている身体も熱い。汗もかいている。仕方なくベビーベッドに戻せばよじ登って脱走をはかる。落ちかけたのをあわててキャッチすればギャン泣きで身をよじり逃げようとする。もう霊力があふれそう。このままだと暴走するぞ。こんなとき頼りになる両親は桜の最盛期のせいで寺に詰めている。
「結界に閉じ込めるか」「霊力が尽きれば落ち着くだろ」
「生後六か月の赤ん坊にそれは無茶よ」
駄目か。ううむ。
麻比古が団扇であおぎ、定兼がガラガラ鳴るおもちゃを必死で振る。高い高いをしてみる。霊力を循環させる。それでもトモは泣きやまない。伊佐治渾身の「いないいないばあ」も効果なし。ああもう。
手をこまねいているうちにトモの身体から『風』が吹き出した。あわてて霊力循環を再開する。
「おい、落ち着け」「どうした?」問いかけてもギャン泣きが返ってくるだけ。こんなとき精神系能力者がうらやましい。
マコがお茶とジュースを入れた哺乳瓶を持ってきた。交互に口に寄せるが暴れて拒否しやがる。ああもう。どうしたらいいんだよ。
「山に捨てるか」ポツリとこぼしたらマコに本気で怒られた。
「冗談でもそんなこと口にしないで!!」「そんなこと言うならヒデさんのことも捨てるよ!!」
「ゴメンナサイ!」「捨てないで!」
マコの本気の怒りに速攻で謝罪する。阿鼻叫喚の室内に、久十郎が提案してきた。
「試しに外に出てみよう」
「夜風にあたったら落ち着くかもしれない」
「いいかも」暁月が賛成する。
「外に出て大丈夫か?」
「サトの結界の中だから面倒なのは近寄れないでしょ」
「トモは『風』特化だから。自然の風に当たることで影響を受け落ち着くかもしれない」
「なるほど。可能性は高いな」
ともかくなんでも試してみようと縁側から外に出る。プライベートエリアのほうもそれなりの庭がしつらえてあり、ちいさな散策路が作ってある。
ふわりと夜風が頬を撫でる。それに気付いたのか、トモのギャン泣きが止まった。涙と汗でびっしょりになった顔をあちこちに向け、「あ」と手を伸ばした。
『あっちに行け』と言っているような態度。抱く俺の腕から身を乗り出し手を伸ばす。
「とりあえず落ち着いたか」ホッとしながら言われるとおりに歩を進める。満月が明るく照らす庭の飛び石をひとつひとつ踏み進む。
夜風に乗って桜の花弁が飛んできた。茶室のある庭に咲いているものか、裏山の山桜のものか、はたまた寺のソメイヨシノか。はらりひらりと舞う花弁を『風』の術でつかまえトモの周りに踊らせる。つかまえようと手を伸ばすうちにトモはようやく落ち着いた。
花弁と遊んでいる隙に暁月がトモの顔や頭を拭く。濡れた頭で夜風にあたって風邪ひいたらマズいからな。
「やれやれ」と一息ついていたら、ふとトモがなにかに気付いた。
どういう効果か、一箇所だけスポットライトでも当てたかのように明るい場所があった。『あそこに行け』とばかりにトモは手を伸ばす。「あ」「あぅあ」なにか喋ってるがわからない。とりあえず行ってみるかと気軽に進み、明るい踏み石に乗った。
―――瞬間。
ふ、と空気が変わった。
霊力量が違うのがわかる。空気の流れか違うのがわかる。―――『跳ばされた』! やりやがったなこのやろう!
スポットライトのような月明かりは変わらない。警戒しながら周囲を探る。マコもウチの連中も全員いる。『紐』はキチンと機能したらしい。
どこかの建物? の、中? 天井が一部崩落して月明かりが当たっているんだな。ホールらしき場所に俺達は立っていた。そして。
目の前に、若い女がひざまずいている。
ポカンとした表情でこちらを見上げている。そりゃそうだ。向こうからしたら突然人間が現れたんだろうからな。
額から白っぽい細く長い角が二本生えている。開いた口には牙が下から二本。
……………どこかで見た特徴……………。
ストレートの黒髪ロング。目の色は紫。日本人というよりも日系人といった風情。着物に袴のようでどこか違う服を着ている。服飾史にも建築史にも明るくないが、少なくとも俺の知らない文化。
神域というわけではなさそう。あの独特の『圧』を感じない。とはいえ高霊力な場所なのは間違いない。高霊力対策の簡易結界が自動起動している。
両手を組んだ祈りのポーズでポカンとしている女と、現状把握すべく周囲を探る俺達。沈黙を破ったのはトモだった。
「あー」
女に向け声をかけるトモ。手を伸ばしているのか振っているのかわからないが、腕を女に向け動かしている。その声と動きに女がようやく可動した。
「……………ぬゅに、くよ……?」
……………なんだって?
地球の言語ではなさそう。多国籍国家のアメリカでも聞いたことがない発音と単語。急いで無限収納から『思念伝達』を応用した翻訳機を取り出そうとしていたとき。
「……………ふぬも………ティンにゅ……ふぉ………?」
明らかに言語がわかっている様子の伊佐治に―――固まった。
◇ ◇ ◇
翻訳機を起動し、ふたりのやりとりを聞く。
「『ティン』とは、三百年前に存在した国家のことでしょうか」
「―――! さん、百年……」
動揺するも一瞬で、伊佐治は息を止め、吐き出した。長く、長く。
「……………そうか……………」
ポツリと一言だけ落とし、うつむいた顔を上げ女に向けた。
「ティンとアーガンの戦争はどうなった?」
「膠着状態になり両国が疲弊したところを第三国であるテルーアが攻め込み、両国とも滅び終焉となりました」
「やっぱりか」
「くだらねえ」と吐き捨て、伊佐治は女に先をうながした。
「で? 今はテルーアが残ってんのか?」
「いえ。テルーアもランタナに征服されました」「そのランタナも長い統治の間に内紛が起こり、分裂し、いくつかの国家となりました」「かつてのティンのあった場所は、現在はキャルスィアームという国になっております」
「はーん」「まあよくある話だな」
腕を組みあきれたようにまとめる伊佐治。
「……………おい」
ここまでのやりとりでわかってはいたが、どうしても我慢できなくて口を挟んだ。
「どういうことだよ」
「……………わかってんだろ?」
困ったように嗤い、伊佐治は人間のオッサン形態から本来の姿に変えた。
二メートル超える身長に筋骨隆々な身体の青年。赤い髪に青い瞳。黄色がかった大きな二本角。口には牙が下から二本。
目の前でひざまずく女と、似た姿。
同種族だと、見た目でわかる。
「ここは、俺のいた『世界』だ」
「俺が生きていた時代から三百年後の、な」
◇ ◇ ◇
なにを言えばいいのか、どういう反応をしたらいいのかわからない。
落ち着きはらった伊佐治に逆に焦りを感じ、言いようのない不安感が押し寄せる。
黙っている俺をどう思ったのか。「だう」トモにパチンと頬を叩かれた。
ハッとマコが再起動し、手にしたままだった哺乳瓶をトモに見せた。
「もうぬるくなっちゃったけど」「お茶とジュース、どっちがいい?」
わかっているのか適当なのか、トモはお茶の入った哺乳瓶を取り、ゴキュゴキュと飲みだした。相当喉が渇いていたらしい。あれだけギャン泣きすればな。
「ひとまず落ち着いて現状確認をしましょう」
暁月の言葉に全員がうなずいた。
「ここはどこ?」
「どこかは私にもわかりません」
女の答えに「どういうこと?」と暁月が問う。
「転移陣らしきもので跳ばされました」「気付いたときにはここから少し離れた場所に立っておりました」
「ここは教会のようです」「そちらに神像が安置してございますので、おそらく間違いないかと」
振り返ると確かになにかの像が立っていた。その後ろはステンドグラスのような装飾窓。ただし一部壊れている。おそらくは経年劣化だろう。
「ここに危険はないのかしら?」
問いかけられた女は「おそらくは」と答えた。
「ここにいるのはあなただけ?」の質問には「はい」と答えた。
「ここには私以外おりません」「昨日から動ける範囲で探索しましたが、誰もおりませんでした」
「「「……………」」」
……………明らかにトラブルのニオイ。
「あなたはどうしてここにいるの?」「よかったら話してくれないかしら」「もちろん言いたくなかったら言わなくてもいいわ」
年齢不詳の女にやさしく微笑まれ、女は首を振った。
「神使様方に隠すようなことはなにひとつございません」「俗世のつまらない話ではございますが、どうぞお聞きくださいませ」
……………『神使様』??
よくわからないがそこはスルーし、女の話を聞いた。
◇ ◇ ◇
女の名はリディアンム。ナイトランジェンという国の第二王女。二十二歳。平均寿命やらなんやら聞く限り、俺達人間と同じ成長速度で同じ平均寿命らしい。つまり聞いた年齢そのままに受け取っていい。
政略で隣国の第一王子と婚約していて、五歳からずっと親しくしていた。日本でいう大学を先日卒業し、隣国へと輿入れした。移動は馬車。一週間かけて隣国の王城に到着し、そのまま離宮に案内された。
一息ついたところで王族に挨拶に行こうと侍女に言われた。もうそんな時間かと思ったが「最初のご挨拶だからしっかり身を清め磨かねば」「準備に時間がかかる」と言われたらそうかもと思い支度を命じた。「湯の準備ができるまで庭を散策しよう」と侍女に誘われ外に出たところ、婚約者である王子が来た。
身支度も十分でない状態で会うのはと戻ろうとしたが「気にしない」「それよりも疲れていないなら庭を案内したい」と誘われ、案内されるままに庭を歩いた。
「おかしいと思うべきだったんです」
自分についているのは誘ってきた侍女だけ。常に護衛がついていたのに。王子だってこれまでに単独で会ったことはない。常に側近と護衛がついていた。
離宮に入ったばかりだったので皆忙しくしているのかと、王子も疲れているであろう自分に気を遣ってひとりで来たのかと、そんなふうに無意識に判断し、王子の誘うままに奥へ奥へと歩いた。
木立をぬけたそこで、黒い布をかぶった数名が光る陣の周囲に立っていた。
そこで明かされたのは、王子と侍女が恋仲だということ。自分は「邪魔」だと。
「離宮につくなり庭に出て、古の魔術陣を起動させてしまった」「突然のことで止めようがなく」「どこに消えたかわからない」そういうことにすると。
「どこにつながってるかわからないが」「消えてくれ」そう言ってふたりは嗤い、自分を押した。
陣の上に倒れた途端、周囲の風景が変わった。
転移させられたとわかったから、どうにか逆向きに転移できないかと陣に魔力を込めたが無反応。色々やってみたがどうにもならない。普段から常に身につけていた護符や位置情報を示すアイテムなどはすべて「湯に入るから」と侍女によってはずされていた。当然緊急連絡用のアイテムも。
どうにもならない状態で、それでもどうにか生き延びようと歩ける範囲を散策した。が、断崖絶壁にはばまれ、ならば反対はと歩いたが深い森にそれ以上進めず、結局元の場所に戻った。転移陣の周囲は昔は集落でもあったらしく建物の名残が点在していた。その中で教会らしき建物を見つけ、藁にも縋る思いで祈りを捧げていたら突然俺達が現れた、と。
「転移させられたのはいつ?」
「昨日の午後です」
「おひるごはん食べた?」
「はい」
荷物と使用人は前日に離宮入りしていた。女達が離宮に入ったときには生活環境が整えてあり、すぐに昼食を出され食べた。一息ついたところで問題の侍女に「王族の方へのお目通りの前に身を清めては」と提案され、あとは前述のとおりと。
その侍女は女の国の宰相の娘。幼い頃からの友人。だと思っていた。他国の王子妃としての教育を受ける自分の侍女として共に教育を受け、支えてくれていた。と思っていた。
「よくある話すぎて可哀想になるわ……」
「それ絶対計画的でしょ」
「宰相による二国の乗っ取りとかありそう」
「侍女さんの単独犯だとしても狙ってるよね」
アンナのせいで娯楽本を読みまくっている暁月とマコが色々予測する。王女のあることないことあちこちで吹聴してるだろうとか。王子にも王女の侍女として近付きあることないこと吹き込んでるだろうとか。心当たりがあるらしく女改め王女が顔色を悪くしている。
「『お風呂に入る』のも絶対侍女さんが『王女が急にわがまま言い出した』『たしなめたけど聞いてくれなかった』とかって言ってるよ絶対」
「わがまま王女が奔放に振る舞った結果、他国の機密事項である陣を起動させ、結果行方不明になった。隣国から輿入れという話は広まっていて今更中止とはできない。責任を取って自分が王子の妻になる。てとこかしら」
「王女のわがままの結果だから探す必要はないって? で、しばらくしたら死亡したことにするんだね」
「王女様が突然ひとりで放り出されて生きられるわけがないしね」
「運良く善いひとに助けられても、身元を証明するものを持たせていないから『王女を自称するおかしな女』として処分するんだね」
「ああこわいこわい。これだから人間は嫌よねぇ」
あれこれ話しているうちにトモは寝てしまった。あれだけギャン泣きしたから体力尽きたんだろう。
そして勝手な話に王女はガックリと肩を落とし、そのまま床に両手をつきうなだれた。ふたりの話に納得がいったのだろう。
しばらくうなだれていた王女だったが、その肩がちいさく震えだした。と思ったら床についた手をギュッと固く握り込んだ。
「―――神使様方。ありがとうございます」
「蒙が啓いた心地でございます」
ゆっくりと上げられたその顔は、それまでの弱々しいものから一変していた。なにかを決意した、強い人間の表情になっていた。
「あちらが私を捨てるのならば、私もあちらを捨てます」
きっぱりと言い切った王女はまさしく上位者。高貴な存在だと、説明されなくても理解できる雰囲気を持っていた。
「私はこれまで、二国のためにと学び尽くして参りました」
「ですが王子と宰相の娘という各国を代表する二名からこのような仕打ちを受けてまで両国に尽くす気持ちはございません」
「私の役割は終わったと判断致します」
「あちらが私を『死んだ』と――『不要』とするならば、私は私のしたいように動き、生きたいように生きます」
「ここで神使様方にお目通りかない真実をご教授いただいたことが何よりの後押しでございます」
さっぱりと笑う王女には怒りも恨みもない。なかなかの人物だと好感を抱く。
「王子と侍女にわかりやすく仕返ししなくていいの?」「城に乗り込んで『生きてるぞ』ってしないの?」
「みんなの前で悪事をバラしてやったら?」
暁月とマコが提案するが、王女は首を振った。
「愚かな行いをした二名の罪はおのずと明らかになりましょう」
「明らかにならぬのならば、それはそれで神様のご意向と受け入れます」
「凡夫の身にはご神慮を拝察することなどできかねますれば」
「ただ」覚悟を決めた強い瞳をした王女は微笑んだ。息を飲むほど綺麗な笑みだった。
「私は意地でも生き延び、楽しく愉快に暮らします」
「死んでなんかやりません」
「あの方々の思惑をつぶしてみせます」
「それこそが私の今回の件に対する仕返しです」
潔い言葉と微笑み。誰に証明されなくてもわかる。その高貴さ。清廉さ。その姿はまさに王女。
薄汚れていても、髪がボサボサでも、彼女の内面からの輝きが上位者であると示していた。
ついニンマリしたのは俺だけじゃなかった。マコも伊佐治も他の連中も王女に笑みを向けていた。
俺達の笑みに王女は照れくさそうにはにかみ、目を伏せた。
「………正直申し上げますと、もう関わりたくないのです」
ポツリとこぼし、王女は続けた。
「王子も侍女も信頼しておりました。幼い頃から共に過ごし、信頼関係を築いてきたと思っておりました」
「ですが、それは私のひとりよがりだったと知りました」
「裏切られた思いでございます。怒りも悲しみもございます」
「ですが、ふたりがそのような人間だと見抜けなかった私が愚かだっただけのこと」
「ふたりにいいように踊らされていた私が愚かで未熟だったのです」
「誰かが悪いと言うならば、きっと愚かな私が悪いのでしょう」
「王女であるのに、見る目がなかったのですから」
マコがなにか言おうとしたが、それより早く王女が続けた。
「ですが、だからといって傷ついていないわけではございません」
「もう私を傷つけるひと達には関わりたくございません」
「『逃げ』であるとは承知しております。ですが、わざわざ追いかけてまで関わる気力は、もう私にはございません」
「私にできるのは『死なないこと』『生き延びること』『楽しくしあわせに生きること』くらいかと存じます」
「私のような愚か者には、そのくらいしかできることがございませんので」
そこまで語り、王女は顔を上げた。その顔には穏やかな笑みを浮かべている。一見明るく前向きな様子。だが、握り合わせたその手がちいさく震えていた。
観察眼は退魔師の基本だ。どんな些細な変化も見逃さず相手を探れと訓練されてきた。
その俺から見て、この王女はかなり動揺している。当然だな。それでも動揺を隠し前向きな表情を作るとは。上に立つ者としての教育がしっかりとされているのだろう。
……………ふむ。
術式を検討。王女の体積と体重を目算。霊力量。………イケるか。
「………提案がある」
俺の言葉に王女は無言で先をうながした。
「生き延びられるならば、この『世界』でなくても構わないか?」
意味がわからないらしい。王女はちいさく首をかしげた。
「きみさえよかったら、俺達と一緒に行かないか?」
「この『世界』を捨てて、俺達の『世界』で暮らさないか?」
俺の言葉に、王女はじっと考えていた。しばしの逡巡のあと、おそるおそるというように口を開いた。
「……………それは、遠回しな表現でいらっしゃいますでしょうか?」
「ん?」
「『神の御許へと召される』ということは、すなわち『現世での生を終える』ということでございましょうか」
「違う違う。死ぬんじゃない」
そういえば俺達のこと『神使』とか言ってたな。『神の世界に行く』となったらイコール『死』となるか。
説明不足だったなと反省し、改めて説明することにした。
「まず言っておくが、俺達は『神使』じゃない」
「ただの人間だ」
きっぱりと言い切ったのに王女は不思議そうな顔をした。チラリと目を向けたのは俺達の額と麻比古の頭についた狼の耳。
「……………まあ、種族は色々いるが……………」
角がない俺達だって彼女にとっては『ただの人間』ではないだろうと今更気付いたが敢えて無視し、続けた。
「俺達の『世界』にはたまにあるんだよ。違う『世界』に渡ったり、逆に違う『世界』からやって来たりってことが」
「俺達もたまたま『跳ばされて』来ただけ」
「今から帰るから、なんならきみも一緒にどうかって話」
じっと話を咀嚼している王女。しばらく見守り、再度声をかけた。
「もちろん強制はしない」
「が、ここできみひとり置いていくのも寝覚めが悪い」
「それに『困ってる女を見捨てて戻った』なんて言ったらウチの母親にどれだけどつき回されるか」
げんなりする俺に王女がちいさく驚いた。ウチの連中がうなずいたり苦笑したりする様子に二度驚いていた。
「俺が母親に叱られないためにも、よかったら一緒に行こう」
「悪いようにはしないよ。―――ウチの母親が」
俺の提案にウチの連中もマコもニコニコ顔でうなずく。話を聞きポカンとしていた王女だったが、やがて「ぷっ」と吹き出した。
「素敵なお母様ですのね」
「厳しくて恐ろしい母親だよ」
正直に答えたのに王女はクスクスと笑った。
「けど、困っている人間を決して見捨てない」
「そこだけは尊敬できる母親だよ」
微笑む俺だけでなく、マコもウチの連中も微笑んだりうなずいたりして同意を示す。歓迎ムードの俺達を王女はじっと見つめていた。
しばらく黙っていた王女だったが、おそるおそる口を開いた。
「………私、差し上げるものをなにも持っておりません」「金銭も、知識も、技術も」「それでも、よろしいのでしょうか……」
「構わないよ」「見返りを要求したら逆に母親に説教されちまう」
あっさり答える俺に王女はちいさく驚いた。が、すぐにクスクスと笑い、綺麗な笑みを浮かべた。
「―――では―――お言葉に甘えてもよろしゅうございますか?」
「もちろん。―――こっちにおいで」
王女を俺達の輪の真ん中に立たせ、トモを抱いたマコと手を繋がせる。ウチの五人と俺とでふたりを取り囲み肩を組み合わせ一塊になり、転移札に霊力を込める。―――起動。裏山の、かつて安倍家の主座様が刻んだ転移陣に戻る。
―――はずだったのに。
「―――え?」
「変化なし―――?」
「―――うそだろ………」
信じられなくてもう一度霊力を込める。俺だけでは足りないのかと全員で霊力を込める。それでも変化なし。
なんてことだ。
「転移、できない―――」
帰還、できない。